業務用
「ぷはっ! 兄上! お代わりをお願いします!」
掻き込んでいたカレーの皿から顔を上げた頼華ちゃんは、すかさずお代わりを要求してきた。
「はい。次はこの辺の揚げ物とかを添えて食べてみるといいよ」
カレーの素材と一緒に、おりょうさんに出来合いのトンカツやチキンカツ、エビフライや唐揚げやなどを頼んでおいたのだった。
一枚が大きなトンカツなどは食べ易いように切っておいて、少しずつ色んな揚げ物を試せるようにしてある。
「どれにするか迷いますね……では、最初はこの芋を揚げた物を!」
頼華ちゃんが最初に選んだ揚げ物は、ほぼじゃが芋だけのコロッケだ。
「んー! 素朴な味わいの芋の揚げ物が、咖喱にも御飯にも合いますね!」
「ソースで食べるのもおいしいけど、咖喱にも合うし、何よりも食べ応えがあるよね」
ポークやチキンのカツとカレーの取り合わせも良いと思うが、頼華ちゃんの言うようにコロッケにも、なんとも言えない魅力がある。
「へぇぇ。海老やイカの揚げ物も、こんな濃い味の咖喱と混ぜても、乾酪や納豆と同じくらいに主張するんだねぇ。良太、あたしもお代わり」
エビフライとイカのリング揚げとカレーの組み合わせて食べ終わり、おりょうさんが皿を差し出してきた。
「頼華ちゃんが作った、じゃが芋のサラダもおいしいよ」
「ありがとうございます!」
新玉ねぎの微塵切りがいっぱい入ったポテトサラダは、ネットでレシピを調べたのか、粒マスタードが効いていて口直しにはもってこいだ。
俺が褒めると、頼華ちゃんは満面の笑みを浮かべた。
「……良太?」
「も、勿論、おりょうさんの腕前もさすがですよ!?」
(料理の仕上げの時に褒めただけじゃ、駄目だったか……)
どうやら頼華ちゃんを褒める時には、何かおりょうさんの事も材料を見つけて一緒に褒めないと、御機嫌を損ねてしまうようだ。
だがしかし、褒めるというのは良い事だから、今後はもっと積極的に行ってみよう。
「む? 兄上。これもころっけかと思ったら、中身は挽き肉ですか?」
「ああ。それはメンチカツだね。メンチっていうのは、挽き肉を意味するミンチが語源だよ」
コロッケが小判型でメンチカツが円形と見た目の違いはあるのだが、初めて食べる頼華ちゃんには微妙な差がわからなかったみたいだ。
「あたしのこれも、もしかして向こうで良太が作ってくれた、挽き肉を固めて焼いた奴かい?」
「ああ、そうですね。乾酪を入れたり、パンに挟んで出したりもしましたね」
おりょうさんが新たにカレーに載せたのは、市販品の油を引かずに焼ける小振りなハンバーグだ。
「でも向こうで食べたのとは、随分と味が違うように感じるねぇ」
「それは、鹿とか猪の肉と比べると……」
向こうでハンバーグを作るのに使った鹿と猪の肉は、主に骨から削ぎ落としたような物ばかりだが、脂との割合を考えて配合してしっかり叩いたので、材料だけを考えるとかなり高級な部類になると思われる。
対する今日のハンバーグは、肉以外にも様々な材料で調整がされているし、口当たりもハンバーグよりはソーセージっぽくて、間違っても高級品とは言えないだろう。
(でも、この味って好きなんだよな……)
はっきり言って安っぽい味で、事実安いのだが、時折無性に食べたくなるのがこのハンバーグだったりする。
「はぁぁ……やはり咖喱は旨いですね! 兄上。是非ともこの咖喱の素も買って帰りましょう!」
お代わりをして満たされたのか、頼華ちゃんが幸せいっぱいという表情で一息ついたと思ったら、カレールーの購入を訴えてきた。
「うーん……俺もそうしたいんだけど、難しいかなぁ」
向こうの世界だと和漢薬の材料を調合しなければカレーを再現出来ないのだが、幸いな事に偶然入手した竜涎香と交換のような形で、薬種問屋の長崎屋さんから調達が出来た。
和漢薬の材料を使うので非常に高価な一皿になってしまうから、頻繁に食卓に出すのは困難になってしまうので、出来合いのカレールーを持って帰れる事になれば、金銭的にも非常に助かりはする。
「良太。和漢薬の材料を買って帰るとかは出来ないのかい?」
「和漢薬はこっちでも安くは無いと思うので……あ」
おりょうさんの言葉を受けて、頭に閃く物があった。
(なんでこんな簡単な事を、思いつかなかったんだろう……)
市販のカレールーが無くて、和漢薬の材料で再現したのに、ルー以外に使える物が頭に浮かばないとは……自分の間抜けさ加減が情けなくなるが、簡単な方法があったのに気がついた事に、思わず声が出た。
「な、なんか思いついたのかい?」
俺の声に反応したおりょうさんが、問い掛けてきた。
「はい。切った材料を煮込んだ物に溶かすだけのルーも、和漢薬の材料も買って帰れなくても、大丈夫なカレーの素があったのを思い出しました」
「「?」」
俺の言い回しが悪かったのだとは思うが、おりょうさんと頼華ちゃんが揃って首を傾げる。
「ど、どういう事なんだい?」
「どういう事ですか?」
「味の調整とか、小麦粉でのとろみつけとかはしなければならないんですが、香辛料を混ぜただけの咖喱の素っていうのが、普通に売ってるのを思い出したんです。食事中ですが、ちょっと失礼……」
二人に断った俺は中座して、ローテーブルの脇に置いたタブレット端末を取って戻った。
「えーっと……これです。業務用があるのは知ってたけど、二キロ入りなんてあったんだな。あれ? 十キロっていうのもあるな」
詳しく調べたら業務用のお届けサイトというのがあり、二キロどころか十キロ入りという、一般家庭には全く縁が無さそう商品が見つかった。
お届けサイトを開いたままのタブレット端末を、おりょうさんに手渡した。
「二キロで五千円。十キロだと二万円ちょっとで送料無料と……良太。この咖喱粉ってので、何人前くらい作れるもんなんだい?」
向こうでカレーを再現した時には、味の具合を見て少しずつ香辛料のミックスを足していったので、横で作るのを見ていたおりょうさんには、分量の見当がつかなかったのだろう。
今日に関しては香辛料以外の材料もまとめて固形にしてあるルーで調理をしたので、カレー粉をどれくらい使って作るのかという参考にはなっていない。
「えっと……八十グラムで五十皿って事なので、一人前という事なら一・六グラムですね」
おりょうさんと頼華ちゃんがタブレット端末を見ているので、スマートフォンで調理する際のカレー粉の使用量を調べて説明した。
「な、なんだってぇーっ!?」
「なんですとぉーっ!?」
俺が読み上げた商品の情報を聞いて、おりょうさんと頼華ちゃんが大声を上げた。
一人分が一・六グラムとして、業務用の十キロ入りを使えば、単純計算で六千二百五十皿分のカレーが作れるというのだから、おりょうさんと頼華ちゃんの反応も当然といえば当然だ。
そして驚くべき事に、一皿辺りに必要なカレー粉のコストは、これも単純計算ではあるが三円ちょっとしか掛からない。
「俺はそのカレー粉を使って作った事は無いんですけど、そんなに出来るんですね」
向こうでは苦心して香辛料のミックスからカレーを作り上げたが、こっちでは主に手間を惜しむという点から、市販のルーかレトルトのお世話になっていたので、カレー粉を使った事は無かった。
だからカレー粉八十グラムで五十人前を作れるというのは、俺にとっても新鮮な驚きだった。
(それにしても、一度に出て行く額は大きくなっちゃうけど、この十キロ缶の存在を知っちゃうと、他のサイズの購入は選択肢に入らなくなるな)
パッケージのコストというのがあるのは勿論承知の上なのだが、業務用と比較してしまうと、一般家庭用の小さな缶入りのカレー粉の割高感が際立ってしまう。
ただ、香辛料の香り成分というのは時間と共に失われていくので、短期間に大量に使うのが決まっているので無ければ、大きな缶を買うのはリスクを伴ってしまうのだが……。
しかし、ドラウプニールという劣化をしない保存法がある俺達にとっては、単価は高くなってしまうがその分だけ量が多い業務用のカレー粉は、非常にお買い得である。
最終的にどのサイズにするかを決めて、おりょうさんと頼華ちゃんと購入を見当するべきだろう。
「うう……やっぱり咖喱は魔性の食いもんだねぇ」
食後に、仰向けに寝っ転がったおりょうさんが、お腹を押さえながら呻くように呟いた。
おりょうさんと頼華ちゃんと俺で、五合炊きの炊飯器の御飯を平らげてしまったのだから、正にカレー恐るべしである。
「消化を良くしましょうね。珈琲を淹れてきますから、待ってて下さい」
「済まないねぇ……」
満足感の混じった溜め息混じりに、おりょうさんの声が背中に掛けられた。
(今日はカレー以外にも、ちょっと重かったからなぁ)
いつも食べ過ぎな傾向のカレーに加えて、頼華ちゃんの作ったポテトサラダに、付け合せの揚げ物類やハンバーグまであったのだから、相当に胃に負担が掛かるのも当然である。
(んー……スパイスでも入れようかな?)
濃いめのコーヒーだけでも消化促進の効果はあるが、スパイスで増強させてカフェインの胃への負担も和らげた方がいいだろう。
俺はカレーの汚れを軽く水で流してから、食器類を食洗機に放り込んで電源を入れ、冷凍庫からコーヒー豆を取り出してミルで挽き始めた。
「お待たせしました」
「ありがとう……よ、っと」
「ありがとうございます」
おりょうさんと頼華ちゃんはなんとか上半身は起こしたが、まだ苦しそうにローソファーに背中を預けた格好で座った。
「……おや? こいつは珈琲だけの香りじゃないねぇ」
「気が付きました? 少しでもお腹が楽になるようにと、香辛料を入れてみました」
「……辛いのですか?」
俺とおりょうさんとの会話を聞いて、頼華ちゃんが渋い表情でカップの中を覗き込んでいる。
「香辛料って言っても、辛くない物もあるんだよ。大丈夫だから飲んで御覧?」
頼華ちゃんを安心させる為に、先ずは俺が一口飲んで見せた。
口中から鼻に掛けて、コーヒーの芳香と共に甘い香りが広がる。
続けて、さっき食べたカレーの中にも感じた、鮮烈な香りが鼻を突き抜けた。
「へぇ……香りは甘いけど、飲むと複雑な風味がするんだねぇ」
「コーヒーに丁子、桂皮、肉荳蔲を入れてあるんです」
細かく挽いたケニアの豆をマキネッタで淹れたエスプレッソに、粉末のクローブとシナモンとナツメグを軽く振り入れてあるのだが、どのスパイスも漢方では健胃効果があると言われている。
「はぁ……カレーが少し辛めでしたので、風味も相まって砂糖無しでも甘く感じますね!」
念の為にザラメも用意しておいたが、苦いのが得意では無い頼華ちゃんにも香辛料入りのエスプレッソは口に合ったようだ。
「そうだ……兄上。これは昨日お話した、らじおの懸賞金なのですが、物品の購入に足しにして下さい!」
「えっ!? でも、これは頼華ちゃんのお金だよ?
自分の物や、御両親の為に買いたい物はあると思っていたので、頼華ちゃんのこの申し出は予想していなかった。
「そうは仰いますが、余は宿も食い扶持も兄上にお世話になっておりますから」
「そういう風に考えた事は無かったな……」
俺が不在の間におりょうさんと頼華ちゃんが家を使っているので、光熱費なんかに多少の影響は出るとは思うのだが、外での飲食に関しては俺の分もまとめて計上して貰っている。
おりょうさんと頼華ちゃんの衣類などの身の回り品と、俺の家から出た後の宿泊に掛かる分は完全に必要経費だし、向こうで必要そうな物の購入に関しても、天照坐皇大御神様から頂いた分から出すのは当然だ。
「兄上が受け取らないと仰るのでしたら、余が個人的に咖喱粉を買いますが」
「いや、それは……はぁ。わかったよ」
俺の目を真っ直ぐに見てくる頼華ちゃんの決心は変わらないみたいなので、差し出してきた懸賞金の入っているらしい封筒を溜め息混じりに受け取った。
「でも……はい。これだけは頼華ちゃんが個人的に持ってて、好きに使うんだ。いいね?」
俺は封筒の中から一万円札を一枚抜き出し、頼華ちゃんに差し出した。
さっきの頼華ちゃんと同じく、今回は俺の方が折れる気が無い。
「……」
俺の行動を、ポカンと口を開けて見ていた頼華ちゃんだったが、やがてにっこり笑いながら両手を出して一万円札を受け取った。
「全く、兄上は頑固ですね」
「頼華ちゃんもね」
憎まれ口を言い合うようになってしまっているが、お互いに笑顔だ。
「でも……そんな兄上が大好きですっ!」
「うぐっ……お、俺もだよ」
予備動作無しに、おりょうさん達程では無いと言っても、十分に満たされている場所に頼華ちゃんが飛び込んできたので、少し気合と力を入れなければエグい事になるところだった。
「むぅー……」
にこにこ顔の頼華ちゃんとは対象的に、仏頂面のおりょうさんが対抗するかのように、俺の膝の上に頭を載せてきた。
「おりょうさん。残りの管理はお願いします」
「……わかったよぉ」
苦笑しながら下から俺を見上げて、おりょうさんは封筒を受け取った。
「良太。有り難くこいつを使わせて貰って咖喱粉を買って、残りはちょっといい蕎麦を食うってのはどうだい?」
「う、うーん……」
「な、なんか不味いのかい?」
いい蕎麦と聞いて唸った俺に何事かと、少し頭を浮かせながらおりょうさんが訊いてきた。
「……個人的には、あまり高い蕎麦というのに魅力を感じていないんですよ」
「そりゃまあ、蕎麦ってのはそういう食いもんだし……って、もしかしてこっちじゃ違うのかい?」
「ほんの少しの量でも高かったり、懐石の一部にして出されるような蕎麦っていうのもあるんですよ」
個人的には蕎麦というのは、軽くても食事としての量があるというのが前提だと思っているのだが、もりを二枚で一食分程度の量しか無いのに一枚が高額だったり、様々な料理のコースの中に、申し訳程度の量の蕎麦を出すような店というのは存在するのだ。
そういう店も、行く客も否定する気は全く無いのだが、自分が積極的に行く気は無いし、仮に招かれたとしても二の足を踏んでしまいそうだ。
「週末に行こうと思ってる店にも、品書きに高い物はありますけど、殆どは食事として量も金額も妥当な物ばかりですから」
季節物や種物などに少し高いメニューはあるのだが、おりょうさんの希望としてはこっちの世界で進化した蕎麦の食べくらべだ。
味や技術の違いを知るのが種目的なので、あまりお腹に溜まる種物は頼まないだろうから、結果として高いメニューを選ぶ事にはならないだろう。
「あ、でも。行こうと思ってる店に、予約限定の物があるので、それは頼みましょうか」
「ほぉ? どんなのかはわからないけど、頼んじまうといいよ」
「何が出てくるのか、楽しみですね!」
(予約限定だけど、そんなに高くも無いんだよな……)
おりょうさんと頼華ちゃんの期待には、味では応えられると思うのだが、少しプレッシャーを感じる。
しかし俺自身も一度は試してみたいと思っていたメニューなので、確実に予約をしておこうと心の中に刻みつけた。
「あ、そうだ。よっこらしょ……っと。良太、こいつも届いたんだよ」
年寄り臭い、と言っては失礼なので口には出さないが、おりょうさんが重々しく身体を起こすと、リビングの隅に置いてあった箱を手に取って俺に差し出してきた。
「ああ、これがラジオで当たったっていう……」
(凄いな。本当に元祖シャンパンとは……)
黒いガラス瓶に、西洋の盾のようなデザインのラベルを貼ってある、おそらくは世界一有名なシャンパンのボトルは、独特の雰囲気を放っている。
「でも貰ったはいいんだけど、いつ開けようかってのに迷っちまうねぇ」
「そうでしょうね」
こっちでは極力酒類を飲まないようにおりょうさんにお願いしてあるし、吹きガラスでは無いボトルは、もしかしたら向こうに戻る時点でダメ出しをされる可能性がある。
「さすがに料理に使うには勿体無いですしね」
「そうだねぇ……」
シャンパン蒸しを始め、白ワインを使う煮込み料理などにも使えはするのだが、食通を唸らせるのでも無ければ、価格からして使い方が間違っている。
「うーん……天照坐皇大御神様に頼み込んで、鎌倉での挨拶の時に開けさせて貰いますか?」
「それも悪かぁ無いんだけど……これ、良太の御両親に進呈しようかねぇ」
「えっ!?」
思いもよらぬ提案を、おりょうさんがしてきた。
「で、でもですね。我が親ながら、こんな高級品を飲んで味がわかるような口じゃ無いですよ!?」
我ながらひどい事を言っている自覚はあるが……うちの両親は旨い物は好きなのだが、それはあくまでも自分達が手の届く範囲であって、高級だったり希少な品に縁が遠い生活をしているというのは、子供である俺が一番良く知っている。
「でもねぇ。頼永様や雫様には、こいつよりは清酒の方が喜ばれる気もするし、何よりもここは良太の御両親の家だろ? お世話になっといて、なんにも差し上げられないってのはねぇ……」
「兄上。ここは姉上のなさりたいようにしては如何ですか?」
「う、ん……」
俺としてはおりょうさんと頼華ちゃんには出来ないと思っていた、両親との顔合わせが出来ればいいとだけ考えていた。
しかし言われてみれば、自分がその立場になったとしたら、同じようにしたいという気持ちが良くわかったのだ。
「わかりました。それじゃこのシャンパンの扱いは、おりょうさんにお任せします。って、元々がおりょうさんの物なので、当然なんですけど」
「そりゃそうだねぇ」
俺の言葉を聞いて、おりょうさんは柔らかく微笑んだ。




