激安の殿堂
「……ん?」
(なんか、視界が肌色で埋め尽くされてたような……って、ここは?)
どうやら机に突っ伏すように眠っていたらしい俺は、身体を起こすとパソコンのディスプレイ兼用のテレビに、見慣れたゲームの画面が映し出されているのに気がついた。
(そっか……プレイしたまま寝ちゃってたんだな)
俺がプレイしていたのは、古典ファンタジーの世界を舞台にしたネットワークRPGで、斜め後方からの視点で操作するべきキャラクターは、当たり前だが馬に騎乗したまま動きを停めていた。
『おーい? 動かなくなっちゃったけど、どうかしましたか?』
ゲームのチャットウィンドには、一緒にプレイをしていたフレンドからの、心配そうな書き込みが複数並んでいる。
『申し訳ない。ちょっと回線の具合が悪いみたいで、遅延してます』
『あー。それはそれは』
嘘を書き込むのは気が引けるが、どうもこれ以上プレイを続ける気分では無いので、ネットワーク障害という理由にしておこう。
本当は起こると困る事態だが、良くあると言えばある事なので、フレンドの方もあっさりと信じてくれたという訳である。
『ちょっとこれ以上はプレイが難しいみたいなので、今日のところはこれにて』
『了解です。じゃあこっちはソロで狩りにでも行ってきますので』
『申し訳ない。今度はそちらの都合のいい時に、クエストに付き合いますんで』
『宜しく! それじゃ、お疲れ様』
『お疲れ様です』
型通りの挨拶をフレンドと交わしてから、俺はゲームからログアウトした。
「ふぅ……ん?」
小さく溜め息をついた俺は、メールの着信に気がついて、マウスを操作してメーラーを立ち上げた。
「なんか見た事の無い差出人だけど……懸賞で賞金獲得?」
ネットのアンケートの類には、入力がそれ程面倒じゃない場合に限って積極的に答えてきたのだが、どうやらその内の一つに当選したという事らしい。
「金額は十万か……これは大きいな」
高校に入学したての自分にとって、十万円というのはかなりの額だ。
それ程浪費癖は無いので、パソコンとその周辺機器、幾つかのゲーム機くらいしか買っていないので、小遣いの残りや毎年のお年玉などがそれなりに銀行の口座には残っているが、十万円の臨時収入というのは非常に心躍る状況である。
「さて……おりょうさん、頼華ちゃん、特に混乱とかはしていませんか?」
俺は座っていた椅子を回転させて振り返ると、ベッドに腰掛けている美女と美少女に語り掛けた。
「ここが良太の部屋なんだねぇ……」
「失礼ながら、狭いですね!」
「まあ、否定は出来ないね……」
(六畳間を独り占めってのは、現代の住宅事情だとそれなりに贅沢な事なんだけどなぁ……)
鎌倉の広いお屋敷に住んでいた頼華ちゃんから見れば仕方が無い事なのだが、自分なりに快適になるように整えてある部屋を狭いと言われてしまったので、心中は複雑だ。
ピンポーン♪
「ん? なんだろう、こんな時間に……二人共、ちょっと待ってて下さい」
「「……」」
物珍しそうに部屋の中を見回すおりょうさんと頼華ちゃんが頷くのを見届けてから、俺は玄関へと向かった。
「鈴白良太さんですか? 速達です」
「速達? はい。受け取りですね」
速達で届けられるような物の心当たりは無いが、確かに俺宛だったので、認め印を押して受け取った。
「カード在中? これは……仕事が速いなぁ」
送り先が宗教法人という事で、ちょっと怪しい感じがするが中を確認すると、デビットカードと、カードに関する情報が書かれた書類が同封されていた。
予想通りカードは、天照坐皇大御神様が用意してくれると言っていたデビットカードで、限度額が百万円であるという内容と暗証番号が記載されている。
(ある程度時間の操作が出来るみたいだけど……何にせよ、今日の内に届いたのは有り難いな)
出掛けている間に配送という事も考えられたので、最悪の場合には受取人不在で郵便局へ行かなければならなかったかもしれないのだ。
いいタイミングで受け取れるように手配してくれた事も含めて、天照坐皇大御神様には感謝を捧げたい。
(うふふ。どう致しまして)
天の声が聞こえた気がするが、何も無い空間に軽く会釈するに留めて、おりょうさんと頼華ちゃんの待つ部屋へ向かった。
「なんだったんだい?」
「向こうを発つ前に天照坐皇大御神様が言っていた、活動資金という奴です」
部屋に戻った俺はおりょうさんに、カードを示しながら言った。
「ふぅん……これがお金の代わりにねぇ」
俺が手渡したカードをしげしげと見ながら、おりょうさんが怪訝な表情をしている。
「あれ? そういう知識も入力されたんじゃないんですか?」
「そうなんだけどねぇ……でも良太も、知っているのと実際に目で見たりするのが違うのはわかるだろ?」
「まあ、そうですね」
ネットや本で幾ら知識を詰め込んであっても、実体験には適うものでは無い。
それは生活に関連する事であっても、観光や遊びなどについても同じ事だろう。
「と、ところで良太……」
「はい?」
何やらおりょうさんが、もじもじしながらベッドに掛けられている布団にのの字を書いている。
「つ、遂に良太の御両親と、対面の時が来たのかい?」
「あ……あー……」
「な、なんだい!? まさかここまで来て、あたしみたいな女は御両親には会わせられないとか言い出すってのかい!?」
「なんでそうなるんですか!?」
俺の躊躇をどう受け取ったのか、おりょうさんがとんでもない事を言い出した。
「そうじゃなくてですね……あの、実は俺の両親は今、不在なんですよ」
「「……は?」」
一緒に挨拶をする予定だった頼華ちゃんも、おりょうさんと口を揃えて呆然と言葉を漏らした。
「どどど、どういう事なんだい!?」
「どどど、どういう事ですか兄上!?」
「二人共落ち着いて……」
両親が不在な事を告げると、どういう訳かおりょうさんも頼華ちゃんも激しく動揺している。
「俺の高校の入学式に出た後で、父親の北海道への出張に便乗して、母親もついて行っちゃったんですよ」
俺の中学の卒業式と高校の入学式というイベントを終えて、まだ寒気は残っているが、これから雪が溶けて過ごし易くなる北海道に、父親の出張先での世話という名目で羽根を伸ばしに母親も便乗したという訳である。
高校受験に関しては、近所の無試験の学校を選択したので苦労は無かったのだが、入学金や授業料の面では迷惑を掛けているので、両親の行動にあれこれ口を挟んだりはしなかった。
元々一人っ子なので、両親が不在の状態で過ごす時間が多かったのもあって、洗濯や掃除が多少煩わしい以外は、一人の時間を満喫出来ると心中で喜んだのだった。
その一人の時間を満喫中に突然死をして、別の世界での生活が始まってしまったのだが……。
「「ええー……」」
おりょうさんと頼華ちゃんは、声を揃えてあからさまに落胆を表情に現している。
(気持ちはわかるけどなぁ……)
俺の両親に会うという事で、おりょうさんも頼華ちゃんも相当に覚悟をしていたのだと思うが、その相手が不在と聞かされて、一気に期待感と緊張感が失われてしまったのだろう。
「まあまあ……出張の期間は一ヶ月なので、フレイヤ様と天照坐皇大御神様に言われた制限の前には帰ってきますから、対面はその時に」
父親の出張は四月の初日から一ヶ月間という期間であり、今日は四月の最初の週の金曜日なので、俺達がこっちの世界に滞在出来るリミットの数日前には、両親が北海道から戻ってくるのだ。
「う……わ、わかったよ」
「気が抜けましたが、ホッともしました!」
おりょうさんの気持ちも頼華ちゃんが代弁したようで、いきなり会うよりは準備期間が三週間あるという事で、気分が楽になったのだろう。
ぐー……
そんな気が抜けたのが空腹を思い出させたのか、頼華ちゃんのお腹が不平を漏らした。
「兄上! お腹が空きました!」
お腹が鳴ったのを恥じらう様子も無く、頼華ちゃんははっきりと空腹である事を口にした。
「考えてみれば向こうでは食後だけど、こっちのその身体は作られたばっかりか」
そして自分自身も、帰宅してから飲み物だけを準備してゲームをプレイしていたので、夕食がまだだったのを思い出した。
「この時間なら……まだ開いてるな」
部屋においてある、デジタルの温度計兼用の時計を見ると、時刻は夜の七時半になろうというところだ。
帰宅してからすぐにパソコンを立ち上げて、フレンドと合流する前からネットーゲームにログインしていたので、俺もまだ夕食を済ませていない。
(下のスーパーで買物してくるか……)
自宅はJR川崎駅から徒歩で十五分程度の集合住宅内にあり、公営と分譲の建物が立ち並ぶ中の、分譲の棟の中の一室だ。
分譲の区画の一階部分にはスーパーを始めとした商店や、郵便局などが並んでいて、天候を気にせずに利用出来るという非常に便利な造りになっている。
徒歩五分程度の場所にあるもう一軒のスーパーも比較的遅くまで営業しているし、コンビニや弁当屋なども近いので、料理を作るのが面倒でも食事には困らないという有り難い立地だ。
「夕食の材料を買ってきます。お茶を淹れておきますから二人は待ってて下さい」
母親がお茶好きなので、緑茶以外にも紅茶や中国茶なんかもあるので、二人には色々と試して貰おうと思っている。
「買い物かい? ならあたしも一緒に行くよ」
「勿論、余もお供します!」
予想はしていたが、おりょうさんと頼華ちゃんも買い物に同行すると申し出てきた。
「……まあいいか」
「な、なんか問題があるのかい!?」
「余がお供するのは恥ずかしいのでしょうか!?」
「だから、二人共落ち着いて……」
こっちの世界に来たり、対面する予定の両親がいなかったり、空腹だったりと、様々な要因が重なったからか、おりょうさんも頼華ちゃんも少し興奮気味だ。
「二人の今の服装が、ちょっとと思ったんです」
「この格好がかい?」
「おかしいですか?」
「おかしいと言う程でも無いんですけど……」
俺は学校から帰ってから、ネルのウェスタンシャツとデニムに着替えているので、こっちの世界ではごく一般的な服装だが、おりょうさんと頼華ちゃんは着物よりは目立たないと思うが、作務衣姿である。
「うーん……おりょうさんには俺の母親の衣類を出しますから、それに着替えて下さい。頼華ちゃんには俺のを」
人通りの多い駅前とかに出る訳では無いので作務衣でもいいかとも思ったのだが、只でさえ目立つ容姿の二人が作務衣だと更に人目を惹いてしまうかと思ったので、ごく一般的な服装に着替えて貰う事にする。
「お、お母様の服かい!?」
「あ、兄上の服……」
おりょうさんは母親の服と聞いて、緊張や羞恥が入り混じった表情を浮かべているが、どういう訳か頼華ちゃんは、口元を緩めて笑っている。
「……こんなもんかな? それじゃ二人共、こっちへ」
ベッドの下の収納スペースから幾つか衣類を引っ張り出した俺は、二人を伴って部屋を出た。
自宅は変形の2DKで、玄関を入ってすぐ右側にトイレと浴室があり、短い階段を下ると六畳くらいの広さのフローリングのリビングに辿り着く。
リビングを玄関方向に右側に折り返すとキッチンがあり、左側にはリビングに隣接する形で六畳の和室がある。
和室は両親の寝室でもあり、リビングにはローソファーとローテーブルが置かれていて、大型のテレビもあるので家族が揃っての食事はリビングで行っている。
リビングとキッチンの境目の辺りに小さなテーブルと椅子が置かれていて、急ぐ朝や俺一人での簡単な食事などは、そこで済ませてしまう事もある。
俺の部屋は階段を下ったところで左に折れ、突き当たりにある納戸から更に左に折れたところにある階段を上がった先にある、六畳程度の広さのフローリングの洋室だ。
俺の部屋は階段で隔てられている完全にプライベートな空間なので、非常に満足しているし両親には感謝している。
「おりょうさん、頼華ちゃん、着替え終わりましたか?」
二人に服を渡してから、リビングと和室の間の仕切りの引き戸を閉めて、キッチンで米を研いで炊飯器にセットしてから、リビングに戻って戸をノックした。
「ああ、終わったよ」
「どうぞ開けて下さい!」
「失礼……うん。二人共、良く似合ってますね」
「そ、そうかい?」
「そうですか!? えへへぇ」
おりょうさんには母親の白いブラウスの上にグレーのカーディガンを着て、濃紺のコットンパンツを履いている。
(おりょうさんと母親じゃ、脚の長さが違ったか……)
幸いにも似た体型だったようで、ボトムスの丈が少し短めという以外には特に問題は無く、落ち着いた着こなしになっている。
頼華ちゃんにはオフホワイトのフード付きのパーカーと、ボトムスには適当な物が無かったので、苦肉の策としてデニムのハーフパンツを渡しておいた。
(ベルトじゃ無くて、サスペンダーで正解だったな)
それ程太っている訳では無いのだが、俺と頼華ちゃんではウェストのサイズが違い過ぎるのでサスペンダーを渡しておいたのだが、全体的にダボッとした感じが、逆に今風になっているように見える。
「出掛けるついでに、少し足を伸ばして必要な物も買ってきましょう」
下のスーパーで食材を買って済ませるつもりでいたが、予定を変更して少し離れた場所へ生活雑貨を買いに行く事にした。
「うぅ……夕飯はお預けですか?」
お腹の辺りを押さえながら、頼華ちゃんが悲しそうな顔をする。
「途中で軽く食べ物を買って、食べながら目的地に行こうか」
目的地の途中にはコンビニがあるので、頼華ちゃんには何か軽食を買って、夕食まで保たせて貰おう。
「やったー! 兄上、姉上、早く行きましょう!」
「わかったから、引っ張らなくてもいいから」
「頼華ちゃん、どこに行くかわかってないんだから、慌てるんじゃ無いよ」
俺とおりょうさんは苦笑しながら、手を引っ張る頼華ちゃんと一緒に玄関へと向かった。
家から出る際に鍵の使い方を教え、ドアを閉めてから部屋番号の表示と表札を確認して貰った。
自宅前の通路からエレベーターホールまでの道順を確認して貰ってから、エレベーターのボタン操作を教えながら階下へ降りた。
「色々と珍しいでしょうけど、ここから向かう先の景色を覚えて下さいね」
「わかったよ」
「わかりました」
一緒にいる時には気にしないでもいいのだが、俺が学校へ行っている際の外出時に迷子になると困るので、この辺は少し念を入れて言っておく。
二人共それ程、方向音痴という事は無さそうなので、大丈夫だとは信じたいのだが……。
「外から見ると、大っきいんだねぇ……」
「凄いです!」
一階のエレベターホールから出て、少し歩いたところで振り返って建物を見て、おりょうさんと頼華ちゃんが感嘆の声を上げている。
「ここよりも高い建物はいっぱいありますよ」
「そうなのかい!?」
「そうなのですか!?」
「さあ。行きましょう」
あっちの世界には無かった集合住宅の威容に見入っている、おりょうさんと頼華ちゃんを少し強めに促して歩き始めた。
「ううむ。これが安く、いつでも買えるというのは凄い事ですね!」
「そうだねぇ。ちっと油っこいけど、旨いもんだねぇ」
途中のコンビニで買った、頼華ちゃんはアメリカンドッグ、おりょうさんはフライドチキンを食べながら、値段と味に驚きを隠せないでいる。
飲み物は、二人が慣れている麦茶にしておいたが、その内にジュースやコーヒーなど、色々と試して貰おうとは考えている。
(確かに、日本のこういう姿勢って凄いよな)
海外では低価格の食品というのは、値段なりのクオリティな事が多いのだが、日本では百円の食品であっても、ある程度の水準をクリアしていなければ消費者に見向きもされない事が多い。
逆説的にコンビニで売っている定番商品というのは、様々なニーズに合致していると言える。
「着きましたよ。ここです」
「こ、これかい?」
「やはり広い道に面している商店は、大きいのですね!」
自宅近くの国道を、交通量の多さに驚きながら横断する二人と辿り着いたのは、激安の殿堂と呼ばれているディスカウントストアだ。
「おおお! なんとも物で溢れておりますね!」
「頼華ちゃん、落ち着いて……」
自転車置き場を通り抜けて自動ドアを入ったすぐ先には、雑多な物が所狭しと並んでいる。
「へぇ。身嗜み用品がこんなにいっぱいあるんだねぇ……」
林立するシャンプーやリンスのボトルを、おりょうさんが溜め息混じりに見ている。
「この辺にも後で寄りますけど、先に二階に行きますよ」
「わかったよ」
「わかりました!」
足が止まってしまった二人を促して、激安の殿堂の二階へエスカレータで上がった。
「スニーカーと、サンダル辺りかな?」
「ふえぇ……さっきもそうだったけど、履物も凄い数だねぇ」
「兄上! 余には少し大きいです!」
「頼華ちゃんはこっちだね」
おりょうさんが自分の足に合うサイズを探している間に、頼華ちゃんを少し離れたジュニアの売り場に連れて行く。
「頼華ちゃんはこれくらいかな? おりょうさんは二十二か、二十三センチくらいでしょう」
おりょうさんも頼華ちゃんも、現代風な履物は俺と同じ鵺の靴があるのだが、レースアップのショートブーツに該当するので脱ぎ履きが面倒だろうからと、安くて手軽な靴を買いに来たのだった。
お洒落な靴などは、明日以降に出掛けた先で買えばいい。
「後は……パジャマも買いましょうか」
個人的に、この店の衣料品は安いが品質は信頼していないので、二人には駅前のショッピングモールで選んで貰おうかと思っているのだが、就寝時に身に着ける物は必要だ。
「パジャマってのは、寝間着だよね?」
「そうですけど、何か?」
「だったら、いつものでいいんじゃ無いのかい?」
「いつもの……まあ、そうですけど」
おりょうさんが言ういつものというのは、蜘蛛の糸で作った貫頭衣風の衣類の事だ。
「あれは楽だからねぇ」
「そうですね!」
「じゃあパジャマはまたという事にしますか」
出先で目についた物が欲しくなるかもしれないので、ここで無理をして買う事も無いだろう。
「それじゃ会計を済ませてから、下へ行きましょう」
買い物かごにおりょうさんと頼華ちゃんがサイズを合わせた靴を入れて、会計の列に並んだ。




