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デッキチェア

 包丁の刃を立てて軽く鱗を取り、内臓を取ってあるイワナの背骨に沿って刃を入れ、裏返して反対側も同じ様にして三枚に下ろした。


「こんな感じですけど」

「はぁい。やってみますね。んしょ……こんな感じでいいですかぁ?」

「骨に残る身も少なくて、上手ですよ」


 ヘルムヴィーゲを疑う訳では無いのだが、魚を裁くのが初めてだとは思えない程に包丁の運びに澱みも無いし、下ろされた身の状態も良い、綺麗な三枚下ろしになっている。


「ありがとうございますぅ♪」

「それじゃその調子で捌いて貰ったら軽く洗って、表と裏に一撮ずつくらい塩を振っておいて下さい」

「はぁい♪」


 任せても大丈夫そうなので、後の処理の仕方もヘルムヴィーゲに頼むと、笑顔で答えてくれた。


「主人。あたしは何をしましょう?」

「お糸ちゃんは一杯仕事をしてくれてるから、休憩しててくれてもいいんだよ?」

「え……」

「って、なんで絶望的な顔になっちゃうの!?」


 俺の知らない内に仕事中毒になってしまっていたのか、休憩してもいいと言った途端に、お糸ちゃんは死刑宣告されたみたいな顔になってしまった。


「そ、それじゃお糸ちゃんには、豆腐でも切って貰おうかな」

「はいっ! どれくらいの大きさにしますか?」

「えっと……」


 俺が手伝ってくれるように言うと表情が一変して、お糸ちゃんは期待に満ちた表情で、細かい指示を待っている。


(強制的に休ませる事も、考えなきゃな……)


 自発的に手伝ってくれているので、厨房にお糸ちゃんがいるのを当たり前だと錯覚し始めていたが、京の笹蟹(ささがに)屋の食事当番と一緒で、ローテーションを考えなければならなそうだ。


「♪」


 そんな俺の心中を知ってか知らずか、お糸ちゃんはヘルムヴィーゲに負けないくらいに上機嫌で、手の上に置いた豆腐を切っている。



「頂きます」

「「「頂きます」」」


 今朝の献立は御飯に、昨日の夕食に使わなかった焼き豆腐の吸い物、イワナは意外に時間の掛かる塩焼きでは無く、小麦粉をまぶしてバターで焼くムニエル、それに大根の漬物だ。


 朝からムニエルは重そうな気もしたのだが、他のメニューに殆ど油っ気が無いし、バターも控えめにしたので大丈夫だろう。


「今朝は手伝いをしないで、済まなかったねぇ……」

「いえいえ。江戸からの移動で、疲れてたんでしょうから」


 鎌倉に行った俺達は、移動にワルキューレ達の馬を使えたのだが、おりょうさんや黒ちゃん達は徒歩で、決して藤沢から近いとは言えない江戸まで移動したのだ。


 こっちの世界の人が健脚だとは言っても、徒歩で数十キロを移送すれば疲れても当たり前だ。


「だってぇ、昼は良太が作るのは決まってるし、夜は咖喱(カレー)なんだろぉ? 朝くらいはって思ってたのにぃ……」

「あはは。それじゃ明日の朝は、お願いします」


 まだ少し眠そうなおりょうさんが、本当に申し訳無さそうに言ってくるので、京に行かなければならない明日の朝食をお願いした。


「良太様ぁ。この乳酪(バター)で焼いたお魚、おいしいですねぇ♪」

「ヘルムヴィーゲさんが、綺麗に魚を下ろしてくれたからですよ」

「そ、そんなぁ……でも、ありがとうございますぅ♪」


 はにかみながらヘルムヴィーゲは、器用に箸を使いながらイワナのムニエルを口に運んだ。


 俺も食べてみたが、バターでカリッと香ばしく焼かれたイワナは旨かった。


「「むぅ……」」


 手伝いという言葉を聞いて、少しニュアンスは違うようだが、おりょうさんとブリュンヒルドが唸った。


「なあ、良さんよ」

「はい?」


 大根の漬物を齧りながら、正恒さんが話し掛けてきた。


「ここの作業小屋に、おれんとこの炉とかを移し替えようと思うんで、手伝ってくれよ」

「えっ!? それは勿論、構わないんですが……いいんですか?」


 里の作業小屋に炉が設置されるのは有り難い事なのだが、正恒さんの作業小屋からとなると話は違ってくる。


 正恒さん自信の鍛冶の作業が、暫くの間は出来なくなる事を意味するからだ。


「俺のは頭領に頼んで、新しく炉を設置して貰うからいいんだよ。同じ事をこっちでやろうったって、出来ねえだろう?」

「それはそうですが……」


 他の道具類はともかく、鍛冶に使うふいごと炉に関しては、専門知識が無いと設置は難しい。


 だからといって、関係者以外を里に招くのは色々と問題があるので、俺にとっては正恒さんの申し出は非常に有り難いのだが……。


「いいんだって。俺は古い炉を良さんに押し付けて、代わりに新品を頂戴するってだけなんだからよ」

「そういう事にしておきましょうか。改めて、ありがとうございます」


 新たな炉を設置するには時間も掛かるだろうし、実際に動かしてみて様子を見る必要もあるだろうから、実際には正恒さんが言っている程には、お気楽な感じでは無いだろう。


「それじゃ俺は正恒さんの手伝いをするとして……ドランさん、ブルムさん」

「「はい?」」


 吸い物の具の焼き豆腐を食べていたドランさんと、一息ついてお茶を飲んでいたブルムさんが揃って返事をした。


「ブルムさんには予めお願いしてあったんですが、戦乙女(ワルキューレ)さん達に軽い履物を作ってあげて欲しいんです」

「はいはい、聞いておりますよ。確かにいま履いている長靴(ブーツ)は旅には向いているでしょうけど、屋内では靴を脱ぐ風習のあるこの国では、少々面倒ですからな」

「そうなんですよ」


 ワルキューレ達の住んでいる建物の中で、土足で生活をするのは構わないのだが、風呂やサウナの行き帰りにブーツというのは、ちょっとした事ではあるのだが履いたり脱いだりするのが面倒だろうと思う。


「それでしたら私にも、下駄みたいな物をお作り頂けますか?」

「雫様?」


 ドラウプニールを渡してあるので、自宅から色々と用意してきたと思われる雫様から声が掛かった。


「出掛ける時に私も気をつければ良かったのですが……今の草履でも良いのですけど、これは足袋と合わせて履く余所行きの物でして、気軽に履ける物が欲しいな、と」

「成る程」


 靴にしても普段履きと通勤や通学、フォーマルで変えるのだから、気軽に履ける物が欲しいという雫様の言葉は理解出来る。


 それに、源家の奥方である雫様の持ち物なのだから、一番気軽に履けるという程度でも、相当に高価でお洒落な物なのかもしれない。


「実は昨夜の内に、幾つか作っておきました」

「私もです」


 重ねた食器類を端に寄せたドランさんとブルムさんは、ドラウプニールから革製だと思われる履物を数足取り出した。


「寸法は適当なのですが、紐で締め込む靴とは違いますから、この里の中を歩き回る程度なら十分だと思いますよ」

「気軽に履けそうですし、丁度良さそうですね」


 ドランさんが取り出したのは現代風に言うならサンダルっぽい履物なので、遠出や作業をする時には向かなそうだが、里の中の建物間を移動するには、非常に適していそうだ。


「数が足りない分と、大きい物や小さい物が欲しいという事なら、これからお作りしますので」

「ありがとうございます。という訳で、希望がある人は食器を片付けた後で、ドランさんとブルムさんに申し出て下さい」

「「「はい」」」


 

「頼永様」

「なんでしょうか?」


 朝食後に、忘れていた事を思い出して、頼永様に声を掛けた。


「これ、向こうの世界から持ち帰った物なんですが」

「む? マス目の盤からすると将棋ですか?」

「将棋に似た、外国の盤上遊戯です。教本もありますので」


 俺が頼永様の前に取り出したのは、チェスの盤と駒のセットだが、反応からすると知らないように見える。


 元の世界ではチェスは十七世紀頃に日本に伝来し、本格的に広まったのは文明開化頃だと言われている。


 江戸では薬種問屋の長崎屋さんが窓口になって、外国からの賓客や商人などを相手に交流をしているみたいなので、徳川家の家宗様は知っているかもしれない。


「おお、それはシャッハですな」

「懐かしいのぉ」

「シャッハですか?」


 履物についての要望を聞いていたドランさんとブルムさんが、チェス盤と駒を見て懐かしそうに呟き、未知の単語が出てきたので頼永様が首を傾げている。


「どうやらドランさんとブルムさんの故郷では、呼び名が違うみたいですね」


 以前に作ったゲームの『クアルト』をプレイする時にも、ブルムさんは勝利条件が揃った時に『フィーア』と言っていたので、おそらくはチェスはドイツ語圏ではシャッハと呼ばれているのだろう。


「ほほぅ。御二方が御存知なのでしたら、是非とも教えを請いたいところですね」

「ははは。そうしたいのは山々なのですが……」

「暫くは無理そうですなぁ」


 頼永様の申し出に、ドランさんとブルムさんは苦笑しながら断りを入れている。


「もう少し大きな物を……」

「主人が履いているような、足が全部隠れるけど、足首くらいまでの物が欲しいです!」


 何故ならば、ワルキューレや子供達から思っていたよりも熱烈な要望が寄せられていて、対応に追われているからだった。


 中にはサンダルでは無く、俺が履いているショートブーツみたいな物が欲しいという要望も出ているので、ドランさんとブルムさんには後で経費を計上して貰わなければならない。


「あなた。一から決め事を覚えるのでしたら、私がお相手致しましょう」

「ふむ。良太殿は正恒殿との用事があるようだし……頼華、相手をしてくれるかい?」


 頼永様はチェスの相手として、頼華ちゃんに声を掛けた。


「父上。余は子供達に武術を教えなければなりませんので」


 短い間だが不在にしていたので、頼華ちゃんは子供達の相手をしてあげたい気持ちになっているみたいだ。


「む……では、りょう殿は?」

「あたしは洗濯と、畑の方も気になりますんでねぇ」


 洗濯物も畑の世話も、不在の間はワルキューレたちや夕霧さんが手分けをしてやってくれていたのだが、おりょうさんは根っからの働き者なので、自分がいる時には人任せにはしない主義だ。


「あなた。皆さんはお忙しいでしょうから、私がお相手致しましょう」

「む。それは悪くないな」


 結局、夫婦水入らずで過ごすという事に決まったらしい。


「頼永様、雫様。天気もいいですし、良ければ外で如何ですか?」

「外ですか?」

「ええ。それなら頼華ちゃんや子供達の様子を見ながら、お過ごしになれますし」


 来客用の館の入口前辺りならば、頼華ちゃんが武術を教える畑の脇の土地も一望出来る。


「雫様が楽に座れる椅子と、日除けも用意しますので」

「あら、それは素敵ですね。良太殿にはお手間をお掛けしますけど」

「それくらいは、何でもありませんよ。正恒さん、その後でもいいですよね?」

「なら俺は一足先に行って、準備しておくよ」

「お願いします」


 言われてみれば、正恒さんの家の方で片付けたりする事もあるかもしれないので、先行して貰っている方が合理的だ。


「あの……」

「良太様ぁ」

「はい?」


 履物の要望は出さないでもいいのか、ロスヴァイセとヘルムヴィーゲが話し掛けてきた。


「鍛冶の道具の設置に興味がありますので、私にも見学とお手伝いをさせて頂けないでしょうか?」

「私も同じくですぅ」

「くっ! で、出遅れましたわ……」


 ロスヴァイセとヘルムヴィーゲは、実用品では無く自分の興味の方を優先させたようだ。


 ドランさんとブルムさんに要望を伝えている列に並んでいるブリュンヒルドが、悔しそうに歯噛みしている。


「おりょうさん、夕霧さん」

「ん?」

「はぁい?」

「洗濯や畑の面倒を見る方の手は足りますか?」


 里の中の雑事に関して聞く相手だと、間違いの無い二人に意見を求めた。


「んー、そっちはそっちで必要な事だし、良太が面倒を見るんなら構わないんじゃないのかい?」

「おりょうさんに同じくですぅ。畑は植え付けが終わってぇ、軽く水やりをする程度ですからぁ」

「わかりました。それじゃ御二人は、正恒さんと一緒に……」

「正恒様には、私が御一緒します」

「良太様は、私が護衛致しますのでぇ」

「護衛って……」


 護衛されるような身分では無いし、里から徒歩で十分くらいの場所にある正恒さんの家が目的地なのに、ヘルムヴィーゲが大袈裟な事を言う。


「うむ。俺は親父殿達の手伝いをするから、主殿の警護は任せるぞ」

「新入りー! しっかりやれよー!」

「ヘルムヴィーゲ、良太様に粗相の無い様にお勤めなさい」

「はっ!」

「えー……」


 妙な命令系統が出来上がっているのか、白ちゃんと黒ちゃん、そしてブリュンヒルドに言われて、ヘルムヴィーゲが返事をしながら背筋を伸ばした。



「良太様ぁ。それは何を?」

「傘ですよ」

「傘、ですか?」

「あ、もしかして御存知無いですか?」

「はぁい」


 余っている竹や木材を取り出して作業をしている俺を見て、ヘルムヴィーゲが首を傾げている。


(そういえば傘って、外国ではあんまり使わないんだっけ?)


 ヨーロッパなどでは降雨量が少なく、降ってもすぐに止むので、近代まで傘を差すという文化が無かった。


 尤も、東南アジアなどでは逆に降雨量が多過ぎるので、傘が使われなかったりもするし、それで無くても日本人のように傘を差す民族は、現代でも少数派らしい。


「骨組みはこんなもんかな」


 節を抜いたそれ程太くない竹を中心にして、縦割りにして長さを揃えた竹を放射状に八本配置した。


 その放射状にした竹に、これも竹で支えを作り、全てを蜘蛛の糸で連結して基本的な骨組みが出来上がった。


 今回は開閉機構は無視して、骨組みに糸で日除けの布を織り上げて仕上げ、ビーチパラソルっぽい物が完成した。


「これが傘なのですね。どういう用途なのですか?」

「これは日除けですけど、普通に傘という場合には雨除けです」


 完成形を見ても、ヘルムヴィーゲには傘の用途が不明だったらしい。


「傘はこれでいいとして、後は椅子とテーブルかな」


 椅子は雫様が楽に座れるようにと、木でフレームを組んで糸で背もたれと座面を構成したデッキチェアみたいな物を二脚、天沼矛(あめのぬぼこ)のコンストラクトモードで作った。


 リクライニングの機能は無いので、背もたれの位置の変更は出来ないのだが、それ程は傾斜させていないので不便は無いだろう。


 テーブルはチェス盤が載ればいいので天板はあまり大きくせずに、デッキチェアに合わせて低めの造りにした。


 デッキチェアとは別に、小ぶりな椅子も四脚程作っておいたので、外でのちょっとした食事や休憩などに使えるだろう。


「うわぁ。この身体を伸ばせる椅子、いいですねぇ」

「造りますか?」


 木組みにはそれ程の量の木材は使わないので、手持ちで数十脚くらいは造れる。


「すぐにでは無くても結構ですので、お願い出来ますか? これってサウナを利用する合間の休憩の時とかに良さそうでしてぇ」

「あー……」


(そういえばサウナって、長時間利用する人もいるんだっけ)


 宿泊可能な仮眠施設があるサウナなど以外でも座敷があったり、背もたれの深い椅子で休憩出来るというのは知識として知っている。


「数はどれくらい必要ですか?」

「そうですねぇ……私達の人数分に、一人分増やして十脚くらいでしょうか?」

「えっ!? 造るのは構いませんけど、そんなにサウナ小屋の近くとかには置けないですよね?」


 てっきり、多くても四脚くらいのリクエストだと思っていたので、口元に指を当てながら思案していたヘルムヴィーゲから申請された数は、俺にとって予想外だった。


「確かにサウナの近くですと、通路の部分に二脚と、脱衣所に二脚くらい置ける程度だと思いますけどぉ」

「ん? じゃあサウナ以外で使うって事ですか?」

「はい。サウナの利用後に、応接室でみんなと話しながら休憩ですとか、自室でのんびりする時にも良さそうですのでぇ」

「成る程」


 少し照れくさそうにヘルムヴィーゲは言うが、気持ちはわからなくもない。


「通路に一脚は固定で置いておきまして、他はお邪魔にならないように私達で管理しますので、それで良ければお造り頂けますと」

「わかりました。そういう事でしたら、早めに造りますね」


 自主的に管理をしてくれるという事ならば、通行の妨げになったりはしないだろうし、ヘルムヴィーゲの要望を聞き入れても問題は無さそうだ。


「んー。そんなに時間は掛からないから、いま造っちゃいましょうか?」

「えっ!? よ、宜しいのですか?」

「ええ。サッとやっちゃいましょう」


 ヘルムヴィーゲが驚いているが、基本はコンストラクタモードで出来るし、仕上げに糸を巻き付けるだけなので、その仕上げも座面と背もたれは直線的に糸を巻けば良いだけなので、十脚造るにしても大して時間は掛からない。


 俺はヘルムヴィーゲに見守られながら、サクサクと十脚のデッキチェアを造り上げた。

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