両親
「それにしても姉上。イカやタコが食えぬとなれば、此奴等は兄上の側女には相応しくありませんね!」
「そうだねぇ」
「えっ!? そ、それはどういう事なのですか!?」
頼華ちゃんの不穏な発言と、それを聞いて納得顔になったおりょうさんの不様子を見て、ブリュンヒルドが血相を変えた。
「イカやタコはこっちでは勿論、向こうの世界でも良く食べるし、兄上の好物でもあるのだぞ。先日もこの黒いイカの入った、ぱすたという料理をお作り下さったばかりだしな!」
「うっ……」
色と具材でイカ墨パスタとパエリアを敬遠したので、ブリュンヒルドは言葉を詰まらせた。
「お主、兄上に料理を作って差し上げる時に、自分が苦手だからといって、兄上の好物である食材を使わないと申すのか?」
「うっ、く……」
「頼華ちゃん、苦手な物は誰にでもあるから」
俯いてしまってまともに返答出来ないブリュンヒルドを見かねて、助け舟を出した。
「良太様……」
「ですが兄上。仮にではありますが、この物に食事の支度をさせると、金輪際イカやタコが食膳に上がらなくなるのですよ?」
「それは……」
(そもそも、ワルキューレが食事の支度って状況の方が想像出来ないんだけどな……)
ヴァルハラで死せる勇士、アインヘリヤルに給仕や酌をしているという話は聞いたが、白銀に輝く鎧を身に纏ったワルキューレが厨房で働く姿は、ちょっと想像が出来ない。
「余も料理などはした事がありませんでしたが、兄上や姉上のお蔭で少しは出来るようになりました。それもこれも、兄上の嫁として恥ずかしくないようにとの思いからです!」
「えっと……ありがとう」
(周囲の視線が痛いなぁ……)
ただでさえ和風美人と和風美少女、白人のモデルのような美女とアスリートのような体型の美女が同席していて、どういう集まりなんだと周囲からは思われているだろうに、その中の男に対した美少女が嫁だとか言い始めたものだから、チラチラと送られていた視線が、だんだんと無遠慮になってきている。
「うぅ……い、今は無理ですけどぉ、きっと食べられるようになりますからぁ。だから私もお嫁さんにぃぃ」
「いや、食べたらお嫁さんとか、そういう話でも無いんですけど」
シクシク泣きながらブリュンヒルドが懇願するが、生憎だと一人前を分け合ったパエリアの具材のイカは、既に各自の皿から消え去っていた。
「……食事を再開しませんか?」
「そうだねぇ」
微妙に空気が重苦しくなっているが、運ばれてきた料理が冷めてしまっては勿体無いので、おりょうさんと申し合わせてからフォークとナイフを手に取った。
「頼華ちゃん、あーん」
「あーん! ん……うむ! 塩と胡椒と玉ねぎだけの味付けのようですが、おいしいですね!」
メインを注文していない頼華ちゃんに、一口サイズに切ったチキンをフォークで差し出すと、大きく口を開けてかぶりついた。
「頼華様、こっちもどうぞ」
「うむ! 大儀である! ん……これは香ばしい風味で柔らかく、中々の物だな!」
オルトリンデはステーキにガルムソースというのを選んでいたが、風味からするとイタリアの魚醤のガルムでは無さそうで、醤油がベースになっているっぽい。
「ら、頼華様、これもどうぞ……」
別に頼華ちゃんに料理を差し出すのが約束になっている訳では無いのだが、ブリュンヒルドも遠慮がちに、切り分けたパンチェッタを差し出している。
(親鳥から食べ物を貰う雛って感じだなぁ)
口を開けてフォークに刺した食べ物を待ち受けている頼華ちゃんを見て、そんな事を考えてしまった。
「ふむ。ぱんちぇったというのは少し脂っこいが、これはこれで!」
「おりょうさんも、どちらかを食べますか?」
メインのパエリアを分けてくれたおりょうさんにも、自分の料理を分け与えるのは当然だろう。
それで無くても、頼華ちゃんと公平に扱わなければならない。
「そうだねぇ。そいじゃ鶏の方を貰えるかい」
「はい、どうぞ」
手早く切り分けたチキンを、おりょうさんの前に差し出す。
「あ、む……うん。この店の料理は外国風の味付けらしいけど、不思議とどれも口に合うねぇ」
「魚介も肉も、素材の味を活かした調理をしてありますね」
料理にもよるし、地方ごとの特色もあるのだが、ソースで食べさせるフランス料理と比べると、イタリア料理は素材の味を活かしている物が多く、お国柄もあって気取りが無いので日本人には受け入れ易い。
「尤も地方によっては、赤茄子やニンニクや橄欖の油を大量に使うので、地元の人しか口に合わないって聞きますけど」
「それは日本でもそうだからねぇ」
国土の狭い日本でも地方によって塩気の濃い味付けや、甘いのが御馳走という考えから砂糖を多く味付けに使う地域もあるので、この辺は世界共通だろう。
「あ、あの……良太様」
「なんですか?」
何やらブリュンヒルドがもじもじしながら、俺の方に視線を送ってきている。
「よ、宜しければ、私の料理も一口如何かと思いまして……」
「え。でも、俺とブリュンヒルドさんの注文品って、同じ物なんですけど?」
「はわぁっ!? そ、そうでしたぁ……」
頼華ちゃんやおりょうさんにしているように、ブリュンヒルドは俺に食べさせたいと思っていたようなのだが、同じメニューの料理を頼んだ同士では味見にならないと、今頃になって気がついたらしい。
外見からはクールだと思っていたブリュンヒルドだが、初対面の時の残念な態度からスタートして、段々とイメージが崩れていっている。
「兄上! まだ全然足りません!」
「そうだね。俺ももう少し……おりょうさん達も、何か頼みたい物はありますか?」
メインとライスやパンという組み合わせの、一食分に満たない量しか食べていないのと、食事のペースがゆっくりなので、まだ満腹感が訪れない。
「良太に任せるよ」
「兄上にお任せです!」
「た、食べられる物でしたら……」
「お腹に溜まる物が」
多少意見は違うが、基本的にはメニューは俺に丸投げという事らしい。
「了解です」
メニューを眺めながら、俺はチャイムのボタンを押した。
追加で注文したカルボナーラ、チキンのチーズ焼き、ミラノには無いらしいミラノ風ドリアを食べ終わり、現在は各自が一つ以上ずつ注文したデザートを食べながら、食後のドリンクを楽しんでいる最中だ。
「それで、この後はどうするんですか?」
カフェラテのカップを傾けながら、オルトリンデが訊いてきた。
「先ずは宿に行って部屋に荷物を放り込んだら、あんたらの服を買いに行こうかねぇ。ん……この前、良太の家でも食ったけど、こいつは珈琲に合うねぇ」
ティラミスにエスプレッソを組み合わせたおりょうさんは、口元を綻ばせる。
「ぬ? あ、兄上! なんなのですか、このぷりんは!?」
「この店のプリンはおいしいよね」
スーパーやコンビニエンスストア、洋菓子店などで売っているどれとも違う味わいなのが、この店のプリンだ。
プリンその物もシロップも独特の味わいなのだが、だからといって基本を外しているという事は無く、不思議と懐かしさやホッとする感じがするのだ。
「兄上! これは是非とも、作り方を知っておきたいですね!」
「うーん。難しいだろうなぁ」
一応はネットで再現している人などもいるのだが、レシピ的に再現しても、蒲田の店のホットケーキのように、一般とは違う素材を使っていたりする事が有り得るので、近い物しか作るのは無理だろう。
「で、ですが兄上ならば!」
「少し違っちゃうかもしれないけど、向こうに戻ったら作ってみるよ」
「本当ですか!」
「うん」
(まあ、チャレンジするのはありだな)
物の豊富な現代とは違う向こうの世界で、試行錯誤しながら色々と作ったのは良い経験になったし、頼華ちゃんの願いを叶えてあげたいという気持ちもあるので、上手く行くかはどうかともかく、チャレンジはしてみよう。
「りょ、良太様も、私達と一緒に宿の方にお泊りになるのですか?」
「いいえ。俺は自宅に戻りますよ」
「そうですか……」
ブリュンヒルドが目に見えて落胆しているが、おりょうさん達が宿泊するホテルは、自宅よりも通っている学校から遠くなるのだ。
それに自宅がある俺の宿泊料金の分を、おりょうさん達が使ったり買って帰る物に回せるのだから、考えるまでも無い。
「でも服って言っても、あたしはこれがあれば十分なんですけどね」
レモンのシャーベットを食べる手を止めて、俺が渡した服の胸元の辺りの布を窮屈そうに引っ張りながら、オルトリンデが言った。
「馬鹿者が。おなごが何日も同じ服を着ている訳にはいかんだろ」
「へ? でも、換えの下着は良様が作ってくれましたし」
頼華ちゃんに注意をされたが、オルトリンデは何が問題なのかわからないという表情をしている。
「それは習慣か何かで、あんまり衣類を着替えないって事ですか?」
「不潔にするのが好きな訳じゃ無いんですけど、北欧は厳冬期なんかは外に出るのが危険なくらいなんで」
「あー……」
(マイナス何十度とかの世界だと、そうなっちゃうのかなぁ……)
まだ経験した事の無い厳寒の世界を、オルトリンデの言葉を聞いて想像した。
「さっきも良様の家で、洗濯物を外に干してるんで驚いたんですよ」
「ん? 天気が良くても、外に干したりはしないのかい?」
「夏の間くらいですね。晴れてても夏以外の季節だと、外に干してたら凍りついちまうんで」
「はぁー……」
外干しが一般的な日本で生活しているおりょうさんなので、北欧の習慣と気候に驚きを隠せないでいる。
北欧の人間の生活がそのまま神様達にも反映しているので、どうやらヴァルハラでも外干しの習慣というのは無いらしい。
「話はわかったが、短い時間とは言えこの国で暮らすのだから、言う通りにするが良い。それに兄上の温情で貴様らの衣類の分の予算を割いて下さるというのだから、逆らうのは不敬である!」
「「はっ!」」
頼華ちゃんが少し強い口調で言うと、ブリュンヒルドもオルトリンデも頭を下げた。
「ところで二人共。今更ですけど普通に日本語を話してますよね?」
今まで意識しなかったし、おりょうさんも頼華ちゃんも指摘しなかったのだが、かなり日本的な言い回しでも二人は理解するし、外国人特有のイントネーションなども無いという事に、今更ながらに気がついたのだった。
「ああ。あたしらは北欧圏が主な活動場所なんですけど、偶に他の地域にも出向いて、長い時間を掛けて溶け込んで魂を持ち帰ったりって事もしますんで、状況に応じて言葉や習俗なんかは入力されるんですよ」
「ん? その割には、さっき着替えとかを」
「あはは。知ってたりするのと、個人的に積極的にやるかどうかっていうのは、別の話ですよ」
「はぁ……」
要するにオルトリンデは元来から着替えとかが面倒な、ものぐさなタイプという事らしい。
「貴様が個人的に着替えなどが好きかどうかはともかく、兄上や姉上、余の傍にいるというのならば、清潔にしないのは許さんぞ」
「はっ! お言葉承りました」
「うむ」
頼華ちゃんの言葉を、オルトリンデは頭を下げて受けた。
だいぶ砕けた性格のようではあるが、ブリュンヒルドへの態度を見ても、オルトリンデは長い物には巻かれるタイプのようだ。
「おりょうさん」
「うん。あんたら、始終あたし達と一緒に行動しなきゃいけないとか言わないし、個人的に食ったり買ったりしたい物とかもあるだろうから、これを渡しとくよ」
俺の呼びかけに応じて、おりょうさんは封筒に入れた現金を、ブリュンヒルドとオルトリンデの座っている前に置いた。
「朝飯は宿で食えるようになってるんだし、無駄使いするんじゃないよ」
「「はっ! ありがとうございます」」
特に固辞したりする事も無く、二人は頭を下げて、それぞれが十万円の入った封筒を受け取った。
額に関してはおりょうさんと頼華ちゃんと相談して、滞在が五日間として、一日辺りの行動と食費込みで一万円としてそれが五日分、自由に使える額として五万円の、計十万円が妥当だろうという結論になった。
おりょうさんや頼華ちゃんが滞在中に使った食費などの額と比べるとかなり多いのだが、これから宿泊するホテルでは自炊も出来ないし、こっちの世界には羽根を伸ばして貰いに来ているのだから、あまり締め付ける事も無いだろうという結論になった。
「おお! これだけ頂けるんでしたら、りょう姐さんどうですか、今夜はパーッと!」
「生憎なんだけど、今夜はあんたら二人で済ましとくれ」
「あれ、何か用事でもあるんですか?」
イカとタコ以外のこの国の食事が口に合ったようで、オルトリンデは夕食にも期待していたようなのだが、おりょうさんに同席しないと言われて首を傾げている。
「今夜はねぇ、良太の御両親に御挨拶なんだよぉ」
「遂に来るべき時が来ましたね、姉上!」
「そうだねぇ」
おりょうさんと頼華ちゃんは、笑顔で言い交わしている。
今日の夕方には帰宅予定の両親に、疲れているだろうからと当初は遠慮していたおりょうさんと頼華ちゃんだが、一応は次の週末には向こうの世界に戻らねばならず、そうなると直前にバタバタするよりは最後の日曜である今日に、顔合わせを済ませてしまおうという運びになったのだ。
自分的には平日でも構いはしないのだが、その場合には父親の仕事の都合で帰宅時間が読めないという心配もあるし、おりょうさんも頼華ちゃんも一般的には学校に通っている年齢なので、避けた方が良いだろうという結論になった。
「りょ、良太様の御両親……ぜ、是非私も御挨拶を!」
「すいません。おりょうさんと頼華ちゃんだけでも説明が難しいのに、見た目が外国人のブリュンヒルドさんを、どう両親に紹介すればいいのか思いつかないので」
通っている学校には留学生も結構な人数がいるし、単位制と自由な校風の所為で帰国子女や、親の仕事の都合で日本に来た外国人の生徒なども一般的な学校よりは多い。
しかし、自慢じゃないが日本人の友人ですら、小中学校からの付き合いのある者しか両親に紹介した事が無いので、ブリュンヒルドのような金髪美人なんか連れて行ったら、間違い無く関係を怪しまれてしまうだろう。
「そ、そんなぁ。私も良太様のお嫁さんになるのにぃ……」
「なんで決定事項みたいな言い方を……」
縋るような視線をブリュンヒルドが送ってくるが、俺にはどうする事も出来ない。
「嫁候補ってんなら他にもいるから、そいつらを差し置いてあんたらが先んじるってのは無しだねぇ」
「そうだぞぶりゅんひるど! 黒や白、朔夜や紬や夕霧や天を差し置いて、お主が兄上の御両親に目通りするなどとは笑止千万!」
「そういう問題だったんだ……」
おりょうさんと頼華ちゃんが上手い具合にブリュンヒルドを宥めてくれるのかと思ったが、どうやら順番を守れと言いたかっただけのようだ。
「あっははは! ブリュンヒルド姉さん、りょう姐さんや頼華様がこう仰ってるんだ。今回は諦めるんだな」
「くっ……」
「今回は、って……」
ブリュンヒルドは歯噛みしながらも従うようなのだが、次回があるようなオルトリンデの言い方が気になる。
「そいじゃ良太、また後で」
「はい。お待ちしてます」
「ううぅ……御両親に御挨拶ぅ」
「ええぃ! いつまでも未練がましいぞ、ぶりゅんひるど!」
「そいじゃ良様、また!」
店を出たところで一度解散という事にして、おりょうさん達はホテルに、俺は自宅に戻る事になった。
(と言っても、時間が半端だな……)
母親からのメールによると、父親の出張先の北海道からのフライトが順調ならば、既に到着している時間だが、途中で食事をしたりというのは考えられるので、まだ自宅には帰っていないだろう。
(本屋にでも寄っていくかな)
食事をしたファミリーレストランの入っている建物から出て、道を挟んで反対側のショッピングモールの本屋に立ち寄る事にした。
「……あら、良太?」
「母さん? 父さんも?」
「おお。奇遇だな」
通路に面している本屋の新刊を平積みしてあるコーナーを眺めていると、スーツケースを引きながら歩く両親とバッタリ対面した。
「買い物か?」
「友達と食事した帰りに、ちょっと寄っただけだよ」
「そうか。俺達は家に帰るが、お前はどうする?」
「俺も帰ろうかな」
別に久々に会った両親と一緒にいたいとかでは無く、後から来るおりょうさんと頼華ちゃんにについての、根回しをしておこうと思っての事だ。
「それじゃ、あんた一人で過ごしてたんじゃ汚れてるだろうから、掃除でも手伝って貰おうかしらね」
「掃除と洗濯なら、家を出る前にしてあるよ」
「あら、そうなの?」
俺の返事が余程意外だったのか、母親が目を丸くしている。
「ここで立ち話もなんだから、行こうか?」
「そうだね。あ、荷物持つよ」
「そう? 助かるわぁ」
スーツケースを俺が引き受けると、土産物らしい紙袋を持った母親が嬉しそうに笑った。
「あらまあ。随分と片付いてるじゃない。あんたこんなに綺麗好きだった?」
「まあ、ね」
室内の様子やベランダに干してある洗濯物を見て、母親が目を丸くしっ放しだ。
普段は掃除も洗濯も母親任せなので、こう言われても仕方が無いだろう。
「……コーヒーでも淹れようか?」
「お、いいな」
「そうね。お願いしようかしら」
リビングで土産物を仕分けしたり、洗濯物を纏めたりしている両親を見て少し気を利かせると、嬉しそうな声で返事をされた。
「父さん。コーヒー豆、随分使っちゃったけど」
「ん? ああ。一ヶ月も放っておいたんだし、駄目になる前に飲んでくれて良かったよ。それじゃ、また買ってくるかな」
コーヒー豆が減ったのに父親が嬉しそうにしているのは、新しいのを買ってくる合法的な言い訳が母親に出来るからだ。
「それにして、あたし達の布団のカバーなんかまで洗ってくれたのね」
「押入れに仕舞いっ放しで、湿っちゃってるんじゃ無いかと思っただけだよ」
カバーやシーツは洗い立て使って欲しいと、おりょうさんと頼華ちゃんが天気を確認しながら、帰宅する今日に洗濯をと申し出てくれたのだ。
布団自体は天気のいい日にはローテーションで干してあったので、いつも気持ち良く寝る事が出来ていた。




