縹
「ろ、ロスヴァイセ、オルトリンデ。私達も頂きましょうか」
「そ、そうですね」
「?」
蕎麦と天ぷらの調理の主だった行程を担った事を告げて、なんで挙動不審になるのかはわからない。
ブリュンヒルドとロスヴァイセの様子を、オルトリンデも不思議そうに見ている。
「良太様。これにつゆを掛けて食べればいいんですね?」
「そうです。薬味の葱と山葵はお好みで」
ワルキューレ達には天もりでは無く、平たい器に冷たい蕎麦を盛り付けて、そこに刻んだ穴子の天ぷらを載せた物を出してある。
つゆと薬味は別添えで、箸が使えるロスヴァイセ以外の二人には、ちょと変だが金属製のフォークとスプーンを用意した。
「ワサビというのは、サシミに添えてあるのと同じですか?」
「そうです。多過ぎるとツーンとなっちゃいます」
オルトリンデは山葵を知っているようだが、おそらくは向こうの世界で飲み歩いていた時に、魚介系のつまみにでも添えられていたのだろう。
「それじゃ、ネギとワサビをちょっと入れて……へぇ。魚の味が濃厚だけど生臭く無くて、このカリカリサクサクの揚げ物と一緒に食べると、おいしいもんですね。ワサビのお陰なのか、後口が爽やかです」
「それは良かった」
鰹出汁が生臭く感じて受け入れられないかもしれないと心配していたが、穴子の出汁で割ったのが功を奏したのか、オルトリンデは笑顔で二口目に取り掛かっている。
(オルトリンデさんも、箸を綺麗に使うなぁ)
向こうで飲み歩く際に覚えたのかもしれないが、ホテル泊の朝食の席を共にした時に、おりょうさんと頼華ちゃんから教え込まれたというのも考えられる。
「うん……うん。濃厚な魚の味を感じるのに、不思議と淡い蕎麦の風味を殺さないのですね。それにつゆを吸った天ぷらの衣が、不思議な歯応えと味になって」
「天ぷらを刻んで、蕎麦と一緒に食べられるようにして下さった、良太様の心遣いに感謝ですね」
「本当に」
「いやいや。お二人の調理が良かったんですよ」
今回は俺は手本を見せて、つゆや薬味を仕込んだりはしたが、今日の昼食は七割くらいはブリュンヒルドとロスヴァイセの手柄なのは間違い無いだろう。
「兄上! 戦乙女共と同じ物が食べたいです!」
「もう一種類、食べ方があるけど?」
「ほう? それはどのような?」
冷たい蕎麦に刻んだ穴子の天ぷらというのに興味を持ったのか、頼華ちゃんがお代わりにリクエストして来たのだが、実はまだこの場に出ていない食べ方のセレクトがある。
「刻んだ穴子の天ぷらを、少し出汁で割った温かいつゆに浮かべて、それに冷たい蕎麦をって食べ方だよ」
出汁で割った冷たいつゆに、というパターンもあるにはあるのだが、多めの冷たいつゆに天ぷらを浮かべると油がクドく感じると思うので、あまり推奨は出来ない。
「おお! ではそれをお願いします!」
「鈴白よ。余には冷たい蕎麦に刻んだ天ぷらを載せたのを頼めるか」
「良太殿。私には頼華と同じ物をお願いします」
「少々お待ちを」
やはり他の人間の食べていた物が気になっていたのか、頼華ちゃんに続いて家宗様と雫様からも、お代わりは最初とは違う食べ方を指定してきた。
「良太殿。私は蕎麦とつゆはそのままで、刻んだ天ぷらを頂けますか」
「わかりました」
(頼永様は、独自アレンジしてきたか……)
頼永様は天もりの食べ方自体はそのままに、穴子の天ぷらを刻んだ物を蕎麦猪口のつゆに少量入れ、蕎麦と一緒に手繰るという食べ方を試すらしい。
「良太様。最初に皆様が食べていらした、刻んでいない天ぷらと蕎麦を頂きたいのでですが」
「私もお願い致します」
「あたしも」
「了解です」
どうやらワルキューレ達も、自分達以外の者の食べ方がきになっていたようだ。
俺は三人分の蕎麦猪口とつゆ、蕎麦のお代わりの用意に取り掛かった。
「ううむ……ちと食い過ぎたのぉ」
「まあ、そうですね……」
自嘲気味に言いながら、お腹を抑えている家宗様に、俺は弁護の言葉を掛ける事が出来なかった。
家宗様だけの話では無いのだが、この場にいる八人で三十人前くらいはあった蕎麦と、それなりの大きさの穴子十匹の天ぷらを食べ尽くしたのだから、それはお腹もいっぱいになるだろう。
「しかし穴子の天ぷらというのは旨い物なのだな。これからは誰がなんと言おうと、江戸の余の食膳に出させるとしよう」
「まだ江戸では、穴子の天ぷらはありませんでしたか」
「うむ。屋台ならば穴子や烏賊や海老などがあるが、蕎麦と組み合わせるというのは聞いた事が無いな」
「となりますと、蕎麦には小海老や小柱の天ぷらですか?」
「そうであるな。しかし、ここで食ったような冷たい蕎麦に温かいつゆや、蕎麦とは別に天ぷらを出すというのは聞いた事がないの」
「そうですか」
予想していた事ではあるが、やはり江戸の徳川の頭領である家宗様の食膳には穴子と、恐らくは天ぷらも出されてはいなかったようだ。
そして、おりょうさんの店の竹林庵がそうであったように、まだ現代のような天ぷらと蕎麦を組み合わせたメニューも、それ程は発展していない事がわかった。
「江戸ならば穴子は、入手は容易でしょうね」
「うむ。余の食膳に出させるだけでは無く、旨いそばとの組み合わせは、江戸の名物になり得るであろうな」
「江戸湾は豊かな漁場ですからね」
外洋に面している場所の方が魚の味は良いと思われがちだが、魚介類の種類によっては複数の河川が流れ込む江戸湾の方が、生育状況と味が良いとされている。
元の世界の現代に於いても名物の一つの江戸前の穴子は、今後は屋台の天ぷら以外でも出されて行く事だろう。
「ふぅ……腹が満たされて落ち着いて、やっと戦が終わった事を実感出来ました。良太殿には重ね重ねの感謝を」
「本当に。頼華にも聞きましたが、大活躍をされたとか」
「大活躍って事は無いんですけどね……」
(雫様に説明する時に、頼華ちゃんが話を盛ったっぽいな……)
戦の現場にいた頼永様はともかく実際に見ていなかった雫様は、恐らくは頼華ちゃんから大袈裟な演出付きで、俺の対戦の状況を聞かされたのだろう。
「なんじゃ。昼餉だけでは無く、戦も全て鈴白のお膳立てであったのか」
俺が色々と企んでいたかのように、家宗様が呟きながら見てくる。
「そういう訳では無いのですが……」
「家宗殿。良太殿は頼華と一緒に婚約の報告で偶然立ち寄っただけなのに、助太刀を申し出てくれたのですよ」
確かに結果だけを見ると、家宗様が言っているように俺がワルキューレ達を率いて源と北条の戦を仕切ったみたいになっているのだが、頭領である頼永様の口から否定の言葉を述べてくれた。
「む? 鈴白は頼華殿と婚約をするのであるか? ではあの、りょうという娘や、手下の娘達はどうするのだ?」
家宗様の言う手下の娘達とは、黒ちゃんと白ちゃんの事だろう。
「それが、実は……」
「家宗殿。りょう殿が第一夫人で、頼華は第二夫人という事で、良太殿に娶って頂ける運びになったのです」
俺が言い淀んでいると、頼永様が説明をしてくれた。
(……俺にはおりょうさんと頼華ちゃんのどっちが、第一と第二とかって考えは無いんだけどなぁ)
そう口に出したかったが、二人の女性に同時に婚約を申し込んでいる時点で、言い訳にもならない。
「うむ! その心意気や良し! 強い者や持てる者が多くを養うのは自然の摂理である。励めよ鈴白」
「は……」
婚約を申し込んだ二人への責任は果たすつもりではあるのだが、励めと言われても肯定も否定も出来ないので、俺は短く、そして曖昧に返答しておいた。
「それにしても、余はこの場で頼華姫の出奔が事実であり、既に婚約済みと知ったのであるが、北条の大将の時頼殿は試合だけでは無く恋路まで、鈴白に手玉に取られておったのであるなぁ」
「手玉にってそんな、人聞きの悪い事を……」
頼華ちゃんとの婚約を頼永様と雫様に報告したのは昨日の話なので、北条の時頼が知らないのは当たり前で、手玉に取ったつもりなど無い。
試合に関しては最後の決着の仕方はともかく、自分では比較的穏便に済ませられたと思っていたのだが、家宗様にはそうは映っていなかったらしい。
「そういえば北条の頭領を連れ帰ったあの女性は、どなたなのですか?」
どうも俺の形勢が良くないので、少し場の雰囲気を変えるために、気になっていた人物の話を振った。
「あの女丈夫はな、先鋒で出た下田の地頭である清水という武人の妹御で、北条の頭領が姉と慕う幼馴染の縹殿であるな」
時頼と五歳以上は離れているように見えた女性の名は、縹さんというらしい。
「縹というのは藍色の別の呼び方でな。下田の生家の辺りに多く咲いている紫陽花の花の色から名付けられたそうだ」
「く、詳しいですね」
現代ならばともかく、江戸と下田では結構な距離があるのに、家宗様は縹さんのかなり詳しいパーソナルデータを知っていた。
「まあ自領周辺の、未婚の女性に関しては、な」
「……」
(この人最低だ!)
有力者同士の婚姻というのも、重要な政治手法だというのはわからなくも無いが、家宗様の場合は手を広げ過ぎだ。
(でも、俺もあんまり声を大にしては言えないんだけど……)
しかし、世間的に見ればおりょうさんのような美女と、頼華ちゃんのような美少女を嫁にしようという俺も、非難の対象にしたいと思う人はいるだろう。
「北条の頭領が頼華ちゃんに想いを寄せていたというのは、まあ美人なのでわからなくは無いんですけど」
「あ、兄上。急にどうされたのですか?」
俺の隣で食後のお茶を飲んでいた頼華ちゃんは、俺の言葉を聞いて顔を真赤にしながら袖を引いてきた。
「俺の目からすると、北条の頭領と縹さんって女性が、凄くお似合いに見えたんだよね」
「ああ、確かに。ただ縹殿はそうであっても、時頼殿の方はそういう意識があるのかどうか」
「ん? それってどういう事?」
時頼は十歳くらいだろうし、縹さんもせいぜい十代後半くらいの年齢だろうから、こういう言い方が適当なのかはわからないが、二人のやり取りを見ていて頭に浮かんだのは『夫婦漫才』という言葉だった。
「時頼殿と縹殿は姉弟のように過ごしてきたので、まだお互いを添い遂げる相手とは意識していないのでしょう。少なくとも時頼殿の方は確実に」
「あー……」
(成る程。近くにいて姉弟同然に過ごしていれば、お互いのプライバシーなんかも知ってたりするんだろうけど……あんな美人なのに、異性として意識するのは難しいのか?)
頼華ちゃんとは違うタイプだが縹さんも相当な美人なのに、他の領地の女性に女性に目が行ってしまうという時頼の感性は俺には謎だ。
「ふむ……そういう事であるなら、縹殿に側室の申し入れをするのは、控えた方が良さそうであるな」
「家宗殿……」
まだ側室を増やすつもりらしい家宗様の言葉を聞いて、頼永様が呆れている。
「そんな顔をされるな頼永殿。領主間の婚儀は平和の維持にも必要な事である。それに出奔された頼華姫は仕方が無いとしても、領内で娶られそうな縹殿や、当分は輿入れをしないと尾張の朔夜姫が言い出したのだから、他の外交手段を探らねばならんではないか」
「それはそうなのですが……」
(そうか……政略結婚の是非はともかくとして、俺は頼華ちゃんの輿入れという源家の外交手段の一つを、潰した事になるんだな)
こういう話を聞くと、自分はとんでもない相手に婚約を申し込んで、そして受け入れられれたのだと実感してしまう。
「話は変わるが、源側の頼永殿と鈴白以外の代表は、そち達であるな?」
「……」
「「「はい」」」
既に戦の勝敗は決しているので問題は無いだろうと俺が頷くと、ワルキューレ達は揃って家宗様に返事をした。
「ううむ。体型からして女武者だとは思っておったが、よもや中身がこのような外国の、それも美女とは恐れ入ったのぉ」
そう呟いた家宗様は、無遠慮にワルキューレ達をジロジロ見ている。
「美しいだけでは無く、戦いぶりも見事であったな」
「そうですね。改めて御礼をさせて頂きます」
「私からも」
頼永様と雫様が、ワルキューレ達に向けて深く頭を下げた。
「お言葉賜ります。ですが私は良太様に事前に教えて頂いた事を活かして、楽に戦わせて頂けただけですので」
「私もですね。良太様の斬撃と比べると、攻撃も回避も余裕を持って行えました」
「あたしは良太様に通用しなかった攻撃を試してみたんですけど、怖いくらいに相手に決まっちゃったんですけど」
「ははは……」
一度見た攻撃は通じない、なんて事は無いと思うのだが、剣術や居合対策のシミュレートをそのまま実戦に活かせるのだから、ワルキューレ達の身体能力や見切る技術などは人間離れしている。
そんな彼女達自身の能力で勝ったというのに、全部が俺の手柄みたいに言われても、乾いた笑いしか出なかった。
「鈴白の知り合いのようであるが、側室などでは無いのであるな?」
「はい。まだ側室にはなっておりません」
「ブリュンヒルドさん……」
ブリュンヒルドは微笑みを浮かべているので、一見すると冗談を言っているようにも見えるのだが、微妙に『まだ』の部分を強調していたように聞こえた。
「ふむ……お主らどうじゃ? 良ければ余の側室にだな」
「家宗殿!」
「どうされた、頼永殿?」
源家の戦の勝利に貢献したワルキューレへの物言いとして気になったのか、頼永様が声を大きくするが、家宗様はどこ吹く風だ。
「別に頼永殿の家臣との縁組などがある訳では無いのであろう?」
「家宗殿。この方達は良太殿のお連れですよ。あまり失礼な事を申されるのは……」
「む。鈴白よ、不味かったか?」
「俺は別に……彼女達を束縛する気はありませけど」
フレイヤ様からの命令で、ワルキューレ達は一時的に俺に従ってくれているのだが、主従関係というのとは違うと思っているので、誰と恋愛や婚姻をしようと自由だと思ってはいる。
「高貴な御方。私は良太様の手足となって働かねばなりませんので、勿体無いお話ではありますが御遠慮を」
「私もです」
家宗様の言っているのが冗談や社交辞令と感じているのか、ブリュンヒルドとロスヴァイセは穏やかな笑顔を浮かべながら答えた。
「あたしは別に、お相手をするくらいなら構いませんよ」
「「オルトリンデ!」」
「ひゃっ!?」
軽く返事をしたオルトリンデを、ブリュンヒルドとロスヴァイセが怒鳴りつけた。
「あなたは……良太様のお申し付けで働くという、最重要任務を忘れたのですか!」
「そ、そういう訳じゃ……でも、身重になるのは困りますけど、ちょっとお相手をする程度ならば大丈夫なのでは?」
「む……」
(ちょっとお相手っていうのは……いいのかな? この辺は地域性の問題か)
オルトリンデに言われてブリュンヒルドが言葉に詰まったところを見ると、妊娠して行動が制限されるのは駄目だが、お相手……夜を共にするくらいは特に問題は無いらしい。
俺は日本人的に貞操観念とかを考えてしまうが、ワルキューレ達がそういう方面がおおらかだとしても、自分が巻き込まれたりしないのであれば、特に咎めたりする気は無い。
「……まあ、高貴な方からのお情けを頂くというのは良いとしてですね」
(良いんだ!?)
ブリュンヒルドがはっきりと口に出した。
「ですがオルトリンデ。貴方は私の配下であり、そして私は良太様の配下の身です。それを忘れて勝手に返事をするなどと……」
「も、申し訳ありません!」
家宗様の相手をするという事に駄目出しをしない上で、ブリュンヒルドが怒鳴った理由を説明したので、オルトリンデも納得をしたのか、立ち上がって頭を下げた。
「え、えっと……江戸の頭領様。そういう訳ですので、良太様の許可が得られれば」
「む。そうであるか」
手広く声を掛けているみたいだが、家宗様には無理強いをする気は無いのか、オルトリンデの返事を聞いても反応があっさりしている。
「俺も常時働いて貰おうとは思っていませんので、そういう時間にオルトリンデさんがどう過ごされるのかまでは、干渉する気はありませんから」
社会勉強の一環として子供達をローテーションで、京の笹蟹屋と里を行ったり来たりしているのだが、九人のワルキューレと天が常駐する事になったので、面倒を見られる大人の数が増えた。
京での子供達の監督役と里での様々な仕事、その他に連絡などで動く者の数を考えてもまだ余裕があるので、心身のリフレッシュの為に、交代で休みを取るようにしようとは考えていた。
だからオルトリンデが割り当てられた自分の休みの日に、何をしようと自由だ。
「だそうですよ、頭領様」
「うむ。では気長に待つとするかな」
初対面なのにオルトリンデと家宗様は、妙に気が合っているように見える。
「ところで話は変わるが、鈴白よ」
「はい?」
側室とかに関しての話は終わったのだが、家宗様にはまだ何かあるらしい。
「北条の頭領の時頼殿の使っていた太刀、な」
「あれが何か?」
目利きという訳では無いので、戦っている最中には立派な拵えだなくらいにしか思っていなかったが、まさか天下五剣の一振りである鬼丸国綱だとは思わなかった。
しかし考えてみれば、源家にも伝来の太刀である薄緑などが所蔵されていたのだから、北条の領主が名のある太刀や刀を持っていたのは当然なのかもしれない。
「縹殿があの太刀、鬼丸国綱に相応しい額を積むと申していたが」
「そうでしたね」
「恐らくは金貨で百枚くらいにはなると思うぞ」
「……は?」
俺は一瞬、家宗様が何を言っているのか、理解が出来なかった。




