土窯
「兄上。準備とは何をなさるのですか?」
雫様にこってりと絞られたらしい頼華ちゃんは、昼食の最中はジッと息を殺すようにしていたが、そのまま留まっているとお説教が再開するとでも思ったのか、中庭に向かう俺の後に付いてきた。
「里で作ったお菓子があるでしょ?」
「ええ。どれもおいしかったですが」
「あれをここでも作ろうかと思ってね」
「えっ!? ですがあれは、おーぶんとかいう呼び方もする石窯が必要なのでは?」
向こうの世界の俺の実家にあったオーブンレンジやオーブントースターを使った事がある頼華ちゃんは、熱源は違うが里の石窯が同じ原理だという事を理解していた。
「うん。だから、それを作ろうかと思ってね」
「石を用意されたのですか?」
「石でもいいんだけど、厨房の中で邪魔になるかもしれないから、移動出来るようにしたいんだ。そうなる
と石造りじゃ重いんでね」
里の石窯や水場や浴槽などを造るために、俺が切り出してきた岩塊を利用している事を知っているので、頼華ちゃんはそう考えたのだろう。
「では、どのように?」
「まあ見てて」
中庭は多少だが造園をしてあって、所々に木などが植えてあるのだが、殆どが剥き出しの土だけだ。
そんな土の一角にしゃがみ込んだ俺は、手のひらを地面から一センチくらいの高さでかざして、頭の中に形状を描きながら気を送り込んだ。
「おおっ!? 兄上の手の周囲の土が動いていく!?」
俺がかざしている手を中心にして、頼華ちゃんが言ったように土が集まり始め、少しずつ持ち上げるに連れて、土の方も立体的に構築されていく。
気を送り込んで土で構築された物の高さは、最終的には一メートルを少し超えるくらいになった。
「……こんなもんかな」
気を送り込むのをやめた俺と頼華ちゃんの前には、現代的な知識がある者には、一見すると黒いカラーボックスに見える構造物が立っている。
カラーボックスで言えば上段の収納スペースに当たる部分には、左右の壁に段が設けてある。
「後は蓋を……」
もう一度しゃがみ込んで地面に手を当てると、上段の前面スペースをすっぽりと覆う大きさの、板状に土が固まった物が出来上がった。
強度と熱を遮断する性能を考えて圧縮したので、目の前の土製の窯には見た目よりも多量の土を用いてある。
その所為で中庭の土が、それなりに広い範囲と深さで消失してしまったのだが……里かその周辺から土を採集して、後日埋め合わせをしよう。
「上の部分で繋いで、取っ手を付けて……完成だな」
構造物の上部の手前側数カ所に小さな穴を開け、板状のパーツの方には穴の位置に合う円を描く出っ張りを設けて、上下に開閉出来るように連結した。
ドアのようになった板状のパーツの下側には、開閉をし易いように小さな取っ手を付けておく。
「正恒さんの家の前の川で、採集しておいて良かったな……」
完成とは言ったが、構造物を使う上で必要な物があるので、俺は川から採集した砂鉄から造った純鉄のインゴットを取り出し、先ずは薄い板状にして寸法が合うように調節しながら、低い縁のついた平たい四角に成型した。
「今度こそ完成」
「あ、兄上!? 今のはいったい何をなさったのですか!?」
「あれ? 頼華ちゃんに見せるのは初めてだったっけ」
土を操って形を整え、圧縮して強度などを増した作業を何も言わずに見守っていた頼華ちゃんが、終わった途端に俺に質問を浴びせてきた。
「ほら、前にロスヴァイセさんから権能とか術の類は、基本的には同じ物だって聞いてるでしょ?」
「それは……はい」
「炎や雷を操るのと同じ用に、頭の中で鉄の形や土の強度を想念しながら、気を送り込んだんだよ」
「な、成る程……」
頼華ちゃんにはおりょうさんと一緒に、俺が使える権能などの使い方を教えたので、今の説明である程度は理解してくれたみたいだ。
「ただ実際にやってみないと、例えばこの石窯ならぬ土窯の場合には、どれくらいの土と気が必要んなのかはわからないんだけどね」
俺の場合には、かなり雑に気を使っても構いわしないのだが、普通ならば少しずつ土を操作して消耗度合いを確認しながらで無ければ、死なないまでも消耗で倒れるくらいはするかもしれない。
「ううむ……余は剣の研鑽は怠っていないつもりでしたが、兄上のように術も使いこなせれば、様々な応用が効かせられますね!」
「まあ、そうだね」
土の操作は日常生活だけでは無く、例えば戦闘中に敵の足止めなどにも使えるので、頼華ちゃんが言うように様々に応用が効くだろう。
「さて、道具が完成したし、これからお菓子を作るけど、頼華ちゃんもやる?」
「無論です!」
「それじゃ中に戻ろうか」
「はい!」
出来上がった道具を一度ドラウプニールに収納してから、俺は頼華ちゃんと一緒に中庭から家の中に移動した。
頼華ちゃんと居間に戻るとブルムさんの姿が無く、午前中は店の方にいた遥君と風華ちゃんも含めて、京に来ている全員が揃っていた。
「鈴白さん。お昼も頂きましたし、私はそろそろお暇しますので」
「もうですか?」
昼食を済ませてからまだ一時間も経っていないので、食休みには短いのにドランさんは江戸に向けて出発すると言っている。
「ええ。あまり長居をしても名残が惜しくなりますし、ヴァルトラウテ殿にも悪いですからね」
「私は別に構わないのですが」
「そうは仰っしゃりますが、お戻りになってからの事に差し支えが出たりしたら、あなたにもあなたの愛馬にも申し訳ないですからなぁ」
「それは……」
ドランさんは晴明の式神に対する行動に支障が出ないようにと言ってくれているので、江戸との往復くらいは問題にならないと考えていたらしいヴァルトラウテも言い淀んでしまった。
「次の週末にも伺う予定ですから、その時にはなんの憂いも無くなっているといいですなぁ」
「本当に。それではドランさん、道中お気をつけて」
「ええ。鈴白さんも皆さんもお元気で」
俺とドランさんは、お互いに笑顔で分かれの挨拶を交わした。
「ヴァルトラウテさん、頼みます」
「お任せ下さい」
真剣そのものの表情で、ヴァルトラウテは請け負ってくれた。
「とーちゃん、またなー!」
「親父殿、飲み過ぎには注意するんだぞ」
「ああ、黒、またな。白には敵わんなぁ……」
血の繋がりは無いが、娘として接している黒ちゃんと白ちゃんそれぞれの別れの挨拶に、ドランさんは苦笑している。
「ドランよ、待ってるぞ」
「おう。何か土産を見繕ってくるから、また酌み交わそう」
ドランさんがすぐに発つ事を前もって告げられていたのか、店先にいたブルムさんも顔を出した。
「では皆さん、これにて」
「え? お見送りしますが」
「いえいえ。それこそ名残惜しくなるというもの。ここまでで結構ですよ」
店先で見送ろうとしたのだが、ドランさんにやんわりと断られた。
「そうですか……では繰り返しになりますが、お気をつけて」
「ええ」
俺の言葉に、ドランさんは微笑んだ。
「ドランおじさん、またねー!」
「また一緒にお風呂入ろうねー!」
「いっぱい勉強しておくねー!」
「今度は革の扱い方、教えて下さいー!」
「おいしいお料理習って、お出ししますねー!」
「おやおや。みんな有難うね」
子供達は周囲に群がって思い思いに別れを惜しむと、当のドランさんはそれぞれの子の頭を撫でながら、黒ちゃんや白ちゃんを相手にしている時と同じかそれ以上に相好を崩している。
「では」
ドランさんは優しく子供達を自分から引き離すと、笑顔で一言だけ告げて小さく頭を下げ、同じく頭を下げたヴァルトラウテと共に居間を出ていった。
「さあ、それじゃみんなには、お手伝いをして貰うよ」
ドランさんが立ち去った事によって空虚な雰囲気が漂っているので、俺は意識的に明るく振る舞いながら子供達に呼び掛けた。
「白ちゃん、米糠を出してくれるかな」
「む? 何をするのかと思ったが、石鹸作りなのか?」
白ちゃんがドラウプニールから米俵を取り出したのだが、どうやら中身は米では無く、俵一杯に糠が詰まっているらしい。
「凄い量だね……」
米俵には四斗、要するに四十升の米が詰められていて、大体六十キロくらいの重さの米が中に詰まっている。
粒上の米と粉状の糠とでは密度が違うので、目の前にある糠が詰まった俵の重量は六十キロ以上あるのは確実だ。
「精米をしていると、日に日に溜まっていくらしいぞ」
「まあ、そうだよね。今日はこれを使って、石鹸じゃ無くてお菓子を作るよ」
「米糠で菓子だと?」
一般的な米糠の利用法は糠床にしたり、袋に入れて入浴の際に身体を洗うのに使ったり、木を磨いたりするのに使う程度なので、お菓子を作るという俺の言葉は、白ちゃんには相当に異質に感じられたのだろう。
「出来の良い米の糠は、きな粉みたいに甘くて香ばしいから、試しにね」
里で作ったショートブレッドの、小麦粉以外のレシピの物が思いの外味が良かったので、天と立ち寄った店で買った材料と、白ちゃんが入手してきてくれた米糠を使って作ってみようと考えたのだ。
実際に作ってみた事は無いのだが、無農薬栽培されているこっちの世界の米の糠は、そのまま口に入れてもなんの問題も無いし、上手く行けば無料同然の素材から子供達が喜ぶお菓子が作れる。
「失敗しても、俺が食べるから」
「主殿がそこまでしなくても、里で飼っている猪にでも食わせればいいだろう」
「いや、それは……」
屠殺して肉にしても復活する不思議な猪のセーフリームニルは、個人的に不憫な身の上だと思っているので、食事を含む生活環境を出来るだけ良くしてやろうと考えている。
セーフリームニルの食事は基本的には里の住人の残り物ではあるのだが、少なくとも俺の把握している範囲では、質が劣ったり傷んだりした物を与えたりはしていない。
「まあ、失敗しなければ問題は無いのだろう?」
「そうだね。それじゃみんな手を洗ってから集合」
「「「はーい!」」」
頼華ちゃんと黒ちゃん、子供達に手を引かれた雫様も後に続いて、手を洗いに中庭の井戸に向かった。
「……これくらいで良さそうかな」
「貴方様。お菓子では無く、糠床をお作りになるんですの?」
俺がフライパンで糠を煎りだしたので、天が覗き込みながら訊いてきた。
確かに最初に糠床を作る時には、糠を煎ってから塩水を加えるのだが。
「これでお菓子を作りますよ」
「でも……」
「煎った糠とそうでない物で作ってみて、比較しようと思いまして」
糠を煎ると香ばしさが増して、更にきな粉に近い感じの味わいになるので、煎る前の物とで出来上がりの比較をしようと考えたのだが、そんな俺を天は心配そうに見ている。
「心配している天さんには、この煎った糠でやって貰いましょう」
「えっ!?」
「ふふふ、天よ、これで出来上がりが悪ければ、貴様の腕前の所為だな」
俺の無茶振りに驚いている天に、白ちゃんからの追い打ちが掛かった。
「そ、そんな……」
「まあまあ。そんなに酷い事にはなりませんよ、多分……」
「あ、貴方様!?」
ちょっとした遊び心を入れた俺に、天はあからさまに動揺して縋るような視線を送ってきた。
「では主殿、俺は煎ってない方の糠を使うとしよう」
「ああ、それはいいね」
使う量の半分を煎った糠とそのままの糠に、分量を計った砂糖と……思いついて、この場で材料を作ってみる事にした。
「む? 主殿、何をする気だ?」
「米糠から、油をね」
米糠に合わせるのに使う油が米由来ならば、親和性は高いだろう。
「な、なんだと!?」
「なんですって!?」
(米油ってこっちの世界では、まだ普及して無さそうだな)
糠が油分を含んでいる事は白ちゃんも天も知っているのだが、どうやら二人の反応からすると、俺の世界では製造されていた米油はこっちの世界ではまだ未開発らしい。
「適当な容器は無いから……直接入れちゃえばいいか」
俵から糠を掴みだし、そのままの状態でドラウプニールを弾いて回転させ、油分を抽出すると頭の中でイメージする。
「……思ってたよりも油分は少ないんだな」
潰しただけで油が滲む菜種程では無いとは思っていたが、一掴みの糠から抽出される油分は想像以上に少なかった。
「これはもう、肥料にでもするしか無さそうだな」
通常は含有する油分で少ししっとりした感じの米糠は、ドラウプニールで油分を抽出された後では、カラッカラに乾いた粉状になっている。
猪の罠猟などにも使うとい聞いているので、米糠はセーフリームニルにも与えようかと思っていたのだが、油の絞りカスになった物は味も抜けてしまっているだろうから、堆肥の材料にするか畑に鋤き込むくらいにしておいた方が良さそうだ。
「……よし。それじゃこれを良く混ぜて下さいね」
「はい」
「承知した」
米糠と砂糖、やっと使用量に達した米油が入った鉢の材料を、天と白ちゃんが混ぜ始める。
「兄上! 余は何をすれば?」
「頼華ちゃん達にも計量した材料を入れた鉢を渡すから、それを混ぜてくれればいいよ」
「わかりました!」
頼華ちゃんにはきな粉、黒ちゃんには黒豆を主体にした材料を量り入れた鉢を渡して混ぜて貰う。
「良太殿、私にもやらせて下さいな」
「雫様には……蕎麦粉のをお願いしましょうか」
領主の奥方である雫様の腕前は未知数なので、里で一度作った配合の物を入れた鉢を手渡した。
「む? 主殿の混ぜている、その黄色いのは何だ?」
子供達やブリュンヒルドにもそれぞれの受け持ち分を渡した後で、俺が混ぜ始めた鉢の中の生地の色を見て、混ぜる作業を終わらせた白ちゃんが訊いてきた。
「これは玉蜀黍を粉にした物だよ」
「ああ、あれか」
粒のままの玉蜀黍を戻して、スープに入れたり炒めたりして出した料理を、白ちゃんは思い出して呟いている。
「そのまま食う以外に、こんな風に粉にして使ったりもする物なのか?」
「これを使って膨らませるように焼いたパンっていう物を、外国では御飯の代わりに食べたりもするよ」
厳密に言うとパンにするのは粒度の細かい、胚乳部のみを微粉砕して作られる現代で言うコーンフラワーという粉だ。
俺が混ぜている全粒を挽いて粉にした、本来の使い方としてはコーンフレークや酒造に用いられる物はコーンミールと呼ばれている。
「ところで主殿。この後はどうする?」
「一センチくらいの厚さに延ばして細長く切り分けてから、これで上から穴を開けて」
俺は短い麺棒と包丁とフォークを取り出して、白ちゃんに手渡した。
「ふむ……細長いとはこんな感じで良いのか?」
「うん。上手上手」
里で食べたショートブレッドの大きさを覚えていた白ちゃんは、均等に延ばされた生地を綺麗に切り分けた。
焼くと僅かに縮んで締まるので、本当は少し大きめに切り分けるのだが、些細な事なので言わずにおいた。
「貴方様、これで大丈夫でございますか?」
「はい。上出来です」
天が延ばした生地も綺麗に切り分けられているが、煎っている分だけ白ちゃんの生地よりも少し色が濃く見える。
「俺のと、二人の出来上がった分は少し寝かせてから焼きましょう」
生地を寝かせている間に土窯の気を込めて予熱をすれば、丁度いいだろう。
「兄上! 延し具合はこんな感じで宜しいですか?」
「うん。後は切り分けて穴を開ければ完璧だよ」
「わかりました!」
均等に生地を延ばし終わった頼華ちゃんは、刀と同じ用に大胆に包丁を使いながら、次々と切り分けていく。
「御主人! 大きさはこれでいい?」
「ちょっと大きいけど……まあいいよ」
黒ちゃんは自分の欲望に忠実に、通常の倍位の大きさに生地を切り分けているのだが、今回は一人あたりの受け持ち量が多いので、皆に行き渡らないという事態は発生しないので良い事にした。
「味は悪くないと思うのですけど、色が地味ですねぇ……」
「まあ、そうですね……」
黒豆の粉を使ったグレーの生地を見ながら雫様がポツリと漏らしたが、その通りなので言葉少なに同意するしか出来なかった。
「そ、それじゃ焼きましょうか」
俺、白ちゃん、天の受け持った分の寝かせておいた生地を、先ずは第一弾で焼く事にして土窯に入れた。
「主人! こ、これでいいですか?」
「んー。もう少し薄く延ばしてみようか」
薄くなり過ぎるのが怖いのか、遥君の延ばしている生地は、俺が作った物の倍くらいの厚みがある。
「端が少し暗い歪んじゃってもいいから、こう……」
「わ、わかりました!」
少しだけ手本を見せると、遥君は真剣な表情で教えた事を忠実に守りながら生地を延ばしていく。
「しゅ、主人……」
「えっと、なんで風華ちゃんは涙ぐんで……ああ、大きさが不揃いになったのを気にしてるの?」
「はい……」
「別に売り物にする訳じゃ無いから、気にしないでいいよ」
風華ちゃんがの生地を見ると、切り分けた途中くらいから太くなったり細くなったりしていた生地が、最後には通常の半分くらいになってしまったのを気にしているのがわかった。
(火の通り方が違っちゃうけど、そこだけ気をつければ問題無い)
生地の大きさや厚さを揃えていないと、焦げないまでも焼き過ぎてしまったりするので、失敗したと思っている風華ちゃんの分は上手く焼けるように気を配ろう。




