餃子とメロン
「ここですよ」
「ちっとばかし、派手な店構えだねぇ……」
のんびり十五分程掛けて、JR蒲田駅を超えて京急蒲田駅方面に向けて歩いた商店街の中に目的の店がある。
中華料理のその店は、おりょうさんが少し呆れ気味に評すように、赤を主体にしたカラフルな装飾を施されている。
「こっちです」
「ん? 良太、店の入口はそこじゃ無いのかい?」
店に入らずに通り過ぎようとした俺の腕を、おりょうさんが引っ張った。
「そうなんですけど、この店は二階があって、そっちの方が広いんですよ」
外から階段を上がったところに同じ店の入り口があるのだが、一階は厨房にスペースを取られている関係からか、二階の方が客席数が多く、席間もゆったりしているのだ。
「なぁんだ。そういう事かい」
「それでは早速参りましょう!」
空腹に耐えきれないのか、俺とおりょうさんは頼華ちゃんに手を引かれて二階への階段へ向かった。
「食べ放題、飲み放題のコースがあるんですけど、それでいいですか?」
店員が水の入ったコップを置いて立ち去ったところで、おりょうさんと頼華ちゃんに食べ放題のメニューを見せながら確認する。
「ふふふ……もう何度目かになりますが、食べ放題という言葉の響きには、心が踊りますねぇ」
「そ、そうだね」
食べ放題への期待感からか、幼いながらも整った顔に、頼華ちゃんが不敵な笑顔を浮かべる。
「飲み放題、ったって、今日も酒はお預けなんだろぉ?」
「そ、そうですね……」
おりょうさんがジト目で見てくるので、プレッシャーに負けて椅子に掛けたまま後退りしそうになるが、今日も我慢をして貰うしか無い。
「ふぅ……そいじゃあたしは、この茉莉花茶の熱いのを」
おりょうさんは諦めの表情を浮かべて、小さく溜め息をついた。
「余は、冷たい烏龍茶をお願いします」
「了解。最初の料理の注文は、俺がしちゃっても?」
「聞いた事の無い品書きが多いから、良太に任せるよ」
「兄上、おいしいのをお願いしますね!」
(こりゃ責任重大だな……)
酒を我慢させてしまっているおりょうさんと、空腹の頼華ちゃんを満足させるセレクトが要求されるので、何時に無く真剣にメニューを選ぶ。
「……すいません。注文をお願いします」
「はい。只今」
食べ放題のコースの利用を店員に告げ、頭の中で考えて組み立てた料理を注文した。
「お待たせ致しました。ピータン、棒々鶏、砂肝の冷菜になります」
飲み物と一緒に、すぐに出てきそうだと思って注文したメニューが置かれた。
「そいじゃ、頂きます」
「「頂きます」」
おりょうさんの号令で食事を開始した。
「良太。こいつはなんかの卵かい?」
「ピータンって言って、アヒルの卵を塩と泥に漬け込んだ物で、中華料理の前菜の定番です」
真っ黒く変色しているのだが、形状から何かの卵だとおりょうさんは推察したようだ。
「塩と泥ぉ?」
俺の説明に、おりょうさんがあからさまに眉間に皺を寄せた。
「お話だけ伺いますと、食べ物とは思えませんね」
「説明してて、俺もそう思うよ」
箸をつけるのを躊躇している頼華ちゃんに、自分の心中を素直に伝える。
「あと、少し癖のある風味なので、無理して食べないで下さいね」
ピータンは独特の発酵臭があるので、好みが分かれる食品だ。
「そいじゃ、先ずは少しだけ……うん。良太が言うように少し癖があるけど、こっちの納豆程じゃ無いねぇ」
「ああ。確かに納豆と比べれば」
おりょうさんの言うように、プラスチックパッケージの納豆の匂いに比べれば、ピータンはそれ程は刺激が強く感じない。
「ふむ……兄上が警告されるからどれ程かと思いましたが、独特の風味は感じますが、こんなのを苦手にする者がいるのですか?」
「まあ向き不向きは人それぞれだからね」
ピータンはおりょうさんと頼華ちゃんの口には合ったようだが、カレーのトッピングの納豆の時のように、思わぬところに地雷が潜んでいるかもしれないので、今後も出来る限り油断はしないつもりだ。
「この胡瓜と鶏に掛けてある、胡麻の風味のタレは旨いねぇ」
「その棒々鶏っていう料理も、定番の前菜です」
「ふむ! 確かに旨い! 兄上、これは向こうでも再現出来そうですね!」
「胡麻の下拵えが地味に大変そうだけどね」
市販品の摺り胡麻やフードプロセッサーなどは向こうの世界には無いので、必然的に擂り鉢を使う事になるのだが、メインでは無い前菜の一品を作る為だと考えると、微妙に労力に見合わない気がする。
「この砂肝の冷製も、あっさりした醤油味でいいもんだねぇ」
「口直しには丁度いい感じですね」
ピータンも含めて、すぐに出てくる前菜メニューは概ね好評だったのでホッとした。
「お待たせしました。焼餃子、蒸し餃子、水餃子、豆苗の炒め、油淋鶏になります」
前菜を食べ終わるくらいのタイミングで、この店の名物の羽根付き餃子を始めとする料理が運ばれてきて、一気にテーブルが賑やかになった。
「うわぁ! どれもおいしそうですね!」
「良太。なんか食い方に注意した方がいいところとかはあるかい?」
前菜はどれも味付けがされていたので、箸で摘んでそのまま口に運べば良かったのだが、蒸し餃子などは見た目にも白くて味がついていないのがわかるので、おりょうさんが訊いてきた。
「豆苗の炒めと油淋鶏はそのままで。三種類の餃子は、小皿に醤油と酢と、好みで辛い辣油を入れて混ぜて、付けて食べるんですけど」
「けど、何かあるのかい?」
「それじゃ、試しに食べるので見てて下さい」
箸で一つ摘んだ羽根付きの焼き餃子をタレに付け、左手に小皿を持ったままで一口食べた。
「「あ」」
おりょうさんと頼華ちゃんが思わず声を上げながら、俺が食べた餃子から汁気が溢れ出したのを見つめている。
「見ててわかったと思いますけど、餃子はどれも中の熱い汁が食べると飛び出してくるので、口の中を火傷しないようにと、こぼさないように気をつけて下さい」
「わ、わかったけど、中々怖い食いもんだねぇ」
「で、では、余はこの蒸したのから!」
おりょうさんは俺と同じ焼き餃子、頼華ちゃんは水餃子を一つタレの用意された小皿に取り、意を決してかぶりついた。
「あっふ……んん。っはぁ。肉と野菜の味と、表面の香ばしさが口の中でいっぱいに広がって、旨いもんだねぇ」
満足そうに呟いたおりょうさんは、ジャスミン茶を一口飲んで笑顔になった。
「んむ……中々に侮れない食べ物ですが、この熱さも御馳走ですね!」
「気に入ってくれたのなら良かった」
おりょうさんも頼華ちゃんも、笑顔で次の餃子に箸を伸ばした。
「このパリパリの皮? ってのは、一般的な物なのかい?」
「んー……最近は多いみたいですけど、一般的と言う程では無いですね」
あくまでも推測だが、羽根付きと羽根無しの割合は、三対七くらいではないかと思う。
「ここの店主さんの親類のお店が近くにあって、そこが羽根付き餃子の発祥だって言われてます」
その発祥店から枝分かれした、いま利用している店と同じような親族が経営する店が幾つかある。
加えて、それぞれの店の支店があるので、蒲田駅周辺に十軒くらいの同系列の中華料理の店が営業しているのだ。
「ん? でも、そんならどうして、そっちの発祥の店の方に行かなかったんだい?」
発祥店の羽根付き餃子の方が正統と言えるだろうから、おりょうさんがそう考えるのも尤もだ。
「実は、あまり大きな声じゃ言えないんですけど、ちょっと良くない思い出がありまして……」
「そ、そうなのかい?」
「そうなのですか?」
他店ではあるがここの親族の店の事なので、あまり大きな声では話せないと思って俺が声を潜めると、おりょうさんと頼華ちゃんも小声になり、テーブルの中央の方へ顔を寄せてきた。
「先ずは、いま食べている餃子なんですけど」
「ん? これかい?」
「おいしいですよね!」
おりょうさんは箸に摘んだ餃子を見ながら、頼華ちゃんは新たに水餃子を小皿に取りながら、俺の話に耳を傾けてくれている。
「料理的に熱いまま供されて、それを食べるのが一番おいしいと思うんですよ」
「まあ、そうだねぇ」
「この熱さが御馳走ですよね! あむっ!」
おりょうさんは食べる手を止めているが、頼華ちゃんはもう慣れたのか、熱いはずのタレを付けた水餃子を一口で頬張った。
「その発祥店に友人達と行った時に出てきた餃子が……ぬるかったんですよ」
「「……へ?」」
俺が何を言っているのかわからないと、おりょうさんと頼華ちゃんの表情が物語っている。
「ぬ、ぬるいって……だって作り方からして、出来たてなら、ぬるくなりようが無いだろぉ?」
「何か厨房で滞りでもあったのでしょうか?」
「良くわからないんですけどね……他のテーブルに団体客がいたので、それが原因なのかもしれないんですけど、でも、それは言い訳にはならないですよね?」
「「あー……」」
おりょうさんは自分の蕎麦屋で働いていたし、頼華ちゃんも向こうの世界の鰻屋の大前で手伝ってくれていたので、客に熱い料理を熱いままに提供出来ない事の意味を、理解してくれているようだ。
噂では立ち食い蕎麦の店で、熱いのでも無く、冷やしでも無い、ぬるい蕎麦が人気だと聞くが、それはまた別の話だろう。
「それ以来、その発祥店と支店には行く気が起こらないんですよ」
「そいつは……仕方が無いねぇ」
俺の話を聞いたおりょうさんは、複雑な表情を浮かべながら目を伏せた。
「余は、この店の料理がおいしいので、満足です!」
「うん。こっちの店の方が、料理の種類が多いっていうのも、連れてきた理由の一つなんだよね」
発祥店の方は自慢の料理なだけあって、餃子のバリエーションは多いのだが、逆に中華料理店的なメニューが少なかったりするのだ。
こっちの世界で中華料理を店で食べるのが初めてなおりょうさんと頼華ちゃんには、バラエティーに富んだこっちの店の方がいいだろうと、敢えて羽根付き餃子の発祥店では無いこちらを選んだのだった。
「餃子ってのも旨いけど、この細っこい野菜を炒めたのも、にんにくが利いてていいねぇ」
「その豆苗は、確かえんどう豆の若い芽だったと思います」
「つーと、もやしみたいなもんかい?」
「緑色だけど、間違ってはいないと思います?」
以前は栽培されたえんどう豆の若芽を摘んでいたので、収穫時期が決まっていて安くなかった豆苗だが、最近では植物工場で発芽させた根付きの物が安価に出荷されるようになったので、年間を通して料理に使えるようになった。
「この鶏の揚げたのをタレに漬け込んだ料理は、なんと勿体無い事をと思いましたが、食べてみると少し辛いタレのお蔭で、後口がさっぱりしますね!」
「唐揚げのおいしさを知ってるとね」
鶏のから揚げは味だけでは無く、外側のカリッとした香ばしさもおいしさの一部なのだが、油淋鶏は歯応えが損なわれる代わりに、浸してあるタレのおいしさも加わるのだ。
どちらがおいしいかと言うのは非常に意見のわかれるところだが、結論としてはメニューに有るなら、両方食べるのが良いだろう。
「そろそろ料理の追加を頼みますか?」
三人なので、それなりのペースでテーブル上の料理が減っていき、注文した料理の七割程度が食べつくされている。
「良太に任せる……っと、麺類があるなら、そいつを一つお願いしようかねぇ」
「わかりました」
中華でも、おりょうさんの麺類への関心は高いようだ。
「肉系の料理が続きましたので、海鮮などがあったら食べたいですね!」
「了解」
確かに前菜から、続いての餃子も含めて肉が多めだったので、頼華ちゃんも少し口が飽き気味になっているみたいだ。
(……良さそうだけど、麺類を頼んでこれもとなると、ちょっとお腹にきついから却下だな)
メニューで魚介類や海鮮というという文字を探すと、最初に目に入ったのは海鮮おこげだった。
揚げて歯応えは軽くなっているが元は御飯なので、ある時点を過ぎると急にお腹の中で主張を強くしてくるだろう。
「二人共、飲み物は?」
ある程度、注文品を決めたところで二人に飲み物の追加を確認する。
「あたしは冷たい烏龍茶を」
「余も冷たい烏龍茶をお願いします!」
「了解です。すいません」
店員を呼んで、料理と飲み物の追加を注文した。
「では次に、この蒸しぱんというのを」
「……あたしゃ、もういいよ」
「俺も、もういいかな」
追加した海老のチリソース炒め、蟹玉、イカと野菜の炒めもの、醤油ラーメンを分け合って食べ、デザートの杏仁豆腐と胡麻団子を片付けたところでギブアップしたおりょうさんは、苦しそうに烏龍茶を飲んでいる。
「兄上と姉上がもう終りとなると、揚げぱんは控えた方が。むむ……」
「えーっと……どうしても食べたいなら、俺は少し付き合うよ」
かなり揚げパンというのに未練があるらしく、メニューを見ながら頼華ちゃんが唸っているので助け舟を出した。
「おお! さすがは兄上です! では追加で揚げぱんと、もう食事は終えたので、この気になっていた、めろんそーだというのを」
「あー……うん」
(甘いデザートに甘い飲み物はどうなんだろう?)
最近ではコーヒーの苦味にも慣れてきた頼華ちゃんに、一言注意した方がいいかもと思ったが、とりあえずは初めての飲み物を楽しんで貰う事にする。
「お待たせしました」
以外に早く、揚げパン、蒸しパン、そしてメロンソーダが運ばれてきた。
「揚げぱんは香ばしく、蒸しぱんはフワッフワで……兄上。この上から掛けられている、甘いのはなんでしょうか?」
頼華ちゃんは揚げパンと蒸しパンを食べる時に手に垂れた、甘く白い液体を舐めながら訊いてきた。
「これは練乳だね」
「練乳と申しますと、牛の乳の加工品ですか?」
「あれ、向こうには無かった?」
日本に輸入された時期は不明だが、練乳は十九世紀には発明されているので、向こうの世界にあってもおかしくは無い。
「余には覚えが無いですね」
「牛乳自体が殆ど流通してないんだし、それもそうか……練乳っていうのは、牛乳に砂糖を加えて煮詰めて、保存性を良くした物だよ」
練乳は加熱処理と糖分を多くする事によって保存性を高め、牛乳が流通し難い場所へも運べるようにという意図で開発されたと言われている。
「保存性が良く、牛の乳に砂糖で出来ているとなると、これは滋養の塊ですね! 成る程旨い!」
「何が成る程なんだかわからないけど……」
付き合うと言った手前、揚げパンと蒸しパンに手を伸ばすが、頼華ちゃんが喜んでいる練乳は、俺には甘過ぎるし、滋養もあるがカロリーの塊でもある。
(ベトナムコーヒーには、これがたっぷり入ってるって言うけど……俺には合わなそうだな)
バターでローストした豆を金属製のフィルターで濾し、練乳をたっぷり入れた甘いベトナムコーヒーは飲んだ事が無いのだが、レシピを見るだけでも相当に好みが分かれる一品だというのがわかる。
「……む? 兄上。この、めろんそーだというのは、どの辺がめろんなのですか?」
「……遂に頼華ちゃんも、メロン問題に行き着いちゃったか」
「め、めろん問題ですか?」
「うん」
思いもよらぬ反応に頼華ちゃんは不安そうな表情で、メロンソーダのグラスと俺を交互に見ている。
「頼華ちゃん、メロンは食べた事があるよね?」
「はい。兄上のお家でも、店でもあります」
こくこくと、一生懸命に頼華ちゃんが頷いている。
「じゃあ、メロンパンは知ってる?」
「まだ食べた事は無いのですが、めろんの形をしたぱんですよね?」
「うん。でもね、メロンパンは実は……メロンの味はしないんだよ」
「「えっ!?」」
頼華ちゃんだけでは無く話を聞いていたおりょうさんも、ショックを受けたような表情で声を上げた。
「め、めろんの味がしないのに、めろんぱんって……そいつは詐欺じゃ無いのかい!?」
「それを言い出すと、おりょうさんと同業の蕎麦屋も、詐欺行為を行っている事になっちゃうんですけど」
「なんで!?」
心外だと、おりょうさんの声も表情も言っている。
「向こうの蕎麦屋の品書きにはありませんでしたけど、こっちの蕎麦屋には、たぬきとかきつねっていうのがあるでしょう?」
「あるけど、それが何か……あ!」
「そうなんですよ。鴨南蛮なんかと違って、狸や狐の肉が入ってる訳じゃ無いでしょう?」
「そ、そっかぁ……」
蕎麦やうどんに入っている油揚げに関しては、お稲荷さんへのお供えからの由来だと思われるから、元が鼠を揚げた物の代用品と考えると、二段階で食品偽装をしている事になる。
たぬきに関しては、タネの入っていない天ぷらの『タネ抜き』が由来だと言われている。
「メロンパンは見た目だけを似せている物が殆どなんですが、あまり一般的じゃ無いんですけど、メロンの果肉が入っている物とかも、無い訳じゃ無いんですよ」
「「えっ!?」」
話が一回転してメロン入りのメロンパンが出てきたので、おりょうさんも頼華ちゃんも目を白黒させている。
「他には、形はメロンパンでもチョコレートが練り込んであって、外側が茶色っぽいのとか」
「黒いめろんってのは無いんだろう? そいつはどういう了見なんだい?」
「それは俺にも……何故か栗が入っているメロンパンもあるらしいです」
「もう、なんでもありですね……」
おりょうさんも頼華ちゃんも、俺からメロンと、メロンを冠する食品の現状を聞いて呆れている。
「それでもメロンパンには、見た目だけでも似せようという努力が伺えるけど、味的にメロンとは掛け離れているメロンソーダとかメロン味の飴とかは、いつの間にか定着しちゃってて、謎が付き纏うんですよねぇ」
多分だが、かき氷のメロン味のシロップから始まっているのではないかと思うのだが、この辺は、はっきりとしない。
「むむ。兄上のお話を伺っていたら、めろんとめろんぱんを食べてくなってきましたね!」
「まだ食べるんだ……」
「あはは……そいじゃ、買って帰ろうかねぇ」
ぬるい餃子の件に関しましては、実体験に基づいております。




