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鰻重

「昨日も思いましたが、凄く人が多いですね! 別に祭りとかでは無いのですよね?」


 最寄りの駅のホームで、頼華ちゃんがキョロキョロと周囲を見ながら言った。


 昨日利用したショッピングモールが開業してから、休日の日中の駅の利用者は凄く増えているので、頼華ちゃんじゃ無くても周囲の混雑と喧騒が気になるレベルだ。


 頼華ちゃんは出掛けるからと言う事だからなのか、活動的では無くお召かしといった感じの服装をセレクトしてきた。


 グリーンを主体にしたチェック柄の上着と膝丈のスカート、ラウンドカラーのブラウスにリボンタイというファッションは、一見するとどこかの学校の制服のようにも見える。


 靴もリボン風の飾りの付いた物で全体的にフォーマルな雰囲気で統一されていて、生来のお姫様である頼華ちゃんは、活動的でありながらも気品を感じさせる。


「あはは。平日の朝と夕方は、もっと多かったりするよ」


 頼華ちゃんは驚いているが、やはり朝夕の通勤通学ラッシュと比べれば、車両の位置やタイミングによっては座れるくらいだから、混雑しているとは言っても可愛い物だろう。


「そうなのですか!?」

「仕事や学校への行き帰りの人が、多く使うんだよ」


 とは言っても俺自身は通っている学校が自宅から近いので、まだ通勤通学列車を利用した事は無い。


 通っている学校も単位制で生徒によって通学時間が変わってくるので、同級生もそれ程混雑に悩まされてはいないだろう。



 駅に入る前に予定していた買い物を手早く終えてコインロッカーに預けたので、おりょうさんが昨日衣類と一緒に買ったらしい小ぶりのポーチを持っているが、俺と頼華ちゃんは手ぶらだ。


 服のシルエットを崩さないようにと頼華ちゃんの分の財布もおりょうさんが預かって、一緒にポーチに入れてある。


 その財布に入っている交通系カードでの初めての自動改札を、おりょうさんも頼華ちゃんも、特にもたつく事も無く通過出来た。



「おおっ! 中々の迫力ですね!」


 走行音と共に到着する列車がホームに入ってくるのを、頼華ちゃんが興奮気味に見ている。


 地元の川崎駅はかなり利用者が多いのだがホームドアは無いので、入線してくる電車の姿を全て見る事が出来る。


「凄いもんだねぇ。こんな人数を乗っけた、金属の車が走るってのは……」


 停まった列車のドアから出てくる人の波を見て、おりょうさんが溜め息のように感想を漏らした。


 おりょうさんはウェストをリボンで絞った、淡いブルーの膝丈のワンピースに、クリーム色のリネンの丈の短いジャケット、スウェードの少しヒールの高いパンプスという姿だ。


 整った顔立ちとスラリとしたスタイルをしているおりょうさんは、大人っぽくも少女っぽくも見える、独特の雰囲気を醸し出している。


「さ、二人共。乗りますよ」

「うん」

「はい!」


 降りる客がいなくなったので、流れに合わせて俺達も列車に乗り込んだ。



「凄く早いんですね!」


 流れていく外の景色を眺めながら、頼華ちゃんが興奮気味に話し掛けてくる。


 車内はそこそこ混雑していて、吊り革を掴む俺の腕におりょうさんが掴まり、頼華ちゃんは俺に抱きつくような格好になってドアの近くに立っている。


「そうだね。でも、この三倍くらいの速度で走る電車もあるんだよ」

「なんと! 人間の技術というのは凄いものですね!」

「あはは。そうだね」


 俺を見上げる頼華ちゃんが、目を丸くして感心している。


「でも、良太もこの電車くらいの速度は出せるよねぇ?」

「えーっと……おりょうさん、人前であんまりそういう話は」

「あっ! そ、そうだねぇ……」


 おりょうさんは向こうの世界で、俺が背負って品川から藤沢まで走った時の事を言っているのだと思うが、自分でやっておいてなんだが、常識的にはあれは生物が出せる巡航速度では無いのだ。


(チーターの最高速度は時速百キロを超えるって言うけど、スタミナは無いから数秒しか保たないって話だしな)


 馬や鹿などは種類によっては、かなりの速度を維持したままで長距離を走れたりもするが、俺は向こうの世界の身体ではそれ以上の速度で長距離を巡航出来て、しかも殆ど疲れを感じなかったりする。


 地上を走る際の最高速チャレンジは俺自身も興味はあるのだが、今のところは試していない。


(今だと、長距離になると界渡りも使えるし、いざとなれば飛べばいいからなぁ)


 法則の違う別の空間を経由して移動する界渡りは、基本的には特定の目標か一度行った事のある場所にしか移動出来ないという制約があるが、非常に便利だ。


 その界渡りも思いつきで飛行と併用してみたら、(エーテル)の消耗に目を瞑れば速度はもっと増すし、法則の違い空間では複数人で協力すれば、更なる速度アップが見込める。


 背中から翼を生やす事によって出来る飛行は目立ってしまうのと、速度を出すには(エーテル)の噴出が必要なのと消耗が多くなるのは界渡りと共通する問題点だが、地形によって影響を受けないというのはかなり大きい。


「あ、おりょうさん。全く名残が無いですけど、これがこっちの世界の品川ですよ」


 車内アナウンスで駅が近づいて来たのがわかったので、おりょうさんにここがこっちの世界の品川だと告げた。


「ここがかい!? あ、なんか品川って声が流れてくるし……そこに書いてあるのが駅名だね?」


 信じられないと言わんばかりに、車窓からの景色を見ておりょうさんが目を丸くしている。


「そうです。向こうでは少し歩くと海が見えたんですよね」


 現代の品川からは想像もつかないが、江戸時代は高輪の辺りまで海岸線が広がっていたらしい。


(品川宿(しながわしゅく)も懐かしいな……)


 向こうの世界で最初に訪れ、おりょうさんと出会い、宿としても世話になった蕎麦屋の竹林庵があったのが、向こうの世界の品川宿(しながわしゅく)だ。


 黒ちゃんと白ちゃんには何度か江戸にお使いを頼んでいるが、俺自身は浦賀経由で旅に出てから一度も戻っていないので、品川という地名を聞いただけで凄く懐かしく思えてくる。


「今はかなり向こうの方まで、埋め立てられてるんですよ」

「はぁー……予め聞いて無けりゃ、ここが品川とは信じられないねぇ」


 品川駅の構内の景色を、おりょうさんは呆然と見ている。


「兄上。姉上のお店の辺りは、こっちではどうなっているのですか?」

「えっ? うーん……街道は残ってるから、どの辺っていう推測は出来るけど、ここだって特定するのは難しいかなぁ。それに大まかな地理は向こうと同じだけど、同じ場所に同じ施設があるとは限らないしね」

「そうなのですね」


 旧東海道は残っているのだが、区画整理などがあって昔のままとは言えないので、竹林庵があった場所に他の店舗や民家などがあるとは限らず、もしかしたら道路になっていたりするかもしれないのだ。


 向こうの世界では徳川による幕府が成立しなかったので、こっちの世界の江戸程は干拓や整備が進んでいなかったし、現在は皇居である江戸城も無かったりする。


(それにしても俺達の会話の内容って、明らかにおかしいよな?)


 断片的ならば、ただの歴史好きの会話っぽく聞こえるかもしれないが、端々に向こうの世界とかいうワードが挟まるので、凄く怪しく思われているのでは無いかと周囲を気にしてしまう。


 だが幸いな事に周囲の乗客の様子を窺う限りでは、特に俺達の会話の内容を気にされたりはしなかったらしいので、ホッと胸を撫で下ろしている内に、電車は新橋に続いて東京駅で乗客を入れ替えた。


 東京駅で降りた乗客よりは乗ってきた方が多かったようで、車内の密度はかなり高まっている。


(……おや? 良太)

(……む? 兄上)

(うん。わかってます)


 おりょうさんと頼華ちゃんが一斉に視線を集中させてきたが、それは俺達が立っている直ぐ側から発せられる、妙な気配による物の影響だった。


 妙なとは言っても殺気とかそういう類では無く、気配の元を辿ると困惑した表情の女性と、その背後にいるサラリーマン風の中年男性がいた。


「……」

「……」


(これは……あれだな)


 通学に電車を使わないので、これまでにこういう場面に遭遇した事が無かったのだが、どうやら混雑に紛れて女性に不埒な行為に及んでいるらしい。


(……兄上、斬りますか?)

(いやいやいや)


 ほぼアイコンタクトのみの、言葉を交わさない会話だが、頼華ちゃんの瞳からは明確な殺意が伝わって来る。


 左の手首に装着しているドラウプニールを操作すれば、頼華ちゃんは即座に愛刀である薄緑を身に帯て、攻撃態勢に入る事が出来るのだ。


 幸いな事に、頼華ちゃんは殺気を放ったりまではしていないので、今のところは周囲に被害が出たりはしていない。


(あたしが懲らしめるかい?)

(いや、それもちょっと……)


 大東流の達人であるおりょうさんならば、あっという間に不埒な行為に及んでいる男を、苦も無く制圧するのは容易いのだが、正当な理由はあっても一応は暴力になるので、後々に面倒が発生する可能性が低く無い。


(しかし、どうしたもんかな……)


 暴力沙汰は避けたいし、仮に上手い具合に不埒な男を捕まえたとしても、被害女性が自分の身に起きていた事を、駅員や警察にちゃんと証言してくれるかどうかはわからないのだ。


 オマケに現行犯で捕まえたとしても、事情聴取とかに付き合う事になったら、せっかくの二人の外出を台無しにしてしまう。


(なんかいいアイディアは……上手く行くかどうかわからないけど、これなら目立たないかな?)


 俺は思いついたアイディアを実行する為に、吊り革を掴んでいなかった方の手を上に伸ばし、左の手首のドラウプニールを軽く弾いた。


(りょ、良太っ!?)

(あ、兄上っ!?)


 俺がドラウプニールを弾いたのを見て、この場で(エーテル)を集めて身体が光りだすのかと思った、おりょうさんと頼華ちゃんが息を呑んだ。


(……あ、あれ?)

(兄上が……光を発されない?)


 物理法則を無視して、俺の左の手首のドラウプニールは回転を続けているのだが、周囲の(エーテル)を集めている訳では無いので、身体から余剰分が光になって漏れ出したりはしていない。


「……っ」

「……?」


 身長の関係で、俺の目には不埒な事をしている男と被害女性の顔が見えている。


 その男の顔が見る見る内に蒼白になって視線を下に落とし、被害女性の方は不埒な行為が急に止まった事で、逆に表情に困惑を浮かべている。


「さ、二人共。降りますよ」

「う、うん……」

「は、はい……」


 ドアの近くに立っていた俺達は、電車が目的地の最寄り駅の上野に到着したので降りた。


「……」


 被害に遭っていた女性は上野が目的地では無かったのか、恐らくは自分に不埒な事をしていたであろう男が力無く蹲っているのを呆然と見下ろしている。

 

「あの……大丈夫ですか?」


 女性では無い他の乗客が、具合の悪そうな男に言い寄っているのを見ている内に、ドアが閉まって電車は出発した。


 女性が次の駅で職員か警察に男を突き出したりするのかもしれないが、とりあえずこの件は俺達の手元を離れた。



「良太。あれは何をやったんだい?」


 駅の構内を歩いて改札を出ると、おりょうさんが説明を求めてきた。


「あれはですね、これを集めたんですよ」


 駅を出て、交差点で信号待ちの為に立ち止まった俺は、おりょうさんと頼華ちゃんの顔の前で、手の平を開いて見せた。


 手の平には光る粉末が、ほんの少量見える。


「良太、それは?」

「これは鉄です」

「「鉄?」」


 俺の言葉に、二人は揃って首を傾げた。


「鉄はわかったけど、それでなんで、あの男は具合が悪そうになってたんだい?」

「人の体内、血液の中には鉄分が含まれていて、身体の隅々まで酸素を運んでくれてるんですよ」

「?……あ、もしかして」


 俺の説明を聞いたおりょうさんには、どういう事なのかがわかったみたいだ。


「あ、兄上、姉上! 御二人だけわかってるのはズルいですよ!」


 まだ理解の出来ない頼華ちゃんが、俺の腕にぶら下がりながら抗議の声を上げてくる。


「ちゃんと説明するから、脚を地面に下ろそうね?」


 歩行者用信号が赤から青に変わった。


 このまま立ち止まっていると後ろにいる人達の迷惑になってしまうので、仕方無く頼華ちゃんをぶら下げたままで歩き始めた。


「要するに、血液の中の酸素が少なくなったから息苦しくなって、あの場で蹲っちゃったんだよ」

「それは……貧血のような物ですか?」

「そうだね。貧血も食事なんかで鉄分が少ないと発症し易いらしいから」


 体内の鉄分が不足すると、全身への酸素の供給能力が落ちて、呼吸困難や立ちくらみなどの症状が起きる。


 今回はドラウプニールの元素を集める能力を使って、目分量ではあるが〇・五グラム程を不埒な行為をしていた男から集めたのだった。


 身体が接触していないので、周囲から無差別に集めてしまうかとも思ったが、意識を男に集中したらなんとか上手く行き、周囲に被害を出さずに済んだ。


「あの……そんな事をして、あの者は大丈夫なのですか?」

「うーん……多分、ね」

「多分って……」

「良太も、やる時はやるもんだねぇ……」


 俺がやった事が物凄く危険な行為だと思ったのか、頼華ちゃんもおりょうさんも呆れ顔で見ている。


「急激に血中の鉄分が失われたので貧血症状が起きてますけど、すぐに補われるから大丈夫ですよ」


 成人男性の体内には大体、三・〇から三・五グラムくらいの鉄分が保有されていると言われるが、その内の一グラム程度は肝臓などに、不足時に補う分として常時蓄えられているのだ。


「暫くは立ちくらみとかが起き易いかもしれませんけど、一週間くらい食べ物に鉄分に多い物を心掛ければ、治る……かな?」

「かな、って……」

「あの者も、兄上の前で不埒な行いなどをするから……」

「あの……俺よりも二人の方が、過激な事をしそうでしたよね?」


 逆に俺があの場にいなければ、男は良くておりょうさんに関節を極められ、悪ければ頼華ちゃんに手討ちにされていたはずなのだが……何故か鉄分を奪った事は、かなり凶悪だったという認識になっているらしい。


「そんな事よりも兄上! 目的地はまだですか?」

「そんな事……まあ、いいけど。ほら、そこが目的地だよ」


 上野駅を出て五分程歩き、最初の目的地である鰻の名店に到着した。



「予約をした鈴白ですけど」

「いらっしゃいませ。はい、承っております。どうぞこちらへ」


 予約をした旨を告げると、俺達は着物姿の女性従業員に先導されて座敷の席に通された。



「おお! なんといういい眺め!」


 二階にある座敷の窓からは、各所で桜の花が咲き誇る、道路を挟んだ上野公園の景色が良く見える。


「頼華ちゃん、他のお客さんもいるから、少し静かにね」

「む! し、失礼した……」


 頼華ちゃんは自分の非を認めて、同じ座敷の別の卓に着く客達に頬を赤らめながら会釈した。


 客達も絶景を見て思わず声を出した気持ちがわかっているのか、頼華ちゃんに好意的に微笑みながら食事を続けている。


「へぇ。こいつは楽だねぇ」

「正座を覚悟してましたけど、確かに」


 三人での予約なので、多分座敷で正座だろうと思っていたのだが、増えている外国人客への対策なのか、席は掘りごたつ式だった。


 向こうの世界では基本的に畳で正座だったので慣れているし、おりょうさんと頼華ちゃんはローソファーでも基本的には脚を崩さないが、それでも正座をしないでいいというのは楽だ。


「お待たせ致しました。うな重の竹になります」


 それ程待つ事も無く、そして注文も聞かれない内に、蓋のされた重箱と椀、漬け物の小皿が並んだ盆が各自の前に置かれた。


「……良太?」

「入店してから待たなくてもいいように、予約をしておいたんですよ」


 どういう事だとおりょうさんが目配せをしてきたので、訳を説明した。


「ああ、そっか……入店してから頼んだんじゃ、短くても四十分くらい掛かっちまうからねぇ」

「そういう事です」


 割いて串を打って焼いて蒸して、タレを付けてまた焼いて……これだけの工程を経るので、鰻の蒲焼は客に提供されるまでには凄く時間が掛るのだ。


 鰻が好きな人間にとってはそれもまた楽しみの一つなのだが、今日のメインは花見なので、短縮が可能なところはしてしまう事にした。


「それじゃ頂きましょうか」

「うん。頂きます」

「頂きます!」


 俺達は手を合わせてから、それぞれの重箱の蓋を開けた。


(うーむ……比べる事からして失礼だけど、凄くいい香りと照りだ。やっぱり俺の素人料理とは違うなぁ)


 タレや職人としての年季の違いが、蓋を開けた鰻重の見た目から感じられた。


 向こうの世界でかなりの数の鰻を捌いて焼いているが、今いるような大きな店の職人と比べるのは、そもそも間違っているだろう。


「うん。タレが辛めで、こいつはあたし好みだねぇ」

「そうですね。甘さもありますけど、引き締まった感じで旨いなぁ」


 間違い無く鰻のタレには砂糖や味醂が使われているのだが、おりょうさんの言う通り、甘さが勝たずに引き締まったいい味を出している。


「んー……おいしいですけど、こういう器よりは丼の方が好きです」

「店にもよるけど、高級感を出そうとしてるのか、今はこういう重箱が主流なんだよね」

「そうなのですか?」


 鰻丼を出す店も勿論あるのだが、総じて鰻重よりは蒲焼を小さめにするなどして、価格設定を安くしてある。


「旨いけど……良太、これって」

「えっと……」


 おりょうさんが言いたい事を察した俺は、少し身を乗り出して小声で耳打ちした。


「はぁー……そりゃ旨くなけりゃ、困っちまうねぇ」


 おりょうさんに耳打ちしたのは、鰻重の竹の値段だった。


「姉上?」

「あのね……」

 

 俺達のやり取りが気になったのか、頼華ちゃんが箸を動かすのを止めたので、おりょうさんがそっと耳打ちした。


「はぁ、それはまた……でも、これだけ旨ければ仕方がないのでしょうか?」


 重箱を見下ろしながら呟く頼華ちゃんは、この鰻重に値段なりの旨さがあるのは認めているらしい。


「鰻はおいしくて身体にもいいんだけど、庶民の食べ物では無くなっちゃってるね」


 鰻は生野菜などに含まれるビタミンCが皆無な事を除けば、その他の身体に有用な栄養素が豊富な健康食品と言えるのだが、こっちでは気軽に食べられない価格設定だ。


 向こうの世界の鰻屋の大前でも、一般的な食事処と比べれば価格設定は高めだが、それでも少し奮発すれば食べられる程度ではある。


「ふむ……鰻がそんなに簡単に食べられないのでは、あの男の回復は、遅そうですねぇ」

「あの男?」

「ほら、あの電車の中で、不埒な行いをしていた男ですよ」

「あー……」


(頼華ちゃん、あの男が具合悪そうにしてたのを、まだ気にしてたんだな……確か鰻は、鉄分も多かったっけ)


 我が身に何が起きたのか気づいていないだろうあの男も、頼華ちゃんが同情しているのだから二度と不埒あ行いはしないで欲しい……そんな事を思いながら俺は、残りの鰻重を平らげた。

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