蕎麦打ち道具
「さて、我がそなたらの前に姿を現した本題であるが、先程の話に関連がある」
「先程の話、ですか?」
頼華ちゃんが窘められた事か、おりょうさんが冷やかされた事か、天照坐皇大御神様がしみったれだと言われた事か、判断がつかないので観世音菩薩様にオウム返しをしてしまった。
「飲み食いと土産物に使える金が少ないのでは無いかと、言ったであろう?」
「はい」
「お主ら、こっちの世界の者は初詣くらいしか張り込まんのに、普通の参拝で決して少なくは無い賽銭を入れてくれたであろう?」
「えっと、はい」
実際は頼華ちゃんが出したのに合わせただけなのだが、確かに初詣とかの特別な時じゃなければ入れない額ではある。
「気持ちには気持ちで報いんとな。と言う訳でお主達、仲見世を出た辺りにある、当たりが出たら現金が貰えるクジを売ってるところがあるのは知っておるじゃろ?」
「それはわかりますけど……」
「「?」」
観世音菩薩様が言っているのは、グリーンやサマーや年末などのジャンボな物や、番号を指定したり削って当てたりするクジの売り場の事だ。
しかし、おりょうさんと頼華ちゃんは、こっちの世界に来る際のインプットでそういう物があるというのは知っているはずなのだが、仲見世の入口辺りにそういうクジの売り場があるというのを気にも留めていなかったのか、揃って首を捻っている。
「あの、お気持ちは凄く嬉しいのですけど、それってズルなんじゃ……」
「誰かが当たる可能性がある物であるしのぉ。ならばお主らが当たりを引いても構わんであろう?」
「そういうものですか……」
(神様が言うんだから、問題無いのかな?)
実質的にお金を頂けるというのが、どの程度の介入になるのかは不明なのだが、観世音菩薩様様は好意で言って下さっているのは間違い無い。
「それにその娘に、偶には目に見える形での幸運を授けてやるのも、加護を与えた我の義務であろう」
「えっ!? あ、あたし!? そ、それに加護って!?」
「あー……」
明らかに自分に話が向けられているのだが、心当たりが無いおりょうさんが目に見えて狼狽えている。
「えっとですね」
「う、うん……」
とりあえず現状を把握して貰う為に、俺が向こうの世界でおりょうさんと浅草寺を参拝した時に、今と同じように観世音菩薩様が降臨されて加護や権能を授けられ、本人に自覚が無い内に加護が授けられている事などを、掻い摘んで説明した。
「元々お主は運が良いのだが、鈴白に是非にと言われてのぉ」
「た、確かに生まれてこの方、ツイて無いって思った事はありませんでしたけど……で、でも、そんな出会って間も無い頃だったのに、良太はあたしの事を……」
「えーっと……はい」
おりょうさんが熱っぽい視線で俺を見てくるが、当時はお世話になっているとは思っていたが、まだ恋愛感情までには至っていなかった。
しかしその事を、敢えておりょうさんに言う必要も無いだろう。
(でも確か、魔除け厄除けの加護も貰ってたはずなんだけど……その割には俺とおりょうさんの周囲には、魔に属する存在が多いような)
鵺である黒ちゃんと白ちゃんを筆頭に、土蜘蛛の末裔である里の子供達、白面金毛九尾の狐である天とその眷属という、怪談では無く伝説レベルの妖が周囲を取り巻いている状況を考えると、魔除けが機能していないのか、それとも機能しているからこの程度で済んでいるのか、とか考えてしまう。
「それにのぉ、別に我がわざわざ言わんでも、お主達がその気になれば馬や自転車の競争なんかで、幾らでも稼ぐ事は出来るじゃろ?」
「……公営ギャンブルでも、未成年は禁止ですよ?」
確かに観世音菩薩様様の言う通りに、おりょうさんと頼華ちゃんくらい強運ならば、適当に買った投票券でも当ててしまいそうなのだが、未成年というだけでは無く学生であるうちは、法律上は投票券を買う事は出来ない。
だから大学などのサークルでゲーム的に予想をする事は問題が無いのだが、成人年齢に達していても実際にお金を払って投票をすると、学生の場合は違法になってしまうのだ。
「うむ。意識してるのか無意識なのかはわからんが、それでもお主らが闇雲に金を集めようとしない姿勢を我は大変に評価している。だからまあ、今回はその褒美とでも思っておくがいい」
「そういう事でしたら……」
正直、砂糖だけでは無くカレー粉や、向こうにもある素材で作られている道具類など、買って帰りたい物がどんどん増えていっているので、予算が増額されるというのは歓迎すべき状況だ。
「だがしかし、偉そうな事は言ったが、我も大した額を授ける事は出来ん。しかしこれは、そなた達の為でもあるので許せ」
「どういう事ですか?」
それ程の高額を頂けると期待して訳では無いのだが、それでも神様のする事なので、何かが障害になるとは思っていなかったから、観世音菩薩様の言い方が少し気になった。
「そう大した事では無いのだがな。ほれ、あまり高額になると、受け取りなどに色々と問題が起きるのであろう?」
「……あ」
俺はここでやっと、観世音菩薩様の言いたい事が理解出来たのだった。
「良太?」
「兄上?」
話に全く付いてこれていないおりょうさんと頼華ちゃんが、表情と視線で俺に説明を求めてくる。
「えっとですね。当選金が五万円以下の場合には気にしないでもいいんですが、それより高額になると銀行に行く必要が出て、更に五十万円を超える当選の場合には、身分証明書なんかでの本人確認と印鑑が必要になるんです」
売り場によっては五万円では無く、一万円以下までしか受け付けない場合もあるのだが、それは掲示されているマークで確認が出来る。
「あー……良太はともかく、あたしと頼華ちゃんが当選しても、受け取るのは難しいって事だねぇ」
「そうなんです」
最近ではネットでの購入も出来て、その場合には決済に使った口座に振り込まれる事になるのだが、俺の場合でも高額が出入りするのは親への説明が必要になるので、出来れば避けたいところだ。
「だからの、買う時に金も手間も掛かるのだが、その削るクジで何本か当たりをという事でどうじゃ?」
クジにも色々と種類があるのでどのタイプの物をと思っていたが、どうやら観世音菩薩様は通年売り場で扱っている、削るタイプのクジの事を言っているようだ。
「どうも何も……有り難いです」
自分がそれ程金にうるさい人間だとは思ってはいないが、予定している支出を考えると相手が神様であっても、頂ける物は頂こうという気になる。
「まあ、引き換えの際に売り場を分散すれば、当たりが多くてもそれ程怪しまれる事も無いであろう」
「そうですね。そこまでお気遣い頂いてありがとうございます」
クジの購入に関しては売り場の人が渡してくれるので、同じ人間が何枚買っても不審に思われる事は無いと思うのだが、当たりが重なり過ぎると注目を集めてしまうかもしれない。
その予防として、後でクジを買う売り場で全ての当たりを引き換えるのでは無く、例えば地元にもあるクジの売り場で引き換えたりすればいいのだ。
「うむ。まあ我が言うまでも無いとは思うが、有意義に使うが良い」
「お返しになるとも思いませんが今後も参拝や、里の祠へのお供えなどを、極力滞りが無いようにしますので」
「それで十分じゃよ」
後光ではっきりとはしないが、観世音菩薩様様は俺の言葉に微笑んだような気がした。
「後は……これを我が言うのもおかしな話なのじゃが、フレイヤのところの娘共な。相当に鬱屈しとるようだから、これで懐に余裕が出来たらお主に懸想しとる娘と、ちとがさつな娘の二人だけでも良いから、発散させてやってくれ」
「えっと……あの二人ってそんなに?」
観世音菩薩様が言っているのはブリュンヒルドと、がさつなで連想してしまうのは失礼だがオルトリンデの事で間違い無いだろう。
「うむ。フレイヤを始めとする北欧の神々の領域でも、以前程には大規模な戦などは起こっていないのでな。死せる勇士とやらの魂を集める仕事は殆ど無く、朝から晩まで酌と酔っぱらいの相手しかしとらんと聞く」
「「「うわぁ……」」」
あまりにも不憫な戦乙女達の現状を聞いて、俺だけでは無くおりょうさんと頼華ちゃんまでが、表情を歪めながら声を出してしまった。
(その辺も、フレイヤ様が俺に目をつけた理由の一つなのかな?)
地元が駄目ならば範囲を広げるというのはごく自然な事なのだが、それが原因で神様同士の軋轢が生じたりはしないのかと、神ならぬ身で考えてしまう。
「まあ、その……善処します」
「えっと……あ、あたしも」
「あ、兄上にお任せします!」
(……二人共、逃げたな)
俺も残りの滞在日数を考えて少し言葉を濁したのだが、おりょうさんは珍しく歯切れが悪いし、頼華ちゃんに至っては俺に丸投げだ。
「それで良い。そもそもがお主らが楽しむのが先決だからのぉ」
「そう言って頂けると……」
観世音菩薩様からの説明を受けて、ブリュンヒルドを始めとする戦乙女達に同情的な気持ちは湧き上がってきたのだが、親身になって考える程には関係が深まっていないというのも事実だ。
そんな深まっていない関係の戦乙女達と、いきなり裸の付き合いから始まるというのは、凄く異常な事態なのだが……。
「では名残惜しいが、この辺で終わるとするか」
「はい。色々とありがとうございます」
「「ありがとうございます」」
俺に続いておりょうさんと頼華ちゃんも、観世音菩薩様に深く頭を下げた。
「うむ。次に会えるのがいつかはわからんが、壮健でな」
そして始まった時と同じように、唐突に周囲の流れが元に戻った。
「まったく、驚いちまったねぇ……」
「今でも信じられません!」
浅草寺を出て仲見世を歩きながらおりょうさんと頼華ちゃんは、観世音菩薩様に会えたという事の興奮が治まらない様子で会話を交わしている。
「良太は初めてじゃ無いんだろ?」
「そうですね。何回かは」
今更隠しても仕方が無いので、おりょうさんの質問に正直に答えた。
「やっぱ神様だけあって、物言いにも態度にも威厳があったねぇ。比べると北欧の女神様は、人間離れして綺麗ではあったけど……」
「おりょうさん、その辺で」
フレイヤ様には自分でも色々と思うところはあるのだが、北欧と日本の環境の違いなどが神様にもあるのかもという事で、これ以上は突っ込まない方がいいだろう。
「観世音菩薩様にお会い出来て非常に有り難い事なのですが、源家で崇めている八幡神様にも、叶うのならば一度お会いしてみたいものですね!」
「八幡神様か……会えるかどうかはわからないけど、いつも頼華ちゃんを見守ってくれているよ」
俺は偶々縁があって神様達に目通りが叶っただけだが、頼華ちゃんの場合には神様の方から愛し子と呼ぶくらいなのだから、大切に見守ってくれているのは間違い無いだろう。
「そ、その仰っしゃり方ですと、もしや兄上は八幡神様にも!?」
「その辺はあまり大きな声じゃ話せないから、どこかでお茶でも飲みながらにしようね」
賑わっている仲見世で俺達を気にしている人間などいないとは思うが、会話の内容があまりにも現実離れしているので、少し気をつけた方がいいだろう。
仲見世を出たところにある売り場で、おりょうさんが強気に出した一万円分のクジを買いんだ。
コラボキャンペーンとかなのかは不明だが、クジの表面には七つのボールを集めるとドラゴンがなんでも願いを叶えてくれる作品のキャラクターが描かれている。
店頭で削って結果を見ると目立つので、先週行った上野でパンダの形のお菓子を売っていた店の喫茶コーナーに入る事にした。
俺は芋ようかんとブレンドコーヒー、おりょうさんはアイスクリームが添えられた焼き芋ようかんと抹茶のセット、頼華ちゃんは芋のソフトクリームや芋ようかんでデコレートされたパフェと抹茶ラテを注文した。
「では早速、削ってみましょう!」
「そうだね」
「わくわくするねぇ」
卓上に置かれた一枚二百円のクジの、計五十枚の上から一枚ずつ取った俺達は、オーダーした物が来る前に削り始めた。
「……お、当たった。これは千円かな」
今回買った削るタイプのクジは、六個の隠れている部分を削って同じ絵柄が三つ出れば当たりで、当選金額は揃った絵柄によって異なる。
末等が二百円なので、幸先は悪く無いようだ。
「おお! 兄上! 当たりましたよ!」
「あたしもだよ」
「二人共凄いですね。その絵柄だと……いきなりですか」
頼華ちゃんとおりょうさんの当たり絵柄は、二等の五万円だった。
(これが天運の違いって奴か……)
千円が当たったので決して運が無いといは言えないのだが、一緒にいる二人の運が太すぎるので素直に喜べない。
「ううむ。芋の優しく自然な甘さに、濃厚なクリームが合わさってなんとも……」
「焼いた芋ようかんとあいすくりーむって組み合わせも、悪くないねぇ」
「珈琲にも中々合いますね」
その後、注文したスイーツや飲み物を楽しみながら削る作業を続けると、俺も一枚だけ五万円を引いたが、ハズレの枚数もそれなりだ。
驚いた事に、おりょうさんと頼華ちゃんは末等ではあっても一枚もハズレを引かず、削った全てが当選だった。
当たりクジの総額は百一万円で、クジの購入金額を差し引きすると丁度百万円になるのは、明らかに何か、と言うか観世音菩薩様の意思が介在しているとしか思えない。
「有り難いんだけど……俺とおりょうさんでとりあえず十万円ずつくらい引き換えて、頼華ちゃんには細かい額のクジを一万円分くらい引き換えて貰おうかな」
俺とおりょうさんは外見的にもそれなりの年齢に見えるだろうから、十万円程度の引き換えならばそれ程は売り場の人に不自然も映らないと思う。
頼華ちゃんに引き換えて貰うのも少額の当選のクジならば、保護者がお使いを頼んだのだろうとか思ってくれる……かもしれない。
「全部は引き換えしないのかい?」
「う、うーん……一つの売り場で出るには、異常な当たりの確率なんですよね」
今回のクジの二等の当選金額である五万円は全部で九百本らしいが、俺達が買ったクジからは十枚以上が出ている。
細かな販売数まではわからないが、一つの売り場から出る本数としては、二等以外の当たりの数も含めて明らかに異常事態だ。
「残りは移動した先に売り場があったらそこでと、地元で引き換えましょう」
今まで利用した事は無いが、確か地元のショッピングモールにも売り場があったはずだ。
「そいじゃクジの一部を引き換えたら、いよいよだねぇ♪」
「そうですね」
「余も楽しみです!」
引き換える分のクジを各自が持ち、残りは俺が預かってジャケットの内ポケットに仕舞った。
会計を済ませてクジを引き換えると、スキップでもしそうな程に足取りが軽やかなおりょうさんと頼華ちゃんと共に、道具街と呼ばれる場所を目指した。
「こ、こいつぁ……どれも良さそうで目移りしちまうねぇ!」
目をキラキラと輝かせながら、おりょうさんが蕎麦打ち道具の専門店内を、あっちに行ったりこっちに行ったりしている。
「変わった形の包丁ですね」
「蕎麦用の包丁だね。俺は使った事が無いけど」
延ばして畳んだ蕎麦の幅に合わせて、刃渡りが大きな蕎麦用の包丁は、頼華ちゃんの言うように独特の形状をしている。
「おりょうさん、他の店も見て回りますか?」
蕎麦用の道具類の良し悪しは俺には良くわからないので、この店で売っている物がおりょうさんのお眼鏡に適うのかという判断がつかない。
「いや。この店で全部買うよ」
目移りするという言葉とは裏腹に、おりょうさんはあっさりと言い放った。
「いいんですか? もっと良い物もあるかもしれませんし」
「うん。ほら、結局は素材を考えちまうと、それ程は選択肢が無いんだよ」
「あー……」
こね鉢は合板では無く天然木で漆塗り、包丁は鋼に木の柄という、向こうの世界でも再現可能という縛りがあるので、何十種類もあるこの店の販売品の中でも、購入出来る物は限られてしまうのだ。
この縛りは他の店に行っても同じなので、何件も回ってもそれ程は選べる幅が広がらないというおりょうさんの判断なのだろう。
「ね、ねえ、良太」
「ん? なんですか?」
「観世音菩薩様が予算の増額してくれたし、少しくらい値が張っても……いいよね?」
「構わないと思いますよ」
予算の増額は観世音菩薩様からの、主におりょうさんへの配慮だし、こっちでの飲酒に関してはかなり我慢して貰っているので、ここは金額など気にせずに良いと思った物を選んで欲しい。
「一人で運べないでしょうから、手伝いますよ」
「余もです!」
「そ、そうかい? そいじゃこれとこれを……」
おりょうさんは遠慮がちに俺にこね鉢と駒板を、頼華ちゃんにはのし棒を預け、自分は篩と包丁を持ってレジに向かった。
「ありがとうございます。お持ち帰りなさいますか? それとも配送を?」
「ど、どうしようかねぇ……」
「おりょうさん、更科粉はまだ手配していないので、持って帰っても打つ事は出来ませんよ」
レジの店員の言葉に、持って帰ってすぐにでも打ちたいと考えていたのか、悩ましそうな表情をしていたおりょうさんに、俺は肝心な更科の蕎麦粉が無い事を耳打ちした。
「そ、そうだったねぇ……そいじゃすいませんけど、配送にしてやって下さい」
「はい。ではこちらに、配送先の御記入をお願いします」
俺はおりょうさんに代わって自宅の住所と、配送希望の時間帯を記入した。
店員に確認すると配送は、週明けの月曜との事だ。
「ああ、遂に買っちまったねぇ。今から打つのが楽しみだよぉ♪」
店を出ると、嬉しさが抑え切れないと言わんばかりにニコニコ笑顔で、おりょうさんが話し掛けてきた。
「姉上の打つ蕎麦、楽しみです!」
「うふふ。期待してくれていいよぉ」
頼華ちゃんの言葉を聞いて、おりょうさんは嬉しそうに頭を撫でている。
(初めての更科粉だけど、大丈夫かな?)
そう思ったが、俺自身もおりょうさんの打つ更科蕎麦には期待しているので、出来上がりを頂く時までは黙っている事にした。




