行列
「「「ふぅ……」」」
掛け湯をしてから湯船に浸かると、俺だけでは無く大地君と鉄君からも、思わず溜め息が出た。
先に入っていたドランさんとブルムさん、男の子達も実に気持ちよ良さそうにしている。
「いやぁ、ここの風呂は本当に素晴らしい。いっそ隠居をして、ここに住みたくなりますなぁ」
「おいおいドラン。ここの子達が一人前に働けるようになるまで、我らが面倒を見てやらないでどうするのだ」
「む。それもそうだな」
元々、面倒見の良い人達だとは思っていたのだが、ドランさんとブルムさんがたまたま縁があっただけの里の子供達の事を、そこまで親身に考えてくれているとは思わなかった。
「だがなぁ、ここの子達はみんな物覚えが良くて、読み書きは勿論だが算術もすぐに身に付けるから、すぐに面倒を見る必要も無くなるかもな」
「ほぅ?」
「一緒に京で過ごした子達だけだが、帳簿の付け方まで覚えたのにはたまげたぞ」
「幾らなんでもそれは大袈裟な……って訳では無いのだな?」
「うむ」
ブルムさんが身内贔屓をしていると思っていたらしいドランさんだが、その表情から冗談を言っているのでは無いと気がついたのだった。
「ふむ……鈴白さん。良ければ私の店にも、子供達を住み込ませてみませんか? 無論ですが、生活の面倒は見ますので」
ブルムさんの話を聞いたドランさんは、江戸の萬屋で商売の仕方や、自分が持っている革細工の技術を子供達に教えてみたくなったのだろう。
「俺は構わないんですが、子供達がなんて言うか……」
「ん? それはどういう事です?」
「えっと……俺と里の経緯は聞いてますよね?」
「ええ。この子達は土蜘蛛や山蜘蛛と呼ばれていた種族の末裔であり、俗に言う妖怪の類だと。ですがそれは、黒と白も同じ事ですから」
「ドランさんがそういう事を気にされる方じゃ無いのは、無論ですが承知しています」
ドランさんは黒ちゃんと白ちゃんが妖怪の鵺である事を知って尚、我が娘と扱ってくれたし、得体のしれない俺の事も息子とまで言ってくれた。
そんなドランさんなので、二人の方でも実の父親以上に慕っているし、その想いは俺も持っている。
「その、助けた時の状況からなのか、里の子達はちょっと大袈裟なくらいに俺を慕ってくれてまして。少人数で京のブルムさんのお店にお世話になるのを、子供達は御褒美的に考えているようでして……」
「あー……少ない人数だから、いつもよりも鈴白さんと一緒の時間が多く取れる、と?」
「そんな感じです」
普段の生活では、おりょうさんや頼華ちゃんへの遠慮もあるだろうと思うのだが、子供達が俺の事を独占しようという気配は殆ど感じない。
しかし、京の笹蟹屋で並んで料理をしたり、一緒に風呂に入ったりすると、明らかにいつも以上に喜んでいるのがわかるのだ。
「ドランよ。貴様の家には風呂はあるのか?」
「いや。一人暮らしだしな。湯屋で済ませておるよ」
「ではやはり、この子達が世話になるのは難しいと思うぞ」
「むむ……」
街中の湯屋には紬と玄しか連れて行った事が無いので、利用するのは他の子達にも良い経験になると思うのだが、家風呂のような空間で俺を独占したいと思っている節があるので、がっかりさせてしまう可能性が低くない。
「……いずれは風呂の設置も、視野に入れねばならぬか」
「いやいやいや。ドランさん、そこまでしなくても」
風呂の設置は家の増改築以外にも、水や燃料も必要になってくるので、実行するとなるとかなりの出費をドランさんに強いる事になってしまう。
「子供達を迎える溜めという理由もあるのですが、黒と白が訪ねてくれた時に、一緒に風呂に入りたいとも思っていたのですよ」
「ああ、成る程」
一緒に湯屋とかに行っているのかもしれないが、ドランさんは黒ちゃんと白ちゃんと水入らずでの入浴を、楽しみたいという野望があったらしい。
「しかし、実行に移したからとしてもすぐに風呂がどうにかなる訳ではありませんから、暫くの間は我慢するしかありませんな」
「風呂が出来たら、お世話になりに行く事を約束しますね」
「ははは。期待しておりますよ」
とりあえずドランさんの萬屋にお世話になるという件は、長期計画として組み込まれる事で合意に至った。
「主人! 鍛冶なんですが、叩くと歪んじゃって、中々上手く出来なくて……」
「それは初めてなんだから当たり前だよ。コツとしては頭の中で出来上がった状態を思い浮かべながら、叩く場所や角度を変えていけばいいと思うよ」
「な、成る程ぉ……」
一度でも鍛冶を経験したからこそ、大地君は今の説明で理解出来たのだろう。
「主人! 鍛冶の作業中って、凄く暑いんですね!」
「そうだね。正恒さんからも言われると思うけど、しっかり水や塩を補給しないといけないからね?」
「塩ですか?」
鉄君がきょとんとしているところを見ると、調味料以外の塩というのがピンときていないようだ。
「暑いと汗がいっぱい出るんだけど、その汗には身体の中の塩が含まれているんだ。身体の中の塩が少なくなると具合が悪くなっちゃうから、減った分を食べたり飲んだりするんだよ」
「へぇー……」
どの程度理解しているのかはわからないが、俺の言う事は良くも悪くも聞き入れてくれるし、常に正恒さんが監督をしているのだから、鍛冶作業中の定期的な水分と塩分の摂取は、心配しないで大丈夫だろう。
「そろそろ出ようかな……」
俺は平気でも大地君と鉄君にあまり長湯はさせられないので、出ようかと促した。
「主人、お背中流します!」
「俺も!」
「そう? それじゃお願いしようかな」
「「はい!」」
大地君と鉄君に手を引かれて、俺は湯船から出た。
「ドランおじさん、お背中流します!」
「ブルムおじさんは俺が!」
「おやおや。それは有難う」
「これはこれは。お世話になろうかな」
すっかり懐いたらしい焔君と劫君に言われて、ドランさんとブルムさんは嬉しそうにしている。
「じゃあ、俺が背中を洗いますね!」
「俺は腕と脚を!」
「悪いね」
背中はともかく腕や脚を洗って貰うのは気が引けるのだが、大地君も鉄君もすっかりやる気になっているので、敢えて断る必要も無いと思ってお願いした。
「「んしょ……んしょ……」」
小さな身体を一生懸命に動かして洗ってくれる二人の姿を見ていると、血は繋がっていないが年の離れた弟のように感じる。
「終わりました! 流しますね」
「俺も!」
桶で汲んだ湯で前後から石鹸の泡を洗い流されて、気分的にも凄くさっぱりした。
「ありがとう。お返しに二人を洗ってあげるね」
「「はい!」」
ただ身体を洗うだけなのだが、大地君と鉄君の表情が期待に満ち溢れている。
「痛かったら言ってね?」
「はい!」
先ずは大地君を立たせたままで、首から下に向かって洗っていく。
「足の裏を洗うから、片足を上げてね。転ばないように気をつけて」
「はい!」
指示通りに上げられた右足を俺が洗うと、大地くんはくすぐったそうにしながらも、バランスを取って片足立ちをしている。
「……」
(ちゃんと順番に洗うのに)
そんな大地君を、鉄君が羨ましそうに見ているのに気がついて苦笑する。
「最後に頭を洗うから、目を閉じててね」
「はい!」
頭から湯を掛けてから、子供らしく癖の無い大地君の髪の毛を隅々まで洗ってから、何度か湯で流した。
「はい、おしまい。大地君は湯に浸かっておいで」
「はい!」
「お願いします!}
待ちかねたと言わんばかりに、興奮した面持ちの鉄君が一歩前に出てきた。
「……」
そんな鉄君の後ろに、気をつけの姿勢で玄が立っている。
「……玄。もしかして順番待ちなのか?」
「い、いけませんでしたか!?」
「いけなくは無いんだけど……」
気がつくと玄の後ろにも、男の子達が行列を作っていた。
「……順番に洗ってあげるから、後ろの方の子は身体を冷やさないようにね」
「「「はい!」」」
(待ち合わせの時間に、間に合うかな……)
短くは無い筈の一時間で入浴を終えられるか自信が無くなってきたが、待たせるのは悪いので石鹸を泡立てて、鉄君の身体を洗い始めた。
結局、俺が全ての男の子の身体を洗ったのだが、時間的に間に合いそうに無かったので、頭の方はドランさんとブルムさんに手分けして洗って貰った。
幸いな事に男の子達から不平は出ずに、俺とブルムさんとドランさんは遅刻せずに食堂の集合時間に間に合った。
男の子達を洗うのに意識が行ってしまっていて、肝心の自分の頭を洗うのを忘れそうになったが……。
「集まってくれて有難うございます。それでは話し合いを始めようと思います」
里の子供達と、天の連れている糸目の女の子達以外の、里に滞在している年長組が全て集合した。
各自の前には、おりょうさんが気を利かせて淹れておいてくれた、お茶の注がれた湯呑が置かれている。
「良太。先ずはあれの話からかい?」
「そうですね。本題を片付けちゃいましょうか」
最後にしようかとも思っていたのだが、おりょうさんの提案なので面倒は最初に片付ける事にした。
「こちらの天さんから、安倍晴明の式神が未だに京の一条戻橋に封じられているという情報を得ています」
「おいおい。良さんよ、安倍晴明って言ったら、何百年も前の陰陽師だろ?」
あまりこういう方面に明るく無さそうな正恒さんだが、安倍晴明の事は知っていたらしい。
「正恒さんの言う通り、何百年も前から封印されたまま動きが見えないので、今後もそのままなんじゃないかという予想は出来るんですが……」
「でも、黒殿と白殿の例もありますしねぇ」
「あー……言われてみれば、そうですね」
雫様が指摘したように、頼光四天王の渡辺綱の手によって射落とされ、バラバラにされて葬られたり流されたりしていた鵺の黒ちゃんと白ちゃんが、数百年の時を経て復活したという身近な例があったのだった。
「私達は、その事への対処の為に呼ばれたのでございますよね?」
「そうですね。何しろ晴明の式神は十二人? 十二体? それだけいるらしいので」
式神を数える際の単位なんか知らないので、適当に言っておく。
「あのぉ。良太さぁん」
「夕霧さん、どうかしましたか?」
夕霧さんが遠慮がちに挙手しながら、俺の名を呼んだ。
「その晴明の式神がぁ、その橋に封じられているというのはぁ、確認されてるんですかぁ?」
「俺は実際に一条戻橋に行った訳じゃ無いんですけど、晴明の身内からの証言なので」
「「「身内?」」」
この場にいる、詳しく説明をしていない数人が揃って声を上げた。
晴明は何百年も前の時代の人物なので、親類などが一人も残っていないとは言わないまでも、京に住んでいないという可能性はあるのだ。
「ええ。えっと……」
「お恥ずかしながら……晴明はわたくしの子です」
「「「ええっ!?」」」
(そりゃ驚くよな)
天が狐の妖である天狐だというのは説明してあったのだが、素性の全てを知らなかった者は、伝説に登場する白狐の葛の葉と、同一の存在だと思っていなかっただろう。
「じゃ、じゃあぁ、一条戻橋には間違い無くぅ……」
「はい、おりますね」
それでも念の為にと考えたのか、夕霧さんが確認をすると、天は式神の存在をきっぱりと肯定した。
「良太様。その式神とやらは、そんなに強敵なのですか?」
「うーん……少し調べたんですけど、ちょっと答えるのが難しいんですよね」
ロスヴァイセから尤もな疑問が寄せられたが、俺には明確には答えられなかった。
「と、仰っしゃりますと?」
「式神を使役していた安倍晴明は、様々な術や儀式を行った偉大な陰陽師なんですが、具体的にどう式神を使っていたかって逸話は、実はあんまり無いんですよ」
使用人のように扱ったり、相手が放った式神を返したりしたエピソードはあるのだが、十二天将と呼ばれる式神を使役していたと言うのに、具体的には何もさせていないのだった。
「ですが、強力な術者だった晴明が従えていた式神なので、放置するには危険なんですよね」
式神は形代と呼ばれる、藁や紙で作った人や動物に呪文や記号を書き込み、そこに霊や術者の気を込めて、生きているかのように行動するようになる。
霊を込める場合には、どれだけの強さの霊を従わせられるかという術者の力量を要求され、気を込める場合にはそのまま、気の保有量が式神の強さの決め手になるのだ。
「まあ、生半可な相手じゃないってのはわかったよ。そいで良太、その式神ってのには、どういう風に対応するつもりなんだい?」
「晴明が既に亡くなっている事を伝えて、大人しく立ち去るようならそれでお終いです」
どうするかについては予め考えておいたので、そのままおりょうさんに伝えた。
「大人しく立ち去らなかったら、どうするんだい?」
「滅します」
「「「……」」」
(あ、あれ? なんか不味かったかな?)
俺の発言を聞いたこの場にいる一同が、微妙な表情をして押し黙ってしまった。
「まあ、良太に逆らうんじゃ、仕方が無いねぇ」
「兄上に逆らう其奴らが馬鹿なのです!」
「いや、まだ逆らうって決まった訳じゃ……」
てっきり、もう少し穏便にとか言うかと思っていたら、おりょうさんにも頼華ちゃんにも肯定されてしまったので、少し拍子抜けした。
「でも、俺が言うのもおかしな話ですけど、皆さんはそれでいいんですか?」
「荒事が好きな訳じゃ無え良さんがそう言うんだから、そいつらが悪いってこったろ?」
「そうですねぇ。良太殿は一度は歩み寄る姿勢をお見せになる訳ですから、拒否するというのならば、それ以上の慈悲は必要無いでしょう」
正恒さんと雫様は、積極的な肯定の姿勢を見せてきた。
「良太様のお言葉は全てに於いて正しいかと。私達に命じて下さればその式神とやらを、直ちに橋ごと消滅させて……」
「いや、それは関係の無い人達に迷惑が掛かるから、やめましょうね?」
仮にブリュンヒルドが、周囲に影響の出ない方法で橋を消滅させられるにしても、人々の生活に利用される建造物の破壊というのは、幾らなんでも反社会的行為過ぎる。
「ところで貴方様。滅する場合の方法などはお考えになっていると思うのですが、それをお聞かせ願いませんか?」
「ああ、そうですね」
実力的に未知ではあるが、晴明の式神が強敵だろうという事を俺が想定しているので、天は無策では無いと思って訊いてきたのだろう。
「式神を逃さない方法は考えてあります。多分大丈夫だと思うんですが……でも万が一を考えて、戦乙女さん達に周囲を取り囲んで貰います」
「畏まりました」
まだ具体的な内容は伝えていないのに、ブリュンヒルドは力強く頷いた。
「逃さなかった式神への対処ですが……それは適当で大丈夫なんじゃないかと」
「そ、そうなのかい?」
「ええ。少なくともその場に赴いて貰う予定の人に、俺は不安を感じていません」
これは過小評価でもなんでも無く、本当にそう思っている。
「良さんの言う、その場に赴く人間の中には、俺は入っちゃいねえだろうな?」
「ええ。正恒さんには残って貰って、作業の方をお願いします」
巻狩に参加して野生動物を屠れるくらいの実力は正恒さんにはあるのだが、相手が霊魂のような存在の式神では分が悪いだろう。
「後は志乃ちゃんと……グリムゲルデさん。里に残って下さい」
「わかりました」
「畏まりました。留守はお任せ下さい」
里を取り囲む霧の結界は、絶対と言って良いくらいに信頼しているが、防御面で優れているし生真面目なグリムゲルデが残っていれば、万が一も無いだろう。
志乃ちゃんを残すのは、正恒さんとグリムゲルデと子供達だけでは、調理を含む家事の面で不安があるからだ。
「雫様は里に戻るか、京のブルムさんのお店にという事になりますが」
「この身体では仕方がありませんね。ですが全く動けない訳ではありませんから、良太殿達がお出掛けになっている間の、ブルム殿のお店と子供達の護りくらいにはなれるでしょう」
「無理のない範囲でお願いしますね」
雫様は京まで出掛けた後、里には戻らずにブルムさんの店に滞在する事に決めたみたいだ。
薙刀を取れば頼華ちゃん以上とまで頼永様が言っている雫様に、頼りたくなる状況が来ないようにしたいのだが、これで後顧の憂いは無くなった。
「ブルムさんには当然、笹蟹屋の方で子供達と待機して頂きますし、ドランさんは江戸に戻らなければなりませんから、当然ですが除外ですね」
「元より、それ程お役に立てるとは思っておりませんから、店の方で皆さんのお帰りをお待ちしていますよ」
「むむ……鈴白さん。事の顛末が気になりますから、良ければどなたかが伝えに来て頂けませんかな?」
顛末が気になるというドランさんの言う事はわかるのだが、ちょっと返事が難しい案件だ。
「良太様。我らは良太様の采配に従うだけですので、お命じ頂ければドラン様への御報告に参ります」
とか考えていたが、ブリュンヒルドの方からドランさんの元に赴くと言い出した。
「では明日、江戸にドランさんを送っていくのを……ヴァルトラウテさん、お願い出来ますか」
「畏まりました」
「送っていくのでドランさんの店の場所は覚えられるでしょうから。忙しくてヴァルトラウテさんには申し訳無いんですが……明後日以降で報告の方もお願い出来ればと」
「そんな、私などになんと勿体無い……この身命を賭しまして、必ずや実行致します」
(そんな身命とか大袈裟な……)
そう口にしたかったのだが、ヴァルトラウテがあまりにも真剣な表情で言うので、心の中だけに留めた。
「あたしは残れって言われると思ってたんですけどぉ……」
「夕霧さんには、なんの不安も無いですよ?」
「ふえぇっ!? な、なんでですかぁ!?」
「なんでと言われても……」
本当に不安は感じていないのだが、夕霧さんを満足させられるような説明が思い浮かばないので困ってしまう。
「無理に連れて行こうとは思っていませんから、里に残るか、笹蟹屋の方にいてくれても構いませんよ?」
取り零しさえ無ければ、式神との全面的な戦闘になったとしても戦力的に不安は無いので、夕霧さん以外のメンバーも無理に連れて行こうとかは考えていない。
「むぅ……ちょ、ちょっと怖いですけどぉ、あたしも行きますぅ! いざとなったらぁ、良太さんが護って下さるんですよねぇ?」
「それはまあ……でも、大丈夫だと思うんですけど」
この場にいる者は、志乃ちゃん以外は全員ドラウプニールを所持している。
そして一条戻り橋に赴く予定のメンバーは、全員が気を扱う事が出来るので、防御面での不安な要素は限り無くゼロに近いのだ。




