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イカ墨パスタ

「ただいまー」

「おかえりなさい!」

「おかえりぃ……」


 学校から帰宅した俺を、元気いっぱいの頼華ちゃんと、やや疲れ気味に見えるおりょうさんが迎えてくれた。


 どうやらまだ、頼華ちゃんに昨夜の事で引け目を感じるおりょうさんという力関係は、修復をされていないようだ。


「良太。頼まれたもんは買っといたよ」

「ありがとうございます。それじゃあデザートもあるから、着替えたら早速取り掛かりますね」


 おりょうさんに買い物の礼を言った俺は、自分の部屋に向かった。



「兄上。冷めてしまいましたが、如何ですか?」

「取っておいてくれたの? ありがとう。料理しながら頂くよ」


 制服から普段着に着替えてリビングに来た俺に、ホイップクリームを添えたホットケーキの皿を頼華ちゃんが差し出した。


「おりょうさんも、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 ホットケーキを焼いたおりょうさんにも礼を言って、俺は受け取った皿を持ったままキッチンに向かう。


「……旨いけど、ちょっと俺には甘過ぎるな」


 フォークで小さく切り取って口に運ぶと、ホットケーキにはかなりの量のメープルシロップが染み込んでいて、そこにホイップクリームが添えられているので、かなり甘さが強く、そして重く感じられる。


 口直しにマグカップにインスタントコーヒーを入れて湯を注ぎ、スプーンで掻き混ぜて一口飲んでから、冷蔵庫から食材を取り出した。


「先にデザートからにするかな」


 おりょうさんに買ってきて貰った、チョコレート味の生地のスポンジケーキをパッケージから取り出し、水平に二分割する。


 切り分けた面にマスカルポーネチーズを薄く塗り拡げ、挟むようにして生地を重ねてから皿の上に移し、全体にコーヒーリキュールのカルーアを万遍無く染み込ませる。


「これで、食べる時まで冷蔵庫に入れておけば良し、と」


 カルーアを染み込ませたスポンジケーキの上面にココアの粉を振り、乾燥防止にラップを掛けてから冷蔵庫に入れた。


「お次はイカだな」


 新鮮なイカから内蔵ごと脚を引き抜き、洗ってから皮を剥いて食べやすい大きさに切り分ける。


「これでよし。次は野菜を」


 パスタは食べる直前に調理するので、準備だけしておいて先に他の料理に取り掛かる。


「良太。頼まれたから買っといたけど、その胡瓜の親玉みたいなのはなんだい? 糸瓜(へちま)とはまた違うみたいだけど」


 俺が俎板の上に載せた大きな食材を見て、おりょうさんが声を掛けてきた。


「これはズッキーニって言いまして、瓜じゃなくて茄子の仲間ですよ」

「へぇぇ……」


 ズッキーニという名称を指定して買い物を頼んだので、おりょうさんはどういう風に調理する食材なのかが気になっていたようだ。


「そいじゃ、茄子とおんなじように調理するのかい?」

「そうですね。これから作る料理は、和風に言うと揚げ浸しみたいな感じです」


 俺はフライパンにやや多めにオリーブオイルを流し込んで火に掛け、ズッキーニを始めとする野菜類を刻んでいく。


 温度の上がったオリーブオイルにズッキーニ、茄子、赤と黄色のパプリカを投入して素揚げにし、火が通ったら油を切っておく。


 フライパンに少量のオリーブオイルを入れ直し、刻んだ玉ねぎ、セロリ、トマト、オリーブを入れて炒め、素揚げにした野菜類も入れてから塩、砂糖、ワインビネガーで味付けをする。


 フライパンに蓋をして、自然に冷めるのを待てば完成だ。



「……やっぱり甘いな」


 料理の後で、自分にとっては甘過ぎるホットケーキの残りを、冷めたコーヒーで口直しをしながら食べきった。


「あたしは、くりーむはやめときなって言ったんだけど……」


 キッチンで俺の料理を見守っていたおりょうさんが、耳元に口を寄せて囁いてきた。


「まあ、頼華ちゃんなりに俺を気遣ってくれたんでしょうから」


 自分がおいしいと思う物を食べさせたかったのだろうけど、甘味の好みに関しては俺の場合には、和菓子くらいの優しい甘さが丁度いい。


「むむ。黒い餡を白い餅で包む大福は、黒星を白星に変えるという縁起を担ぐ食べ物とは……中々上手い事を言う! それにしてもこの女の役者……実に旨そうな食いっぷりをしているな!」


 その頼華ちゃんは、今の時間帯に再放送をしている刑事物のテレビドラマを、食い入るように観ている。


「良太。あたしが飲みたいから、珈琲を淹れようかねぇ?」

「ああ、それは有り難いですね」


 インスタントの上に冷めてしまって味気無いと思っていたので、豆から挽いたコーヒーをというおりょうさんの申し出は、凄く有難かった。


「頼華ちゃんも飲むかい?」

「牛乳と砂糖入りでお願いします!」


 ドラマに夢中で聞こえないかと思ったが、頼華ちゃんからはしっかりと返事があった。


 苦笑しながら顔を見合わせた俺とおりょうさんは、コーヒーを淹れる準備に取り掛かった。



「さてと。始めるかな」


 いつもの夕食の時間が近づいてきたので、俺は大鍋で湯を沸かし、少し多めの塩を投入した。


 湯が湧いたら鍋の上でスパゲッティを絞るようにして、放射状に広がるようにして落とし、絡み合わないように軽くほぐしたら放置して、茹で上がるまでの時間で具材のイカを調理する。


 オリーブオイルが冷たい状態からにんにくにじっくりと火を通し、色が変わって香りが出たら微塵切りの玉ねぎ、唐辛子、イカを炒め、茹で上がったパスタを入れてから軽く混ぜ、イカの墨を絡めて更に混ぜたら出来上がりだ。



「あ、兄上っ!? この地獄のように黒い料理はなんなのですかっ!?」


 皿の上に渦を巻くように盛り付けた真っ黒いパスタを見て、頼華ちゃんが明らかな動揺を見せている。


「地獄って……これはイカの墨で仕上げたパスタだよ。見た目とは違って、変な苦味とかは無いから」


 確かに頼華ちゃんの言う通り、予備知識が無ければイカ墨パスタの真っ黒な見た目は、少し禍々しく感じるかもしれない。


「この黒いのは胡麻かなんかかと思ったら、イカの墨なのかい?」


 パスタを指さしているおりょうさんにも、どうやらイカ墨での味付けの料理の知識は無かったようだ。


「ええ。イカの墨が身のおいしさとパスタを一纏めにして、更に旨味を加えてくれてます。さ、食べましょうか」

「う、うん……」

「は、はい……」


 俺が促したので、おりょうさんも頼華ちゃんもフォークを手に取ったが、まだ食べるのに躊躇いがあるようだ。


「それじゃ、頂きます。ん……久しぶりだけど、旨いなぁ」


 イカの身と一緒にフォークでパスタを絡め取って口に運ぶと、イカの歯応えと味、にんにくの風味と唐辛子の辛さを感じるが、イカ墨が全体をマイルドにすると共に旨味を足してくれている。


「むむっ! この見た目は不気味で真っ黒の料理は、意を決して口に入れると、豊かな旨味を辛さが引き締めて、実においしいですね!」


 真っ黒い見た目は、口に入れるまでは相当に度胸が必要だったみたいだが、イカ墨のパスタを味わった頼華ちゃんは一転して御機嫌になった。


「味の邪魔になりそうに思ったけど、イカの墨ってのは旨いもんなんだねぇ」

「そうでしょう?」


 頼華ちゃんもおりょうさんも、笑顔で残りのパスタを食べているので、見た目の印象は払拭出来たようだ。


「兄上、お代わりを下さい!」

「はいはい。わかったけど、慌てて食べなくてもいいからね?」


 印象が変わったら、今度は一気に食欲が増したようで、すぐに食べ終わった頼華ちゃんが皿を差し出してきた。


 しかし、その頼華ちゃんの口の周りがイカ墨で黒く汚れていたので、苦笑しながら注意する。


「もう、頼華ちゃんってば。可愛い顔が台無しじゃないか」

「も、申し訳ありません!」


 自分の食べる手を止めたおりょうさんに、ティッシュペーパーで口の周りを拭き取られた頼華ちゃんは、頬を染めて恥じ入りながら俺からパスタを盛り付けた皿を受け取った。


(会ったばかりの頃を思い出すなぁ)


 頼華ちゃんと出会って最初に正恒さんの家で食事をした時に、初めて口にする猪の腸詰めを、大はしゃぎしながら手掴みで食べていた懐かしい思い出が蘇った。


(あの場とこの場に雫様がいたら、大変だったろうなぁ……)


 源氏のお姫様の頼華ちゃんには、行儀や作法の類は厳しく仕込まれていると思うので、俺が作って、手で持って食べるように勧めたら話は別だと思うが、そういう例外を除けば窘められてしまうのは確実だろう。


 俺個人としては作った物を豪快に食べてくれるのは嬉しいので、口の周りを汚している頼華ちゃんは、微笑ましくも愛しく感じる。


「このぱすたって麺も旨いけど、こっちの野菜の煮込んだのも、さっぱりしてていいねぇ」

「イカ墨はおいしいけど、食べ進めると重くなるかと思いまして。口に合って良かったですよ」


 フランスのラタトゥイユに似ている、イタリア風の野菜の煮込み料理のカポナータは、味付けに酢が入るので口の中の味覚を変えるのに良いと思ってセレクトしたのだった。


 本当はイタリアンのコースっぽく、羊か牛のローストでもとか考えたのだが、イカ墨パスタに肉では味付けを加減しても重くなってしまうかという気がしたので、全体的に野菜が少なめなのもあってカポナータにした。


 イカ墨のパスタもカポナータも、素材や味付けが日本人好みだろうと思ったが、見た目以外はおりょうさんにも頼華ちゃんにもすんなり受け容れられたみたいなので、セレクトは正解だったと言って良さそうだ。



「はい。食後のデザートです」


 人数を考えるとかなり多めな量のパスタもカポナータも綺麗に食べ終わり、食器類を片付けてからマキネッタでエスプレッソを淹れ、切らないままのなんちゃってティラミスを皿ごと持ってきた。


「これは、てぃらみすですね!」

「知ってるの?」


 その場で切り分け始めると、待ちきれないと言わんばかりに身を乗り出す頼華ちゃんが、なんちゃってティラミスから視線を外さずに呟いた。


「はい! 先日行った甘味の楽園にありましたので」

「ああ、そういう事か」


 駅前のスイーツバイキングの店のケーキの一つがどうやらティラミスで、来店した時に頼華ちゃんは食べたらしい。


「でも、あの時のはもっと、頼りない感じでした!」

「ああ、スポンジが柔らかめの奴だったんだね」


 ティラミスは店によっては、とろとろのクリームみたいな生地で作ってある物もあったりする。


「柔らかさは好みが分かれるけど……はい、どうぞ。味の方は多分、頼華ちゃんだけじゃ無くておりょうさんの口にも合うと思いますよ」

「「頂きます」」


 おりょうさんと頼華ちゃんは小皿に取り分けたなんちゃってティラミスを、手にしたフォークで食べ始めた。


「ん……こいつは、風味は珈琲だけど、もしかして酒なのかい?」

「そうです。カルーアっていう、抽出した珈琲から作られてます」


 コーヒーリキュールのカルーアは原液のままだとやや甘過ぎるが、ティラミスのような製菓の材料に使ったり、カルーアミルクのようなカクテルのベースに使うと風味が引き立つ。


「んー……味もいいけど、鼻に抜ける香りが堪んないねぇ」

「その辺は、やっぱり酒だからなんでしょうね」


 シロップにコーヒーを溶かしても同じような味になると思うが、気化し易いアルコールの性質のお陰で、口から鼻腔に風味が抜けるのだろう。


「うむ! 挟んである乾酪(チーズ)の味と全体の甘さで口が重くなってしまいそうなところですが、この表面にまぶしてある粉の苦味が引き締めてくれていますね! この濃くて苦いえすぷれっそとも良く合います!」


 最初は普通の濃さのコーヒーも、ミルクと砂糖無しでは駄目だった頼華ちゃんだが、飲み慣れた今ではエスプレッソでも、スイーツなどが一緒ならノンシュガーで大丈夫になったようだ。


「出来ればこの酒や珈琲なんかも持って帰りたいけど……無理だよねぇ?」


 フォークを咥えながら眉根を寄せ、おりょうさんが呟いた。


「珈琲は、探せば向こうでも見つかるんじゃないかと思うので、大丈夫かな?」


 コーヒーの発祥はエチオピア辺りだと言われているので、向こうの世界でも新大陸の産物などと比べれば入手は容易なのでは無いかと思う。


 しかし、こっちの世界の現在のように品種改良は進んでいないだろうから、入手出来たとしても味に期待をしていいかというのは別の話だ。


「茶葉の栽培は日本でもしてるので、その気になれば紅茶はなんとかなりますね」


 産地などで適しているかどうかという話にはなるが、収穫した茶葉を発酵させれば紅茶になるので、コーヒーのように入手が出来るかどうかがわからない物と比べれば、紅茶の調達は遥かに容易で、且つ現実的だ。


「まあ俺も偶に飲みたくなる時がありましたけど、向こうで珈琲の無い生活も出来てましたし」

「そうなんだろうけどぉ……」

「向こうでは飲み物の種類が少ないので……」


 自分の状況を例に出したのだが、こっちの世界の様々な飲み物を知ってしまったおりょうさんと頼華ちゃんは、目に見えて残念そうな表情になった。


(まあ気持ちはわからなくもないけど……)


 向こうの世界では酒が飲めない人間には、日常では水、茶、麦湯くらいしか飲み物が無いのだ。


 甘酒や冷やし飴のような飲み物もあるにはあるが、好みが分かれるし売っている場所も限られるので、常に家庭や店で飲めるという訳にはいかなかったりする。


 果汁なんかは元になる果物自体が季節物だし、生産量や味の問題もあるので、こっちの世界のジュースのように気軽に、そしておいしく飲めるようになるかは未知数だ。


「今までは無くても平気だったんですから……」

「うぅ。贅沢は覚えるもんじゃ無いんだねぇ……」

「将来的に兄上が、なんとかして下さると信じております!」

「そう言われてもなぁ……」


 おりょうさんと頼華ちゃんに出来るだけの事はしてあげたいとは思うが、品種改良や産業の発展とかの話になると個人レベルではどうにもならないので、言っている事は単なる愚痴として受け取るしか無さそうだ。



「兄上。今宵は風呂を御一緒しましょう!」


 まだ半ホール程なんちゃってティラミスは残っているが、各自の皿に盛り付けた分は食べ終わり、カップのエスプレッソも飲み干されるというタイミングで、頼華ちゃんが切り出してきた。


「えっ!? それに関しては、こっちに来た初日に話し合わなかったっけ?」


 家の風呂のキャパシティでは三人は無理なので、俺が一人で、頼華ちゃんの長い髪の毛を洗ったりする補助の意味でおりょうさんと二人で入浴というのは、こっちの世界に来て最初の入浴の時点で話し合われた事だ。


 今更その事を頼華ちゃんが蒸し返すという事は、何かの意図があるのだとは思うが……。


「ええ。ですから兄上は、余と御一緒して下されば良いのです!」 

「いや、それは……」


 頼華ちゃんの言ってる事は間違っていないのだが、それではおりょうさんを除け者にしてしまう。


「姉上」

「は、はいっ!」


 食事中から現在まで、大分和やかなムードになったと思っていたのだが、頼華ちゃんに思わせ振りな表情で呼び掛けられると、おりょうさんは手にしていたカップを音を立ててソーサーに置き、ビシッと背筋を伸ばした。


「余と兄上の二人っきりで入浴しても……構いませんよね?」

「……はい」


 昨晩の件で引け目があるので、おりょうさんは相当に渋々ながらも、頼華ちゃんの言う事には逆らわなかった。


「と言う訳です、兄上!」

「あの……俺の意思は?」

「いいですよね?」

「……はい」


 微かな抵抗を見せてみたが、にっこり笑顔の頼華ちゃんには通用しなかった。


「しかし、そこまで兄上を独占してしまうと、余も人の事を言えなくなってしまいますので、最初は兄上と姉上で御入浴下さい!」

「「えっ!?」」


 予想もしていなかった頼華ちゃんの申し出に、俺とおりょうさんは揃って声を上げた。


「でも、今宵だけだと申しておきますが、入浴後の兄上は独占させて頂きます!」

「う……」


 頼華ちゃんの宣言によって、驚く間も無くおりょうさんは言葉に詰まらされている。


「あの、俺の意思は……」

「いいですね?」

「「はい……」」


 今の頼華ちゃんには何を言っても通じ無さそうなので、俺とおりょうさんは頷いた。


(……二人を公平に扱うって決めてたんだから、別にこれは悪くは無いか)


 おりょうさんと頼華ちゃんを完全に平等に扱うなんて不可能なのだが、少なくとも昨晩の件で疎外感を与えてしまったのは確かなので、補填の意味でも言う事に従うしか無いだろう。


「では、余はこの残りを片付けてしまいますので、お先にどうぞ!」

「まだ食べるんだ……」

「あはは……」


 半ホール残っている、なんちゃってティラミスにフォークを突き刺す頼華ちゃんに、顔を見合わせて苦笑した俺とおりょうさんは、頷きあって立ち上がると風呂場に向かった。



「おりょうさん、良ければ髪の毛を洗いましょうか?」

「そうかい? そいじゃお願いしようかねぇ」


 ユニットバスでは無いのだが、それでも相当に無理をしなければ湯船に二人は浸かる程は、我が家の風呂場は広く無い。


 そこで俺が先に湯に浸かっている間に、おりょうさんが身体と髪の毛を洗うという風に申し合わせたのだが、長い髪の毛は見た目にも洗うのが大変そうなので申し出てみたのだった。


「こっちの洗髪剤(シャンプー)で洗い始めたら、以前よりも櫛通りが良くなったよぉ」


 シャンプーやリンスなどのヘアケアの用品がこっちの世界には多く、おりょうさん自身の髪質にも合ったのか、俺がシャワーで髪の毛を流すのに任せているおりょうさんは、楽しそうな口調で言った。


「そうですか。前から綺麗だったから、あんまり気が付きませんでした」

「っ! も、もう……」


 髪の毛を洗うシャンプーが泡立っているので目を瞑ったままだが、おりょうさんは困ったように口元を綻ばせた。


「それじゃ流しますね」

「うん」


 シャンプーの泡をシャワーで洗い流すが、おりょうさん自身が言っていた通りに、洗髪で汚れと共に油脂分も失われてしまうはずなのだが、髪の毛が絡まないように通している指が引っ掛かるような事は無かった。


「リンスしますから、まだ目は開けないで下さいね」

「わかったよ」


 髪の毛が長いので、シャンプーと同じく通常の三倍くらいの量のリンスを全体に馴染ませてから洗い流すと、元々から良かった張りと艶が更に増したように見える。


「ふぅ……ありがとう。お返しにあたしも、良太の背中を流そうかねぇ」


 タオルで軽く髪の毛の水分を取ってから纏めたおりょうさんは、清々しい笑顔で俺に言った。


「いいですか? じゃあお願いします」

「うん。向こうでの入浴の時には、流し損ねちまったからねぇ」

「そういえばそうですね」


 おりょうさんと頼華ちゃんと三人で入浴を始めた途端に、神様や戦乙女(ワルキューレ)の乱入があったので、こっちに来るまでの間に身体を洗っている暇が無かったのを思い出した。

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