帰還
「御満足頂けましたか?」
気がつくと、俺が最初に向こうの世界に行く時に、当時はヴァナと名乗っていたフレイヤ様にレクチャーを受けて色々とアイテムを授けて貰った真っ白い空間に佇んでいた。
俺の傍にはおりょうさんと頼華ちゃん、ブリュンヒルドとオルトリンデもいる。
「いきなり向こうに戻るのかと思ってましたけど、ここを経由するんですね」
「ええ。多少の注意と、検閲を致します」
「注意はともかく、検閲ですか?」
「ええ……良からぬ物を持ち込もうとする、不届きな輩がおりますので」
ギクッ!
そんな擬音が聞こえそうな感じに、フレイヤ様の言葉を聞いた途端にオルトリンデが、心当たりありと言わんばかりに身体を硬直させた。
「あなたは……良太さん達の温情でお金を頂いたのに、私や仲間達への手土産などでは無く、自分で飲み食いする為の物、しかも持ち込まれると困るような容器や包装などを、そのままにしているとは」
「「「あー……」」」
状況が飲み込めた俺達は、オルトリンデが何をしようとしていたのかに思い至って、揃って声を出した。
プラスチックやアルミやビニールなど、現代の技術じゃ無ければ作れなかかったり自然に還らないような素材は駄目だと予め注意されていたので、俺達は合羽橋で買い込んだ木樽や焼き物の瓶などに、様々な物を移し替えて持ち込んだ。
しかし、どうやらオルトリンデは容器やパッケージなどをそのままの状態で、向こうの世界の物をドラウプニールに入れて持ち込もうとしていたようだ。
「あ、あはは……フレイヤ様やみんなにも、分けようとは思ってたんですよ?」
「そういう問題では無くてですね。ああ、もう……酒瓶は許しましょう。でも食べ物のパッケージなんかは駄目です!」
「は、はいっ!」
「「「うわぁ……」」」
飲み屋で客に奢られて懐に余裕があったのか、柿ピーやサキイカなどの乾き物や、ポテトチップスなどのスナック類、蒲鉾などの魚の加工品に、サラミなどの肉の加工品など、見た感じ酒のつまみになりそうな物がどっさり出てきた。
フレイヤ様の指摘通りに、ビニールやアルミの包装はそのままにしてあったので、呆れた俺達は溜め息のような声を漏らしてしまった。
「あ、あの、フレイヤ様。果物類なんかはいいですか?」
「……種から育てようとかしてはいけませんよ?」
「も、勿論、食べるだけです!」
どうやらこの場には出していないが、凍てつく土地では栽培の難しい果物類なんかもドラウプニールには入っているらしい。
人間の住んでいる北欧では自然が厳しくて育たないのだろうけど、ヴァルハラのある神様の領域では栽培出来てしまうかもしれないので、フレイヤ様はオルトリンデに釘を差したのだろう。
「良太さん達の持ち込まれた物の中にも、幾つか不味い物があるのですが……」
フレイヤ様は言い難そうに、綺麗な顔の眉根を寄せた。
「極力気を付けたつもりですけど、何が不味いですか?」
「食品は、まあいずれは消費され尽くす物ですので、あまりうるさくは言いませんが……幾つか図面を持ち込んでおられますよね?」
「ええ。もしかして使用している紙が不味かったでしょうか?」
購入時から機械漉きの和紙は引っ掛かるかと思っていたのだが、もしかしたら予想が的中したのかもしれない。
「いえ、そうでは無くてですね……製麺機ですとか、風力や水力を利用した物です」
「えっ? 原理的にはかなり昔からある物ですよ?」
俺がネットで探した製麺機は手動式の物で、プリントアウトした図面を和紙に書き写してきたのだ。
水車に関しては日本でも精米や粉を挽いたりするのに、かなり昔から利用されている。
「確かにそうなのですが……修業をする為の世界ですので、あまり楽をするような機械ですとかは」
「その辺の御懸念に関しては説明しますが……あの、良ければ天照坐皇大御神様にも聞いて頂きたいので、こちらに御足労願うか、俺達が向こうに戻ってからお話するという事ではいけませんか?」
「……もし、良太さんのお話に納得出来なければ、破棄して頂けますか?」
「無論です」
おりょうさんと頼華ちゃんを連れて現代に行けただけでも破格の扱いなのだから、説明に納得して貰えなければフレイヤ様に逆らうつもりなど無い。
「あの、フレイヤ様。ちょっと移動する前に伺いたいのですが」
「なんでしょうか?」
「向こうの世界の、俺の身体はそのままだと思うんですが、おりょうさん達の身体ってどうなるんですか?」
俺の身体は向こうの世界の河原の公園のベンチに腰掛けた状態になっていて、今度戻る事があればそこからゲームをロードするような感じになるのだというのはわかる。
しかし、元々は向こうの世界にはいなかったおりょうさんと頼華ちゃんは、ブリュンヒルドやオルトリン
デが活動する際と同じ方法で受肉をとは聞かされている。
俺が向こうで活動を再開した時に、魂の抜けた四人の身体がそのままの状態で放置され、運悪く通行人に目撃でもされたら事件になってしまうので、予めどういう状況になるのかを訊いておく必要がある。
「ああ。それでしたら御心配無く。良太さん以外の身体は魂が抜けた瞬間に塩の塊になって、放っておけば崩れてしまいますので」
「し、塩ですか?」
「ええ。なんでそうなるのかは、私共にもわからないのですが……」
人体を構成する成分に塩が含まれているはわかるのだが、仮に水分を抜いたからとしても、塊の状態で残るなんて事は有り得ないので、この件に関してはそういうものなのだと納得するしか無いのだろう。
「人の身体と同じ量の塩が、崩れて飛びっ散っちまうと思うと、なんか勿体無く思えるねぇ」
「そうかもしれませんけど、元が人の身体だったと思うと、料理なんかにはちょっと……」
「あー……そうだねぇ」
日本人的な勿体無いと思う感覚をおりょうさんが発揮しかけたが、俺の言葉で気がついて、自分を含めた頼華ちゃんやブリュンヒルド達の身体を構成していた塩を二次使用するのには、躊躇いが出たようだ。
「では私や天照坐皇大御神が去る際に残る塩を、お使い下さればいいですわ」
「今それをやめようって話をしていたんですけど……」
積極的に使えという事なのか、フレイヤ様が終わったと思っていた話を蒸し返した。
「さすがに料理に使われると困ってしまうのですが、私達や戦乙女の身体だった塩は魔除け的に使えますので、場の聖別ですとか邪悪な存在を退けたりするのに使えますよ」
「成る程」
元々塩は清めに使われていたが、神様や戦乙女の身体を構成していた物なのだから、通常よりも効果が大きいというのは納得出来る。
ゲーム的な考え方になってしまうが、神様の身体だった塩には聖属性の効果でも残っているのだろう。
「それでは話が一段落しましたのなら、移動しますね」
「はい」
「も、もう少しお待ちを……あ!」
俺はフレイヤ様に返事をしたのだが、ポテトチップスの袋を開けて中身をドラウプニールに移そうとしていたオルトリンデは、気が焦っていたのか両手で力一杯引っ張った袋の口が裂けてしまい、その場に中身を撒き散らしてしまった。
「……慌てず急ぎなさい」
「は、はいっ!」
明らかに怒気を孕んでいるフレイヤ様の言葉を受けて、オルトリンデが作業を急ごうとするのだが、焦りが手元と力加減を狂わせるので失敗するという悪循環に陥っている。
「愚か者が……手伝ってやるから、そう焦るでない」
「す、すいません頼華様……」
「仕方が無いねぇ」
「これに入れ替えを」
惨状を見かねて頼華ちゃんとおりょうさんが手伝いに入ったので、俺も種類分けが出来るように蜘蛛の糸で袋を作って渡した。
体感時間で十分程掛けて食べ物の入れ替えと、廃棄するパッケージ素材の仕分けを終えて、今度こそ俺達は向こうの世界に戻る事になった。
「……はっ!」
出発前から湯に浸かっている状態だったので、心地良さに実感が湧かなかったのだが、周囲が少しずつ風合の違う肌の色の女性に取り囲まれているという非現実的な現実に、急速に意識を取り戻した。
「お帰りなさいませ、良太さん」
「ただいま戻りました、天照坐皇大御神様」
柔らかな微笑みを浮かべて、天照坐皇大御神様が迎えてくれた。
「それで、私も含めてのお話といいますのは?」
向こうに行って帰って来ても、ほぼ時間差は無いと聞いていたが、神様ならではの認識力なのか、経由した空間での会話の方も、天照坐皇大御神様は承知しているようだ。
「フレイヤ様に持ち込む予定の技術の図面などを注意されてしまいましたが、天照坐皇大御神様も不味いとお思いですか?」
「それは……人の手で出来る範囲の事はやって頂いた方が、修行になるとは私も思います」
「ですが、そのお考えでこっちの世界は停滞しているのではと俺は思っています」
「停滞、ですか?」
「はい。技術の進歩や発展の全てがいいとは俺も思いませんけど、それなりにこちらの世界で生活をして、現状では加護や権能などで作業などは楽になっても、余裕が無いように感じました」
神仏から授かる加護や権能、武人が気を鍛えて行う身体強化など、こっちの世界では使えない蒸気機関や内燃機関、電化製品などに変わる物はあるのだが、それが当たり前になる事で、新たな技術や文化を生み出したりという事が無くなっているように感じたのだ。
「それは……良太さんが持ち込む技術で解消されるのですか?」
「やってみないとわかりません。ですが、少なくとも塩を大量生産出来るようになれば、戦略物資的な使われ方はされなくなると思います」
瀬戸内で生産される塩が、遠く離れた関東にまで運ばれなければ生活に必要な分が賄えないので、現状では関西以南の領主の意向を政治に反映させなければならないのだ。
遠い土地で生産される物資なので運送費用も掛かるのだが、その辺の皺寄せが一般住民にも来るのは言うまでも無い。
「蒸気機関や内燃機関が使えないこの世界では、流通量や速度が劇的に増すというのは考えられませんので、塩を始めとする食料の生産方法を変えなければ、人々の生活に根本的な余裕が生まれないと俺は思っています」
「「……」」
俺の言う事を、天照坐皇大御神様もフレイヤ様も、黙って聞いてくれている。
「……実際問題としまして、良太さんが持ち込む技術で、どれくらいの変化があると思いますか?」
「さっきも申し上げましたが、こればっかりはやってみませんと……それに、今までやってきた方法を変えるのって怖いと思いますし、無理強いも出来ないので」
「「あー……」」
俺の説明に、二柱の女神様は大いに納得してくれたようだ。
「では、どうされるおつもりですか?」
「とりあえずはこの里の中での作物の生産と、幾つかの技術を鎌倉の源家の頭領にお渡しして、領内で試験的に使って頂ければと思っています」
裏付けのある技術なのだが、素人の俺が提案したところで使って貰えるとは思えないので、頭領である頼永様が新たに入手した技術を実験して欲しいと言えば、受け入れてくれる可能性は高まるだろう。
「その、具体的にはどのような技術を?」
「俺が考えているのは、風車利用の海水の汲み上げによる塩の生産の更なる効率化と、同じく風車と水車の精米と粉挽き以外の技術転用です」
「あたしは酒造の技術を進言しようと考えてます」
おりょうさんは現代ではある程度技術が確立されている酒造に関して調べ、灘や伏見に負けない質の物を関東でも、いずれは全国で生産して貰おうと考えているのだ。
「余は農作に感して調べてきましたので、より効率的に生産量を上げられればという資料をまとめてきました!」
頼華ちゃんは作物によって適した土壌の成分や、連作障害にならないような畑の使い方などを調べてくれたのだが、これは極端な言い方だが適切に用いれば、農夫では無くても農作物を生産出来る技術だ。
「おそらくは俺達が持ち込む技術が爆発的に普及して、産業が一気に大きくなるという事は無いと思います」
「えっ!? で、ですが、良太さん達が持ち込もうとしているのは、そういう事への一助になる技術ですよね?」
持ち込もうとしている技術とは相反する予測を俺が言い出したので、フレイヤ様が戸惑っている。
「さっきも言いましたが、旧来のやり方を変えるのって難しいんですよ。農業なんかは天照坐皇大御神様がこの里に授けて下さった、必ず豊作になるような加護とかもありますし」
毎年収穫量の多い農夫などは豊作になる加護を得ていると思われ、そのお蔭で輪作障害なんかも起きないのだと推測出来る。
しかしこっちの世界では食料確保の為に、現代で言う家庭菜園的に野菜などを栽培している者が少なくないのだが、兼業で農作を行っている人間は当然だが主に信仰している神仏が作物の実りに関連があるとは限らないので、知識が無ければ連作障害などに見舞われて失敗する可能性が高いのだ。
結果として、誰が作っても失敗しないで、そこそこの収穫量が見込める物ばかりが栽培されて、その他は専業の農家に任されるという事になる。
「こっちの世界では機械化による大規模農業は出来ませんから、専業の農夫の人は必ず栽培しなければならない品目を作るのが精一杯なので、新たな作物を始めるとか、仕事以外の余裕が無くなりますよね?」
「それは……」
「塩作りに関しても、ポンプで汲み上げは楽になったでしょうけど、釜炊きやにがり抜き、管理や輸送は人力頼りですから、そこをもう少しだけ楽にして生産量を増やして、価格を下げられればと思うんですが」
「「う、うーん……」」
幾らかは俺の説明で検討に値すると思ってくれたのか、今度はフレイヤ様だけでは無く、天照坐皇大御神様も難しい顔をしながら唸り出した。
「……まあ、いいでしょう。一つ確認したいのですが」
一応は承諾をしてくれたフレイヤ様が、一転して事務的な口調で俺に言った。
「はい」
「持ち込む技術に関しては、鰻の時のように源家で独占されるのですか?」
「あ……あー……」
鰻屋の大前を開店する時に看板に『元祖』と入れて、蒲焼きやタレの作り方などは暖簾分け以外には外部に漏らさないようにしたのだが、フレイヤ様はその時と同じようにするのかと確認してきたのだ。
「源家の方でそうする必要があると思ったら、でしょうか。俺は特に独占技術にしたり、特許的な物で儲けたりとかは考えていません」
「源平碁ですとかの事を、ブルム氏に惜しみなく提供されている良太さんなら、そう仰ると思いましたが……欲が無いのですねぇ」
「はぁ……」
褒めているのか貶しているのか、フレイヤ様が苦笑しながら呟いた。
「あの、ところでですね。天照坐皇大御神様に伺いたい事があるのですが」
「私にですか? なんでございましょう」
美しい大人の女性にも少女のようにも見える天照坐皇大御神様は、可愛らしく首を傾げながら俺の言葉を待ってくれている。
「この場所、里を拡張というのは出来ないでしょうか?」
「それは……必要な事なのですか」
「今ですと最低限の寝床と、食卓を賑やかにする程度の農作物しか栽培出来ませんので、純粋にもう少し広さが欲しいと思っているんです」
今のところは子供達が小さいので、部屋や食堂の面積が狭くてもなんとかなるし、食べる量も大人程では無いのだが、いずれは窮屈になってくるだろうし、金銭面はどうにかなるかもしれないのだが、俺達がいなくなったら、人里から離れた場所なので買って運ぶのが相当に困難になるという事が予想されるのだ。
「里の周囲を開墾すればいいのかもしれないんですが、過去に起こった事を考えると……」
紬と玄くらいしか記憶には残っていないかもしれないのだが、蜘蛛達には迫害された過去があるので、霧による結界の外で農作業などをさせるのは心配なのだ。
「あと、今日みたいに里の外の人が来た時に、迎えられる場所が無いんですよね」
ブルムさんや夕霧さん、天達は食堂でもてなす形になってしまったが、迎賓館とまでは言わないまでも、外部の者の応接や宿泊する為の建物は必要なのでは無いかと考えたのだ。
作ってからそのまま残してあるゲルもどきがあるが、自分の指揮で作らせたのにと言われてしまいそうだが、あれをゲストハウスと呼ぶのはあんまりだろう。
「……結論から言いますと、拡張は出来ます」
「本当ですか!?」
期待をしていた言葉ではあるのだが、天照坐皇大御神様の口から語られて、嬉しさのあまり身を乗り出してしまった。
「も、もう。良太さんったら……個人的なお礼でしたら、二人っきりの時にお願いします」
「あ、いや。そういうつもりじゃ無かったんですけど……」
赤らめた頬に手を当てながら、天照坐皇大御神様が流し目を送ってくる。
「良太……」
「兄上……」
「えっと……すいません」
相手は神様だし確実に冗談なのだが、おりょうさんと頼華ちゃんが思いっきり疑いの眼差しで見てくるので、別に疚しい事は何も無いのだけど、とりあえず謝っておいた。
「それで、拡張の方法はどうすれば?」
「天沼矛を利用すれば簡単なのですが……それには気の根源の永久消費が必要なのです」
「それは……」
「ええ。普通ならば命に関わります」
気の根源は精神力や生命力に直結するので、消費量によっては即死に至るだろう。
「ですが……良太さんや夕霧殿のように無尽蔵なくらいに気お持ちでしたり、ドラウプニールを所有していれば問題はありませんね」
俺の場合はこっちに世界に来てから積み重ねた鍛錬で増えた分があるし、夕霧さんは生来の気の量が底なしだ。
そしてドラウプニールを発動させている間は、無限に使った分の気を供給されているので、命に関わる事も無くなるのだろう。
「そうなると、ゲルを撤去して三階建てくらいのゲストハウスを作って、畑の拡張を……」
頭の中でどの程度まで里を拡張するか、という思いが駆け巡る。
「良太さん……もう。こんな美女達を目の前にして、他の事に心を奪われてしまうなんて」
「あ……すいません」
ちょっと拗ねたように、天照坐皇大御神様に言われてしまった。




