飴
「それじゃみんなの分は少し寝かせて……っと、先に入れた分が焼けたな」
土窯から甘く香ばしい匂いが漏れ出てきたので蓋を開け、厚手のミトンを右手に嵌めて天板を引っ張り出した。
畳の上に板を敷いてその上に、白ちゃんの煎らない糠、天の煎った糠、俺の玉蜀黍の粉から作ったショートブレッドが載った天板を並べた。
「「「わぁ」」」
子供達だけでは無く頼華ちゃんや黒ちゃんも上から覗き込み、香りを楽しもうとしているのか、思いっきり息を吸い込んでいる。
「これは熱さが落ち着いてから味見をしようね」
「「えぇー……」」
「頼華ちゃん、黒ちゃん。年長者がそれじゃ駄目でしょ……」
子供達からは不平の声が出なかったのに、頼華ちゃんと黒ちゃんは表情からしてがっかりしている。
「少し冷めたら、ちゃんと味見をするから。だから、その間に……」
俺は使い終わった鉢の内の二つを洗って水を切り、水滴を綺麗に拭き取った。
「「「?」」」
俺がドラウプニールから瓶と、二種類の粉末を取り出したのを、皆が不思議そうに見る。
「これで、別のお菓子を作ろうね」
「えっ!? きょ、今日はそんなにお菓子が食べられるのですか!?」
「……作った物を全部食べる訳じゃ無いからね?」
各種のショートブレッドと、これから作るお菓子を各自に一つずつは配るつもりだが、出来上がった分を全部食べたら夕飯が入らなくなるだろう。
その辺は頼華ちゃんも理解していると思うが、念の為に釘を刺しておいた。
「む、無論……わかっていますよ?」
「そうだよね?」
(食べ放題くらいな気でいたみたいだな……)
一応は頼華ちゃん自身の主張を受け入れたが、どうにも怪しい。
「ところで貴方様、何をお作りに?」
「里の蜂が蜜をいっぱい集めてくれたので、これを使って飴を作りましょう」
「飴でございますか? 何やら難しそうな……」
「砂糖や水飴を煮詰めたりするのとは違って、簡単なんですよ」
飴を専門で扱っている商人もいるので、天はそう考えたのだと思うが、これから作る物は実に簡単なのだ。
「きな粉と米糠の二種類を使いますね」
二つの用意した鉢の一つに、きな粉を、もう一つには米糠を七分目くらいまで入れた。
「また米糠か。大活躍だな」
「あはは。白ちゃんが仕入れてきてくれて良かったよ」
これ程活用されるとは思っていなかったのか、白ちゃんは感心しながらも半分呆れている。
「米糠は煎った方がいいんだけど……」
「では主殿、それは俺がやっておこう」
「うん。頼むよ」
米糠の入った鉢を手に取り、白ちゃんは竈の方に向かった。
俺がやっても良かったのだが、飴と聞いて子供達だけでは無く頼華ちゃんや黒ちゃんもうずうずしているので、米糠を煎るのは白ちゃんに任せた。
「それじゃ良く見ててね? こう、きな粉の中に蜂蜜を垂らして……混ぜ込みながらこれくらいの大きさに纏めて、最後にべたつかないように、きな粉の上で転がしたら出来上がり」
「「「えっ!?」」」
料理とか調理とかとは言えないような恐ろしく簡単な工程を見て、その場にいる一同が揃って驚いた。
「あ、兄上? これは飴と言うには……」
「変かな? でもおいしいよ。ほら」
出来上がったばかりの蜂蜜ときな粉の飴を摘んで、頼華ちゃんの口に放り込んだ。
「ん……むっふう! きな粉の香ばしさに蜂蜜の濃厚さ! 硬い歯応えはありませんが、これは確かにおいしい飴です!」
向こうの世界でソフトなキャンディーなども食べている頼華ちゃんは、あまり歯応えの無いきな粉と蜂蜜の飴も、すぐに受け入れられたようだ。
「むー! 御主人、頼華ばっかりずるいよ!」
「ああ、御免ね」
俺は鉢に蜂蜜を追加で垂らし、両手を使って手早くこの場にいる人数分を混ぜて丸めた。
「はい。みんな一つずつどうぞ」
「「「わぁ!」」」
黒ちゃんと子供達が歓声を上げながら手を伸ばし、落ち着いたのを見計らって雫様や天や夕霧さんも飴を口に運んだ。
「あまーい!」
「おいしー!」
子供達は実に率直な言葉、そして笑顔でおいしさを表している。
「これは……蜂蜜ときな粉というのは、このように調和する物なのですね」
黒蜜ときな粉という取り合わせは、こっちの世界でも葛餅などで使われていると思うのだが、高級品と言われている蜂蜜と組み合わせた事は雫様も無かったらしい。
「お、おいしいんですけどぉ……良太さん、蜂蜜をこんな使い方しちゃってぇ、いいんですかぁ?」
「里の蜂がいっぱい集めてくれたし、勿体ぶって使わないよりは、みんなが喜んでくれた方が俺も嬉しいですから」
「そ、そうでございますねぇ……」
夕霧さんと天は自家消費するよりは、高級品なので売って利益を出せばと言いたいのか、凄く微妙な表情をしている。
しかし、里の蜜蜂は俺や他の住人に食べて貰おうと集めてくれたんだと思うので、売って金銭を得るよりは有り難く頂いた方がいいだろう。
「主殿、糠が煎り終わったぞ」
「ありがとう。それじゃこっちでもやってみようか」
「「「はーい!」」」
俺が煎られた糠に蜂蜜を垂らすと、夕霧さんと天の複雑な心中をそっちのけに、飴の味を知った頼華ちゃんや子供達が殺到した。
「米糠の方は頼華ちゃん達に任せて、夕霧さん達はきな粉の方をお願いしますね」
「は、はぁい……」
「え、ええ……」
まだ躊躇する夕霧さんと天の視線を受けながら、きな粉の鉢に大量の蜂蜜を流し入れた。
「はい、白ちゃん。味見」
「む……」
摘んだ飴を目の前に差し出したが、白ちゃんは眉間に皺を寄せて唸り、口を開けようとはしなかった。
「おいしいよ?」
「む、むぅ……」
何か怖い物から逃れようとでもするかのように、白ちゃんは眉間に皺を寄せながら目を瞑り、ほんの少しだけ口を開けた。
「入れるよ?」
「……」
返事は無いが閉じなかったので、摘んだ指ごと白ちゃんの口の中に飴を差し入れた。
「おいしい?」
「う、旨いが……主殿は、時々強引だな」
「まあ、ね……」
(別に、受け取って自分で食べてくれても良かったんだけど……)
人前で『あーん』をするのは俺にもハードルが高いので、飴を受け取って自分で食べてくれれば良かったのだが、仕方無く俺が悪者になっておいた。
「出来たー!」
「黒よ、それはちと大き過ぎるぞ」
頼華ちゃんが指摘した通り、黒ちゃんが丸めた飴はピンポン玉くらいの大きさがある。
「ら、頼華のだって、小さくは無いじゃん!」
「うっ!」
言われてみれば頼華ちゃんの丸めた飴も、黒ちゃん程では無いにしても、さっき俺が作った物の倍くらいの大きさがある。
どうやら二人共、自分の欲望に忠実に飴を作ったら、この大きさになったのだろう。
「頼華、黒殿……」
「ひいっ!? は、母上、すぐに小さく致しますので!」
「あ、あたいも、そうしようかなー……」
一緒にいる子供達に影響が出ないように、明確な威圧などはしていないのだが、静かに名を呼んだ雫様から何かを感じ取った頼華ちゃんと黒ちゃんは、即座に自らの過ちを修正し始めた。
「う、上手く丸まらない……」
「なんか柔らかいー」
子供達は蜂蜜と粉に悪戦苦闘しているが、それでも凄く楽しそうだ。
「みんな出来上がったみたいだね。それじゃ、そうだな……一人四個、糠ときな粉のどっちでも好きな方から選んで食べていいよ」
「「「はーい!」」」
形が歪だったり大きさが大小様々だったりするが、達成感を得たからか子供達の顔には満足そうな表情が浮かんでいる。
普段から料理の手伝いをしてくれているお糸ちゃんはさすがの腕前で、年長組の作る飴と比べても遜色の無い、綺麗な形と大きさに出来上がっている。
「それじゃ続いて、これの味見をしましょうね」
「良太さぁん。その前に、お茶を淹れませんかぁ?」
飴作りの間に天板も十分に冷えたので味見を、というところで、夕霧さんから魅力的な申し出がされた。
「ああ、いいですね」
「それじゃあたしが用意しますからぁ、そのまま味見を続けてて下さぁい」
「すいません、お願いします」
夕霧さんの御好意に甘えて、三種のショートブレッドの味見を始める……その前に、寝かせておいた生地の載った新たな天板を土窯にいれた。
「う……うー」
「黒ちゃん、どうしたの?」
何やら黒ちゃんが、自分の分として確保した飴と、ショートブレッドの間で視線を行ったり来たりさせている。
「黒は食い意地が張ってるから、どちらを先に食べようか迷っているだけだろう」
「し、白っ! そんな事……あるけどさ」
「あるんだね……」
黒ちゃんは白ちゃんに反論するのかと思ったが、事実なので出来なかったらしい。
「飴は取っておいて、後で食べたら?」
飴は先に味見をしたばかりだし、いま全部を食べてしまうと、後で他の他の者が食べているのを指を加えて見守るしか出来なくなる。
「そ、それもそうだね!」
「あ、ちょっと待って。これに包んで仕舞うといいよ」
黒ちゃんはいそいそとドラウプニールの飴を仕舞おうとするが、俺は手早くハンカチくらいの大きさの布を作って渡した。
「御主人、有難う!」
俺から受け取った布に飴を置き、転げ出さないように結んだ黒ちゃんは、笑顔でドラウプニールに収納した。
「あ、あの、黒姉様」
「ん? どうした、潮」
そんな黒ちゃんの行動を見ていた潮君が、おずおずと声を掛けた。
「あの、俺の分、黒姉様が預かってくれませんか?」
「おう! 任せとけ!」
「お、俺のもお願いします!」
潮君に続いて、焔君も同じように申し出てきた。
「それじゃあ……はい、二人共。これを使うといいよ」
後でどれが誰のだと揉め事が起きないように、俺は二人の名前入りの布を作って渡した。
「「有難うございます!」」
「これは遥君と風華ちゃんとお糸ちゃんの分ね」
「「「有難うございます!」」」
潮君達のように預けるか、それとも自分で管理するのかはわからないが、必要だと思ったので他の三人分の名前入りの布も作って渡した。
「主殿、俺達の分は無いのか?」
「そうですよ!」
「黒ちゃんには作っちゃったけど、白ちゃんも頼華ちゃんも自分で作れるし、仕舞っておく事も出来るでしょ?」
「それはこいつらもだと思うんだが」
「そうなんだけどさ……」
この場にいる人間で、糸の操作が出来ないのは雫様だけなので、白ちゃんと頼華ちゃんが不平を言うのはわからなくも無いのだが、出来ればこの程度の作業は自分の手で行って欲しい。
「良太殿。私の分はお願いしても宜しいですよね?」
「あ、そうですね」
「お願い致します」
「「……」」
ギギギ……
雫様が勝ち誇ったような笑顔を浮かべ、白ちゃんと頼華ちゃんを一瞥すると、二人は剥き出しにした歯を軋らせている。
「……どうぞ。二人の分もね」
「主殿……」
「だから兄上、大好きっ!」
このままだと収拾がつかなくなりそうな気がしたので、雫様の分を作った後で白ちゃんと頼華ちゃんの分も作った。
無論だが、お茶を淹れてくれている夕霧さんとブリュンヒルド、この場にはいないブルムさんの分も作って飴を包んでおいた。
俺が預かった残りの飴は後日、里に残っている子供達にも分け与える予定だ。
「お待たせしましたぁ……って、味見をしてないんですかぁ?」
「ちょっとありまして」
「?」
各自の分の湯呑を置いてくれている夕霧さんが、可愛らしく首を傾げている。
「あ、これ。夕霧さんの分の飴を入れるのにでも使って下さい」
「わぁ。有難うございますぅ」
布を渡すと笑顔になった夕霧さんの意識は、この場を包み込む妙な雰囲気からは逸れたようだ。
「さ、さあ。今度こそ味見をしましょうね」
「「「わぁい♪」」」
「頂きます」
「「「……」」」
子供達と黒ちゃん、そしてブリュンヒルドは、待ってましたと言わんばかりに三種類のショートブレッドを摘み取ったが、雫様、頼華ちゃん、白ちゃんの三人は、無言のままに手近な天板に手を伸ばした。
「……あらぁ。この硬いのは、煎っていない糠の方ですかぁ?」
「確かに、硬いですね」
夕霧さんの述べたように、煎ってない糠を使った物は歯応えがあるというのを通り越して、硬過ぎる仕上がりになっている。
(焼き上がって直ぐでこれだと、冷えると相当に硬くなりそうだな……)
煎った糠の方は小麦粉で作ったクッキーのようにサクッとした歯応えなのに、まだ仄かに温かさが残っているにも関わらず、煎っていない方の糠のショートブレッドはガリガリと歯に当たる。
「今度作る時には、煎る作業は必須っぽいね」
こういう食べ物だと思えば特に気にならないのかもしれないが、同じ糠でも煎った物はサクサクに仕上がっているので、どちらの方が良いかというのは議論の余地も無い。
「……兄上。この玉蜀黍の粉から作った物は、香りの主張が強過ぎる気がするのですが」
「あー……本当だねぇ」
玉蜀黍の全粒を使ったのが問題なのか、口に入れると香りが爆発的に広がって、砂糖の甘さも感じられない程になっている。
「でも、これは食事と考えればアリではないかと思うのですが」
「まあ、確かに」
ブリュンヒルドの味覚には合ったのか、不合格と断ずるのに待ったが掛かった。
言われてみればこれはこれで、スティック状のコーンフレークとかに思えなくも無い。
「兄上。これは向こうの汁物に浮いていた、あれのような使い方が出来るのでは?」
「汁物の上に浮いてたって……ああ、もしかしてクルトン?」
「そう! それです!」
「そうだなぁ」
玉蜀黍を使ったショートブレッドは、良くも悪くも甘さを感じないので、確かに頼華ちゃんが言うように、スープなどに浮かせたりするという食べ方が良さそうだ。
「主殿にしては、料理の失敗は珍しいな」
「そりゃ、失敗くらいはするよ」
白ちゃんに意外そうに言われてしまったが、元の世界では数え切れないくらいに料理のトライアンドエラーを繰り返していたので、この程度の失敗をするくらいは当たり前だと自分では認識している。
「あの、良太様」
「なんですか、ブリュンヒルドさん」
ブリュンヒルドが、そっと手を挙げながら俺を呼んだ。
「その玉蜀黍という穀物で作られたショートブレッド、でしたか? 行き場が無いのでしたら私にお譲り下さい」
「それは構いませんが……」
クルトンとして使うにも結構な量なので、暫くはドラウプニールの中で死蔵するか非常食扱いと思っていたので、ブリュンヒルドからも申し出を断る理由は無い。
「私には味や香りは気にならないと言うよりは、おいしく感じられますので」
「そういう事でしたら、お持ち下さい」
「有難うございます!」
(……他のワルキューレの意見は訊かなくてもいいのかな?)
玉蜀黍のショートブレッドの風味が気にならないのは、あくまでもブリュンヒルドの個人的な嗜好なので、他のワルキューレにとってはどうなのかという疑問が残る。
しかし、リーダーに逆らう事はしないと思うし、小麦よりも玉蜀黍の方が栄養的には優れているので、それ程大きな問題になる事は無いだろう。
「主殿、煎ってない糠の方もくれてやってはどうだ?」
「構わないけど……ブリュンヒルドさん、要りますか?」
完全に冷めると、ショートブレッドというよりは堅パンのようになってしまいそうで、ちょっと子供達に与えるには問題があると考えていたから、もしもブリュンヒルドが欲しいと言うならば渡りに舟だ。
「えっ!? よ、宜しいのですか? それでしたら是非!」
「は、はぁ……どうぞ」
天板に載せられている何十本かあるショートブレッドを、ブリュンヒルドは嬉々として受け取った。
(まあ、糠も栄養があるし。いいのかな?)
小麦粉と比べると繊維質やミネラルに富んでいる米糠で作られたショートブレッドは、硬さを除けば食品としては優れているのは間違い無い。
「っと。後から入れた分も、そろそろ良さそうだね」
試食や会話に気を取られていて、危うく焼き過ぎるところだったが、丁度いい感じに色が付いた時点で土窯から出す事が出来た。
入れ替わりに最後の生地の載った天板を差し入れる。
「……黒豆は焼き上がりの色も、なんか地味ですねぇ」
「そうですね……」
グレーの黒豆の生地は焼いても少し濃いグレーになったという結果が出たのだが、別に雫様の所為では無いのに微妙に表情が優れない。
「兄上! きな粉の方は綺麗な色になりましたね!」
「そうだね。焦げ目が付いている所も、そうでない所もいい色だね」
きな粉の生地は元の温かみのある黄色が少し鮮やかになっていて、その上にきつね色の焦げ目が付いていて見た目にもおいしそうだ。
「おお、でっかい!」
「そうだね……」
自分が作った他の数倍は大きなショートブレッドを見て、黒ちゃんが瞳を輝かせている。
「さっきとは材料が違うので、みんな一度、お茶で口の中をすっきりさせてから試食して下さいね」
「「「はい」」」
冷める時間を待つ間に一度口の中をリセットして貰う為に、みんなにアドバイスをしてから俺もお茶を頂いた。
「それじゃ頂きましょうか」
「それでは……あら。黒豆の生地は色は良くないですけど、砂糖とは違う甘みを感じておいしいですね」
「ええ。これはちょっと驚きのおいしさです」
黒豆と言うと正月のおせちに入っている、甘く味付けされた物しか印象に無かったのだが、粉にしてショートブレッドになると複雑味のあるきな粉という感じの味になった。
(まあ外皮が黒い以外は、大豆と殆ど変わりないんだから当たり前か)
「兄上! きな粉の方は少し硬いですけど、口溶けが凄くいいですよ!」
「どれどれ……ああ、本当だね」
粉の密度もあると思うが、小麦粉と比べるときな粉のショートブレッドは、少し硬いのを何度か口の中で噛み砕くとさらりと溶けた。




