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酵母

「お待たせしました」

「ありがとさん。でも、ちっと数が足りないかねぇ……」


 鎌倉へ行く前日に使われた酒器は四人分なので、確かにこの場で酒を飲める者の数には足りていない。


「そいじゃ予備を……っと、これで大丈夫だねぇ」


 おりょうさんはドラウプニールから、追加の酒器を取り出した。


「む……鈴白さん」


 おりょうさんを見て神妙な顔をしながら、ドランさんが声を掛けてきた。


「はい?」

「いえね……以前から鈴白さんが腕輪を嵌めているのは存じておりましたが、りょう殿が嵌めているそれも同じ物ですか?」

「ええ。それが何か?」

「何かって……その腕輪は福袋と同じような道具だと思いますが、出し入れする口も無いのに、どうしてそんな」

「あー……」


 言われてみればだが、この場にいる人間の内、ドランさんだけにはドラウプニールを渡していないのに気が付いた。


 渡していないのだから、ドラウプニールの物品を収容する能力なんか知っている訳が無いのだ。


「失礼、忘れていました。これはドランさんにお渡ししようと思っていた物ですので、どうぞお納めを」


 元の世界で採取しておいた金で作ったドラウプニールを取り出し、ドランさんの前の卓上に置いた。


「これを、私が頂いてしまっても宜しいのですか?」

「勿論です。ドランさんも俺にとっては大切な人ですし、何よりも黒ちゃんと白ちゃんの親代わりでもあるんですから」

「鈴白さん……」

「御主人……」

「主殿……」


 なんだか妙に感じ入ってくれたようで、ドランさん達に熱っぽい視線で見られてしまった。


 黒ちゃんなんかは目を潤ませている。


「それでは有り難く頂戴しますが、そもそもこれはどういう物なのですか? 物品を収納出来るのはわかりますが……」

「ふふふ……ドランよ。聞いたら腰を抜かすぞ」


 自分が驚いたからか、ブルムさんがドランさんに不敵に笑いながら呟いた。


「ぬ? 此奴がここまで言うとなると、それ程の物なのですか?」

「それは神宝ドラウプニールの複製品。こちらにいる戦乙女(ワルキューレ)を束ねられている愛の女神フレイヤ様から、俺が授かった物です」

「ど、ドラウプニール!? それにこの方が戦乙女(ワルキューレ)ですって!?」


 ドランさんから予告があったのだが、俺の説明を聞いたブルムさんの驚愕は軽減されなかったようだ。


「そ、それに、どうして北欧で信仰されているフレイヤ様から、鈴白さんが?」

「えーっと……」


 正直、神様の行いとしてはどうなの? という内容なので、フレイヤ様の名誉を考えると話し難いのだが、この場にいる誰もが知っているので、ドランさんにも俺が他の世界から来た事も含めてダイジェストで説明をした。


「不思議な方だとは思っていましたが、鈴白さんが別の世界から来たとは……」

「ドランの旦那。この酒も、良太の世界で醸されていたのを買ってきたもんなんですよぉ」


 微笑むおりょうさんは、話を聞いて当惑するドランさんの分も含めて、酒器に酒を注ぎ終わった。


「むぅ……先程、鈴白さんとりょう殿が説明して下さった酒の仕込み方なども、その世界の技術なのですね?」

「そうなんですよぉ。ま、試してみて下さいな」


 言いながら、おりょうさんは自分の酒器を手に取った。


「では……な、なんだこの香りは!?」

「あなた?」


 口を付ける前に酒器を鼻に近づけて香りを嗅いだ頼永様が、声を上げながら大きく目を見開いたので、雫様が何が起きたのかと覗き込んでいる。


「鎌倉で良太殿が下さった物も良い香りであったが、これは何と言うか……むぅっ! 口に入れると更に香りが広がり、深い余韻が!」

「……こいつぁ凄えな。一気に煽るような飲み方が出来ないぜ」


 頼永様のように大きく声を出したりはしないが、正恒さんも目を伏せてじっくり味わっている。


「こんな、果物のような……」

「この間呑んだ酒も甘さが上品で旨かったが、これ程までには香っていなかったな」


 ドランさんは純粋に果物のような風味に驚いているが、白ちゃんは江戸へ行く前日に呑んだ酒との違いを比較している。


「……良太様。これは本当に、あの食事に出た米から出来ているのですか?」

「酒を醸すの専用の種類の米を使っているので、厳密に同じかと言われると困るんですよね……」


 酒造好適米と呼ばれる種類は、そのまま食べると味わいとしては長粒種に近いので、食用米と同じ様に調理をしてもおいしいとは言い難い。


「あたしはぁ、どちらかと言えばお酒は苦手なんですけどぉ、こういうお酒ならまた呑んでみたいですぅ」


 技術が未熟なので、こっちの世界の酒は江戸時代くらいの水準であり、それなりに上物でも白濁していて甘く、水で薄めないとかなりアルコール度数も高いので、飲み慣れない人間には口当たりが強く感じる。


 夕霧さんはこっちの世界の一般的な酒は苦手なようだが、いま呑んでいる酒は笑みを深めて味わってくれている。


「……お茶を淹れようか」

「兄上、お手伝いします!」


 飲酒をしている者は思い思いに余韻に浸っているのだが、俺や頼華ちゃんは手持ち無沙汰な状態だ。


「お湯が沸いたらお願いするね。何か希望はある?」

「では、あっさむが良いです!」

「了解」


 ダージリンよりも渋さが控えめで、ミルクティーにするとコクがあっておいしいので、頼華ちゃんは紅茶だとアッサムがお好みだ。


(そういえばアッサムって、こっちの世界では発見されてるのかな?)


 茶の樹はかなり大雑把に分類するとダージリン系とアッサム系に分かれるのだが、アッサムは十九世紀前半に発見された新しい種なので、少し情勢が違っているこっちの世界では、もしかしたら発見されていないかもしれないのだ。


「黒ちゃんも飲む?」

「おう! あたいはあんまり酒は好きじゃないなぁ」


 酒が好きな者程、おりょうさんが注いだ酒を有難がって呑んでいるのだが、黒ちゃんの口には合わなかったみたいだ。


「後は雫様の分と……」

「あ。貴方様、宜しければ私にも頂けますか?」

「良太様、出来ましたら私にもお願いします」


 身重な雫様の分は当然だが、天とブリュンヒルドからもリクエストがあった。


「了解しました。お湯が沸くまでお待ち下さい」


 俺は厨房に向かい、湯を沸かして人数分の茶器を用意した。



「確かに凄い酒でしたが……りょう殿。酒粕に残っている酵母という物が、どのように関係するのですか?」


 試飲した酒の、こっちの世界の物との違いによる興奮も完全には冷めていなのだが、注がれた分を飲み干して落ち着いたところで頼永様が質問して来た。


「口当たりや余韻、果物みたいな香りを引き出す効果ってのが、酵母によって違ってましてねぇ」

「と仰るという事は、その酒粕には……」

「お察しの通りに、さっきの酒みたいな味や香りを引き出す効果の高い酵母が含まれているって事になりますねぇ」

「むぅ……」


 現代の酒造では、免許を持っている酒蔵が所有している酒蔵に棲み着いている酵母を使う以外には、所属している協会の販売している、造ろうとする酒の方向性に適した酵母を買うという方法が取られている。


 酒米も麹も通販で買えるのだが、酵母だけは自然の物か酒造向けでは無い物しか一般人には入手出来ないのだ。


 ネットで色々と調べたところ、かなり裏技っぽい有名銘柄の酒粕から酵母を抽出する方法を発見したので、自宅近くの酒屋で買ってこっちの世界へと持ち込んだのだった。


「酵母だけで味が決まっちまうって事は無いんですが、かなり決め手にはなるんですよぉ」

「ほぅ? 他にも何かこの味の決め手があると仰るのですね?」

「そうなんですが、現状ですとねぇ……こっちじゃ再現するのは難しいし、あたしゃあんまり気が進まないんですよぉ」


 酒盃を持ち上げながら、おりょうさんが口をへの字に曲げた。


「それは、りょう殿と良太殿が調べられた資料を用いてもという事ですか?」

「恐らくは技術的には、風車が完成すれば出来るんですけどねぇ」

「となると、気が進まないという方が主な理由ですか?」

「……ここでも実際に試して頂きましょうかねぇ。良太。そろそろ湯が沸くだろうから、厨房に行くついでに、酒器を用意してくれるかい」

「わかりました」

「兄上、お供します!」


 おりょうさんがドラウプニールから出した酒器を持って、厨房へ向かう俺の後に頼華ちゃんが続いた。



「頼華ちゃんは砂糖は多め?」

「はい!」


 湯呑に牛乳と、頼華ちゃんのリクエストに応えて砂糖を多めに入れ、そこへアッサムの紅茶を注いだ。


 雫様、天、ブリュンヒルド、そして自分の分は紅茶のみを注いで、砂糖と牛乳は別容器で用意した。


「それじゃ戻ろうか」

「はい!」


 茶道具と酒器を二人で手分けして持って、応接室へ移動した。



「お待たせしました」


 茶器と酒器を配り終え、俺と頼華ちゃんも着席した。


「お茶にはお好みで、砂糖と牛の乳を入れてみて下さい」


 砂糖は当然ながら精白度合いが低いのだが、アッサムには良く合うだろう。


「んー! 普段飲んでいるお茶とは違って、甘くしてもおいしいのですね! それにこの、牛の乳のコクが……」


 初めて飲むミルクティーに感動して天が身を捩っているが、その度に大きな胸が躍動している。


「ヴァルハラでは乳と言えば山羊の物だったのですが、牛の物は癖が無くてまろやかですね」

「俺は逆に山羊の乳を味わった事が無いですね」

「慣れてしまえばどうと言う事は無いのですが、牛の乳と比べると癖があるのがわかります」

「成る程」


 加工品のチーズなどでも牛や羊と比べると山羊の物は癖が強いと聞くので、ブリュンヒルドの言う通りなら生乳も同じような感じなのかもしれない。


「そいじゃ、二種類の酒を飲み比べて頂きましょうかねぇ」


 おりょうさんは酒を試飲するメンバーの前に置かれた二つの酒器に、二種類の酒を注いだ。


「見た目にはそれ程の違いは無いようですが……むぅっ!? こ、これは先程の物よりも、更に研ぎ澄まされた味わいがっ!」

「おや、さすがは頭領様ですねぇ。そいつはさっきの酒と同じ蔵で醸されたもんで、原料の米をおっそろしく削って醸されているんですよぉ」

「りょう殿が恐ろしくと言うのですか……して、どれくらいを?」


 まだ酒が残っている酒器を手に持ったまま、頼永様はおりょうさんの答えを待っている。


「さっきの酒が米を四割五分、残るように精米してあります」

「四割五分!? という事は五割五分が糠のような扱いに!?」

「糠を取ってから磨いた分は、ちゃんと米粉として利用されちゃいますがねぇ」


 磨いた分が使い捨てにされていると勘違いした頼永様に、おりょうさんは微笑みながら正しい情報を伝えた。


「そうですか……では、この酒はそれ以上に米を?」

「ええ。あたしも初めて知った時には狂気を感じましたねぇ……こいつは二割三分残しです」

「「「……は?」」」


 おりょうさんの言葉を聞いて、試飲していた全員がポツリと言葉を漏らし、そのまま絶句した。


(俺も驚いたからなぁ)


 酒好きの父親から七割以上も米を磨いて醸した酒の話を聞いた時には、どうしてそんな事をするんだと首を傾げたのを覚えている。 


「た、確かに凄い酒ではありますが、そこまでしなくてはならないのですか? 先程の酒も、決して悪くは……」

「そうなんですよねぇ。飲めば確かに違いはあるんですけど……造り手がやってみたかった、って事なんでしょうねぇ」


 同じ酒蔵で醸されていて違いは精米歩合だけなので、飲み比べてもそれ程は明確な違いは感じられない。


 ほぼ限界まで精米した酒を醸したらどうなるのか? 実際はどうだかわからないが、そういう思いを酒蔵で具現化したとしか思えない。


「もしや、このもう一つの酒は、もっと?」

「そいつは飲んでのお楽しみですよぉ」


 ドランさんからの質問に、おりょうさんは意味深に微笑む。


「ふむ……お? こちらの酒は豊かな甘さと旨さで、ふくよかな感じですな。これはこれで良い」

「そおでしょう? こいつは食用の米と同じくらいの、九割って精米で醸しているんですよぉ」

「ほう! それにしては今までに呑んだ清酒とは、比べ物にならないくらいに澄んだ味わいですな」


 一般的に入手可能な清酒とは違う味わいに、ドランさんが関心を示している。


「麹米か掛け米のどっちかしか精米していないのが普通の仕込みなんで、その差が大きいんでしょうねぇ」


 灘などの一部では元の世界の江戸時代に既に、麹米と掛米の両方に精米した物を使っていたようだが、恐らくは精米に経費と時間の節約の為に、どちらか片方は玄米を使った酒造りが行われていたという。


「さっきの酒も旨かったが、俺は毎日呑むんならこっちの方がいいなぁ」

「あたしはぁ、さっきのお酒の方がすっきりしてて好きですねぇ」


 酒好きの正恒さんと、普段は呑まない夕霧さんでは、明確に好みの違いが出ている。


「うふふ。頭領様、さっきの酒みたいなのも将来的に造るのを目指すのは構わないと思うんですが、当面はこいつを目標にしちゃどうでしょうかねぇ?」

「食用の米と同じ程度の精米で、これだけの味になるのならば確かに……」


 醸造には新たな技術が使われるが、精米に関しては従来通りで味が向上するという点に、頼永様は着目したようだ。


「持ち帰った資料のやり方ですと、ちゃんと計算をすれば小さな樽一つ分なんて醸し方も出来ますんで、先ずはお屋敷の人達に試しに造って貰ってもいいかもしれませんねぇ」

「なんと!? そんな少量で酒を仕込めるのですか?」

「ええ。今の時期でも温度管理さえすりゃ、なんとかなるでしょうねぇ」

「そんな事が……」


(多分だけど頼永様は、三段仕込みを知っているからこういう反応をするんだろうな)


 酒造を知らない人間でも、三段仕込みという言葉くらいは聞いた事があるかもしれない。


 麹付けをした米と酵母と水を混ぜた、酒造りの最初の段階になっている物を(もと)と呼ぶのだが、その(もと)の倍の量の米と麹と水を加えた段階を一段仕込みと呼ぶ。


 ここから更に一段仕込みの倍、すなわち四倍量の材料を加えて二段仕込み、八倍を加えて三段仕込みとなる。


 この三段仕込みは長らく酒造に於ける約束事になっていて、この段階を踏まなければ清酒とはみなさないなどと言われていたが、材料を倍々で発酵させて行けるだけで、酒自体の質には関わらないという結果が出ている。


「頼永様」

「良太殿、何か?」

「今回の戦の報奨に関しては頂きますが、北条家から支払われる分を新たに作る風車と、酒造用の蔵とかの費用に当てて頂けませんか」

「良太殿。あなたという御方は……」


 この里と関わりが出来て数週間が経過しようとしているが、そろそろ蜘蛛の糸を利用した製品などでの利益も得られそうなので、畑や猪のセーフリームニル、天が手に入れてきてくれた鶏と鶉を上手く回せば、住人が飢える事は無いだろう。


 手元にあって困る物でも無いかもしれないが、源家からの戦の報奨金も過分だと思っているのに、北条家から支払われる鬼丸国綱と頭領の頼時に関連する金は受け取っても持て余しそうなので、頼永様に有効活用して欲しい。


「ちょいと良太」

「なんですか、おりょうさん?」

「いま戦とかいう、不穏な言葉が聞こえたんだけどねぇ?」

「あ……」


(そういえば、鎌倉で何があったのかを説明してなかったな……)


 別に内緒に使用とか考えてはいなかったのだが、参加した俺もブリュンヒルド達も怪我を負ったりしなかったので、何か特別な事をしてきたという考えが欠落していた。


「……包み隠さず話してみな」

「はい……」

「りょう殿。頼んだのは私で、良太殿は源家の為に……」

「頭領様は黙ってておくんなさい」

「はい……」


 頼永様が執り成してくれそうだったのだが、相手が源家の頭領であっても臆する事無く、おりょうさんはピシャリと言い放った。


「「「……」」」

「えっとですね、正恒さんの家に寄ってから、俺達が鎌倉に着くと……」


 同席している全員が、おりょうさんの顔色を伺って息を潜める中、戦の前日からの話を始めた。



「という訳で、審判をして下さった徳川の家宗様が仰るには太刀を返還したのと、北条の頭領の命を奪わなかった代わりにお金が支払われるだろう、と」

「はぁぁぁーーー」

「「「……」」」


 長く尾を引く溜め息をついたおりょうさんは、眉間にくっきりと皺を寄せている。


「……頭領様。頼華ちゃんは源家を出奔して、既に籍は無いのですよね?」

「そ、そうなのですが……雫が御覧の通りな故、家中の者だけでは手が足りずにですな」


 声を荒げたりはしないが明らかに怒気を孕んでいるおりょうさんに、頼永様は気圧されてしまっている。


「おりょうさん。お世話になった源家の危機だというので、俺が自分から参加を願ったんですよ」

「そんなこったろうとは思っちゃいたけどねぇ……」


 俺が嗜めるように言うと、幾らかおりょうさんの発する気配が和らいだが、まだ完全には抜けきっていない。

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