冷シャブ
「きな粉は正解だったね」
「そうですね! こればっかり、いっぱい食べたいです!」
「あはは……」
きな粉のショートブレッドはそれくらいおいしいと言いたいのだろうけど、普通に食事の出来る状況ならばお菓子でお腹をいっぱいにするというのは良くないので、笑顔の頼華ちゃんに俺は苦笑するしか無かった。
「むー……」
「黒ちゃん、どうしたの?」
自分が作った、他の物と比べて二倍くらいの大きさのショートブレッドを齧りながら、黒ちゃんが眉間に皺を寄せている。
「四隅と比べると真ん中の辺りは、歯応えがもっさりしてるぅ……」
「ああ、大きいから均等に火が通らなかったんだね」
別に生焼けでは無いのだが、普通サイズのショートブレッドは全体がサクサクに焼けているのに対し、黒ちゃんの作った大きな物は、中程が少し柔らかく仕上がってしまったらしい。
「欲張って、主殿の指定した大きさにしなかった、黒が悪いのだろう」
「うぅ……」
手厳しく白ちゃんに言われた黒ちゃんだが、ショートブレッドの出来を我が身で実感したので、言い返す事が出来ずに唸っている。
「……御主人、御免なさい」
「まあ、一緒に作った小さい奴はちゃんと焼けてるみたいだし、気にしないでもいいよ」
「うん……」
極端に食材を無駄遣いしたとかでは無いので、俺はそんなに気にしていないのだが、黒ちゃんはすっかりしょんぼりしてしまっている。
「みんなが作ったのも、そろそろ良さそうだね」
場の雰囲気を変えようと少し大袈裟に振る舞いながら、俺は土窯の中から天板を取り出した。
「うぅ……細い奴は焦げちゃってます」
「食べられない程は焦げてないよ」
黒ちゃんの大きな物とは逆に、かなり細くなってしまったショートブレッドの焼色が濃いのを見て、風華ちゃんが落ち込んでいる。
「でも……」
「それじゃこれは俺が……うん、おいしいよ」
ションボリしている風華ちゃんの目の前で、細くて少し焼き色の濃いショートブレッドを摘んで、素早く口の中に運んだ。
カリカリと香ばしいショートブレッドは、風華ちゃんが危惧する食べられないような代物にはなっていなくて、これはこれでおいしかった。
「しゅ、主人!? そんな、無理をしないで下さい!」
「別に無理なんかしてないよ?」
素早く食べてしまったのは、失敗を気にしている風華ちゃんへの配慮だが、実際は普通の物と大差無い感じだし、硬さを言うなら煎ってない糠を使った物の方が強敵だ。
「どうしても気になるなら、次の時に上手く作ればいいよ」
「は、はいっ!」
慰める為に頭に手をポンと置くと、風華ちゃんは頬を染めながら元気に返事をした。
「それじゃみんな、良く手伝ってくれたから、そうだね……一人五個ずつ、自分の分として取っていいよ」
「「「はい!」」」
俺が許可を出すと、子供達に混じって頼華ちゃんや黒ちゃんもショートブレッドに手を伸ばした。
色んな種類を一つずつ取る子もいれば、好みの材料の物ばかり確保する子もいて、中々個性が出ている。
「ブルムさんのところにも持っていかないとな……」
「貴方様。それはわたくしが」
俺の独り言が耳に入った天が、小皿に一種類ずつのショートブレッドを取った。
「一緒に、お茶もお淹れしてお持ちしますので」
「ああ、そこまで気が回らなかったな……お願いします」
「いえいえ」
艶やかな笑顔で応じた天は、お茶を淹れた湯呑と小皿を盆に載せ、店の入り口の方に歩み去った。
「さて、と。そろそろ夕食の買い物に行こうかな」
ショートブレッドを何度かに分けて焼いたので、それなりに時間が経過していた。
まだ夕暮れまでは時間があるのだが、それ程のんびりしていられる余裕も無い。
「では兄上! 余がお供を!」
「あれ? 昨日は夕霧さんが雫様に付いていたから、今日は頼華ちゃんの番じゃ無いの?」
「う……」
俺が指摘をすると、小さく呻いて頼華ちゃんの顔色が変わった。
(もしかすると、買い物を口実に抜け出そうとしてたのかな?)
もしかしたらショートブレッドの調理に呼んだので中断しただけど、雫様から頼華ちゃんへのお小言は、まだ終了していないのかもしれない。
「ええ、その通りですわ良太殿。頼華、あなたには私の傍に居て下さいね?」
「……はい」
頼華ちゃんは縋るような視線を俺に送ってきたが、雫様に名前を呼ばれると肩を落としながら返事をした。
「じゃあ夕霧さんと……風華ちゃん、一緒に行こうか?」
「はぁい」
「えっ!? あ、あたしですか!?」
いつも通りにふんわりした笑顔で夕霧さんが返事をしたが、何故か風華ちゃんは凄く驚いている。
(落ち込んでたから気分転換させてあげたかったんだけど……失敗したかな?)
気分転換よりも、そっとしておいた方が良かったのかと、風華ちゃんの驚く顔を見て思ってしまた。
「俺と一緒の買い物と、料理の手伝いは嫌かな?」
「そっ、そんな事はありません!」
「そ、そう?」
里の子は基本的に聞き分けが良く、俺の言う事には殆ど逆らったりはしないのだが、それでも自由意志は存在しているので、別に断ったからといっても特に気にはしない。
しかし風華ちゃんは、髪の毛をなびかせながらブンブンと大きく首を振ると、必死の形相で俺の言葉を否定してきた。
「良太さぁん、風華ちゃぁん。早く行きましょう」
「そうですね。風華ちゃん、おいで」
「はい!」
マイペースな夕霧さんに促され、俺が風華ちゃんに手を伸ばすと、元気良く返事をしながら握ってきた。
「確か今日ってぇ、結構な人数が集まるんですよねぇ?」
「そうなんですよね」
風華ちゃんを真ん中に挟んで、反対側で手を繋ぎながら歩いている夕霧さんに問い掛けられ、夕食の献立を思案する。
ワルキューレだけでも九人いるし、そこに俺、おりょうさん、頼華ちゃん、黒ちゃん、白ちゃん、雫様、ブルムさん、夕霧さん、天、そして子供達が五人が加わり、総勢が二十三人という大所帯だ。
「とりあえずは子供達と雫様、それにブルムさんに御飯を食べて貰って、入れ替わってって感じかなぁ」
居間と隣の間の仕切りの襖を開ければ、窮屈な思いをしなくても座れるのだが、一度に全員が食事をするとなると配膳からして大変なので、子供達には先に食べさせて、その後で風呂に入って貰うのが良いだろう。
「でもそうなると、夕霧さんも先に食事を済ませて貰った方がいいですね」
「ふぇ? なんであたしもなんですかぁ?」
俺の言葉に、夕霧さんが首を傾げる。
「雫様の入浴には頼華ちゃんか夕霧さんの介添が必要ですし、子供達だけで入浴させる訳にも行きませんから」
「あー……そういう事ですかぁ」
今の会話で、俺の考えは夕霧さんに伝わったようだ。
「まあ、今日の雫様のお世話は頼華ちゃんの番らしいですから、夕霧さんじゃ無くて頼華ちゃんに任せてもいいんですけど」
(でも、別々に考えた方がいいのかな?)
前回は女性のローテーションに合わせて、料理や買い物を手伝ってくれた子との入浴になったのだが、雫様の事は頼華ちゃんに、子供達はブルムさんに任せて、夕霧さんには風華ちゃんと一緒に入浴をして貰うのが良さそうだ。
「その辺は、帰ったら頼華様とも話してみますねぇ」
「お願いします。あ、そこの店で買物をしましょう」
「はぁい」
「はいっ!」
夕霧さんと話しながらも考えていた献立が、やっと頭の中でまとまってきたので、買おうと思っている物を売っている店の前で足を止めた。
「夕霧さん、ちょっと遠回りをして帰ってもいいですか? 風華ちゃんも」
「あたしは構いませんよぉ」
「あたしもです!」
必要な物を買い揃えた俺は、笹蟹屋に戻る前に寄り道をしたくなったので二人の声を掛けると、あっさりと了承された。
「じゃあ、こっちに」
俺は風華ちゃんの手を引きながら、笹蟹屋から離れるルートで西進し始めた。
「こっちに行くという事はぁ、朱雀大路ですかぁ?」
「ええ。さっき粉とかを買った、乾物を扱っている店に行こうと思いまして」
「また、きな粉とかを買うんですかぁ?」
夕霧さんはショートブレッドや飴を作るのに使った分を、補充しに店に向かうと考えたらしい。
「今度はちょっと、他の物に用がありましてね」
広いので通行はし易いが混み合ってもいる朱雀大路の手前の辻を曲がり、そこから北上してから目指す店に向かって歩いた。
乾物を扱う店で幾つかの買い物を済ませ、その後に別の店にも立ち寄って買い物をしてから笹蟹屋に戻った。
「それじゃああたしはぁ、御飯を炊いちゃいますねぇ」
「お願いします」
「はぁい。終わったらぁ、すぐに二回目に入りますのでぇ」
里なら人数分の御飯を一気に炊けるのだが、笹蟹屋の竈が比較的大きいとは言っても、一度に炊けるのは一升分だ。
今日、笹蟹屋で夕食を摂る人数を考えると、御飯だけでも二回炊かなければ足りそうに無いのだ。
夕霧さんは竈に羽釜を置いて炊飯を開始すると、時折様子を気にしながら二回目の米を研ぎ始めた。
「風華ちゃんには野菜を刻んで貰うけど、量が多いから大変だよ?」
「や、やってみます!」
「うん。それじゃ大きさのお手本を作るから、大体同じになるように切ってくれればいいからね」
「はいっ!」
物によって皮を剥いたり葉を落としたりしてから、風華ちゃんの見本用に数種類の野菜を切った。
「こんな感じにね」
「わかりました! よーし……」
「えっと……気楽にね?」
風華ちゃんが幼い顔に気合を漲らせながら包丁を構えるのを見て、少しリラックスするように言ったのだが、その声が聞こえているのかいないのか、野菜に視線を向けたままこちらを見ようとはしなかった。
(……ま、いいか)
刃物を扱っている時に、声を掛けたりして注意を逸らすのも良くないので、俺は柳刃を取り出して自分の作業を始めた。
「良太ぁ、来たよぉ」
二回目の炊飯も終わり、そろそろ夕食の支度が終わるというところで、おりょうさんが厨房に入ってきた。
「おりょうさん。無事に到着したんですね」
「うんっ!」
笑顔を浮かべたおりょうさんは、俺に寄り添ってきた。
「お、おりょうさん。嬉しいんですけど……夕霧さんも風華ちゃんもいるので」
俺が指摘するとおりょうさんは、夕霧さんがジト目でこっちを見ているのに気がついた。
「はっ! そ、そうだねぇ……風華ちゃん、御手伝い感心だねぇ」
「はいっ!」
ジト目の夕霧さんとは違って風華ちゃんの方は、おりょうさんの俺への態度を特に気にするでも無く、褒められた事に対して純粋に喜んでいる。
「他の人達はどうしてます?」
「戦乙女さん達は、ドランの旦那を送り届けたゔぁるとらうてさんも含めて、全員揃ってるよ」
「そうですか」
先発していたブリュンヒルドと、ドランさんを江戸まで送ったヴァルトラウテ以外のワルキューレの動きが不明だったが、俺が風華ちゃんと厨房に籠もっている間に全員が集合していたらしい。
「あたしにもなんか、手伝える事はあるかい?」
「夕食の支度は殆ど終わってるんですが……おりょうさんにはこれを焙じて貰いましょうか」
「それは……麦かい?」
「ええ。大麦です」
さっき穀物を扱う店に行って買ってきた物の一つが、この六条大麦だ。
「煎るって事は、麦湯かい?」
「そうです。この店にも里にも子供用の飲み物があまり無いし、身重の雫様にもお茶よりは、こっちの方が良いと思いまして」
「なぁるほどねぇ」
向こうの世界でコーヒーなどの飲料に含まれるカフェインの様々な効能と、摂取し過ぎる事の弊害を簡単に説明した事があるので、おりょうさんは俺が何を言いたいのかを直ぐに理解してくれた。
お茶も焙じ茶とかにすればカフェインはほぼ無くなるのだが、六条大麦を使った麦湯の方が格段に安上がりな上に身体にも良いのだ。
「焙じたら、煮出すのにはこれを使って下さい」
「ん? こいつはどう使うんだい?」
俺が手渡した、蜘蛛の糸で作った細かなメッシュの袋を見て、おりょうさんが首を傾げる。
「ここに麦の粒を入れて、この部分を返すと……」
「おやまあ。これを使えば麦が広がらないから、煮出した後で濾し取る必要が無いんだねぇ」
まだ煎っていない麦の粒を袋に入れ、口の二重構造になっている部分をひっくり返すと、中身が外に出ないような構造になるのを俺が実演すると、おりょうさんが目を丸くした。
これは向こうの世界にあった急須の洗浄を容易にする為の、お茶の抽出の時に使う簡易ティーバッグと同じ物なのだが、俺の家への滞在中には使った事が無かったので、おりょうさんは知らなかったのだ。
「幾つか作っておいたので、里でも使って下さい。出汁を取る時なんかにも使えますよ」
「わかったよ。こいつは形自体は簡単だから、あたしでも作れそうだねぇ」
四角く織った三枚の布を結合させてあるだけの構造なので、おりょうさんが言う通りにこの簡易ティーバッグは作るのも簡単だ。
「そいじゃ早速、こいつを使って食後には麦湯を出そうかねぇ」
「宜しくお願いします」
おりょうさんが焙烙で煎り始めた麦の香ばしさに鼻を刺激されながら、俺は夕食の仕上げをした。
「それでは、頂きます」
「「「頂きます」」」
当初の予定通りに、先ずは雫様と頼華ちゃんと子供達、そして店を閉じて中に戻ってきたブルムさんに、居間で夕食を始めて貰った。
ワルキューレ達は別の間で待機をして貰い、黒ちゃんは我慢出来そうに無かったので、天に給仕をお願いして先に厨房で食べている。
風華ちゃんのお手伝いへの御褒美の入浴があるので、夕霧さんにも厨房で食事をして貰っている。
「良太殿。これはどのように?」
「肉で野菜を巻いたりして、つけダレを使ってお食べ下さい。タレは出汁と煮切り酒と酢を合わせた物と、すり胡麻を出汁で伸ばした物を用意しました」
里と比べて京の街中は蒸し暑く感じたので、今日の夕食は極薄切りにした猪肉をさっと茹でてから直ぐに冷やし、生だったり茹でたりした細切りの野菜と一緒に食べる、現代風に言うなら冷シャブだ。
里では不足気味に感じたので、大根、人参、水菜、ニラを細切りにして茹でた物、摩り下ろした大根、生姜などをたっぷりと用意した。
白髪葱も用意したかったが、京の周辺では畝を作って白くした葱は栽培されていないので、柔らかい緑色の葱を細い斜め切りにした物を作った。
「では水菜を……んん! お肉の味と水菜のしゃきしゃきした歯ざわり、それにタレが口の中で調和して、これはおいしいですね!」
脂身が薄く透けて見える猪の肉の冷シャブを味わって、雫様の表情を綻ばせた。
「こうすると、野菜もいっぱい食べられます」
「ええ、本当に! お次はお肉に大根と生姜で♪」
雫様は子供のような無邪気な顔で、二枚目の肉で細切りの大根を巻き始めた。
「むぅ! 醤油ダレに大根おろし、そこにニラが入ると……さっぱりしつつも力強い味わいに!」
もぐもぐと冷シャブを味わった頼華ちゃんは、口の中に豪快に御飯を放り込んで恵比須顔だ。
「あ、あたしも頼華姉様と、同じ食べ方を……」
「お、俺も!」
食べている姿が余程おいしそうに見えたのか、子供達が次々と頼華ちゃんと同じ組み合わせにして肉を口に運んでいる。
「頼華。大根おろしに少し七色を振ると、更に食が進みますよ」
「おお! さすがは母上です! 兄上、お代わりを!」
食べ方は上品だが一定のペースを崩さない雫様に七色、現代で言う七味唐辛子を振るという食べ方のアドバイスを受け、頼華ちゃんが更に勢いづいた。
「「「お代わりー!」」」
頼華ちゃんだけでは無く、子供達の食欲にも火が点いてしまったようで、一斉に空になった茶碗を差し出してきた。
「こりゃ、次を用意した方が良さそうだな……」
御飯を盛り付けながら、今も食卓の上から消えていく料理を見て俺は呟いた。
料理が好評なのは嬉しいのだが、雫様を筆頭に食べる量、そしてペースが予想を遥かに上回っている。
「奇遇だな主殿。俺もそう思ってたところだ」
目の前で瞬く間に消えていく肉と野菜を見て、追加を用意した方が良さそうだと俺と白ちゃんは同時に思い至った。
「この分じゃ厨房の方も……」
「だろうなぁ……」
厨房で食べている黒ちゃんと夕霧さんの方も、そろそろ用意した分を食べ切っているのでは? そいう考えが頭を過ぎった。
「「……」」
俺と白ちゃんはお互いの顔を見合わせながら小さく溜め息をつくと、揃って厨房へ歩き始めた。




