合掌
「あの……それって湯上がり着で、寝間着では無いんですよ?」
「ん? 浴衣と似たようなもんだろ?」
「そう、なのかな?」
温泉旅館などでは浴衣は部屋着として用意されていて、湯上がりに着たまま眠ってしまう事が多いのだが、俺の感覚としてはバスローブはタオルと同じ扱いなので、寝間着と同じだという認識は無い。
「まあ、いいじゃないか。ほら、寝よう」
「はぁ……」
さっさと敷いた布団に座りながら俺にここに寝ろと、ポンポン叩きながらおりょうさんが示している。
ここまで来て抵抗は無駄なので、俺が枕を使わせて貰って横になり、おりょうさんが当然のように身を寄せながら俺の腕に頭を預けた。
(……バスローブは危険だな)
おりょうさん達が気に入っている貫頭衣の寝間着も、ロングTシャツみたいな物なので脚が剥き出しという中々にセクシーな代物なのだが、バスローブは胸元が顕になっている上に、身体を動かすと合わせの部分が簡単にはだけてしまうのだ。
少し視線を下に向けると、おりょうさんの首筋から繋がる柔らかな膨らみが目に入るし、大きく開いてしまっている裾から出てしまっている脚線が、直接俺の脚に当たっている。
「あ、明かりを消しますね」
「うん」
つい見てしまうので、とりあえず部屋を暗くしようと、照明代わりの炎を消した。
炎の能力にも大分慣れてきたので、特にコマンドワードなどを使わなくても、頭の中で考えればオンオフが可能になった。
「ねえ、良太」
「なんですか?」
暗くなったので視覚的な刺激は弱まったが、腕枕のポジションにおりょうさんがいるので、耳のすぐ近くから声が聞こえてくるので、急に話し掛けられるとドキッとする。
「あんまり話を聞かずに泣き出しちまって、悪かったんだけどぉ……戦はどんな感じだったんだい?」
「ああ、その事ですか」
おりょうさんは今でも申し訳無さそうに小声で話すが、口が触れそうな程に俺に寄せているので、はっきりと聞き取れる。
「俺とブリュンヒルドさん達は頭数合わせくらいのつもりだったんですけど、とにかく身内の誰かが怪我をするのが嫌だったので、分かる範囲で相手への対策を考えて、装備を強化して望みました」
「装備の強化?」
「ええ。具体的には衣類と防具へ、文字による付与を」
「ああ、あたしにくれた手袋みたいな奴だね?」
「そうです。でも、使わずに済みましたけどね」
意図的なのか忘れたのか、それとも動きを阻害されるのを嫌ったのか、ワルキューレ達は通常装備の白銀に輝く鎧は身に着けずに防具は衣類だけだったし、武器類は最後の俺と頼時の戦い以外は全て木製だった。
尤も、戦に臨んだブリュンヒルド達の衣類と下着類は、強度の高い蜘蛛の糸に付与をしてある物だったので、衝撃を完全に無効には出来ないが下手な鎧よりは強度が高い。
「普段着ているような衣類だけど、大丈夫だったのかい?」
「一度も攻撃を受けませんでしたからね。俺が予想していたよりも、戦乙女さん達の戦闘力は高かったですよ」
西洋風な装備による戦いは、もっと力任せだろうという偏見が俺にはあったのだが、ワルキューレ達の戦い方は、思っていたよりは洗練されていてスマートだった。
ワルキューレ達の戦い方は集団戦が主体のようなので、相手への即応が求められるような戦い方は苦手な感じに見えたが、それでも出会った時の伊勢の朔夜様よりは柔軟に対応していたし、実力的にも上だと感じた。
「良太には、危ない事は無かったのかい?」
「えーっと……北条の大将に、真剣での立ち会いを挑まれた時には、ちょっと焦りましたね」
おりょうさんがどういう反応をするかの予想がつくので口に出し難かったが、隠しても意味が無いので正直に話した。
「し、真剣っ!?」
「おりょうさん、もう遅いですから、声を……」
「はっ! って、誤魔化すんじゃないよっ!」
横向きに寝ていたおりょうさんは、俺に覆い被さるような姿勢になって、胸ぐらを掴んで揺さぶってくる。
揺さぶられたところで特にダメージなどは無いのだが、動きに合わせて開き気味の胸元から、柔らかな膨らみが揺れるのが見えるので非常に目に毒だ。
「いや、その……無事だったからこの場にいるんですけど?」
「それはそうなんだけどぉ……はぁ。落ち着いたから、ちゃんと話しておくれじゃないか」
「はい」
小さく溜め息をついたおりょうさんは、片手で掴んだ胸元の布を離さないまま、俺の胸の上に頭を預けてきた。
「真剣での立ち会いって事で、無論ですが油断はしなかったんですが、念の為に相手からの斬撃が来る前に避けてました」
「ざ、斬撃の前にって、そんな事まで出来るのかい!?」
「ええ。実は強い気を使える相手程、やる気みたいな物が実際の攻撃の前に光の線みたいな状態で放たれるので、それを避ければいいんです」
おりょうさんにはこう説明しているが、相手によっては光の線と攻撃の間隔が殆ど無い場合もあるだろうし、攻撃直前まで気を抑える事が出来る武人もいるかもしれないので、回避の仕方としては決して万能という訳では無い。
「はぁー……でもぉ、避けてるだけじゃ勝てないだろうぉ?」
武人は気で身体強化をする事が出来るのはおりょうさんも知っているので、スタミナ切れを待つにしても常人が基準にならないのがわかっている。
「俺の刀の巴は、気を切り裂きながら吸収したり、斬撃の際に気を注ぎ込んで威力を増したり、って説明を以前にしたかもしれないんですが」
「聞いた事があるような気がするねぇ」
「今回は相手が刀身に纏わせている気を、わざと攻撃を受けながら吸収して消耗させたんです」
「あー……」
気が生物の根源的なエネルギーなので、それが刃を打ち合わせる度に強制的に失われていくというのは恐ろしい事だと、おりょうさんにもわかったみたいだ。
「でも、相手は北条の頭領だったので面子もあったみたいで、中々負けを認めなくて」
「まあ、そういうもんなんだろうねぇ」
「隙をついて武器を弾き飛ばしたんですが、それでも負けを認めなくて。終いには不意打ちを仕掛けてきて、それを防がれても負けを認めなくて……」
「そこまでするなんざ、武人の風上にも置けないねぇ。しかもそんなのが頭領だってんだから、領民も可愛そうだねぇ」
北条の頭領である頼時の戦に於いての所業を話すと、おりょうさんも呆れている。
「結局、北条の頭領の幼馴染という女性が出てきて、俺と頼永様に謝罪をして負けを認めた上で、頭領の助命と使っていた太刀の返還を求めて、後日ですがお金が支払われる事になりました」
「他人事じゃあるんだけど、北条の領民とその女性は気の毒だねぇ」
「まあ、そうですね」
俺としては源家と鎌倉に何も無かっただけで満足なのだが、元々は北条から申し出たとは言え、伊豆半島の水先案内の権利の放棄に、領主の頼時の身代金と伝家の宝刀である鬼丸国綱の返還に対しての支払いの気味が生じたのだ。
そして何よりも、領地の内外への面目が丸潰れというのは、北条家にとっては何よりの痛手だろう。
「それにしても、良太は大金持ちになっちまうんだねぇ」
家宗様と同様におりょうさんにも、領主の身代金とその愛用の太刀というのがどの程度の金額になりそうなのかというのがわかるみたいだ。
「その事なんですけど、鎌倉で酒を造り始めたりする為の施設の資金と、里の食料を定期的に運んで貰えるように頼永様にお願いしたので、俺の手元には残らないんですよ」
「……へ?」
頭の中で考えていた金額を、俺が手元に残さないというのを聞いて、おりょうさんが呆気にとられている。
「あ、あんた……この里を大切に思っているのはわかるけどぉ、多分だけど、一生遊んで暮らせる金額なんだよぉ?」
「俺はまだ、隠居するつもりはありませんから」
「……っくくくく」
「おりょうさん?」
呆れ顔から一転して、おりょうさんは必死に笑いを噛み殺している。
「良太はそういう男だったねぇ」
「あの、もしかして欲しい物とかありましたか?」
俺があぶく銭を得たという事で、もしかしたらおりょうさんは、強請りたい物とかがあったのかもしれない。
「あははっ。良太にはもう、一番欲しかったもんは貰っちまってるからねぇ」
「ん? それって何ですか?」
「そりゃあ……指輪とぉ、花嫁衣装に決まってるじゃないかぁ」
「あー……はい」
胸に指でのの字を書かれながら、おりょうさんが恥ずかしそうに呟く。
「それに、良太は働きもんだけどぉ。別に家でごろごろしてたって、あたしが食わせてやるよぉ」
「えっと……非常に魅力的な提案なんですけど、それっていいんですか?」
所謂、髪結亭主という奴なのだが、おりょうさんは俺にそうなれと言っている。
おりょうさんのような気立ての良い女性に、衣食住の面倒を見て貰えるという身分を提示されるのは、光栄な事だとは思う。
「あたしゃ働くのは苦にならないしねぇ。それに、あ……愛する亭主の為ならねぇ」
「あ、ありがとうございます……」
暗くなっている室内ではあるが、おりょうさんの顔が真っ赤になっているのがわかる。
俺も自分の顔から胸の辺りに掛けて、体温が急上昇している自覚がある。
(ちょっとだけそういう生活にも憧れるけど……まあ俺には無理だな)
縁側で猫の背中を撫でながら過ごし、横には三味線を爪弾くおりょうさん、なんてシーンを想像してみたが、今すぐでは無く何十年後かに実現すればそれでいい。
「……おりょうさん?」
すー……すー……
急に腕に重みを感じるようになったと思ったら、目を閉じたおりょうさんは規則正しい寝息を立てている。
小声で呼び掛けても全く反応が無いので、おりょうさんはかなり深く眠りについているみたいだ。
「……良い夢を」
聞こえるか聞こえないかくらいに囁いた俺は、おりょうさんからの温もりと重さを感じながら、自分も目を閉じて眠りの世界に身を委ねた。
「……朝、か?」
寝たと思ったら目が覚めた。
寝不足の感じは無く、頭がリフレッシュされてすっきりとした感じだ。
(うわぁ……)
おりょうさんに腕枕をしたまま半身を起こすと、カーテンの隙間から漏れ出す薄い明かりの中で、寝乱れてあっちこっちの素肌が見えているという大変な事態になっていた。
おりょうさんを起こさないように声は出さないが、目の前の光景を見て心の中で唸った。
ごくり……
あまりにも魅力的なおりょうさんの艶姿に目が釘付けになり、思わず固唾を飲んでしまったが、精神力を総動員して掛け布団を被せて視界を遮り、何度か深呼吸をしてから落ち着いたのを自覚してから、起こさないように気をつけながら、そっと頭の下から腕を抜き取った。
「う、ん……」
腕を抜く際に起こしてしまったのかと思い、暫く様子を見ていたが、おりょうさんの瞼が開く事は無かった。
しかし、横向きの姿勢から寝返りを打って仰向けになった事で掛け直した布団がずれ落ち、バスローブの乱れが酷くなって視界に入る胸元の肌の面積が増えてしまった。
「……」
自分でも何でかはわからないのだが、有り難いとか神々しいとか感じてしまったのか、無意識の内に両手を合わせておりょうさんを拝んでいた。
一応は健康で健全な男子なので、魅力的な恋人の肢体をいつまでも眺めていたいと思ってしまうが、なんとか鉄の自制心を発揮して、おりょうさんの寝乱れを軽く整えてから布団を掛け直した。
「……ふぅ」
朝っぱらから恐ろしく精神力を消費したので、部屋の外に出た時点で大きな溜め息をついてしまった。
「……よし」
気を取り直した俺は、洗顔をする為に水場へと向かった。
「おはよう」
「あ、主人! おはようございます!」
洗顔と歯磨きを済ませて厨房に行くと、今日も早起きのお糸ちゃんが朝食の支度をしていた。
「今朝の献立は何か決めてるの?」
「御飯と味噌汁と思っていますけど、具とおかずを何にするか決めていません」
「そっか。俺が不在の間には、どんな物を食べていたのか、簡単にでいいから教えてくれる?」
「はい。えっと……」
俺が里を不在にしている間に四度食事があったのだが、出来ればメニューが重ならない方が良いと思ってお糸ちゃんにリサーチをした。
可愛らし顔に真剣な表情を浮かべながらお糸ちゃんは、記憶を遡りながら俺に食べた物の内容を説明してくれた。
「ふむ……わかったよ。お糸ちゃん、ありがとうね」
「い、いえ! 主人のお役に立てたなら良かったです!」
「あはは。お糸ちゃんは、いつも俺の役に立ってくれてるよ」
一生懸命に話してくれるお糸ちゃんに、感謝の意として頭を撫でた。
「はわわわわ……」
「お、お糸ちゃん、大丈夫!?」
茹で上がった蛸みたいに鮮やかな赤い色に染まってしまったお糸ちゃんを覗き込むと、逆効果だったみたいで赤いを通り越して紫色っぽくなってしまった。
「お、お糸ちゃん、落ち着こうね? ほら、水を……」
洗って乾かしてあった湯呑に水を汲んで渡し、何枚か作っておいたハンドサイズのタオルを水で濡らして、お糸ちゃんの額に当てた。
「ん……ぷはっ! も、もう大丈夫です、主人」
「そ、そう?」
(好意は持たれてると思ってたけど……これ程か?)
元からの里の住人は、紬を筆頭に俺を好いてくれているというのは自覚しているのだが、どちらかと言えば家族的な愛情だと思っていた。
しかし、頼華ちゃんや黒ちゃんが紬を何番目かの側室とか言うのは、明らかに俺を異性として意識しているという事だし、今のお糸ちゃんの反応にしても、仲の良い兄を好きな妹というレベルを逸脱している。
「……お糸ちゃん。御飯はそのまま炊いて、汁の方は出汁だけ取っておいてくれるかな?」
「はっ、はいっ!」
「お願いね」
(好かれて悪い気はしないんだけど……)
お糸ちゃんは目鼻立ちがはっきりしていて、贔屓目無しに可愛いのだが、実年齢はともかく見た目幼女なので、幾らなんでも俺の恋愛対象の圏外だ。
若輩者の俺には大人な対応というのが出来そうに無かったので、場を誤魔化す意味でもお糸ちゃんに必要な事だけを言いおいて、食材の調達をする為に厨房から出た。
「あらぁ♪ 良太様、おはようございますぅ。いい朝ですね♪」
「おはようございます、ヘルムヴィーゲさん」
里の西側の小川に向かって歩いていると、にこにこ顔で歩いてくるヘルムヴィーゲに、歌うような調子で朝の挨拶をされた。
「良太様も洗顔ですか?」
「俺はもう済ませました。ちょっと食材の調達に」
問い掛けてくるヘルムヴィーゲは洗顔を済ませたのか、里の誰かが作ったと思われる手拭いを手からぶら下げている。
(うーむ……)
これも、里の誰かが作ったと思える貫頭衣の寝間着をヘルムヴィーゲは着ているのだが、足元がロングブーツというのが如何にもアンバランスに見えるので、内心で唸ってしまった。
(ドランさんとブルムさんに相談しないとな)
昨日は再会を喜び合っているのを邪魔したくなかったので黙っていたが、ドランさんを里に招待した目的の一つでもあるので、履物に関する相談は忘れないようにしなければならない。
「食材ですか? 宜しければ私も同行していいでしょうか?」
「すぐそこですけど、構いませんよ」
「はぁい。是非♪」
ロスヴァイセとは方向性が違うようだが、好奇心旺盛に思えるヘルムヴィーゲは、行き先も食材の内容も不明なのに、上機嫌で同行を申し出た。
「うわぁー! こんな場所があったのですねー!」
里を流れる小川の脇の、イワナが群れをなして留まっている小さな池のような部分は、ワルキューレ達の住まいである建物の裏なのだが、ヘルムヴィーゲは知らなかったようで目を丸くしている。
「この魚が食材ですか?」
「ええ。よっ、と」
ドラウプニールから取り出した柳刃を右手に持ち、左手でイワナを手掴みにした俺は、その場で腹を割いて内蔵を抜き、軽く内側を洗った。
開いたイワナはそのままドラウプニールに収納して、内臓は水の中に捨てた。
「見事な手際ですね♪」
「ど、どうも」
透明感のある美貌の持ち主なのに、ヘルムヴィーゲは子供のように無邪気な笑顔で、俺がイワナを捌くのに見入っている。
「良太様。捌いたお魚は私が受け取ります。そうすれば作業に滞りが出ませんよね?」
「それじゃ、お願いします」
ヘルムヴィーゲの言う通り、左の手首にドラウプニールを嵌めている関係上、一度包丁と捌いているイワナを持ち替える必要があるので、どうしても作業がスムーズには進まない。
内蔵を抜いて洗ったイワナをそのままヘルムヴィーゲに渡せば良いというのは、有り難い提案だった。
「お願いします」
「はぁい♪」
何がそんなに嬉しいのかと訊きたくなるくらいに、ヘルムヴィーゲは終始御機嫌だった。
「只今」
「あ、主人。おかえりなさいです!」
下処理を終えた魚を持って厨房に戻って扉を開けると、出汁の良い香りが漂っていた。
「御飯は蒸らしているところで、汁の出汁を取り終えたところです」
「ありがとう。それじゃ汁の具と、おかずを用意しちゃおうね」
「はいっ!」
「良太様、私もお手伝い致します」
イワナを預かってくれているヘルムヴィーゲが、調理の手伝いを申し出て来た。
「ヘルムヴィーゲさんは、料理の経験はあるんですか?」
「お魚は無いですけど、指示して頂ければ♪」
「は、はぁ……」
屈託無く笑うヘルムヴィーゲからは、調理の実力を推測する事が出来ない。
「それじゃあ、先ずは俺がやってみますから、同じ様にお願いします」
「はい♪」
包丁を一本渡すと、ヘルムヴィーゲは期待に満ちた表情で俺の手元を見て来る。




