金屋子様
「さて良さんよ」
「はい?」
「せっかく火入れをしたんだし、試しになんか打ってみるかい? 刀みたいな、下拵えが必要なもんは無理だけどよ」
「そうですね……」
折り重ねる加工や、硬さの異なる鋼材を叩き合わせるなどの何日か掛けての下拵えが、刀剣の鍛冶には必要になる。
いずれはこの里の鍛冶場でも刀を打ってみたいとは思うのだが、今日の段階ではどう考えても無理だ。
「あ。正恒さん、こういう刃物を造ってみたいんですが」
俺はドラウプニールから石盤を取り出して、頭にふと浮かんだ刃物のサイズと形状を、簡単に描き込んで正恒さんに見せた。
「随分と変わった形をしてやがるなぁ。狩猟用っぽいが……いや、この刃の厚さだと鉈に近いのか?」
独特な形状と各部のサイズを確認して、正恒さんが首を傾げている。
「山歩きなんかの時に使う、万能刃物ですね」
「この厚みだと重くなりそうだが、本当にこれでいいのかい?」
「ええ。大雑把な使い方をして、少しくらいは刃こぼれをしても大丈夫なようにしたいので」
「まあ、これくらいなら今からでも出来るだろう」
少し考えた末に石盤を俺に戻しながら、正恒さんは問題無しという結論を出してくれた。
「本当に、変わった形ですねぇ」
「初めて見ます」
ロスヴァイセとヘルムヴィーゲは、興味津々で石盤を覗き込んでいる。
「素材には、試しにこれを使ってみて下さい」
俺はドラウプニールから、一キロ程度の量の純鉄のインゴットを取り出した。
「こいつは銀かい? いや……銀とは少し色が違うか」
「これは鉄です」
「鉄? おいおい良さん、冗談……って訳じゃ無さそうだな」
俺からインゴットを受け取った正恒さんは軽く上下させると、体積と重量の比率から鉄だと確信したようだ。
「これは不純物が入っていない鉄でして。硬度はそれ程は無いと思うんですけど、その分だけ衝撃には強くて錆びません」
「おいおい、本当かよ……」
通常の鉄器よりは鍛造された刀は錆難いのだが、それでも適切な手入れをしていれば、という前提が付く。
刀以外にも鉄を扱って道具を制作する正恒さんには、錆びないという言葉がかなり衝撃だったみたいだ。
「良さんの住んでた世界じゃ、錆びない鉄ってのは普通に造れるのかい?」
「これは鉄の中に不純物が一切無いので錆びないんですけど、別の方法で錆びないように製造された鉄もあるんですよ」
「どう違うのか、簡単に説明出来るかい?」
鍛冶職人だけあって、正恒さんは金属材料には興味があるようだ。
「特定の物質を混ぜ込んで製鉄……じゃなくて製鋼すると、固くて錆びない性質を得るんです。それでも厳密には錆びないじゃ無くて、錆び難いなんですけどね」
通常の鉄や鋼に比べれば、クロムやニッケルを含有したステンレス鋼は遥かに錆び難いのだが、それでも使用する環境によっては錆が出る。
「そっちの、物質を混ぜ込むって方の鋼は、良さんには造れるのかい?」
「無理です」
日本にもクロムの鉱床はあるのだが、鉄の鉱床などのように見た目でわかる訳では無いので、ドラウプニールによる抽出と精錬は困難だし、製鋼は更に困難だろう。
変に望みを持たれても困るので、正恒さんにきっぱりと言い切った。
「そうか……まあこいつも十分以上に面白そうな素材だし、やってみるかな」
「手伝います」
火床に追加で炭を載せ、正恒さんは据え付けたばかりのふいごの取っ手を掴み、前後させて空気を送り込んだ。
熾っていた炭が、送り込まれた空気で真っ赤に染まり、たちまち追加された分までその色が侵食して行く。
「ほいっ」
純鉄のインゴットを火床の炭火に載せると、正恒さんは赤熱するまで取っ手を動かし続けた。
「このままじゃ、ちっとばかしでかいから……」
やっとこで掴みだした熱された純鉄のインゴットを鉄床に載せると、正恒さんは金槌と鏨で三分割した。
分割した内の二つの鉄は炉に戻し、残った一つをやっとこで掴み直して、金槌で叩き始めた。
「凄い……」
「見る見る内に形が整って……」
正恒さんの名人芸を見て、ロスヴァイセとヘルムヴィーゲが溜め息を漏らしながら呟いた。
「こんなもんかな……」
何度か熱して叩くという工程を繰り返して鍛造された鉄を、正恒さんはやっとこで掴んだ状態で様々な角度から確認する。
「良さん。残りの二つやってみな」
「はい」
鍛造された鉄を火床の端の方に戻すと、正恒さんは俺にやっとこを手渡しながら場所を空けた。
「……っ!」
集中しながら気を込め、熱された鉄を金槌で叩き伸ばして行く。
普段は多少身体を動かした程度では出ない汗が、熱さを思い出したかのように吹き出した。
「うん、そんなもんだろう。最後の一つ、やっちまいな」
「はい」
手作業なので多少の形状の誤差はあると思うのだが、正恒さんからお許しが出たので、二つ目を火床に戻して三つ目に取り掛かった。
これにも気を込めるが、刀の『巴』の時のように特殊な性質を持たせたい訳では無く、切れ味の良さと強靭さが宿るようにと想念する。
「いいんじゃねえか。良さん、持ち手の部分はどんな感じにするんだい?」
「あまり細かくは考えていませんでしたね……適当に木と糸で仕上げますよ」
子供達が持つ事を考えて、やや細めのグリップに蜘蛛の糸で滑り止め加工をするのが良いだろう。
「じゃあ幾つか、目釘孔を開けておけばいいな?」
「そうですね」
正恒さんの取り出した工具で、木製のグリップを固定する為の小さな目釘孔を二箇所ずつ打ち抜いた。
「良さん。俺が打った最初の一本にも、焼きを入れる前に気を込めちまえよ」
「そうですね」
正恒さんが打ち延ばした物に、後から槌を入れ直すのは忍びないのだが、三本が出来上がった時に形状では無く性質に差が出ると良くないので、お言葉に甘えて気を込めながら金槌を振るう。
俺が作業をしている間に、正恒さんがドラウプニールから木製の水槽を取り出して、火床のすぐ脇に置いた。
「……これくらいでいいと思います」
「それじゃ焼きを入れるか。一本目は俺がやるが、良さんは自分の感でやってみな」
「はい。ロスヴァイセさん、ヘルムヴィーゲさん。すいませんが水をお願い出来ますか」
「「はい」」
再びふいごの取っ手を正恒さんが動かし始め、鍛造した鉄の色を見極めているのを、俺も後ろから観察しなければならないので、冷却用の水の用意をロスヴァイセとヘルムヴィーゲに頼んだ。
二人は水場には向かわずに、ドラウプニールを使って空気中から水を取り出して水槽に溜めていく。
「……よしっ」
水槽が八割程度満たされた時点で、熱された色で頃合いを見計らった正恒さんは、火床から引き出した鉄を一気に水の中に突っ込んだ。
盛大に気泡が弾ける音と共に、大量の水蒸気が立ち昇った。
「ん。まあまあだな」
刀の時のように、夜の闇の中で微妙な色の変化を確認するみたいな状況では無いので、正恒さん自身の仕事の評価も少し曖昧だ。
「良さんの次に、なんならどっちかの姉さんもやってみるかい?」
「「「えっ!?」」」
正恒さんのこの申し出にはロスヴァイセとヘルムヴィーゲだけでは無く、俺も驚かされた。
「はいっ! 私がやります!」
「くっ……」
驚きからあっという間に立ち直ったロスヴァイセが、サッと手を挙げた。
その様を、ヘルムヴィーゲが悔しそうに歯噛みしながら見ているが、出遅れたという自覚があるのか、張り合おうとはして来ない。
「それじゃ姉さん、やってみな」
「はいっ!」
「どうぞ」
正恒さんのお許しが出たので、俺はロスヴァイセにやっとこを渡した。
「姉さんはこういうのは初めてかい?」
「そうです」
「それじゃ俺が合図を出すから。そしたら躊躇しないで、一気に水の中に突っ込むんだぜ」
「はいっ!」
初心者のロスヴァイセに代わって、ふいごの操作は正恒さんが行うようだ。
そのロスヴァイセは火床の中の鉄と炎の変化を、食い入るように見つめている。
「……今だっ!」
「っ!」
合図と同時に正恒さんが軽く肩を叩くと、ロスヴァイセは弾かれたように反応して、やっとこで掴み出した鉄を水槽に突っ込んだ。
「よーし。良くやったぞ姉さん」
「は、はいっ! ありがとうございますっ!」
水から出された鉄を見て正恒さんが出来栄えを褒めると、ロスヴァイセが顔を綻ばせる。
「むぅ……」
自分もやってみたかったという感情が、ロスヴァイセを見つめるヘルムヴィーゲの表情から思いっきり出ている。
「正恒さん。俺は昼の支度をしに行きますから、焼戻しは任せちゃっていいですか?」
焼入れも刃物造りの重要な工程だが、焼入れされた金属の状態を安定させる焼戻しも非常に重要だ。
「ああ、後は俺が面倒を見ておくよ。それにしても、まずまずの出来になったな」
「そうですね」
女神である金屋子様が機嫌を損ねるので、鍛冶場には女性を入れないという約束事を破ったのだが、どうやら正恒さんが危惧していたような品質の低下は無かったみたいだ。
「……あ」
なんて事を考えていたら、周囲の音が途絶えた。
神が降臨する時の隔絶である。
「良さん、こいつは……」
「お主ら、黙って聞いておれば好き勝手に言いおって」
正恒さんがどういう事かと俺に問い質そうとすると、作業場の奥の方から若い女性の声が掛けられた。
「金屋子様、ですね?」
「うむ」
俺がこれまでに拝謁した神様とは違うし、降臨された場所が鍛冶場という事で結論を出したのだが、どうやら間違った名を呼ぶという失礼をしないで済んだようだ。
「「「っ!?」」」
俺以外のこの場にいる三人が、息を呑んだ。
(金屋子様って、こういう外見なのか……」
金屋子様は小柄の少女の外見で白の装束と袴を身に着け、長く艷やかな黒い髪を和紙と組紐で束ねている。
装束の袖は作業に邪魔にならないようにか、腕の付け根の辺りまでしか無く、そこから覗く腕は重労働である鍛冶を司っているとは思えない程の白さと細さだ。
そして、天照坐皇大御神様や観世音菩薩様が降臨する時と同じ様に、淡い後光を身に纏っている。
「や、やっぱり鍛冶場に……」
「そうでは無いわ。そもそも余はその程度の事で、出来栄えを左右するような真似をした覚えは無いぞ」
「そ、そうなんですか?」
金屋子様に機先を制された正恒さんは、神様が相手だからか、いつもよりも口調が丁寧だ。
「あ。立ったままでは失礼でしたね」
「「「っ!」」」
そこまで頭が回っていなかったのか、俺が膝を付くと正恒さん達も慌てて跪いて頭を下げた。
「よいよい、気にせんで。それよりも誤解を正さんとな」
「誤解、ですか?」
「うむ。見ての通り余は女神であるが、だからと申して余以外のおなごが鍛冶場に入った程度で、気を悪くして不出来にしたりはせん」
幼さが残る外見と声ではあるが、尊大な態度と言葉使いをしているのに様になっているのは、さすがは神様というところか。
「では……」
「大方、おなごの前でいい格好をしようとして失敗した不届きな輩が、適当な言い訳をしたんじゃろ」
「な、成る程」
言われてみれば、いい加減な刃物を造るとか作業場を荒らすとか以外で、鍛冶を司る神様が怒るというのは変な話なので、この説明には非常に納得が出来る。
「そ、それなら良かったんですが……いきなり目の前に神様が現れたもんで、驚きましたよ」
作品が不出来になる覚悟はしていたのだが、まさか金屋子様自身が降臨するとは思っていなかった正恒さんは、火床の熱の影響とは別の要因で額に汗を浮かべている。
「うむ。いつもお主の働きぶりは見させて貰っていてな。ここは降臨するのに楽そうだったので、顔を出した次第だ」
「お、俺……私の働きを、ですか?」
「いつも見ていると言ったであろう? だから無理をして、話し方を変える必要は無いぞ」
「あ……はい」
くっくっく、と、金屋子様が喉を鳴らすように笑うと、正恒さんは顔を赤くして俯いた。
「お主の、報奨などに使われるのが嫌で、街中から離れた場所に鍛冶場を据えるというのは見上げた根性だ。余としても、鍛冶で生み出された物は使う事に意味があると思っているからな」
「は……」
伏せたままではあるが、金屋子様の褒め言葉を耳にして、正恒さんの口元に僅かにだが笑みが浮かんだ。
「それに、また面白い物を拵えておるようだなぁ」
「あ、それは……」
「安心せい。これでも鍛冶の神なのでな。温度は変わらないようにしてあるわ」
焼戻し中の刃物を、金屋子様が火床から素手で掴みだしたので、失礼かと思ったが声が出てしまったのだが、掴んだ手の方も刃物の方も心配は無いらしい。
(そういえば、時間が停まってるんだったっけ)
時間が停まっている隔絶された空間の中なので、当然ながら焼戻しも進行していないし、それどころか炭がはぜる音すらしない。
そんな時間が停まっている空間の中で、金屋子様は刃物を取り上げたのだが……動ける物とそうで無い物とがどう区別されるのかは不明だが、神様のする事に疑問を持つだけ無駄なのだろう。
「ふむ……無骨ではあるが、実用的だな」
「主に使うのが子供達なので、多少は雑に扱っても大丈夫なようにと思いまして」
「うむ。危ないからと刃物から遠ざけるよりは、多少は失敗をして痛い目を見ても、幼い頃から親しませておいた方が良いであろうな」
「ええ。無論ですが、暫くの間は大人同伴でしか使わせないようにしますが」
「それは仕方が無いであろうな」
金屋子様は俺の言葉を聞いて苦笑した。
現代では危ないからという理由で、公園などから遊具が次々と撤去されているが、間違っているとまでは言わないが、個人的にはこの傾向には反対だ。
その理論からすると、先ずは家庭にある全ての包丁を回収しなければならないし、自動車なんか以ての外だろう。
「頃合いを見て、子供達にも鍛冶を教えようと思いますが」
「どんどんやるが良い。多少の失敗は気にせずに、な」
金屋子様の声から、嬉しそうな感情が波動になって身体に響く。
「我が使徒たる進藤正恒よ」
「は……」
「お主はまだ若いが、存分に腕を振るえる内に、その技術を次の代へと伝承するが良い」
「は……」
正恒さんは金屋子様に返事をしているが、微妙に歯切れが悪く感じる。
「お主はまだ、弟子などは早いと思っているのであろうが、一生が修行だと弁えているのであれば、逆に何時弟子を取っても一緒であろう?」
「それは……はい」
どうやら金屋子様は心中を的確に見抜いたようで、正恒さんは今度ははっきりと返事をした。
「まあ……出来ればそこの鈴白や、戦乙女以外の者からな」
「「「えっ!?」」」
いきなり名指しをされると思っていなかったので、俺だけでは無くロスヴァイセとヘルムヴィーゲからも変な声が上がった。
「そ、それはまた、どうしてなのですか?」
「それはだな……鈴白は色々と基準から外れているし、戦乙女共は人外だからのぉ」
「あー……はい」
凄く失礼な事を言われた気がするが、さすがに神様相手に反論は出来なかった。
それよりも、正恒さんが金屋子様の言葉に納得してしまっている事の方が、もっと気になるが……。
「それでは、そろそろ立ち去るとするか」
「あの……最後に伺いたいのですが、どうして今日この場に降臨されたのでしょうか?」
鍛冶場に女性が入ると金屋子様が嫉妬するという、間違った知識を正したかったというのはわかるのだが、だったらもっと早く正恒さんに教えても良い気がする。
「間違っておったが、それ程口煩く注意する事も無いと思っていたしな。だが外国の神の使徒にまで、誤った情報を持ち帰られるのも癪であるし、何よりもこの里という場所は神域と同じく、降臨し易かったのでな」
「成る程」
言われてみれば俺が降臨した神様に拝謁した場所は、寺社の中という神域以外では、この里の中だけである。
「と、仰っしゃりますと、今後も降臨されるのでしょうか?」
神様に対して失礼な物言いかもしれないのだが、一応の心構えとして訊いておく。
「そう度々は来れんわ。だが、そうであるな……お主、進藤が、刀でも包丁でも構わんが、渾身の一振りを打てたならば、褒めてやりに現れるとするかな」
後光越しにではあるが、金屋子様が口の端を吊り上げて、ニーッと笑った。
しかし、小柄なので人の悪い笑顔という感じにはならずに、神様相手に失礼ではあるがどこか可愛らしさを感じさせ、正恒さんに送る眼差しには慈愛が込もっている。
「……わかりました。必ずやお褒めに預かる一振りを」
「うむ! その意気や良し! ではさらばだ!」
その声を最後に、跪いている俺の耳に、炭のはぜる音が戻ってきた。
「なあ、良さん……」
「夢じゃ無いですよ、念の為に」
今の出来事は夢かと、正恒さんが訊いてきそうだったので、先手を打って否定した。
「そうか……それじゃ、気合を入れ直さねえとな」
神様に発破を掛けられて、正恒さんのやる気に火が点いたみたいだ。
「でもなぁ……」
「どうしたんですか?」
何故か正恒さんは、一転して表情を曇らせた。
「新たな刀なりを打つには、注文が無けりゃ、な……」
「あー……」
元々、使い手の注文や体格に合わせて、刀や包丁などを打つというのが正恒さんの方針である。
逆に言えば、注文が無いのに打つというのは主義に反するし、鋼材や炭だってタダでは無いのだ。
皆様のおかげで、PVもブクマ数も順調に伸びて入ります
今後も宜しくお願い致します!




