打ち合わせと説明
「お糸ちゃん」
「はい?」
並んで朝食後の洗い物をしながら、俺はお糸ちゃんに話し掛けた。
「これからは食事の支度で出た、魚の頭とか野菜の切れ端とかを、新しく作った家畜小屋の猪にあげて欲しいんだ」
「えっ? あの、この間、裏に作った『こんぽすと』とかって物に入れないでもいいんですか?」
「あー……そうだったね。うん。傷んで駄目になっちゃってる物とかはコンポストの方で、それ以外は猪の餌に」
お糸ちゃんに言われて、堆肥を作る為に設置したコンポストの事を思い出しだのだが、どうしても必要かと言われるとそうでは無い。
今後は農家から分けて貰う米糠とか、秋になったらドングリなどの木ノ実も与えるつもりだが、基本的には俺達の食事から出る余り物がセーフリームニルの餌になるだろう。
(猪関連は……食べさせない方がいいだろうな)
猪は雑食なので、肉類も与えれば食べるとは思うのだが、そういう意識がセーフリームニルにあるのかは謎だが、出来れば同族を食べさせたくは無いので、与えるとしても魚や鳥や鹿の肉にしておこうと思う。
「よし、終わりだな。お糸ちゃん手伝いありがとう。みんなと遊んでおいで」
「はいっ!」
濡れた手を拭きながら、お糸ちゃんは厨房の外へ出ていった。
「お待たせしました」
「そうでも無いよ」
厨房に隣接している食堂には、おりょうさんを始めとする年長組が、湯呑を傾けながら待っていた。
待っていた皆も洗い物を手伝うと申し出てくれたのだが、厨房の流しのスペースの関係で、俺とお糸ちゃんの二人で行っていたのだ。
「それじゃあ、今日のこれからの予定ですけど」
「あ、良太。その事なんだけどね」
「何か不都合でも?」
俺と頼華ちゃんと一緒に鎌倉へ行く予定になっているおりょうさんが、挙手して発言を求めてきた。
「あたしは黒達と、江戸に行こうかと思ってねぇ」
「それは構いませんけど……何かあるんですか?」
おりょうさんに限ってまさかとは思うのだが、俺と婚約したというのを、頼華ちゃんと一緒に頼永様達に報告するのが嫌なのか、という考えが頭を過ぎった。
「うん。新しく覚えた蕎麦や天ぷらなんかの事を、竹林庵に教えに行こうかと思ってねぇ」
「あー……それは言ってましたねぇ」
向こうで食べた、こっちの世界にはまだ無い蕎麦や、蕎麦のタネになる天ぷらなどのレシピを、江戸の竹林庵に教えに行きたいと、おりょうさんが言っていたのを思い出した。
「そういう事なら、いいと思いますよ」
「そうかい? そいじゃ、ちっと行ってくるよ」
久々に店の人達と会えるからか、おりょうさんは嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃ黒ちゃんと白ちゃんとブルムさんと、おりょうさんが一緒に行動ですね」
「おう!」
「うむ」
「奴と会うのも久しぶりですなぁ」
江戸遠征組の面々は、それぞれが思いを馳せているようだ。
「これはブルムさんに、お願いした方が良さそうなんですけど……」
「私に何か?」
「戦乙女さん達の履いている靴が、普段使いには重厚過ぎるので、もう少し簡単に履ける物と、後は……室内履きみたいな物があれば、それを人数分調達出来ればと考えているんですが」
特に機能性やデザインを求めている訳では無いので、ワルキューレ達が脱いだり履いたりが楽なローファーみたいな物や、スリッパやサンダルなどがあれば便利だと思っている。
少なくともいま履いているようなロングブーツでは、入浴の行き帰りにも支障をきたすだろう。
「成る程……もしも奴の店で扱いが無いようでしたら、材料を買ってきて私と奴とで作りましょう」
「えっ!? ブルムさんとドランさんって、そんな事まで出来るんですか?」
「ははは。必要に迫られて、色々と身に付いたんですよ」
「はぁ……」
江戸のドランさんは革製品を扱っているので、そういう技術も習得しているのかとも思うが、同じ商人でもブルムさんは系統が違うと考えていたのでちょっと驚いた。
「それじゃ、藤沢から鎌倉へは、俺と頼華ちゃんとロスヴァイセさんが……」
「ちょ、ちょっとお待ち下さい! 何故ロスヴァイセが良太様に同行を!?」
藤沢、鎌倉遠征組の確認をしていると、様々な感情を現しながらブリュンヒルドが問い詰めてきた。
「経由する藤沢には俺の鍛冶の師匠が住んでいるんですけど、ロスヴァイセさんが興味があるので、話を聞きたいって事なんですよ」
「むぅ……そういう事ですか」
そういった方面にロスヴァイセが興味があるのは、ワルキューレ達の間では周知されているのか、不承不承ではあるが説明を聞くと、ブリュンヒルドも納得したようだ。
「で、では私も良太様と御一緒に……」
「兄上。放置しておくと何をしでかすかわかりませんので、おるとりんでを同行させてはどうかと思うのですが」
控えめな風を装って、鎌倉遠征組に同行を申し出ようとしていたブリュンヒルドの言葉を、無情にも頼華ちゃんが遮った。
「俺は構わないけど……」
「あたしは喜んでお供させて頂きます」
「……くっ」
朝の一件があったからか、オルトリンデは表情も口調も崩さずに俺達に頭を下げた。
オルトリンデが断っていればわからないが、部下思いらしいブリュンヒルドは悔しそうに唇を噛みながらも、異論を差し挟む気は無さそうだ。
「それじゃあ、藤沢と鎌倉へ行くのは、俺と頼華ちゃんとロスヴァイセさんとオルトリンデさんは確定だね」
「「「はい」」」
「あの、良ければ夕霧さんも同行しますか?」
確定メンバーが返事をしたところで、鎌倉の源家に雇われていた夕霧さんに声を掛けた。
源家はかつての夕霧さんの雇い主であり、同僚だった胡蝶さんは今でも鎌倉で働いている。
「うーん……行きたくない訳じゃ無いんですけどぉ、あたしまでここを離れちゃうとぉ、小さい子達に馴染みの薄い人達ばかりになっちゃうのが気になるんですよねぇ」
「あー……それはそうかもしれませんね」
(これは配慮が足りなかったな……)
言われてみれば江戸と鎌倉に向かう者達が不在になると、夕霧さん以外には客として招かれている、天とロスヴァイセとオルトリンデを除くワルキューレ達しか、年長者がいなくなってしまうのだ。
「すいません。夕霧さんにはまた今度、江戸でも鎌倉でも行く機会を作りますので、今回は我慢して頂くって事でいいですか?」
「いいんですよぉ。あたしは良太さんのお役に立てるんでしたらぁ」
夕霧さんは全く屈託を感じさせない笑顔を、俺に向けてくる。
「それでは貴方様。わたくし達は一度、山を下って京に戻りまして、お約束の鶉を仕入れて参りますね」
「あ、それは助かります」
夕霧さんが残る事を表明したからか、一時的にではあるようだが天も外出する事を告げてきた。
すぐに里の食事状に繋がる訳では無いのだが、住民の数が増えたので鶉の飼育も始められるのは有り難い。
「あの、天さん」
「はい?」
「すぐにでは無くて構わないんですけど、良ければ将来的にこの里に移住しませんか?」
「……え?」
そんなに理解し難い事を言ったつもりは無いのだが、天からのリアクションには結構な間があった。
「も、もしや、やっとわたくしをお嫁さんにして下さる気に!?」
巨大と言っても差し支えのない胸を激しく揺らしながら、立ち上がった天が鼻息も荒く俺を問い詰めてくる。
「そうじゃ無くてですね……もう京も安全だとは思いますけど、ここなら仮に天さんが不在の時でも、他の子達が安心出来ますよね?」
「あ……」
京の結界は破壊されているので、再び天と眷属の狐達が分断されるという事は無くなると思うのだが、伏見稲荷脇の茶屋は連絡先としては便利でも、認識阻害を使っていても安全性に関しては万全とは言えないだろう。
「志乃……」
「……」
天に呼び掛けられた志乃ちゃんは、微笑みながら小さく頷いた。
「それでは良太様。お言葉に甘えまして眷属共々、この里でお世話にならせて頂きます」
「わかりました。こちらから望むのは里の中の畑などの作業や、建物の掃除や維持をする為の人手です」
これは一応の条件として提示してみたが、実際には畑も大規模な物では無いので、収穫時の手伝い以外はのんびりして貰うつもりだ。
「あの……少しは食い扶持を入れさせて頂くつもりですが?」
「う、うーん……有り難い話なんですけど、額をどれくらいにすればいいのか見当がつかないんですよね」
見た目は完全に欧米系の天を始めとする狐の妖達は、燃費がいいのか一般的な女性や子供と同じ程度の食事量なので、従来の里の住人とワルキューレ達の分として作る料理の誤差の範囲で賄える程度なのだ。
(貰えるのなら有り難いけど、無くても全く問題にならないんだよな……)
俺達が里の存在を知ってから、生活に必要な物や食料などで支出はかなりの額になるのだが、今後は蜘蛛の糸の製品や源平碁などが収入として見込めるので、徐々に黒字に転換していくだろう。
「住む場所の方は昨日の夜に使った部屋を、そのまま継続って事で大丈夫ですか? なんなら新しい建物を……」
「そ、そこまで甘える訳には……昨晩の部屋を使わせて頂ければ、それで結構でございます」
「わかりました。小さい子達が個室が欲しくなったら、まだ空きがあるので言って下さい」
最終的に天の眷属の内の何人が里に移住するのかはわからないが、里の子供達の寮の方にもまだ空き部屋はあるし、それ程大きな規模で無ければ拡張したスペースに新規に建設も出来るので、特に問題は無いだろう。
「ところで主殿。少し尋ねたいのだが」
「ん? 何かある?」
話が一段落したところで、やや遠慮気味に白ちゃんが訊いてきた。
「昨日から主殿と姐さんと頼華、それに戦乙女の連中との会話の中や、御相伴に預かった酒などのついて、少し違和感があるように思えてな」
「「「っ!」」」
声を出すのはなんとか我慢出来たのだが、白ちゃんの質問に心当たりのある者は、揃って息を呑んだ。
「……この場にいる人達には、説明しておいた方が良さそうだね」
「良太っ!?」
「兄上っ!?」
「変に隠すのも心苦しいから……」
おりょうさんと頼華ちゃんの顔色が目に見えて変わったが、公言して回る事でも無いのだが、親しい人達に隠しているのもどうかと自分では思っていたので、この際なので打ち明ける事にした。
後で鎌倉に出向いた際にも、頼永様と雫様には打ち明ける予定だったので、少しくらい話す相手が増えたところで変わりは無い。
「実は俺は……この世界で生まれた存在じゃ無いんですよ」
「「「えっ!?」」」
既に事情を知っているおりょうさんと頼華ちゃんとワルキューレ達以外のこの場にいる人達から、一様に驚きの声が上がった。
「で、では鈴白さんは、黒殿や白殿のような?」
「えっと……別の世界から来たのは間違い無いんですけど、黒ちゃんと白ちゃんとはまた別の場所から来ました。それと一応は人間です」
別に黒ちゃんと白ちゃんを差別する気は無いのだが、人間離れしているとか言われる事が増えているので念の為だ。
「ではこちらの……どう見てもこの世の方では無い皆様と同じ場所から?」
「それも違うんです」
遍歴の商人であるブルムさんには普通人との気が見えるのか、ワルキューレ達を外国人では無く人外の存在だと見抜いているようだ。
「む? 失礼ながら、天殿とこちらの方々は、知り合いでは無かったのですか?」
「あ! そ、そういえば、おりょうさんが酒を振る舞った席にロスヴァイセさんがいましたけど、ちゃんと紹介はしていませんでしたね……」
どうやらブルムさんは全員が金髪なので、ワルキューレ達を天の関係者だと勘違いしていたらしい。
言われてみれば衣類や寝具を造るのを手伝ってくれた子供達も含めて、ワルキューレ達とちゃんとした顔合わせをする前に、夜が明けてしまっていたのだった。
「ブルムさん。出発が遅れてしまうので、全員の紹介は追々させて頂きますけど、この方々は愛の女神フレイヤ様が北欧から遣わせて下さった、ブリュンヒルドさんを筆頭とする戦乙女です。
「わ、戦乙女ですと!? 遂に私も年貢の納め時ですか……」
「いやいやいや。別にブルムさんを迎えに来たって訳では無いですから」
「「「?」」」
「フレイヤ様と戦乙女さん達に関しては、俺達が出掛けてから直接訊くか、子供達用に作った本を読んでくれればわかります」
当たり前だが北欧神話の知識の無い、天、志乃ちゃん、夕霧さんが、会話の内容がわからなくて首を傾げている。
「そ、そうでしたか……それにしても、北欧以外の地域にも遣わされる事もあるというのは、本当だったのですなぁ」
「はい。此度は良太様の御助成の為に参上致しました」
ワルキューレを知っている相手に対しては毅然とした態度を取りたいのか、さっきまでの落ち込んだ感じは見せずに、ブリュンヒルドが胸を張る。
「あなたの魂も中々の物のようですし、死後に迎えに上がっても?」
「む。死後に神々の勇士として戦えるというのも悪くは……」
悩んでいるのを見るとアインヘリヤルへの勧誘は、北欧神話を知っているブルムさんにとっては、それなりに魅力のある事のようだ。
「話を戻しまして。俺は神仏からの加護や魔法なんかが無い代わりに、機械の技術が進んだ世界から来まして、短い間ですけどその世界に、おりょうさんと頼華ちゃんと一緒に行ってきたんですよ」
「「ええーっ!?」」
予想はしていたが黒ちゃんと白ちゃんから、驚きの声が上がった。
「で、では姐さん。昨晩のあの酒は?」
「そうなんだよぉ。良太の言う機械の技術って奴で米を削ったり、杜氏の経験とかだけじゃ無い方向からの研究で、醸された酒なのさ」
「あの菓子も!?」
「うむ! 信じられるか黒よ。あのような菓子が子供の小遣いでいつでも買えるのが、兄上が元住んでいらした世界なのだ!」
白ちゃんと黒ちゃんの質問に、おりょうさんと頼華ちゃんが自慢げに答えた。
「うふふ。それにぃ、良太の御両親にも会えたしぃ……」
「兄上のお父様もお母様も、とても素晴らしい方々でしたね!」
ビキッ!
照れくさそうなおりょうさんと、何故か不敵に微笑む頼華ちゃんが俺の両親について言及すると、座っている面々の中の何名かの身に纏う空気が、一気に硬質な物に切り替わった。
「ほ、ほぅ……主殿の、御両親に、な……」
「ううう……するいよぉ。あたいも御主人の御両親に会いたいよぉ……」
「うぅー……ま、また差をつけられちゃいましたぁ……」
「くっ……」
黒ちゃん、白ちゃん、夕霧さん、そしてブリュンヒルドの反応が特に激しい。
「りょう様。良太様はお父様似なのですか?」
「うん! 優しくて面白くて……先に良太に会って無くて、未婚だったら、お父様に惚れちまったかもねぇ」
「おりょうさん……」
天からの質問に答えるおりょうさんに、父親を褒められるのはそれなりに嬉しいのだが、未婚だったら惚れるとか言われると割と心中は複雑だ。
「兄上のお母様も凄いお方だぞ! 働いていらっしゃるのに家事万能で、特に料理の手際は達人級だ!」
「まぁ。そんなお母様でいらっしゃるから、良太お兄さんもお料理が上手なんですね」
「いや、そういう訳じゃ……」
俺の母親にしっかり胃袋を掴まれた頼華ちゃんが褒め称えるので、志乃ちゃんが勘違いしてしまったようだ。
母親が買い集めた調理器具の恩恵は受けているのだが、俺の料理は共働きだった両親の不在時に、食事代を浮かせて小遣いにする為の知恵が身に付いただけの物だ。
「話を戻すけど。俺のいた世界から持ち込んだ物は、食べ物や飲み物以外にも幾つかあるんです。その内の……先ずはこの苗や種を、新しい畑に植えたり蒔いたりして欲しいんですけど。間隔なんかはそんなに気を使わないでいいので」
「畏まりました。お任せ下さい」
生真面目な表情で、ゲルヒルデが請け負ってくれた。
「それと、子供達と手分けをして、各自の部屋に外の光を遮る……帳、でいいのかな? を、据え付けた方がいいと思うんですけど」
「兄上。もしやそれは『窓掛け』の事でしょうか?」
「こっちでは『窓掛け』って言うんだ?」
向こうの世界に一緒に行っていたからか、俺がカーテンの事をこっちの世界風に言いたかったのを、頼華ちゃんが察してくれた。
「はい。一部のガラス窓などを導入出来る者の邸にはあるのですが、あまり一般的ではありません」
「成る程」
知らなかった事ではあるのだが、窓掛けというネーミングは随分と直接的な感じに思える。
「頼華ちゃんの教えてくれた『窓掛け』は、外からの光を遮ると言うよりは、夜間に部屋の明かりが外へ漏れないように、というのが使い途としては正しいかな」
「ああ、同じ建物に住んでいる者は気にならないかもしれませんが、他の建物からは夜間は光が良く見えるでしょうからね」
カーテンの必要性については、ヴァルトラウテが気がついてくれた。
「『窓掛け』はこう……窓枠の上の方に紐を張って、筒状にした上の方を通せばいいかなと。左右から引っ張って、真ん中が重なり合うようにすれば隙間から光が漏れない」
見本用にこの場で小さなカーテンを作り、構造などを皆に説明する。
「後は、昨日の内に俺が幾らかの衣類の予備を作っておきましたけど、その他の必要な布製品、例えば敷物や座布団なんかが欲しい場合には、子供達と相談して無理のない範囲で作って貰って下さい」
「「「はい」」」
留守番組から返事が来た。
「食事に関しては……夕霧さんにお任せしていいですか?」
「はぁい。あたしにお任せですぅ」
アク取りも知らなかったワルキューレ達が、料理に関しては戦力になるかどうかの見当がつかないので、夕霧さんと、この場にはいないがお糸ちゃんに任せるのが無難だろう。
京で料理の手伝いをしてくれた子達も、難しい作業じゃ無ければ手伝いは出来る筈だし、手分けをすればなんとかなるだろう。
「貴方様。わたくし達も夕方には戻る予定ですので、お手伝いを致しますので」
「それは助かります」
天の料理の腕前は知らないのだが、千年以上も生きているのなら多少は出来るのだろう。




