コンパウンドボウ
「な、成る程。威力がある代わりに、扱いが難しいのですね」
「うん。でも単弓程度の物でも威力があるから、里の子供達には向いてると思うんだけど、整備性が悪いとちょっとね」
レンノール作の合成弓も、複合素材のおかげでテンションが高く、弓弦の張り直しは手間なのだが、それでも複合弓程では無い。
俺達のようにドラウプニールという、内部の時間が止まっている収納方法があれば、弓弦を張った状態で弓を保持しておいても大丈夫なのだが、さすがに里の全員に行き渡らせるというのは、色んな意味で現実的では無い
「こっちで調べて、壊れるのを承知で、向こうで再現してみてもいいかもね」
弓作りの練習として、里の周辺で入手出来る材料で、複合弓の試作をしてみるのはいいかもしれない。
壊れる事を前提にしておけば、向こうの世界で手に入る素材だけで作ってみればいいし、失敗したとしても気が楽だ。
「兄上。こちらの弓を横にしてあって、台座のような物に固定してあるのはなんですか?」
「それはクロスボウっていう外国の物だね。種類にもよるけどかなり威力があって、形状から弾道も安定してるけど、代わりに弓弦を引くのにも大きな力が必要になるんだ……って、あれ? 向こうの世界の日本には無かったっけ?」
頼華ちゃんが質問してくるのだから、クロスボウを知らないという事なのだろうけど、海を隔てた中国では、かなり昔から使われていた武器なので、伝来していてもおかしくないはずだ。
「……ああ、もしやこれは弩なのですか? 何やら複雑な見た目なので、気が付きませんでした」
頼華ちゃんがポンと軽く手を叩きながら、合点がいったという表情になった。
「弩とも言うね。そっちは知ってるの?」
「本当に知識として知っているだけで、現物にはお目に掛かった事がありません」
(そういえば日本では、攻城戦とかでも弩を使ってたって話は聞かないな。ヨーロッパとか中国では、用途に応じて威力の違うのを使い分けてたくらいなのに)
騎士道精神という物が尊重されていた中世のヨーロッパでは、クロスボウは能力に関係なく敵を倒せる卑怯者の武器として、戦果と認められていなかったりもしたのだが、裏を返せばそれだけ威力がある武器だったという事だ。
「えっとですね、かつては所領を守護する職務の者が使ったりしていたらしいのですが、武家というのが確立すると、誰が誰を倒したというのに重きが置かれるようになったので、離れた場所から効果的に相手を倒す弩は、段々と使われなくなっていったらしいのです」
「成る程」
この辺はヨーロッパの騎士道精神と日本の武士道とに共通する、様式美的な物なのだろう。
「馬上で素早く矢を番えられないのも、弩が使われなくなった理由だと聞いています」
「ああ、それはそうだろうね」
予め矢をセットしてあれば、弓よりはクロスボウの方が安定した射撃姿勢を取れると思うが、全く準備をしていない状態から、馬上でクロスボウを発射の準備段階にするのは難しいだろう。
その上、クロスボウは一射してしまったら馬上では次の準備が難しいが、弓ならば保持している手に矢を挟んでおいての連射も可能だ。
「それにしても現代の弩には、随分と種類があるのですね」
「そうだね。片手で持てるのもあるし、少ない力で引けるように工夫してある物もあるよ」
頼華ちゃんが指差す先にあったクロスボウには、片手で保持出来る代わりに威力の弱いピストルクロスボウから、本体を折り曲げてテコの原理を利用して結弦を引くコマンドクロスボウ、滑車の付いた複合タイプの物もある。
「まあ少ない力で引けるって言っても、発射する度に構え直さないといけないんだけどね」
ライフルなどはボルトアクション式でも、銃床を肩に付けたままで弾薬の再装填が出来るのだが、クロスボウの場合には威力の大小に関わらずに、射撃の構えを解かなければ再装填が出来ないのだ。
連弩という、レバーを引けば次々に矢が再装填される物もあるのだが、これは構造上の問題で威力も命中精度も低かったので、殆ど使われる事は無かったと言われている。
「うむむ……威力があっても連射が出来ないのでは、実戦では使えませんね。狩りには使えそうですが」
「……実戦を前提に話をするのはやめようね」
ライフル程では無いがクロスボウもそれなりに射程が長いので、コマンドクロスボウならば相手が全力で近づいてくる前に数射出来ると思う。
しかし頼華ちゃんは、向こうの世界の武人の敏捷性と気による防御力を前提に話しているので、こっちでの常識が当て嵌まらないのだ。
「良太。これは銃って奴かい?」
「そうですね。拳銃と小銃、それと機関銃ですね。どれも複製品ですけど」
主に近代以前の武器をメインに扱っている店なのだが、少なからずモデルガンやエアガンなども並んでいる。
「これって、どんくらい威力があるもんなんだい?」
「銃と弾の種類にもよるんですけど……人間や野生動物相手なら、かなりの物ですよ。熊以上になると、両手で持つ長い方の、大きな弾を使える物が必要になるでしょうけど」
とは言え熊までなら、拳銃でも口径と弾種によっては倒せない事は無い。
しかし、ライフルならば当たりどころが悪くなければ、百メートル以上離れていても倒せるのが、拳銃になると至近距離で、しかも当たりどころが良くないと倒せなくないのだ。
「ふぅん。どっかで試してみたいもんだねぇ」
「この複製品なら試せる場所もありますけど、本物になると外国に行かないと……」
俺はおりょうさんに、盗難対策に細い鎖に繋がれている、空気圧だったり電動だったりでプラスチックのBB弾という弾丸を発射する、拳銃やライフルを示しながら言った。
殆どの文明国では、ちゃんと手順を踏めば拳銃とライフルの入手も、実際に射撃をする事も容易なのだが、残念ながらその辺の規制が世界一厳しい現代の日本では、そういう訳に行かなかったりする。
(かと言って、エアガンのシューティングレンジとかに連れて行っても、参考にはならないだろうしなぁ……)
最近では工作精度が上がっているので、エアガンのライフルなどでも三十メートルくらいまでなら狙撃も可能なのだが、エアガンには実銃の弾道を安定させるために刻んである、銃身の中の旋条も無いし、BB弾と実銃の弾丸では形状が全く違うので、銃の重さを実感したり構えたりする際の参考にしかならないのだ。
(でも、おりょうさんと銃の組み合わせ……いいな)
ライフルを構えて標的を見据えたスナイパーな姿や、タイトスカートを捲り上げて、ガーターベルトに挟んで隠していた拳銃を抜き打ちにする、女スパイ風のおりょうさんの姿を想像してしまった。
現代的な服装も似合うおりょうさんなので、想像の中の姿も実に様になっている。
「兄上。この変わった形状の物はなんですか?」
「ん? ああ、それは外国の隠し武器だね」
頼華ちゃんに呼ばれて、我に返った。
棒状の金属の真ん中に指輪のようなパーツが付いている中国の隠し武器である峨嵋刺を、頼華ちゃんが興味深そうに見ている。
「ここに指を通すのはわかるのですが、どう使うのですか?」
刀や槍やそこから派生するバリエーションなどの、戦場で使う武器類は俺よりも頼華ちゃんの方が詳しいのではないかと思うが、峨嵋刺のような隠し武器、暗器に属するような物の知識は無いらしい。
「回転させて相手を幻惑させている間に握って突いたり、素手のふりをして握り込んで置いて攻撃したり、相手の武器を受けたりってところかな」
当たり前だが隠し武器なので、持っていないふりをして実は……というのが主眼なので、リーチや威力も素手よりはマシ、という程度の物だったりする。
「こちらは?」
次に頼華ちゃんが指差したのは、公園の遊具のブランコの座る部分をぶら下げている金属を連結させているパーツの、一つ一つが短くなっているような物だった。
各連結部には丸い金属の輪が取り付けられていて、片方の端は握り易いように棒状になっていて、もう片方の端は鋭い円錐形になっている。
「九節鞭だね。これも折りたたんでおくと目立たないけど、展開すると槍くらいの長さになるし、普通に受けるだけじゃ折れ曲がって、攻撃を躱せないんだよ。
名前通りに金属製で九つの節がある九節鞭は、束ねてある状態だと片手でコンパクトに保持出来るのだが、展開すると長くなるのでリーチを活かし、先端の尖った部分でダメージを与えたり、フレイルのように武器自体が数箇所から折れ曲がるのを利用して、思わぬ方向からの攻撃を加えたりも出来る。
しかし、熟練していないと自分がダメージを受けてしまう事も多々あるので、九節鞭は非常に扱い難い武器だったりする。
「こいつは手裏剣かい?」
「えーっと……まあその認識で間違ってないです」
おりょうさんが指差したのは、菱形の板状の金属に赤い布の房の付いた中国の飛鏢と、革のケースに先端を差し込んだ、棒状のダートだった。
手で投射するのだから飛鏢もダートも、広義では手裏剣と言ってしまって問題無いだろう。
「形状も簡単ですから、これくらいなら向こうでも作れそうです」
「そうだね。刺さる方が前になるように、重心を調整すれば……って、作るの?」
飛鏢やスローイングナイフなどは、真ん中よりも前寄りが太くなっていて、投げる時に先端が先になって飛ぶようになっている。
棒状のダートの先端は削った鉛筆のような形状で、スローイングナイフなどとは逆に真ん中から後ろの方を削りこんで重心の調整をしてあり、後端がバットのグリップエンドのようになっていて、差し込んであるケースから抜き出し易くしてある。
「手投げなので威力は低いでしょうけど、牽制や意表を突くには悪くないかと。小柄だけでは心許無いですしね」
「成る程。里の鍛冶の設備が整ったら、考えてみようか」
刀に付属する小柄は、慣れていれば手裏剣のように扱う事が出来るが、当たり前だが帯刀していない状態では使えない。
俺も頼華ちゃんも向こうで動く際には、戦闘時以外では帯刀していない事が多いので、そういう時の為に懐や腕などに装備出来るダートとそのホルダーを作っておくのはいいかもしれない。
「こ、これは……なんとも凶悪な形状の刃物ですね」
「ん? ああ、それか」
頼華ちゃんの視線の先には、アメリカの元特殊部隊に所属していたという人物のデザインによる、グリップから先の肉厚のブレードが前傾した、確かに凶悪と例えるに相応しいナイフが、ガラスのショーケースの中に飾られている。
樹脂製のシースと呼ばれる鞘と、同じ形状でアルミ製の練習用ナイフがセットになって、箱入りで販売されているようだ。
「人間工学的には、あのナイフを構えて前に突くと、真っ直ぐに刺さるらしいよ」
「む? それは……そうなのでしょうか?」
俺の今の説明では、頼華ちゃんに理解して貰えなかったらしい。
「手で棒状の物を持って、それを真っ直ぐに前に突くには、手首とかで角度をつけないと無理でしょ?」
「……言われてみると、そうですね」
剣術を習得している頼華ちゃんには、真っ直ぐだったり反りがあったりする武器で、正面の敵を突く事が難しいという認識が無かったのだと思うが、それは技術を使って適した構えを取っているからだ。
ナイフの普通の握り方であるサーベルグリップの場合には、下側から突き上げるようにするのが一番力が入る攻撃の仕方であって、一般的な形状のナイフで正面を突くのは、人間の身体構造的には無理があるのだ。
「このナイフ、凄く欲しかったんですよね……」
総金属作りで、通常は木製だったり樹脂製だったりするグリップにも、滑り止めにパラシュートコードを編み込んであるこの無骨なナイフに、俺は妙に惹きつけられたのだ。
「ん? なんで買わなかったんだい?」
俺の小さな呟きに、おりょうさんが不思議そうな表情をする。
「簡単な話ですよ。値段が……」
「値段? あ……あー……随分とお高いんだねぇ」
偶然にも、この店ではまだ取り扱いがあるようだが、既に絶版になっているガラスケースの中のナイフは、おりょうさんも驚く二十万を軽く超える価格なのだ。
ハンドメイドのナイフでは、有名なデザイナーが作った物ならばこのくらいの価格は珍しく無いのだが、肉厚で強靭な鋼材を使用し、業界内では有名な人間のデザインしたという事もあって、ファクトリーメイドなのに高価になっている。
しかし独特な形状なだけでは無く、野外での実際の使用に耐えるタフさが認められているので、このナイフはリリースされてから、あっという間に絶版になってしまったという曰く付きである。
「刀なんかはもっと高いんですけど、それでもこのナイフは、学生の俺にはちょっと手が出ない価格ですよ」
「命を預けるのならともかく、趣味で買うには……そうだねぇ」
現代の日本では帯刀が許されないという時点で、この手のナイフの所有が趣味以上の意味を持たないという事は、おりょうさんも理解してくれた。
「兄上。こっちでも刀も売っているのですか?」
「ここにも模造刀は売ってるけど、本物は違う店じゃないと扱ってないね。でも……高いよ?」
絶対に興味を示すと思ったので、敢えて頼華ちゃんにはこっちの世界の刀の話はしないでおいたのだが、遂に尻尾を掴まれてしまった。
「ちなみにですが、如何程で?」
「……この店にある模造刀が二万円くらいからで、観賞用の真剣だと、数十万からだね」
「それは……思っていた程ではありませんね」
俺の場合は買ったりする前に、色々あって自分で打ってしまったので、向こうの世界での刀や太刀の取引価格は知らなかったりする。
しかし、鍛冶師、鞘師、鍔師などの専業の人がいるくらいなので、全てを結集してある刀一振りが相当に高価なのは間違いないだろう。
だから頼華ちゃんも、観賞用で数十万という価格を聞いても、それ程は驚かなかったのだと思う。
「……念の為に聞いておくけど、まさか欲しいとか言わないよね?」
「そ、それは……少しは欲しいという気持ちはありますが」
「もしも買うと、以降の食卓が寂しくなるよ?」
「うっ……」
俺からの死刑宣告にも等しい言葉を聞いて、頼華ちゃんが言葉を詰まらせた。
「た、確かに、刀に数十万を注ぎ込んでしまうと……兄上、こちらでの働き口などはありませんか?」
「こっちじゃ満で十六歳くらいからじゃ無いと、殆ど仕事は出来ないんだよ」
家庭の事情などで、中学生くらいからアルバイトを認める場合もあるみたいだが、基本的には十六歳以上で、しかも身元がしっかりしていなければ雇ってくれるところは無いだろう。
尤も、頼華ちゃんがその気になれば、ジュニアモデルとかは出来そうだが……。
「むむ……仕方がありません。こっちでの帯刀は諦めましょう」
「予算が許せば、するつもりだったんだ……」
(まあ、気持ちはわからなくも無いけど……)
現代人の俺にも刀剣類への憧れのような物から、所有したいという欲求があるくらいなのだから、向こうの世界に住んでいた頃には帯刀をしていた頼華ちゃんが、こっちの世界でも刀を求める気持ちは理解出来る。
「……」
「……」
「ん?」
気がつくと、他の客や店員などの視線が俺達に集中していた。
見ている人間達の表情から察すると、会話を聞かれてという事は無さそうなのだが……。
(……こういう物に興味を持つ女性が増えてるって言っても、美女と美少女の来店は珍しいか)
視線の成分には好奇と、かなりの量の疑問が混じっている。
この手の店にも秋葉原という場所にも、女性の比率が多くなったとは言っても、着飾った美女と美少女が来店すれば、客も店員も浮足立ってしまうのは仕方が無いのだろう。
「……そろそろ出ようかと思うけど、頼華ちゃん、そんなに高いのは無理だけど、何か欲しい物とかある?」
周囲の視線と、微妙に感じるようになったプレッシャーから逃れようと思い、店から出る事を提案した。
「そうですね……この、三本組の手裏剣が欲しいです」
「このダート? まあ、これくらいなら……」
ベルトクリップがある革のホルダー付きの、三本セットのダートの価格は三千円程だ。
「それじゃ会計しようかねぇ」
「姉上。これは余が頂いているお金で買います」
おりょうさんが商品を持ってレジに向かおうとしたが、頼華ちゃんがそれを止めた。
「こんくらいは構わないんだよ?」
「いいえ。余の好きで買う物ですし、自分でお金を出したとなれば、愛着も違ってきますので」
「成る程ねぇ」
他の買い物に使える額が減ってしまうだろうからと、おりょうさんは支払いをしようと思ったのだが、頼華ちゃんの言う通り、プレゼントはそれはそれで嬉しいし大切にすると思うが、愛着という点で言えば自分で選んでお金を出した物の方に軍配が上がるだろう。
「それでは、少しお待ち下さい!」
そう言って頼華ちゃんは、紙箱に入ったダートを持ってレジに向かった。
頼華ちゃんの相手をしている店員は、ニコニコ顔の美少女とレジに持ち込まれた商品とのギャップに戸惑いながらも、職務を忠実にこなしている。
「これでいざという時の、備えが出来ました」
「そういう時は無いと思うんだけどなぁ……」
頼華ちゃんは店の入っていたフロアから下に降りるエレベーターの中で、買ったばかりのダートを革のホルダーごと、シルエットが崩れるのも気にせずに上着の内ポケットに入れた。
(もしもダートの出番が来て、使われる事になったら……相手の幸運を祈るしか無いな)
頼華ちゃんがダートを放つ時が来るとしたら、それは手の届かないくらいの場所で起きている、それでいて対処出来る時に限られるはずなので、的を外す確率は限りなくゼロに近いだろう。
こういう考えがフラグを立てているのかもしれないとは思うのだが、俺は頭の中の想像を振り払って、駅方向へと歩き出した。




