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手押しポンプ

 元々目立つ格好はしていないんだが、念の為に俺も緑色の方の外套を羽織ってから、頼華ちゃんを抱えて外に出た。


「兄上、重くはないですか?」


 自分の足で歩かない事を少し気にしているのか、抱えられている頼華ちゃんが俺の顔を覗き込みながら尋ねてきた。


「全然。頼華ちゃんは良く食べるから、もっと重いのかと思ってたよ」

「っ! あ、明日からは食事を減らします!」


 もしかして地雷を踏んでしまったかね? まだ幼いが女性である頼華ちゃんには、やはり体重に関する話題はタブーだったか。


「ごめんごめん。頼華ちゃんは良く働いてくれてるし、まだ育ち盛りなんだから、いっぱい食べないとダメだよ」

「むー……余も母上や姉上のように、女性らしい身体になれるでしょうか?」


 む、難しい質問だな。似ている親子が、確実に姿形を受け継ぐ訳でも無いからな。


「確約は出来ないけど、頼華ちゃんは素敵な女性に成長すると思うよ。今だって十分に綺麗だし」


 間近で見る、母親の雫さん似の頼華ちゃんの顔は、繊細なガラス細工にように綺麗だ。この見た目からは、豪快に御飯を食べたり、長大な太刀を振るったりする姿は想像出来ない。物凄いギャップを感じて、思わず笑いが出てしまう。


「なっ! 兄上がお笑いになるという事は、余の顔はやっぱりおかしいのですね!?」

「ああ、いや、そうじゃなくてね。若武者風の姿も、こっちに来てからの着物姿も、本当に可愛いなと思ってるよ」

「……本当ですか?」


 思いっきり疑わしそうな顔で、頼華ちゃんが訊いてくる。


「本当に、そう思ってるよ」

「ならばいいのです!」


 にっこり笑った頼華ちゃんは、俺の頭に抱きついてきた。


「ちょっと頼華ちゃん。前が見えないよ」

「兄上なら大丈夫です!」


(やれやれ……)


 意味は良くわからないが、頼華ちゃんが自信満々にそう言い切るので、俺は苦笑しながら歩き続けた。



 竹林庵の前に辿り着いた。店の入口は既に閉ざさているが、俺と頼華ちゃんが二階を見上げると、開けられたままの窓からは、まだ灯りが漏れている。


(うーん……閉じてる入り口から入るのも不味い気がするなぁ。中が落ち着いているとも限らないし)


「頼華ちゃん、直接二階に行くよ」

「わかりました兄上。では失礼しまして、余が先に!」


 小声で囁いた俺の意図を察した頼華ちゃんは、殆ど予備動作無しに俺の肩をひと蹴りすると、二階の窓の下のひさしに飛び上がり、ふわりと音も無く着地した。


 周囲が暗いのと、外套のカモフラージュ能力、そして頼華ちゃん自身が意図的に気配を消しているので、最初からそこにいるとわかっていなければ、存在を見失ってしまいそうになる。


「よっ……と」


 口の中で一声勢いをつけて、俺もひさしの上に飛び上がった。後ろから頼華ちゃんに覆いかぶさるような体勢だ。


「……」

「……」


 目配せと指差しの動作で、俺と頼華ちゃんは窓の縁に手を掛けて、そろそろと頭の位置を上げていく。そして見た部屋の中では、おりょうさんと胡蝶さんが、ぐったりと横たわっている。着物は物凄い乱れ方だが、辛うじて脱げたりはしていない。


 履いていた草鞋を脱いで仕舞い、窓枠に手を掛けて身体を支えながら、俺は足音を立てないようにして座敷の中へ入った。


「あ、兄上……」

「……」


 心配になって声を上げる頼華ちゃんの口を指で制して、俺は倒れている二人の腕を取り、容態を見る。


(脈は……まあ平常か。全身が汗ばんでいるけど、体温もほぼ平熱くらいだろう)


 念の為、目を凝らして(エーテル)の状態も見たが、頼華ちゃんのように赤い揺らぎは無いみたいだ。媚薬としてのチョコの効果は、時間経過で切れたのだろう。


「大丈夫みたいだ。多分だけど、疲れて眠っちゃってるだけみたいだね」

「そう、ですか……」


 かなり心配だったのだろう。俺の言葉を聞いて力が抜けたように、頼華ちゃんが畳にへたり込む。


(それにしても、色々とひどい状況だな……)


 落ち着いて見回した座敷は、お茶の急須や湯呑はひっくり返ってるし、食べ残ったチョコが罐からこぼれて散乱していたりする。はっきり言って惨状だ。


「このままじゃ風邪をひいちゃうから、布団に寝かせよう。頼華ちゃん、手伝って」

「はい」


 頼華ちゃんと胡蝶さんが使っている隣の座敷に布団を敷いてから、俺がおりょうさん、頼華ちゃんが胡蝶さんを運んだ。


 寝間着に着替えさせるのは難しいので、着物を脱がせて襦袢だけの姿にし、顔や首周りを濡らした手拭いで簡単に拭いてから、掛け布団を被せた。


「「はぁー……」」


 肉体的な負担は特に感じなかったが、終わって部屋を出た時には、隣りにいた頼華ちゃんと共に大きな溜め息が出た。


「はい、お茶どうぞ」

「ありがとうございます」


 台風が過ぎ去ったのかと思えるような、荒れた座敷を片付けてからお茶を淹れると、やっと心身共に落ち着いた気がする。


「色々あったし、夕食から時間が経ったから小腹が減ったでしょ?」


 俺は作り置きしてあった豆乳プリンを取り出した。


「頂きます! あ……」


 既に夜も更けて、隣で寝ている人間がいるのも忘れて、プリンを見た頼華ちゃんは目を輝かせて声を上げてしまったが、次の瞬間には自分の行為を後悔して俯いてしまった。


「大丈夫だよ。ほら、食べよう?」

「はい……」


 頼華ちゃんを慰めながらプリンの器を手渡した。俺も自分の分を取り出す。


「うん、旨い。はい、残りは頼華ちゃんにあげる」


 精神的に疲れている時に、甘い物は実に心を落ち着かせてくれるな……でも、俺には二口目はいらない感じだ。


「いいのですか?」

「うん。遠慮せずにどうぞ」

「はい!」


 すぐ隣りにいるので、元気な返事ながらも頼華ちゃんの声は抑え目の物だ。ちゃんと反省を生かしている。


「御馳走様でした」

「うん。じゃあ大分遅くなったし、寝ようか」


 いつもの就寝時間を大幅に過ぎているので、いざとなったら睡眠不要の俺はともかく、頼華ちゃんにはそろそろ厳しいだろう。


「あの、兄上」

「ん?」


 プリンの器を両手で持ったまま、頼華ちゃんは立ち上がろうとせずに、なんだかもじもじしている。


「あの……こ、こっちの部屋で、寝てはいけませんか?」

「……え?」


 一瞬、言葉の意味がわからなかった。頼華ちゃんは俺の様子を窺うように、チラチラと視線を送ってくる。


(うーん……いいの、かな?)


「今夜は色々あったし、まあいいか」

「本当ですか!? あ……」


 また大きな声を出してしまい、頼華ちゃんが恥じ入ったように顔を真赤にして俯く。その姿を見て、俺は苦笑するしか無い。


「じゃあ寝る準備だ。布団はこの部屋にも二組あったはずだし……頼華ちゃん、寝間着に着替えておいで」

「出来ません」

「……へ?」

「胡蝶が寝ております」

「あー……」


 安請け合いしたツケが、早速返ってきた。入浴もだけでなく着替えも、頼華ちゃん一人では出来ないのか……。


「と、とりあえず、寝間着を取ってきて」

「はい」


 隣の部屋に頼華ちゃんが歩き去る姿を見送り、俺はがっくりと項垂れた。


(まあ、仕方ないか。風呂の面倒もみたし、もう着替えくらいなんでもない……よね?)


 心の中で自分に言い訳をしながら、俺は布団を敷いて枕を並べた。寝間着を取りに行っただけなので、頼華ちゃんはすぐに戻ってきた。


「あの……お、お願いします」

「う、うん……」


 俺に寝巻きを手渡した頼華ちゃんは、恥ずかしそうに背中を向けて外套を脱ぎ、床に落とした。暗い中でも眩い程だった裸身は、ちゃんとした灯りの下では輝くようだ。


「……」

「あ、兄上……見られるのは嫌ではないですけど……」

「はっ!? ご、ごめん!」


 思わず見惚れてしまっていた俺は慌てて近づくと、渡されていた寝間着を頼華ちゃんに羽織らせた。


「えーっと……こんな感じでいいのかな?」


 普段着よりは簡単とは言え、ちゃんとした着付けの仕方は知らないので、帯の締め方なんかはかなり適当だ。まあ寝ている間に脱げない程度にはなっているだろう。


「それじゃ寝ようか」


 睡眠不要な身体の筈なのだが、今日一日で物凄く精神力を削られた気がして、俺は一刻も早く寝っ転がって意識を手放したくなっている。


「……あの、兄上」

「な、何かな?」


 頼華ちゃんが、思い詰めたような表情で俺を見てくる。


「……い、一緒に寝てはもらえませんか?」

「っ!」


 ある程度予想出来た頼華ちゃんの申し出だったが、言葉にされて耳に入ってくると、思わず息を呑んでしまった。


(良くはないんだろうけど、今日は本当に色々あったからなぁ……)


 自分の行動に落ち込んで、しおらしくなった姿なんかを見てしまったので、突き放してしまうのはどうにも心苦しく感じる。


(それに、これは我儘を言っているんじゃなくて、不安なんだろう)


 頼華ちゃんは源の中でも屈指の実力を持つ武者だが、チョコのせいで前後不覚に陥り、行動が自分の思い通りにならなかった……数えで十一歳にしかならない少女は、不安に押し潰されそうなのだろう。


「ふぅ……いいよ。おいで」

「っ! あ、有難うございます」


 先に布団に入り、小さく溜め息をついてから掛け布団を捲ると、頼華ちゃんはまるで花が咲くような笑顔になり、枕を抱えて近づいてきた。


「し、失礼します……」


 笑顔になった頼華ちゃんだったが、いざ跪いて布団に入るという時になると、真っ赤になって躊躇している。良く見れば、小刻みに身体が震えていた。


「うりゃ!」

「ひゃっ!?」


 埒が明かないというよりは、俺が緊張感に堪えきれなくなって、半ば照れ隠しで頼華ちゃんを抱き寄せて、そのまま布団の中に引っ張り込んだのだが、予期していた抵抗は無かった。


「あ、兄上……」

「寝るよ。消えろ」


 頼華ちゃんが何か言おうとしたが、俺は意図的に無視して明かりを消した。


 抱え込む時に右腕が腕枕になるような、頭の下に回す格好になってしまったので、左手で掛け布団を引っ張り上げて寝る姿勢を作った。


「あの……」

「おやすみ。頼華ちゃん」


 まだ何か言いたそうな頼華ちゃんを軽く抱きしめたまま、暫くの間目を閉じてじっとしていると、俺がこれ以上何もしないと悟ったのか、腕の中の身体から少しずつ緊張が解けていった。


 やがて、規則正しい安らかな寝息が聞こえてきたので、俺も頼華ちゃんの温もりを腕の中に感じながら眠りに落ちた。



「「っ!?」」


 翌朝。物凄い殺気を感じた俺は、一挙動で窓の方へ飛び退り、警戒態勢を取った。隣には、まったく同じ行動を取った頼華ちゃんの姿がある。


「良太……」


 今も放たれている濃密な殺気の主は……おりょうさんだった。


「お、おりょうさん!? あの……」

「おお、姉上でしたか。おはようございます」

「……」

「おはようございます。お華様、良太さん」


 無言で殺気を放ったままのおりょうさんの背後から、胡蝶さんがいつもの調子で朝の挨拶をしてきた。


「……昨晩は、お華様がお世話になったようで」


 胡蝶さんが、チラチラと、俺と頼華ちゃんに視線を送ってくる。


「うむ! 昨日は兄上には大変迷惑をお掛けしてしまった。だが最後には(襲ってしまいそうになったところを)兄上に組み伏せられ、(汚れてしまったので風呂で)隅々まで面倒を見てもらったぞ!」

「くっ、組み伏せられて、最後まで面倒!?」

「ちょ! お華ちゃん、色々言葉が足りてないよ!?」


 意図して重要な部分を隠蔽しているんじゃないのかと思えるような、頼華ちゃんから断片的に伝えられた情報を聞いて、おりょうさんの目が吊り上がっていく。放たれている殺気は、この間退治した熊の比ではない。


「そういえば今朝のお華様は、何かお肌の色艶も宜しいようにお見受けしますが」

「おお、気づいたかお蝶! そうなのだ。兄上に隅々まで丁寧に磨き上げて頂いて、まるで生まれ変わったようになったぞ!」


(やめてぇ! もう俺のSAN値はゼロよぉ!)


 頼華ちゃんは嘘はこれっぽっちも言っていないのだが、どうにも舌足らずなので、何が起きたのかを正確に伝えられていない。


「良太……」

「ちょちょちょ……ちょっと、おりょうさん、落ち着いて! 俺が詳しく説明しますから」

「うふふ……お華ちゃんの身体がどうだったか、詳しく説明してくれるのかい?」

「いや、そうじゃなくてですね……」

「そんな詳しくなんて、恥ずかしい……」


 ポッと頬を染める頼華ちゃんが、なんとも可愛い……って、現実逃避している場合じゃ無い!


「ああもう! 全員、ここに正座!」

「「「!」」」


 もしかしたら、無意識に発声に(エーテル)を込めてしまったのか、ビクッと大きく身体を震わせた三人は、命令に従って俺の前に正座した。


「……大きな声を出してすいません。それと予め言っておきますが、昨夜の件は俺の責任です。申し訳ありませんでした」


 三人の前に膝を付き、俺は頭を下げた。土下座だ。


「あの、良太、その辺で……」

「そうです兄上!」

「あの、良太さん、どうかお手を上げて……」


 済まなそうに言ってくる三人の声を聞いて、俺は頭を上げた。


「有難うございます。じゃあ掻い摘んで、昨夜の事を説明しますので」

「「「……」」」


 三人が頷いたのを確認して、俺は昨夜の事を少しずつ話しだした。


「「「……」」」


 全部なのか断片的になのかは本人にしかわからないないが、俺が語る内容で自分のした事を思い出したようで、三人三様に顔を真紅に染めながら、もじもじと身悶えしている。


「それで、ここを出てからの事ですが。着物もボロボロで汚れちゃったお華ちゃんを、嘉兵衛さんの店で洗ってあげただけです」

「そうだったのかい……あの、迷惑掛けたね」

「本当に、お恥ずかしゅうございます……」


 おりょうさんと胡蝶さんが、絞り出すように謝罪の言葉を述べた。


「いえ。最初に言った通り、俺のお土産のせいですから。でも、あれって本当にただのお菓子なんですよ」


 一応、最後に言い訳をさせてもらった。まあ今までの行動で、俺が意図的に一服盛ったりしないのはわかってもらえるだろう。


「わかってるよ。その……今度食べるのは、二人っきりの時に、ね?」

「……は?」


 自分が乱れてしまった事はともかく、もしかしてチョコの味自体は、おりょうさんのお気に召したのだろうか?


「私は出来れば、自然な状態でお願いします!」

「あの……お華ちゃん、何言ってんの?」


 勿論、無理にチョコを食べさせる気は無いけど、自然な状態でお願いって……。


「良太さんに効かないのは残念ですね……」

「お蝶さんの言ってる事の方が残念ですよ!?」


 胡蝶さんはチョコの効果を何かに利用する気満々なんだろうか? 食べかけが残ってるけど、絶対にこの人には渡せないな。


「ところで良太。嘉兵衛さんの店で身体を洗ったってのは?」

「ああ。別に黙ってる気は無かったんですけど、店の改装の時に風呂場を造ってもらいまして。早速使う事になるとは思いませんでしたけど」

「それで、その風呂に何か仕掛けがあって、お華ちゃんのお肌がこんなに艶々になっているのかい?」

「風呂に仕掛けは無いんですけど……それはですね」


 俺はドランさんの萬屋で手に入れた石鹸を取り出し、鯨と戦った後で汚れが落ち難かったから買っておいたと説明をした。


「その石鹸とかいうのを使うと、身体や髪の毛が綺麗になるんだね?」

「それは興味深いお話ですね……」


 予想以上に、おりょうさんと胡蝶さんが食いついてくる。女性の美への探求心は強いみたいだな。


「うーん……あんまり汚れを落とし過ぎるのも、それはそれで問題なんですよね。髪の毛は洗った後に手入れしないといけませんし」

「そうですね。髪の毛は石鹸で洗った直後は、キシキシしました」

「キシキシ?」


 頼華ちゃんの言葉に、おりょうさんが首を傾げる。


「石鹸の洗う力が強過ぎるんです。ですので、お酢を薄めた物を髪に馴染ませないと、極端に指や櫛の通りが悪くなるし、髪の毛自体が荒れちゃうんですよ」

「その辺をちゃんとしないとダメなんだね?」

「ええ」


 アルカリ性の石鹸を酸で中和するというのを理解出来ないと思ったので、少し実際とは違うが納得出来そうな感じにアレンジして説明した。


「石鹸自体はいっぱい買ってあるので、どんどん使ってもらって構わないんですけど、酷く脂なんかで汚れてしまった時以外は、髪の毛は後の手入れを必ずするという前提で、二日か三日に一度くらいの割合で石鹸を使って洗うのが良いと思います」

「今まで使った事の無い物だから、良太の言う事に従うよ」

「うう……そうなると、私は暫くの間、石鹸はお預けですか?」


 洗っている最中も洗った後も、凄く気持ちよさそうにしていた頼華ちゃんは、石鹸での洗浄が気に入ったようだ。


「鰻屋さんでは脂混じりの煙も浴びるだろうし、動けば汗もかくだろうから、そんなに我慢をしなくてもいいよ」

「そうなのですか?」

「うん。店がお休みの日とかだけ控えればいいんじゃないかな。肌や髪の毛の様子も見ながらだけどね」

「わかりました!」


 この辺は肌の質によっても違うだろうから、時折気にかければ大丈夫だろう。いざとなったら使用を控えて、(エーテル)で治療すればいい。


「それにしても、湯屋に行かずに風呂に入れるってのはありがたいね。うちの店にも造ったり出来るのかい?」

「うーん……」


 簡単に、嘉兵衛さんの店に設置した風呂場の、必要なスペースや床や壁の防水や排水の工事、水の供給なんかに関しての説明をした。


「そっか。ここだと風呂桶の置き場所から考えないといけないね。それに良太の言う通り、風呂桶を水で満たすのも大変だ」


 風呂好きなおりょうさんは、ちょっとがっかりした表情をしている。


「給水に関しては、ポンプを扱っている店が無いかを探してみます」

「風呂はともかく、そのポンプってのがあるだけでも便利だね」

「ええ」


 ドランさんの店で、扱っている店がわかればいいけど。勿論、現物の取扱いがあるのが一番だが。


「とりあえず石鹸を、みんなに一つずつ渡しておきますね。でも肌が荒れたりしたら、すぐに使うのはやめて下さい」


 俺は三人に、石鹸を一つずつ配り、髪の毛を洗った時のケアの仕方を説明しておく。


「念の為に言っておきますけど、泡が凄く出るので、湯屋では使わない方が無難ですよ」

「ああ、他の利用客が驚いちまうかもしれないね」

「そうですね。わかりました」

「それと、頼華ちゃんにはこれを」

「なんですか、兄上?」


 俺は不動明王の権能を付与した金貨を取り出して、頼華ちゃんに手渡した。


「頼華ちゃん、闘気(エーテル)はある程度自由に使えるよね?」

「はい。攻撃と防御、用いる量の調整くらいは出来ます」

「じゃあ使い方を教えるから」


 俺は金貨に(エーテル)を込めて、温度調整と持続時間が出来る事を説明した。


「加減の仕方が難しかったら、最初は水の少ない状態で温度を上げて、後から水を追加して丁度良くなるようにすればいいと思うよ」

「うーん……難しそうですが、なんとかやってみます!」


 これがゲームだったら、一度の温度上昇にMP一ポイント、持続一分に一ポイント、みたいな説明が出来るんだが、中々伝えるのが難しい。でも使い方を覚えてもらわないと、俺がいないと風呂が沸かせないなんて事になってしまう。


「風呂を沸かす道具が金貨ってのは、なんとも豪勢だねぇ」

「でも、錆びないので便利ですよ」

「……良太は本当に、面白い金の使い方をするねぇ」


 くっくっくと、おりょうさんが喉を鳴らすような笑いを漏らす。なんかそんなに変な事を言ったかな?



 朝食後にみんなで嘉兵衛さんの店に行って、今日も開店準備や料理の試作を行った後、風呂場の説明をしてから早めの解散になった。俺はポンプの件の相談に萬屋に。女性陣は頼華ちゃんの着物の買い出しだ。


「こんにちは」

「おや鈴白さん、いらっしゃい」


 帳面を捲っていたドランさんが、顔を上げて迎えてくれた。


「お顔の色が優れないようですが、何かありましたか?」

「わかりますか? 実は……」


 俺は頂いたチョコの件と、早速出番があって好評だった石鹸の事を簡単に説明した。


「ははは。それは災難でしたね。そうか、この国の方にショコラーデ(チョコレート)は刺激が強かったようですな」

「笑い事じゃないんですけどね……」

「これは失礼。では今日は、これをお土産にどうぞ」


 ドランさんは金属の蓋がついた、容積で言えば五百ミリリットルくらいのガラス瓶を俺に手渡した。中には色とりどりの、ところどころに小さな突起のついた丸い塊がいっぱい詰まっている。


「これは金平糖ですね?」

「ご存知ですか? ええ。金平糖(コンフェイト)です」


 江戸期くらいで舶来菓子の定番といえば金平糖か。とは言え、かなり高価な部類だろう。


「チョコレートもですけど、高価な物をこんなに頂いちゃっていいんですか?」

「構いませんよ。近所の子供に配るくらいしか使い途がないので。お得意様が喜んでくれるなら、かなり有意義でしょう」

「ありがとうございます。なら、遠慮無く……」


 金平糖は核に芥子の実を使った砂糖の塊なので、昨日の夜みたいな事は起きないだろう。俺は礼を言って金平糖の入った瓶を仕舞った。


「ところで、ちょっとドランさんに相談なんですが……」

「ほう。それはどのような?」


 俺は手押しポンプの取り扱いがあるか、ドランさんに訊いてみた。


「ふむ。うちで使ってはいるんですが、商品としての取り扱いは無いんですよね」

「お使いなんですか?」

「ええ。過去に扱おうとしたんですが、この国は水源に恵まれているからか、あまり反応が芳しくなかったので、数個販売した時点で新規に仕入れなくなりました」

「そうですか……」


 扱ったという事は仕入れられるんだろうけど、これから新規に注文しても、海外からの事だし、納入までにどれくらい掛かるのか……下手をしたら、入荷する時には俺は江戸にいない可能性も無い訳ではない。


「うちには在庫はありませんが、他所にはあるかもしれませんよ」

「扱っているところをご存知なんですか?」

「確約は出来ませんが……先日、薬研堀の薬種問屋のお話をしたのを覚えてらっしゃいますか?」

「薬研堀? ええ。教えて頂いた日に買い物に行きました」


 薬種問屋の集まっている薬研堀と手押しポンプとの因果関係が不明なので、俺はドランさんが話を続けてくれるのを待った。


「それは素早い行動ですね。その薬研堀の長崎屋さんなら、あるいは……」

「長崎屋さん!? あの、俺が買い物をしたのが、その長崎屋さんですけど」

「なら話は早い。長崎屋さんは薬種問屋であるのと同時に、江戸湾に訪れた外国からの賓客のための宿を営んでおります」


 要するに、長崎屋さんは迎賓館のような場所なのか。だとしたら外国からの交易品の流れはわかるかもしれないな。


「いい情報をありがとうございます。早速行ってみます」

「あ、鈴白さん、その前に……」

「何か?」


 店を出ようとした俺は、ドランさんに静止された。


「お忘れですか? 御自分で御注文された物があったのを」

「あ……」


 ドランさんが笑いながら、俺の依頼品を閉じた帳簿の上に載せた。


「どうでしょう。お考え通りの物に出来上がっていますか?」

「ちょっと付けてみても?」

「勿論です」

「では……」


 俺は服の上から依頼品、鵺の革から作ったベルトを腰に巻き、金具に通して穴の位置を合わせた。


「サイズは問題無さそうですね」

「ええ」


 一度ベルトを外し、もう一つ製作を依頼していた、一見すると拳銃のホルスターのような形状の物のループにベルトを通し、再び付け直した。


「ウィップホルダーという物を参考に作りましたが、如何ですか?」

「ほぼ理想通りになってます」

 

(ウィップと言うと鞭か。西部劇なんかで腰に束ねた鞭を付けてるけど、もしかしてあれがウィップホルダーって物なのかな?)


 俺は正恒さんに作ってもらった鎖付きの刃物を取り出し、ウィップホルダーならぬチェーンホルダーの、ベルトと同じ構造になっているバックルの部分を外すと、鎖部分を束ねて刃物と棒状の持ち手の部分をホルダーに差し込んでから閉じた。


「あとはこれですね」


 最後にドランさんから受け取ったのは、これもベルトループで左腰に装着する、完成を待っている「巴」のためのホルダーだ。着物ならば帯に通せば良いのだが、作務衣の時でも装着出来るようにと考えて作ってもらったのだ。


「変わっていますが鵺の革は悪くない素材だったので、無駄なく使えて私としてもホッとしました」

「変な依頼ばっかりしてすいません」

「いえいえ。非常にやり甲斐のある依頼でしたよ」


 一度ベルトその他を収納してから、笑顔のドランさんに事前に言われていた製作代金を支払って店を出た。



 萬屋を出た足で、俺は薬研堀の長崎屋へ向かった。


「これはこれは鈴白様。ようこそおいで下さいました」


 この前買い物をした時に、店主の長崎屋さんと一緒に相手をしてくれた番頭さんが、にこやかに俺を迎えてくれた。多分だけど、変な客だったので覚えてくれているんだろう。


「すいません、今日は薬剤じゃない物の相談で伺ったんですが」

「ほう? 詳しく御説明して下さいますか」


 俺は手押しポンプが必要で取り扱いがないかを訊きに来たという事と、萬屋のドランさんから長崎屋の事を教えられたと説明した。


「そうでございますか……少々お待ち下さい。鈴白様にお茶を」

「畏まりました」


 番頭さんは店員の少年に指示すると、店の奥の方へ歩いていった。



 店員の少年がお茶のお代わりを淹れてくれて、それを飲み終わるくらいの時間が経って、番頭さんは店主の長崎屋さんの後ろについて戻ってきた。更に後ろに、二人で大きな箱を持った若い店員さんが続く。


「大変お待たせ致しまして」

「いえ。あの、それで……」


 若い店員さんが二人がかりで運んできた木箱が、俺の前に下ろされた。ゴトっと、重々しい音がした。


「御所望の品は、こちらで宜しいでしょうか?」


 長崎屋さんが木箱の蓋を開けると、中にはパッキン代わりだろうか、藁が敷き詰められていて、その中に金属製の手押しポンプが横たわっていた。


「ええ。ですがこれは……」


 確かに俺の希望の商品なのだが、おそらくは青銅製のポンプはかなり使い込まれていた物のようで、あちこちに緑錆が浮かんでいる。


「見ての通りですが新品ではございません。ですがこちらで宜しければ、どうぞお持ち帰り下さい」

「えっ!? あの、どういう事なのでしょう?」

「先日、お安く仕入れさせて頂いた竜涎香の、せめてものお礼です」


 長崎屋さんが言うには、ポンプの在庫はあるのだが、やはり金貨一枚はしてしまうらしい。


 ここに持ってきたのは現在長崎屋さんが屋敷で使っている物で、迎賓館に来た外国の商人が試供品にと持ち込んだ物だそうだ。


「当方では在庫にしていた物を使いますので、鈴白様のお役に立つようでしたら、どうぞお持ち下さい」

「いや、そんな……」


(試供品と商品を入れ替えたのなら、長崎屋さんには損は無いのだろうけど、儲けにもならないよなぁ……)


「あちこちで売り込もうとしたのですが、大きな初期投資が必要なのもあって全く動きのない商品でしてね。しかしうちでは既に手放せない道具ですので、鈴白様にお古を押し付けさせて下さい」

「……わかりました。有り難く頂戴します」


 色々と理由をこじつけているけど、これは長崎屋さんから俺への厚意だろう。これ以上固辞するのは逆に失礼だ。


「お礼については、またこちらを御利用させて頂くという事で」

「それは、大変結構なお話でございます」


 前回来店の時から生真面目そうな表情を崩さなかった長崎屋さんが、俺の言葉に笑顔を浮かべた。


(こりゃあ、なんとしてもまた買い物に来ないとな)


 恩義には恩義で報いたくなる。俺自身の買い物以外でも、長崎屋さんの事をあちこちで広めよう。まあ既に大店なんだけど。


「お世話になりました」

「どうぞ、またお越しください。それにしても先日も思ったのですが、鈴白様は力がお有りなんですね」

「えっ? え、ええ。まあ……」


 木箱を片手で持ち上げて肩に担いだ俺を見て、長崎屋さんが感心したように呟いた。二人がかりで木箱を持ってきた若い店員さん達は、信じられない物を見たって表情をしてるけど……。


「「毎度有難うございます」」


 今日も長崎屋さんと番頭さんの丁寧なお見送りがあった。前回と違って買い物もしていないので、心苦しい事この上ない。俺は走り出したい衝動を抑えながら、視線を感じなくなるまで早足で歩いた。



 ポンプ入りの木箱を腕輪に収納してから人気のない嘉兵衛さんの店に入り、階段下の地下室へ向かう。


「構造的には、そう難しくは無いな……」


 手押しハンドルを動かしたり、ポンプ本体をひっくり返したりしながら観察して、大体の寸法と構造を、メモ帳代わりの石盤に書き込んでいく。


「開閉する弁の構造だけは面倒そうだけど……正恒さんならなんとかしてくれるだろう」


 長崎屋さんから貰ったポンプはこの店に設置して使うつもりだが、あれば便利なので正恒さんに製作を依頼しようかと思っている。


 鍛冶には水も使うから、もしかしたら正恒さん自身が食いつくかもしれないし、鎌倉に行く機会があったら源家の方にも勧めてみようかと思う。


「えーっと、ここの井戸に設置するとなると、ポンプを載せる土台に、水面まで達するパイプか……」


(土台は井戸の上に板を渡せばいいけど、固定する必要はある。パイプは……まだプラとか塩ビなんか無いだろうし、金属は難しそうだから、経の合いそうな竹かな。嘉兵衛さんが店の内装を頼んだ大工さんとかに相談するのが良さそうか)


「どうせなら、もう少し便利に……」


 必要な物や、その手配を考えついたところで、一段階進めた物を考えついた。嘉兵衛さんが許してくれるかはわからないけど、相談だけはしてみよう。

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