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江戸の牡蠣

 行きの行程とは違って、帰りはおりょうさんを背負って走ったりはしていないので、必然的に歩きでの移動になった。


 俺とおりょうさん、頼華ちゃんは走っても平気そうだが、胡蝶さんは……なんか大丈夫そうな気がするけど、急ぐ旅では無い。


 それでも戸塚宿で休憩、川崎宿での昼食以外は歩き続けたので、まだかなり陽の高いうちに品川宿の竹林庵に到着した。


「……なんか、凄く懐かしく感じます」

「……奇遇だね。あたしもさ」


 思わず出てしまった俺の言葉に、おりょうさんが同意してくれた。街からあまり出ずに生活していれば、経験しないような事の連続だったしな。


「ここが姉上のお店か!」


 まだ小さい頼華ちゃんにとっては長旅だったはずだが、鍛え方が違うからか元気いっぱいだ。


「そうですよ。さ、店の前に突っ立ってたってしょうがないから、入りましょうか」

「うん!」


 おりょうさんがそっと頼華ちゃんの背中に手を添えながら、一緒に店に入っていった。


「失礼致します」


 続く胡蝶さんの後を追って、俺も店に入った。



「まだ夕餉には早い時間だから、とりあえずはお茶でも……」

「姉上、小腹が減りました!」


 俺が寝泊まりさせてもらっている二階の座敷に通されて、一息付いたところでの頼華ちゃんの開口一番だった。まあ育ち盛りだしな。


「おやおや……それじゃ軽くなんか出そうかね」

「お手間をお掛けします……姫様、もう少し御遠慮を」

「姫言うな」

「まあ、そんなに大した物はお出ししないから。少し待っててね」


 特に気にする風でも無く、おりょうさんは笑顔で階下へ降りていった。


「胡蝶さん、頼華ちゃんじゃ無いですけど、その『姫』という呼び方は、別の意味で不味いのでは?」

「そうですね……では、なんとお呼びしましょう?」


 胡蝶さんは表情が乏しいので、イマイチ真剣に話をしてくれている感じがしない。プリンを前にする時は、凄くいい顔をするのに。


「俺達みたいに頼華ちゃん……は、ダメですね。そもそも名前で呼ぶ事自体が、江戸のお武家様に知れたら一大事になりかねないのでは?」


 堂々と関所は通ったけど、江戸市中へ入る際の税金を払う以外ノーチェックなのは、セキュリティ上はどうなんだろうと思う。


「それでは、頼華様の御幼名、というか本名の(はな)様とお呼びしては?」

「ほ、本名!?」

「ええ」

「むぅ。余はそっちの呼ばれ方は、あまり好きではないぞ……」


 胡蝶さんの説明によれば、実は頼華ちゃんの本名は華で、十歳の誕生日に、源の次期頭領の決意表明という事で、歴史に名を残した御先祖様の「頼」の一字を頂き、今後は頼華と名乗ると宣言したという。


「もしかして、今でも本当の名前は華さんのままなんですか?」

「そうです。ですが、領民も面白がって『頼華様』と呼び出したものですから、既に鎌倉では定着してしまって……」

「はぁ……」


 頼華という名前が通称だとは思わなかった。頼永さん達も普通に呼んでいたって事は、諦めの心境なのかな?


「お待ち遠様」


 おりょうさんは漆塗りの小さな蓋付きの桶と、人数分の箸と小皿を置いた。


「夕餉の前だから、軽目に蕎麦掻きを持ってきたよ」


 各自の分の湯呑みにお茶を淹れ終わると、おりょうさんは桶の蓋を取った。木の葉型に細工された蕎麦掻きが、熱い湯に浸かっている。


「おお! 蕎麦掻きは好物です!」

「そいつは良かった。さ、蕎麦つゆでおあがり」

「頂きます!」


 早速、頼華ちゃんが箸で小さく千切った蕎麦掻きを、小皿の蕎麦つゆに付けて口に運んだ。


「これはうまい! 蕎麦は勿論ですが、つゆの仕込みがいいんでしょうね!」


 俺も食べてみたが、うん。この店の蕎麦つゆは、最初に味わったかき揚げ蕎麦でもわかっていたが、かえしと出汁のバランスが本当にいい。


「本当においしいですね。鰹出汁が濃厚で、それでいて塩気も強くない。蕎麦粉も良い物をつかっているみたいで」


 胡蝶さんも気に入ったようだ。でも、気に入るというよりは分析、みたいな?


「少しお腹が落ち着いたんなら、夕餉の前に湯屋へ……と言っても、お姫様の頼華ちゃんには難しいかね?」

「あー、そうですねぇ……お姫様の頼華ちゃんには」


 湯屋には勿論、子連れの人も来てるけど、男湯と女湯が別れてた源屋敷の風呂を見ると、頼華ちゃんには厳しいか?


「姫言うな。湯屋とは、大勢で利用する風呂ですね。りょう姉上、余は平気です」

「でもねぇ……」

「見られて困るような身体はしておりません!」


 難色を示しているおりょうさんだが、当の頼華ちゃんは平然としている。これはあれか、下々の者に見られろ事など気にしないっていう、高貴な人の心理か?


「まあ、いいんじゃないですか。家に風呂が無い訳ですし、鎌倉まで入りに戻るって事も……」

「そうだねぇ……」


 冗談か本気かわからないが、頼永さんが言っていた鎌倉から通うというのを、風呂を理由に実行するのかという話だ。


「それじゃ良太、片付けたら行くよ」

「えっ!? お、俺も一緒にですか!?」


 事も無げに、茶器などを片付け始めたおりょうさんが俺に言った。


「胡蝶さんにしたって湯屋は慣れてないだろうし、あたし一人で面倒見ろって言うのかい?」

「あー……」


 おりょうさんに言われて、正恒さんの家で、初めて共にした夕食の時の頼華ちゃんの「行儀」を思い出した。湯屋の他の利用客や、おりょうさんと胡蝶さんの事を考えると、俺が防波堤になるしか無いのか……。


「わ、わかりました……あ、その事に少し関連しますけど、ちょっと問題が」

「何かあったのかい?」


 おりょうさんに、頼華ちゃんの名前の呼び方の件を説明した。


「なら、お華ちゃんでいいんじゃないのかい?」

「頼華ちゃんは、それでいい?」

「はい! 必要ならば従います!」


 思っていたよりも、頼華ちゃん自身に抵抗は無さそうだ。


「じゃあ江戸にいる間は、お華ちゃんって呼ぶね」

「それと、あまり畏まった物言いもしない方がいいねぇ。それは胡蝶さんもだけどね」

「わ、私もですか!?」

「特に、様付けはやめた方がいいねぇ」

「……」


 俺も、名前を呼ぶ時に様は付けて欲しくないので、おりょうさんの提案には賛成なんだが、役目上のけじめみたいな部分で、胡蝶さんには割り切れないのだろう。


「慣れるまでは多少は仕方がないけど、身分がバレたら危険なのはおわかりだろう?」

「それは、その通りです……はぁ、わかりました。失礼とは承知の上で、暫くはお華様とお呼びします。では、お華様、おりょうさん、良太、さん……私の事も、お蝶とお呼び下さい」


 渋々ながら納得してくれた胡蝶さん、じゃなくてお蝶さんは、名前の呼び方を改めてくれた。しかし、俺の名前を呼ぶのに、少し躊躇があったのはなんでだ?


「お蝶、今後も頼むぞ!」

「畏まりました」

「……なんかお華ちゃんの方は、あまり変わってない気がするんですけど」

「まあ、大店(おおだな)の娘と使用人なんかはこんな感じだから、不審には思われないよ」


 おりょうさんにそう言われれば、そんな感じもする。


「さあ、それじゃ湯屋に行こうかね」

「うっ……そ、そうですね」

「疲れてはいないが、早く風呂で旅の汚れを落としたいな!」

「そうですね」


 俺以外は全然気にしていないようなので、諦めてみんなで湯屋へと向かった。



「これが湯屋か! 大きいな!」

「お華ちゃんの家のお風呂も大きいけどね」


 鎌倉には無いような店などを見つけると唐突に走り出したりするので、途中から頼華ちゃんと手を繋いで暴走を阻止して湯屋まで歩き、やっと辿り着いた。


「訊き忘れてたけど、お金は持ってるのかい?」

「はい。ある程度は私が預かってます」


 頼華ちゃんは鎌倉ではお金なんか払った事が無さそうだが、胡蝶さんはそれ程世事に疎い訳では無さそうだ。


「世話になるよ」


 おりょうさんは湯屋の定期である羽書(はがき)を持っているので、見せるだけで番台を通過できるが、俺と頼華ちゃんと胡蝶さんは、利用料を支払って中に入った。長い目で見たら、羽書は買っておいてもいいかもしれないな。


「おお……」


 頼華ちゃんが声を漏らして目を輝かせているので何かと思えば、視線の先には利用客の男性の、目にも鮮やかな彫り物があった。元の世界では、場所によっては利用を断られ事もあるが、こっちでは特に問題は無いみたいだ。


「お華ちゃん、あんまり見たら悪いよ。さ、準備して」

「はい!」


 頼華ちゃんは元気良く返事をしたが、服を脱がすのは胡蝶さんだった。もしかして、自分で脱ぎ着をした事が無いのかな? 正恒さんの家に泊まった時には、おりょうさんが面倒を見ていたし。


「う……」


 服を脱がされていく頼華ちゃんの姿を見て、俺は急に意識してしまった。多少は町娘っぽさを意識して、袴は履いてこなかったので、帯を解けば直ぐに着物は脱げてしまう。


「……」


 成長途上なので、おりょうさんのようなメリハリの効いたプロポーションでは勿論無い。しかし物凄い斬撃を繰り出すのに筋肉質では無く、しなやかなその身体は幼いが整った容貌と合わさって、ちょっと人間離れした、まるで妖精のような幻想的な印象を与えてくる。俺は声も無く見惚れてしまっていた。


「ちょいと……」

「いてっ!?」


 見惚れていた俺の耳が、ムスッとした顔のおりょうさんの手で掴まれた。


「あ、あたしって女がいるのに、他に目が行くってのはどういう了見だい?」

「いや、おりょうさんをジロジロ見てたら、それはそれで問題なんじゃ……」


 自分で言ってて、弁解になっていないなとは思う。


「それはともかく、おりょうさん、少しは隠して下さい……」


 俺の耳を右手で掴んでいるおりょうさんは、左手を腰に当てて仁王立ちのポーズ。なので必然的に、俺の視界を遮る物は何も無い……という事で、俺は慌てて視線を逸らした。


「はわっ!?」


 今頃になって我に返ったのか、おりょうさんは耳を掴んでいた手を離し、俺に背中を向けて手拭いを取りに行った。


「兄上、姉上、では参りましょう!」


 頼華ちゃんは元気いっぱいに両手を腰に当てて、羞恥心ゼロで仁王立ちだ。いっそ清々しくて、こうなると微塵もエロスを感じないのが不思議だ。胡蝶さんも準備は出来たようで、身体の前を手拭いでしっかりガードしている。


 入浴中に特に騒ぎは起きなかったが、胡蝶さんが頼華ちゃんの身体を洗ってから自分を洗い始めたので、途中からおりょうさんが胡蝶さんを手伝う形になった。


 頼華ちゃんに自分で洗うように言った方がいいのかもしれないけど、そこまですると干渉し過ぎだろうか?


 いずれにせよ、相手が頼華ちゃんでも胡蝶さんでも、俺が洗うのを手伝うのは無理がある。



「さっぱりしました!」

「そりゃ良かった。お華ちゃんは、今夜の御飯は何がいいかね?」

「お蕎麦がいいです!」


 帰りはおりょうさんが、頼華ちゃんと手を繋いで歩き、俺と胡蝶さんが後ろから付いていく。


「あの二人って、あまり似てないですけど、こうしていると姉妹みたいですね」

「本当に。ら……お華様も、本当に姉上がいらっしゃれば、もう少し……」

「あー……」


 咄嗟に、胡蝶さんへの慰めの言葉が思い浮かばなかった。良くも悪くもアクティブ過ぎる頼華ちゃんに、御両親や、周囲でお世話する人達は大変だろう。それ以上に愛されてもいるのだろうけど。


「いっそ、本当に姉妹になって下さいませんかね」


 ボソッと、胡蝶さんが言った。


「本当に姉妹って、おりょうさんを源家の養子に?」

「いえ、そうではなくてですね」

「?」


 胡蝶さんの考えがイマイチ掴めないな。


「良太さ、んがお華様を娶って、りょ……おりょうさんを側室に。あ、でもこれでは、おりょうさんの方が義妹に……年上の義妹というのも、風変わりですが悪くないのでは?」


 まだ慣れないのか、俺やおりょうさんや頼華ちゃんの名前を胡蝶さんは言い直している。って、問題はそこじゃ無い!


「あ、あのですね……」

「まだ、お華様が幼いのが問題でしょうか? しかし将来が有望なのは、良く似ていらっしゃる雫様や、先程のお姿を拝見すればおわかりですよね?」

「そこまで考えて見てませんでしたよ!?」


 自覚は無かったが、俺はそんな目で頼華ちゃんを見ていたんだろうか?


「もし、まだ幼いお華様に対して罪悪感があるですとか、成長するまで我慢出来ないと仰るのでしたら、その間は私が……」


 とんでもない事を言いながら、胡蝶さんがポッと赤くなった頬を押さえる。


「はっ!? そ、それとも良太さんは、現在のお華様のような容姿でないとダメなのでしょうか? もしかして、おりょうさんに手を出していないのは……」

「ひどい言い掛かりですよ!?」


 どうやら胡蝶さんには、俺が特殊な性癖の持ち主だと勘違いされているみたいだ。


(そういう事でしたか……)


 なんか天の声、じゃなくてヴァナさんの悟ったみたいな声が聞こえて来た。違いますよ!?


「良太、そうだったの……」


 いつの間にか立ち止まっていたおりょうさんが、振り返って目を潤ませている。


「いや、だから違うと……」

「そ、そうでしたか……りょうた兄上、その、ちょっと早い気もしますけど、私はいつでも……」


 だから、なんで頼華ちゃんは流し目を送ってくるかな……。


 結局、もう胡蝶さんの分のプリンは作りませんよと宣言すると、絶望的な表情になって俺に平謝りし、全て自分の勘違いでしたと、おりょうさんと頼華ちゃんに説明して納得させて、この件は終息した。



「はい、御飯だよ」

 

 おりょうさんが、二階の座敷に大きな盆に載せて食事を運んできた。四人分なので、俺も配膳するのを手伝う。


「お華ちゃんの御要望の蕎麦に、後はこいつを」


 炭火の熾った箱火鉢が置かれ、大皿には身のふっくらとした大粒の牡蠣と、ぶつ切りの葱が盛り付けられている。


「昆布を敷いて、牡蠣と葱を載せてと……焼きあがるまで少し掛かるから、先に蕎麦をどうぞ。それとこっちは時雨煮」

「はい! 頂きます!」

「「頂きます」」


 頼華ちゃんの元気な号令で、手を合わせてから食事が始まった。


「うわぁ、凄くいい香りです!」


 丼の蓋を開けると、湯気を上げる蕎麦の上にも、牡蠣が載っていた。


「蕎麦もおいしいけど、この牡蠣が……さすがは江戸の名産ですね」

「牡蠣って、江戸の名産でしたっけ?」


 確かにうまいが、牡蠣が江戸の名産という頼華ちゃんの言葉に、少し違和感があった。


「何言ってんだい。伊勢志摩や三河には負けるかもしれないけど、深川産の牡蠣は、間違い無く江戸の名物さ」

「へー……うん。牡蠣がプリップリでうまい!」


 工業地帯が出来るまでは、東京湾もかなり綺麗で豊かな漁場だったらしいから、牡蠣なんかも養殖出来てい


たんだろうな。


 考えてみれば、幾つもの河川が流れ込んでいる東京湾、江戸湾は、質の良い牡蠣の養殖の条件を備えている。


「焼けてきたよ。こっちもお食べ」


 表面に酒を塗った昆布の上で焼かれた牡蠣と葱を、小皿に取って醤油で食べる。


「あっつ……余計な水分が抜けて、昆布の旨味と香りも加わって、これはうまいですね。この時雨煮も、甘辛い味付けが、牡蠣に良く合ってる」

「だろう? それここれも、江戸の牡蠣があってこそさ。さ、もっとおあがり」


 おりょうさんが、我が事のように牡蠣を自慢しながら、食べられて空いた昆布の上に、追加で牡蠣と葱を置いていく。


「今日は蕎麦にしたけど、牡蠣は御飯に混ぜて牡蠣飯にしてもうまいんだよ」

「あー、うまそうですねぇ」


 うまい蕎麦と焼き牡蠣を食べているというのに、牡蠣飯へ思いを馳せてしまう。


「りょう姉上、今度、牡蠣飯も作って下さい!」

「任しときな。でも、江戸には他にもおいしい物がいっぱいあるからね。ほら、追加が焼けたよ」

「やった!」


 笑顔で牡蠣と葱を小皿に取ってやるおりょうさんと、それを嬉しそうに食べている頼華ちゃんが、数日前に死闘を演じたと言っても、誰も信じないだろうなぁ。二人はそれくらい仲良く見える。



「ご馳走様でした! お腹いっぱいです!」

「はい、お粗末さま」


 おりょうさんがたっぷり用意してくれた夕食を、頼華ちゃんを始めとして全員が満足して食べ終えた。


「りょうた兄上、食後にぷりんが食べたいです!」

「……お華ちゃん、いまお腹いっぱいって言ったよね?」

「ぷりんなら食べられるのです!」


 スイーツは別腹って現代人の感覚だと思ってたけど、別世界でも共通だったみたいだ。


「「……」」


 おりょうさんと胡蝶さんまで、期待の眼差しで俺を見ている。


「別に作るのが嫌という訳じゃ……わかりました、作ってきますけど、おりょうさん、材料は使っちゃっていいんですか? あ、それと豆乳が……」

「砂糖と卵は好きに使っとくれ。豆乳は、あたしがひとっ走りして豆腐屋で仕入れてくる」

「……わかりました」


 そこまでするほど食べたかったのか。どうせなら夕食前に言ってくれれば仕込んでおいたのに。


「お華ちゃんとお蝶さんは、お茶でも飲んで待ってて下さい」

「わかりました!」

「お待ちしております」


 階下へ降りて、おりょうさんは豆腐屋へ。俺は厨房に入って準備を始める。


「鍋で湯を沸かして……蒸し器はあるな」


 かまどの火に掛けた鍋は放置して、卵と砂糖、プリン液を流し込む器に湯呑茶碗を用意して、小鍋でカラメルを作る。


「どうせまたリクエストされるだろうから、少し多目に仕込んでおくか……」 


 福袋に劣化させずに保存できるから、湯呑みに十個分の材料を下拵えしておくとしよう。



 そこそこ急いだらしい、少し息を切らしながら戻ってきたおりょうさんから豆乳を受け取り、他の材料と混ぜて蒸し上げて、表面を少し焼いてプリンが完成した。


「すいません、良さんが戻ってると聞いたんですが……」

「あ、嘉兵衛さん」

「おお、良さん。無事にお帰りで」


 声がしたので厨房から顔を出すと、辻売りの魚屋の嘉兵衛さんが店に来ていた。


「嘉兵衛さん、鰻裂きが出来上がったのでお渡しします」

「まだ数日は掛かると思ってましたが、もう出来ましたか」


 製作を依頼に行った俺が、現物を持ち帰るとは思っていなかったのだろう。嘉兵衛さんは驚いた顔をしている。


「あとは柄を付ければ使えますよ」

「そうですか。早めに試せるのは有り難いですな」

「それで、お渡しするのと、ちょっと嘉兵衛さんに相談したい事もあるので、良かったら二階へ」

「あっしに相談ですかい? 良さんは恩人と言ってもいいから、大概の事は聞きますが……」


 まだ鰻の店も開店していないのに、なんで嘉兵衛さんがここまで言ってくれるのかは謎だ。その点につけ込むように、お願いをするのは心苦しいが……。


「と、とりあえず二階の座敷へ」

「はい」


 プリンの器を載せた盆を持った俺と嘉兵衛さんは、頼華ちゃん達がいる二階の座敷へ向かった。

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