納豆トッピング
「後は、料理によっては面倒な調味料なんかを合わせた物とかを売っているので、材料を切ってそれを掛けたり混ぜたりすれば完成、なんてのもありますよ」
俺はタブレット端末で食品メーカーのサイトを開き、主に中華料理を簡単に作れるようにしてある、合わせ調味料のシリーズを表示させた。
「へぇぇ……肉や海老、豆腐や野菜なんかとこいつを買ってくれば出来るなんて、便利なもんだねぇ」
「そうなんですよ。本格的に作ろうと思うと、香辛料が幾つも必要になるのを、これがあれば作れるんですから」
香辛料などは他の料理にも使えるので、買い揃えておいても構わないのではと思うが、物によって消費するペースには偏りが出るし、何よりも種類が増えていくと置き場所が圧迫されるのだ。
合わせ調味料のシリーズは使い切ってしまえる上に値段も安く失敗も少ないので、個人的には素晴らしい商品だと思っている。
「香辛料と言えば、こんなのもありますよ」
俺は別の食品メーカーのサイトを開き、向こうで苦心して再現したアレのベースになる物を、おりょうさんと頼華ちゃんに見せた。
「こ、こいつは……」
「こ、これは……」
「向こうでもこれがあれば、作るのが簡単だったんですけどね」
俺が向こうで再現し、おりょうさんや頼華ちゃん達を虜にしたカレーの味のベースになるカレー粉を見て、二人は言葉を失った。
「そう言えば、ここ最近は御無沙汰だったねぇ……」
「こっちに来たので感覚が狂っちゃってますけど、向こうでは里での翌日か翌々日の夕食が咖喱の予定でしたね」
向こうの世界で里に帰った俺達は、次の日に鎌倉に行って頼永様と雫様におりょうさんと頼華ちゃんと婚約を交わしたと報告して、その日か翌日の夜に牛肉を使ったカレーにする予定だった。
体感時間では向こうで風呂に入っていた日から三日が経過しているので、言われてみればカレーを食べる機会を逸している事になる。
「姉上! では明日の晩にでも!」
「そうだねぇ!」
「なんか凄くその気になってますね……」
頼華ちゃんのカレーのリクエストに、おりょうさんが実に力強く応えている。
「でも、あたしは咖喱の調理はねぇ……」
おりょうさんが、ちょっと申し訳無さそうな表情で俺を見る。
「市販の咖喱のルーの箱に、作り方とかも載ってるんですけど……別に俺は構いませんよ」
元々が料理が上手なおりょうさんなので、市販のルーの箱書きだけで作れそうだが、頼られて悪い気はしない。
「でも、俺が帰ってきてから仕込むと夕食が遅くなっちゃいますから、下拵えだけお願いしちゃっていいですか?」
具材を炒めたり煮込んで柔らかくする作業をおりょうさんにお願いしておけば、ルーと混ぜ合わせて味の調整だけすれば、御飯が炊けていればすぐに食べられる。
煮込む時間を長く取って、全体の味が馴染むのを待ちたいところではあるが、そこは日本が世界に誇る市販品のルーのクオリティと、様々な隠し味による微調整でなんとかしよう。
「そいじゃ良太。早速作り方を教えて貰おうかねぇ」
「えっ!? もう少し、便利な物を教えようかと思ってたんですけど」
まだまだ試して欲しい、料理やデザートなんかの素材の説明をしたかったのだが、既におりょうさんと頼華ちゃんの意識はカレーに移ってしまったようだ。
「それはまた後でいいじゃなかぁ。さ、早く」
「わ、わかりましたよ。えーっと……」
自分の記憶を頼りに教えても良かったのだが、おりょうさんが調理中に見直す事が出来るようにと、以前に調べた非常に合理的なカレーの作り方を発表している方のサイトをタブレット端末で開いた。
「牛の乳と混ぜ合わせるだけで、こんなのが作れるのかい!?」
「姉上! なんとこちらは甘い豆腐のでざーとがつくれるそうですよ!」
「いや、それは豆腐に似てるからそういう名前がついてるだけでね……」
カレーの作り方の説明が終わったところで、改めて便利食材の話になったのだが、二人にはインスタントの味噌汁やレトルトの御飯とかよりは、デザート類の方への関心の方が高いようだ。
「ただいまー」
「おかえりぃ」
「おかえりなさい!」
翌日の夕方、帰宅した俺をデニム地のエプロン姿のおりょうさんと頼華ちゃんが迎えてくれた。
「……」
(いい! 凄くいい! これが新婚さんの気分か!?)
にこやかな顔のエプロン姿の女性に帰宅を迎えられるのがこれ程嬉しく感じるとは、実際にされてみなかればわからなかった。
「良太?」
「兄上?」
二人を見つめたまま立ち尽くす俺に、おりょうさんも頼華ちゃんも怪訝な表情をする。
「な、なんでもないですよ!? 部屋に荷物を置いてきますね!」
「う、うん?」
「は、はい?」
場を誤魔化す為に必要以上に大きな声を出す俺に、何か不審な物を感じているようだが、おりょうさんも頼華ちゃんも追求はしてこなかった。
「とりあえず、炒めた具を一煮立ちさせてから火を止めて、そのまま蓋をしておいたよ」
「さすがはおりょうさん。上出来ですね」
蓋を開けて鍋の中を見ると、大きさが整った肉や野菜が、全体が浸るくらいの水加減で煮込まれていた。
「っ! め、飯もちゃんと炊いてあるからねぇ」
俺が褒めた事への照れ隠しなのか、頬を染めたおりょうさんは湯気を吹き出している炊飯器を示した。
どうやらこっちの世界の調理器具などの扱いには、もう問題は無さそうだ。
「余も姉上をお手伝いしました! 咖喱の具材切りだけでは無く、芋のさらだとやらも作りましたよ!」
「そう。それは夕飯が楽しみだ」
頼華ちゃんが手を上げてお手伝いのアピールをするが、肝心のサラダの器が見えないのは、多分だが冷蔵庫に入っているのだろう。
「それじゃ後は俺に任せて下さい……っと、頼華ちゃん。この間上野で買ったチョコレートを、少し貰えるかな」
「構いませんが、料理の前におやつですか?」
(まあ、こういう反応になるよな)
学校帰りの俺がティータイムにしようとしていると、頼華ちゃんは思ったのだろう。
「そうじゃなくてね。咖喱の隠し味に使おうと思って」
「咖喱にですか!? ちょっとどういう味になるのか、想像がつかないのですが……」
「あたしもだねぇ……」
カレーとチョコレートの取り合わせというのが頭の中では噛み合わないらしく、頼華ちゃんもおりょうさんも渋い表情をしている。
「あの、隠し味ですから、そんなに主張する程入れるわけじゃ……」
「そ、そうですよね!」
「言われてみりゃあ、隠し味ってのはそういうもんだねぇ」
(チョコレートを上に乗っけたカレーでも、想像してたのかな?)
俺の言葉で挙動不審になる二人を見ていると、当たらずとも遠からずといったところかもしれない。
「そ、それでは少しお待ち下さい!」
そう言い置いて頼華ちゃんは、六畳間に入ったと思ったら、すぐに手提げのビニール袋を持って戻ってきた。
「では、どれにしましょうか? えっと、山葵入りに、これは抹茶味のぽっちーとかいう……」
「いや、出来れば余計な味の無い、板チョコがいいんだけど……」
叩き売りの店主が最後の方に入れていた、大きな箱入りの物は印象に残っていたが、他にどういう種類のチョコレートが入れられているのかは気にしてなかったので、思いの外にバリエーションに富んでいたのに、今頃になって驚かされた。
(山葵味のチョコなんか入ってたんだ……)
アメ横のチョコレートの叩き売りは格安なのだが、量も内容もお任せなので、山葵入りなんて物が入っているとは、今日になるまで知らなかった。
推してくるくらいなので頼華ちゃんは気に入っているのかもしれないが、ネタ的な山葵味や、細長いクラッカーのような生地を抹茶味のチョコレートでコーティングしたような物をカレーに入れたらどうなるのか想像がつかない、と言うよりは想像をしたくないような味になりそうだ。
「ではこの辺でしょうか?」
「うん。じゃあこっちを貰うね」
頼華ちゃんが出してくれたのは、小さいサイズの板チョコが何種類かアソートになっている中の、ミルクとビターとブラックのチョコレートだった。
俺はその中から、あまりカレーに苦味が主張しないようにと、ミルクチョコレートを一枚貰った。
普通サイズの板チョコでは少し大きいと思っていたのだが、アソート用の小振りのチョコレートは、隠し味に使うには丁度良さそうだ。
「では姉上! せっかくですからこの猪口齢糖を茶請けにしましょう!」
「ちと茶の時間には遅いけど、まあいいかねぇ」
どうやら二人の会話を聞いていると、今日はティータイムは無しでカレー作りを行っていたようだ。
「そうして下さい。俺も少ししたら行きますから」
俺はガスコンロの火を点け、チョコレート以外の隠し味に使う調味料を準備する。
「そうかい? そいじゃ良太の分の飲み物も、用意しておくからねぇ」
「兄上、お待ちしております!」
おりょうさんと、まだまだ中身が多そうなチョコレートの袋を抱えた頼華ちゃんは、リビングの方へと歩み去った。
「えっと、後は……コンソメかな」
カレーの隠し味にはチョコレートの他にも、ジャムやインスタントコーヒーなどを入れて、味に複雑味やコクを増すのだが、今回はミルクチョコレトで甘さと苦さが足されるので、コンソメによる出汁成分の強化だけに留めておく。
「……もう少し辛さが欲しいかな?」
煮立った鍋に市販のルーを投入して溶けたのを見計らって軽く混ぜて味を見ると、おりょうさんや頼華ちゃんの好みには少し辛さが足りないように思える。
「……カイエンペッパーにクローブ。後はガラムマサラでいいな」
再び火に掛けた鍋に、カイエンペッパーで鮮烈な辛さ、クローブで深みを、そしてガラムマサラで全体をまとめて、思い描いた味に近づける事が出来たので、鍋に蓋をして火を止めた。
「終わったのかい?」
「ええ。多分ですけどお口に合うかと」
「おお! それは楽しみです!」
俺がリビングに行くと、おりょうさんと頼華ちゃんはコーヒーを飲みながら寛いでいた。
「あれ? インスタントですか?」
香りからするとコーヒーはインスタントで、合わせているのはさっき頼華ちゃんが見せてくれた山葵入りのチョコレートと、抹茶味チョコレートのスナック菓子だ。
「うん。色々と試してみようと思ってねぇ」
どうやらおりょうさんはインスタントの方が味が落ちるというのは承知の上で、飲んでみようという気になったらしい。
「それで、味の方は如何ですか?」
「うん。粉と湯の量の加減にもよるんだろうけど、あんまり余韻が無い以外には、思ってた程は悪くないねぇ」
「成る程」
インスタントにも色々と種類があるのだが、父親が買っているソリュブルという方式で作られたコーヒーは、従来品のフリーズドライと比べると味や香りがあまり飛ばないと言われているので、おりょうさんの感想は的確だ。
「ただ、頼華ちゃんには悪いんだけど、こいつらは珈琲には合わないねぇ」
おりょうさんは苦笑しながら、山葵入りと抹茶味のスナック菓子のチョコレートを見つめる。
「う、うむ。では姉上、お口直しにこれなど……珈琲豆を包み込んだ猪口齢糖だそうです!」
どうやら様子を見ていると、山葵入りと抹茶味のチョコレートは頼華ちゃんもコーヒーと合わないと感じていたようなのだが、自分で勧めた手前、おりょうさんに言い出せないでいたらしい。
おりょうさんがコーヒーには合わないとはっきり口に出したので、渡りに船と別のチョコレートを出してきたのだった。
「どれどれ……おっ!? 濃い珈琲の味と甘さが調和して、旨いもんだねぇ。そこに珈琲だと、味が重なっちまいそうだけど……うん。ぶち壊しにならずに、意外と調和するねぇ」
「そうですか? じゃあ俺も」
「どうぞどうぞ!」
頼華ちゃんが差し出してくれた、コーヒー豆をチョコレートコーティングされた物に遠慮無く手を伸ばし、おりょうさんが淹れてくれてあったインスタントのコーヒーを一口飲んだ。
「おりょうさんの言う通り、良く調和してますね。これはちゃんと淹れたコーヒーだと味がぶつかりそうな気がするので、インスタントだから合ったのかも」
チョコレートの甘さと香りで、コーティングされたコーヒー豆の産地や銘柄までは判断出来ないが、深煎りで思いの外と言うと失礼かもしれないが、上質な味だった。
「ああ、そういうもんなのかもしれないねぇ」
どうやらインスタントに足りない味や香りを、チョコレートとコーティングされた豆が補って、良い調和を生み出してくれたようだ。
「うむ! 確かに姉上と兄上の仰る通りに、いんすたんとの珈琲に猪口齢糖が深みを与えてくれておりますね! 他にも合う物が……」
「頼華ちゃん。夕食は咖喱なんだから、今の内にあんまり食べると、入らなくなるよ?」
頼華ちゃんはコーヒーとの新たな調和を求めて、手提げビニール袋の中のチョコレートを物色し始めたが、夕飯までの時間を考えて注意した。
頼華ちゃんもおりょうさんも、カレーだと限界を超えてまで食べようとする傾向があるので、胃への負担を考えてだ。
「むぐっ! た、確かに……では夕食に備えて、軽く鍛錬など!」
「食事の為の鍛錬ってのは、どうなんだろうねぇ……」
立ち上がって、どうやら馬歩を始めようとした頼華ちゃんを見て、おりょうさんが呆れたように言った。
「そいじゃ、頂きます」
「「頂きます」」
支度をメインでやってくれたおりょうさんの号令で、夕食を開始した。
既に卓上には、御飯とカレーの盛られた皿が置かれている。
「よーし。先ずは咖喱と御飯だけで頂きますよ!」
早速頼華ちゃんは、手にしたスプーンに御飯とカレーを半々くらいに取って、笑顔で口に運んだ。
「おおぉ……向こうで食べた物よりも鮮烈でありながら落ち着いた感じがするという、なんとも相反する味わいですね!」
「頼華ちゃんの言う通りに、香辛料の味はしっかり出てて刺激的なのに、熟れた感じがするのは不思議だねぇ」
頼華ちゃんとおりょうさんは、久々のカレーの味に喜ぶと同時に戸惑っている。
「多分ですけど、予め香辛料が配合されている辛口の市販のルーのお陰じゃないですかね」
市販のカレールーは予め辛さと香りを調整されているのだが、それが一晩置いたような効果を出して、おりょうさんが言うところの熟れた状態になっているのだろう。
頼華ちゃんが鮮烈だと言っているのは、後から足したクローブによる効果だろう。
「実においしいです! では本格的に……」
「頼華ちゃん、ちょっと待った」
「むぐっ!? あ、兄上! またお預けなのですか!?」
「いや、別に意地悪しようとかじゃ無いんだけど……」
味見は済んだので、これから一気にと思っていた頼華ちゃんが機先を制されて、俺に恨みがましい視線を向けてくる。
「どうせなら、こっちで出来る色んな食べ方をして貰おうかと思っただけなんだよ。先ずはこれ」
俺は用意しておいた、冷蔵庫の中に残っていたとろけるスライスチーズの保護フィルムを剥がして、頼華ちゃんとおりょうさんの皿の上に載せた。
「これは……乾酪ですね?」
「そう。向こうでは咖喱に合わせた事は無かったよね?」
那古野でブルムさんから買って様々な食べ方を試したが、チーズにも色々と種類があるので、向こうではカレーに合わせる事はしていなかった。
「で、では……むむっ! 乾酪の塩味と濃厚な風味が加わりますが、咖喱の辛さは少し抑えめになって、食べ易くなりますね!」
「向こうで、ぱんと一緒に食った時も旨いと思ったけど、咖喱にも合うもんだねぇ」
こっちの専門店では比較的標準的なトッピングのチーズは、頼華ちゃんとおりょうさんに気にられたみたいだ。
ただ、チーズ自体の味がそれなりに違うので、向こうに戻って食べ比べると受ける印象が変わるかもしれないが。
「次は好みが別れますけど、納豆です」
こっちの世界ではごく一般的な、スチロールのパッケージに入った納豆を示す。
「……納豆ってのはねぇ」
朝食の定番でもある納豆だが、カレーとは合わないと思っているようで、おりょうさんは渋い表情をしている。
「……うっ。あ、兄上。この納豆は、向こうの物よりも匂いが強い気がしますが?」
「あー……そうだね。多分だけど藁包みじゃないからだな」
こっちの世界では一般的なスチロールのパッケージの物と比べると、煮た豆を藁で包んで作った向こうの世界の納豆の香りは、少しマイルドだ。
頼華ちゃんが匂いを嗅いで顔をしかめるのも、わからなくはない。
「匂いが気になるなら、別に無理して食べなくても……」
「いいえ! 兄上が用意して下さったこの手の物は、おいしいと相場が決まっています!」
「相場って……」
「で、では……」
スプーンに軽くひと掬いくらいの納豆を皿に載せ、カレーと御飯に混ぜた頼華ちゃんは、少し緊張した面持ちで口に運んだ。
「ええっ!? 口に入れると意外に匂いは気になりませんね! それでいてカレーの中に納豆の味はしっかり主張されて、これはおいしい!」
勢いの付いた頼華ちゃんは、皿に納豆を追加して残りのカレーを一気に掻き込んだ。
「……あたしも試してみようかねぇ」
頼華ちゃんが嬉しそうな食べっぷりで、おりょうさんの偏見も少し薄れたらしく、納豆をスプーンで取ってカレーに絡め目を瞑って口に運んだ。
「……あれ? 本当に匂いが気にならないんだねぇ。これなら乾酪の方が強いくらいだよ」
相当に良い意味で裏切られたのか、おりょうさんも笑顔でカレーをパクパク食べ始めた。




