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豆乳プリン

「はぁ……やっとサッパリした」


 服には防汚の付与があるが、鯨を刺した時に出た血や脂にまみれてしまったし、その前後の救助活動とかで随分と潮も被ったりしたから、目で見てわかる範囲だけでも相当に身体が汚れている。


「しかし、入浴だけでもサッパリしたけど、汚れによっては石鹸やシャンプーは欲しいな……」


 鯨の血液や脂は流すだけでは落ち難かった。髪の毛に付着した汚れは特にだ。


「そこら中に外国人やデミヒューマンの姿も見えるけど、石鹸とかの技術は入っていないのかな? あ、そういえば……」


 鵺の靴を買った店の店主は、体型的に人間っぽく無かった上に、商売柄そういう事には詳しそうだ。今度行った時に色々と尋ねてみよう。


 新しい服が用意されていたが、腕輪の三つ巴の紋を押して、自前の服を着た。


「あ、そういえば、もしかして……」


 ふと思いついて、頭の中でイメージしながら、腕輪の何も無い部分を押す。


「やっぱり、出来たな」


 一瞬で服の着替えが出来たので、もしかしたらと思ったら、服を脱ぐ事も出来た。今日みたいに、場合によっては水の中に入る時には服は邪魔だから、一瞬で脱げるのも便利だ。懐に入れてあった小銭入れなんかも一緒に収納されているのを、脱着を繰り返して確認する。


「おや、良太も今上がったのかい?」

「あ、おりょうさんもですか」


 俺が出たタイミングで、おりょうさんも入浴を終えて出て来た。しっとりとした風呂上がりの風情が、なんとも色っぽい。


「……」


(おりょうさんって、話で聞く限りでは俺より二つ三つ上くらいのはずだけど、元の世界で言えば高校の上級生って感じだよな? そのくらいの歳の女の人って、こんなに色気あったっけ?)


 おりょうさんを見ながら俺は、そんな答えの出ない問題を頭の中で考えていた。


「あ、そうだ。おりょうさんに少し用があるんですけど、部屋に行っても大丈夫ですか?」

「っ!? そ、そりゃ大丈夫だけど……食事の後の方が、いいんじゃないのかい?」


 部屋に行くと言って、何か別の事を期待されてしまっているようで、おりょうさんが俺をチラチラと見てくる。


「いや、すぐ済みますから……」

「じ、時間を掛けてくれても……いいのよ?」

「と、とにかく、行きますね」


 どうしよう。期待を裏切ったら痛い目を見そうな気が……俺は自分の部屋には戻らずに、そのままおりょうさんの部屋に向かった。



「ど、どうぞ……」

「頂きます……うん、うまい」


 入浴を終えて、おりょうさんが淹れてくれたお茶を飲んで、やっと本当の意味で落ち着いた気がする。


「おりょうさんに用というのは……これなんですけど」


 俺は福袋から、例の出来損ないのパウンドケーキみたいな形の塊を取り出した。


「それって、頭領様から受け取った竜涎香だろう? それがどうしたんだい?」

「なんか流れで俺が受け取りましたけど、おりょうさんに船を漕いでもらわなければ、鯨まで辿り着けませんでした。ですから……」


 俺は一緒に取り出した柳刃で、竜涎香を真ん中辺りから切断した。思っていたほど固くなかったのか、柳刃の切れ味が良かったのかは、実感としてはわからなかった。


「ちょっ!? あ、あんた何してんだい!?」


 おりょうさんは目を見開いて、俺と竜涎香に視線を行ったり来たりさせている。


「おりょうさんに全部あげてもいいんですけど、受け取ってくれないでしょう?」

「ぜ、全部って……良太、竜涎香は金よりも高いって言うけど、それは物があればって話で、殆ど言い値で取引されてるんだよ?」

「そうなんですか?」


 言われてみればだが、入手する手段が限られるから、需要に供給が追いつく訳が無いのか。


「あんた……こんだけあれば、ひと財産だ。あたしの事なんか気にしないで、好きにすればいいじゃないか」


 正直、ここまでおりょうさんが動揺するとは思っていなかったので、俺の方が驚いている。


「だから、好きにさせて下さい。割っちゃったけど、全部おりょうさんが持って行ってもいいんですよ?」

「はぁ……もう、わかったよ。それじゃありがたく頂いとこうかね。その代わりと言っちゃなんだけど、今後、良太の竹林庵の宿代と食事代は、タダでいいよ」

「あ、それは凄くありがたいです」


 別に、この言葉を期待していた訳では無いが、単に手持ちのお金が増えるよりは何倍もありがたい。


「バカだねぇ。こいつを売っ払えば、店ごと買ったってお釣りが来るってのに……」

「店なんか持ったら、ちゃんと経営しなきゃならないじゃないですか。俺には人を雇って使うのなんか無理ですよ」


 嘉兵衛さんの鰻の店の件に首は突っ込んでいるけど、責任を放棄する気は無いのだが、やはりどこかで他人事という感覚はある。


「とにかく、これはもうおりょうさんの物ですから、売るなり何なり好きにして下さい」

「そりゃあ、好きにするけどさ……なんか、こんなお宝持ち慣れないんで、落ち着かないねぇ」


 手に持った竜涎香を眺めながら、おりょうさんは渋い顔をしている。


「あはは。じゃあ品川に戻るまでは、俺が預かっておきましょうか?」

「そうしてくれるかい?」

「はい。すぐに使い途が思いつかなければ、おりょうさんがお嫁さんに行く時の、持参金にでもすればいいんじゃないですか?」


 おりょうさんから受け取った竜涎香を福袋に仕舞いながら、俺は特に意識する事も無く、ほんの軽い気持ちでそんな事を言ってしまったのだ。


「じ、持参金って。じゃ、じゃあ、結局は、良太の物になるんじゃないか……」

「……えっ?」

「えっ?」


 俺とおりょうさんはお互いの顔を見つめ合いながら、自分が言った言葉の意味を考え直して赤面した。物凄く気まずい空気が流れる。


「失礼します。お食事の用意が整いましたので、お迎えに上がりました」

「「っ!」」


 短い静寂を打ち破ったのは、部屋の外から掛けられた胡蝶さんの声だった。


「あ、ああ。すぐに行くよ! 良太もここにいるから、一緒に」

「畏まりました」


 おりょうさんと胡蝶さんのやり取りが終わり、場の空気が一気に柔らかくなった気がする。知らない内に緊張していたのか、全身が脱力感に包まれた。


「い、行きましょうか?」


 気を取り直して立ち上がった俺は、おりょうさんに手を差し出した。


「あ……そ、そうだねぇ。久しぶりに船なんか漕いだから、お腹がへったよ」

「俺もです」


 嬉しそうに俺の手を掴んだ、おりょうさんの手を引いて立ち上がるのを手伝うと、二人揃って部屋を出た。



「兄上! 姉上! 早く早く! 余はお腹が減っているのだ!」

「あはは。お待たせ」

「頼華……」

「ひぎっ!?」


 既に着席して急かす頼華ちゃんの後ろに雫さんが手を回した途端に、変な声を上げて身体を硬直させた。


「まったくこの娘は……少しは礼儀を覚えなさい」

「は、母上。ごめんなさいぃ……」


 どうやらお尻の辺りをつねられているらしい頼華ちゃんは、涙目になりながら必死で雫さんに許しを請うている。


「お騒がせ致しました。どうぞお掛け下さい」

「ど、どうも」

「あ、ああ……」


 何も無かったかのように座るように言う雫さんに従って、俺達は用意されていた席に着いた。頼永さんは、ただ笑顔で見守っているだけで何も言わない。


「それでは食事にしましょうか。頂きます」

『頂きます』


 頼永さんに続いて皆で手を合わせて、食事が始まった。蛤の吸い物に三色の味噌を使った豆腐の田楽と、小ぶりの鯛が丸のまま出されたが、見た目にはどういう料理かわからない。


「この鯛は下味をつけて揚げてあるんですね。中に入っているのは……豆腐?」


 ごま油で香ばしく揚がった鯛の中には、豆腐が詰められていた。


「お気づきですか? 豆腐と葛粉を混ぜた物を詰めてあるのです」

「面白い料理ですね。サクサクに上がった鯛も、中の豆腐もおいしいです」


 鯛には醤油で下味がつけられ、香り高いごま油で揚げられている。そして鯛の旨味を吸った豆腐が面白い食感の料理にしてくれていた。


 田楽の方も、オーソドックスな赤味噌にみりんを混ぜた物、木の芽を混ぜた木の芽味噌、卵の黄身を混ぜた黄身味噌と手間が掛かっている。蛤の吸い物もうまかった。


「ところで頼永様」

「なんでしょう?」


 食事が終わったのを見計らって、俺は気になっていた事があったので、頼永さんに話しかけた。


「これを、船が壊れた漁師さんとその家族の、新しい船を作る資金と、漁ができない間の補填に使ってもらえませんか?」


 二つに切った竜涎香の半分を取り出し、自分の前に置いた。


「あなたという人は……せっかくのお申し出ですが、それは必要ありません」

「それは、どうしてですか?」

「実は、良太殿が権利を放棄した勇魚、マッコウ鯨ですが、あれから採れる脂、特に頭の辺りの脂は高級なロウソクなどの素材として、高く取引されているのですよ」

「そうなんですか?」

「少しだけ、八幡神様を祀る祭壇のロウソク用に、取っておきますけどね」


 神仏の加護や魔法の灯りなんかで燃料が節約できるこの世界でも、油脂類はまだまだ貴重品みたいだ。


「その脂以外にも、かなりの部分が売れますので、被害を受けた者達には十分な事がしてあげられます。ですのでどうぞ、その竜涎香はお仕舞い下さい」

「そうですか。わかりました」


 傷害保険や休業補償なんかはこの世界には無いだろうから、漁師さん達のその後が気になっていたのだ。俺は竜涎香を取り上げて仕舞った。


「領民へのお心遣い、痛み入ります。そんな領民達の間では、良太殿の話題で持ちきりですよ」

「えっ!?」


 どどど、どういう事だそれは!?


「そうだな! 余も屋敷に戻るまでの間に、兄上の事をいっぱい訊かれたし、武勇を聞かされたぞ!」

「命を救われたり、怪我を治された者達の中には、良太殿を八幡神様の御使いだと触れ回っている者もおります」

「余が聞いたのは、船から船へ飛び移り、勇魚を倒す姿が、物語で聞く義経様のようだったという物だ!」


 義経の八艘飛び!? でもあれって、戦うためじゃなくて逃げるためだったはず……って、そこは問題じゃ無い。


「きっと今頃は夕食や酒の場で、多くの者達が良太殿の武勇を語っているでしょう」


 実に愉快そうに、頼永さんが追い打ちを掛けてくる。


「あー……まあ、不名誉では無い話題なのは良かったです」


 結果としては頼永さんの言う通りになったが、特に意図しての行動じゃないんだよな。もう鎌倉の街をのんびり歩くのは難しいかもしれない。明日は早い時間に品川へ向けて出発しよう。


「これも言い忘れておりましたが、着替えに用意しておいた着物ですが、お気に召したなら、どうぞお持ち下さい。勿論、りょう殿へ弁償する分とは別です」

「そうですか? では遠慮無く」

「ありがたく、頂戴しておきますよ」


 服は自動修復するし、成長? して種類も増えたが、自分以外の人間に着替えを提供する事なんかもあるかもしれないので、スペアがあるのはありがたい。


「話題が出たのでついでと言っては何ですが、りょう殿の着物はどのように用意しましょう? 仕立て屋を呼びますか?」

「それも面倒ですねぇ。もう、今着ているこれで構いませんよ」

「しかしそれでは……」


 頼永さんが食い下がろうとするが、引き止めの時とは違い、お詫びが足りないと感じての事だろう。


「元々着ていたのは安物ですし、あたしはお洒落ってのには無頓着なので。いつもは歩いていて良さそうなのを買ってるだけなんですよ。ですので、仕立て屋を呼んで作るなんてのは、本当に面倒なんですよ」

「そうですか……」

「どうしてもと仰るなら、土産に酒でも持たせて頂ければ結構」

「おお、りょう殿はいける口でしたか。土産の件は承知しました。それとは別に、少し如何ですか?」

「そうですか? では少しだけ。あと、その事とは別件なんですけど……良太」

「なんですか?」


 頼永さんと話していたおりょうさんから、俺の方へ話が振られた。


「ちょっと色々あって疲れたから、あの、昨日作ってくれた卵のお菓子、食べたいな、って……良太も疲れてるから、悪いとは思うんだけどさ」


 もじもじと言い難そうに、おりょうさんからプリンのリクエストだ。


「そんな事、気にしないで下さいよ。俺は構いませんけど……すいません、厨房をお借りしたいのですが、大丈夫でしょうか?」

「おお、卵のお菓子というと、ぷりんだな!」

「厨房をお貸しするのは構いませんが、客人である良太殿にそのような……」


 瞳を期待に輝かせる頼華ちゃんとは対象的に、頼永さんと雫さんは難しい顔をしている。


「俺が好きでやりたいんですよ。そうだ、良かったら皆さんの分もお作りしますから。あ、でも卵と、牛乳か豆乳が無いと……」

「卵はございます。夕餉の豆腐は自家製ですので、まだ少し残っているかと。残っていなくても明日の朝餉用に、大豆を水に浸けた物はあるはずです」

 

 俺の疑問に、雫さんが答えてくれた。


「なら材料は問題無さそうですね」

「う、むむ……」

「頭領、良太殿がこう言って下っているのですから、御好意に甘えましょう」


 頼華ちゃんの反応から興味を惹かれたのか、未だに難しい顔をしている頼永さんとは違い、雫さんは期待の籠もった表情で俺を見てくる。


「仕方ない……では良太殿、お手を煩わせますがお願いします。胡蝶、御案内しなさい」

「畏まりました」

「ありがとうございます。なるべく早く作りますので」

「楽しみにしてるよ」

「兄上、余は三つ欲しいです!」

「了解」


 笑顔のおりょうさんと頼華ちゃんに見送られ、俺は胡蝶さんの案内で、源屋敷の厨房へ向かった。



「卵と豆乳はあるし、砂糖もあるな……」


 料理人と使用人らしい人達と胡蝶さんに見守られながら、俺は先ず材料を混ぜ合わせる前に、かまどに火を入れて大きな鍋で湯を沸かし始める。砂糖は現代のグラニュー糖程ではないが、黒砂糖よりはかなり薄い色だ。


 豆乳と砂糖と卵を手早く混ぜ合わせたら、小さな鉄鍋に砂糖と沸いた湯を入れてかき混ぜ、火に掛けて煮詰めてから水で伸ばし、カラメルを作る。


「湯呑み……じゃなくて、これがいいか」


 正恒さんの家では選択肢が無かったが、多くの客を招いたりするのだろうこの屋敷には、様々な種類の食器が数多くあった。プリンの器には湯呑みでは無く、洒落た感じの茶碗蒸し用と思われる蓋付きの小鉢をセレクトして、カラメル、続いてプリン液を静かに流し込んで表面の気泡を取る。


 鍋の上に、これも正恒さんの家には無かった蒸籠に、プリンの蓋付きの器を入れて、布巾を間に挟んで蓋をして暫し待つ。


「そろそろいいかな?」


 湯気の上がる鍋から、俺は蒸し器を降ろして蓋を開けた。器の蓋も取って中を確かめると、ぷるんとプリンの表面が揺れた。ちょうどいい具合に火が通ったみたいだ。


「さて、次に……」


 正恒さんの家にあったような冷蔵庫は見当たらなかったので、俺は木の桶に小鉢を置き、半分くらい浸かるように水を張った。


「うまく出来るかな?」


 正恒さんの、火を扱うのは熱を扱う事だという言葉で、もしかしたらと思った方法を試してみる。俺は指先を水に入れ、不動明王の権能の炎を頭の中で思い浮かべ、その炎の温度を上げるのではなく下げる方向にイメージする。


「……うわっ!?」

「鈴白様!? ど、どうされました!?」


 声を発した俺の元に、何があったのかと、慌てて胡蝶さんが駆け寄ってきた。


「こ、これは……」

「あはは……」


 驚く胡蝶さんと俺の視線の先では、浸けた指先を中心に水が凍っていた。凍る範囲は少しずつ広がっている。そういえば正恒さんも、冷蔵庫用の氷を作ってたんだから、こうなるのは当たり前か。


「ちょっとやり過ぎだ……」


 温度が下がるイメージを止めた時には、小鉢の回りにまで凍る範囲が及んでいた。冷やすだけのはずが、プリンアイスになってしまうところだった。


「危なかった……あとは、仕上げ仕上げっと」


 小鉢の一つを取り出して蓋を開けた。砂糖の色のせいか、正恒さんの家で作った時よりも色が淡い。再び指先に権能の炎を灯すと、仕上げに表面を炙って焦がした。


「よし。胡蝶さん、味見どうぞ」


 予め探しておいた匙と一緒に、出来上がったプリンを胡蝶さんへ差し出した。


「えっ!? わ。私は使用人ですよ?」

「お世話になってるし、昼間手伝って貰っちゃいましたから。それに、偉い方に出す前の毒味ですよ」

 

 食べ難そうにしているので、もっともらしい理由をこじつけた。


「そ、そういう事でしたら……では、頂きます」


 興味があったのだろう、胡蝶さんは遠慮がちにだが匙を入れ、プリンを口に運んだ。


「……」

「お口に合いませんでしたか?」


 プリンを食べた胡蝶さんが、動きを止めて無言になってしまったので、ちょっと不安がよぎってしまう。


「ふわぁぁ……な、なんてお味なんでしょう……身体の力、抜けちゃいそう」


 敏腕OLみたいな感じに思ってた、胡蝶さんの凛々しさはどこへやら。まるで退行したかのような、幼く無邪気な表情になってしまった。出来る女性の仮面を外してしまう、スイーツの威力すげぇ。


「卵と砂糖で少し材料が贅沢ですけど、作るのは難しくないですよ。どうぞ」

「いいのですか?」


 厨房で働いている中で、一番年上に見える人にも小鉢を渡して味見してもらい、作り方を説明する。


「成る程……頭領にお許しを頂けるなら、作る事自体は難しくないですね。なんとも優しい甘さと、滑らかな舌触りだ」


 周囲にいる他の料理人の人達も集まって来て味見をし、あれこれと言い合っている。


「頼華ちゃ……様も気に入ってくれたみたいですから、出したら喜ばれると思います。それじゃ胡蝶さん、皆さんが待ってますので、行きましょうか」

「はい」


 食べ終えて凛々しい表情に戻った胡蝶さんと一緒に、プリンを載せた盆を持って、食事をしていた部屋に向かった。



「お待たせしました」

「待ってる間に、少し傾けさせてもらってるよ」


 頼永さん御夫妻とおりょうさんは少し顔が赤くなり、そこそこ出来上がっているように見える。


「お待ちしていました、兄上! 余だけ酒が飲めないので、退屈でした!」


 一人酒席に取り残されていた頼華ちゃんは、御機嫌斜めのようだ。


「ははは。御期待に応えられるといいけど」


 おりょうさんの分は俺が渡したが、他は胡蝶さんが給仕した。


「では頂きましょうか。ふむ。確かに茶碗蒸しのような……お、おお……なんという豊かな味わい」

「これは……思わず笑顔になってしまいますね。優しい甘さに、なんて滑らかさ」

「父上、母上、底の方は、味が違うんですよ!」


 目を閉じて、大げさな感じでプリンを評価してくれている頼永さんと雫さんに、頼華ちゃんが得意げにカラメルの存在を教えた。


「なんと!?」

「まあ!? 少し苦いけど、深い甘みが……」


 さすが頼華ちゃんの御両親というか、味覚が似ているようで、気に入ってもらえて何よりだ。


「火照った口に、冷たいのが心地いいねぇ……」


 危うく冷やし過ぎるところだったが、おりょうさんにも喜んでもらえたみたいだ。


「……」

「ん?」


 給仕を終え、傍に控えている胡蝶さんが、皆が食べているプリンを羨ましそうに注視しているのに気がついた。


「あー……胡蝶さん」

「えっ? あ、はいっ! ご、御用でしょうか!?」

「この器、下げてください」

「え、でもこちらはまだ……」


 俺はまだ手を付けていない器を胡蝶さんに渡しながら、片目を瞑ってみせた。


「っ! かっ、畏まりました……」


 両手で捧げ持つように器を受け取った胡蝶さんは、ぱぁぁっと表情を綻ばせ、ふわふわとした足取りで控える位置に戻った。


 座り直した胡蝶さんは、小さく微笑みを浮かべながら、膝に置いた手を握りしめている。なんかこの世界には残念美人が多い気がするなぁ。誰の事とは言わないけど。


 この夜は、俺の鯨退治の話を肴に、頼永さんと酌み交わして酔っ払ったおりょうさんを部屋に送り届けてから、念願だった下着の縫製をした。


 夜更けた部屋で縫い物をする図は、我が事ながら哀愁が漂うが、必要な物なのだから仕方がないよね。



「良太殿、料理頭(りょうりがしら)が早速試作したらしいのです。味見をしてみて下さい」


 朝食の時に頼永さんがそう言うと、蓋付きの小鉢が置かれた、俺の分だけではなく、席に着いている全員分だ。


「それでは……うん。良く出来ていると思いますよ」

「うむ……味はまあまあだが、ちょっと硬いな」

 

 嬉しそうに一口食べた頼華ちゃんだったが、期待を裏切られたのか、眉間に皺を寄せている。


「少し、蒸し時間が長かったのかもしれませんね。あとは卵と豆乳の比率かな? でも味の再現度は高いんじゃないかと」

「そうですか。料理頭にそう伝えていきます」


 落胆しかかっていた頼永さんが、ホッとした表情になる。もしかして今後、豆乳プリンが鎌倉銘菓とかになってしまうんだろうか? またやっちまったかなぁ……。



「それでは、お世話になりました」


 慌ただしいが、朝食を頂いてから、直ぐに出立の準備をして、俺とおりょうさんは屋敷の玄関に出た。


「また、いつでもおいで下さい」

「良太殿とりょう殿の事は、いつでも歓迎させて頂きます。これは、昨夜のお約束の」


 雫さんが、酒が入っているらしい、焼き物の徳利をおりょうさんに手渡す。


「これはどうも。お偉い方には無理な相談かもしれませんけど、江戸においでの際は、竹林庵ってケチな蕎麦屋にお寄り下さいな。それと良太が開くのを手伝う鰻の店にもね。下魚と侮るなかれ、ですよ」

「ははは、良太殿が手伝うのでしたら、うまくて繁盛するのは間違い無しでしょう」

「いつになるかはわかりませんが、是非お伺いします」


 おりょうさんも、頼永さんと雫さんも、あまり俺を過大評価しないで欲しいなぁ……正直、鯨を相手にした時よりも凄いプレッシャーだ。


「あれ?」


 俺はふと、違和感に気がついた。頼華ちゃんの姿が見えないのだ。


「兄上、姉上、お待たせした!」

「お待たせ致しました」

「お待たせって……頼華ちゃんに、胡蝶さんも?」


 屋敷の玄関から、頼華ちゃんと胡蝶さんが出て来た。風呂敷包みを担いで、なんか旅装っぽいような。


「兄上、姉上、余も江戸へ行くぞ!」

「えっ!?」

「はぁ……こう来なすったか」


 頼華ちゃんの言葉に、おりょうさんが額の辺りを押さえている。


「良太殿、りょう殿、無理は承知ですが、頼華を預かっては貰えませんか?」

「預かるって、俺も居候の身ですよ?」

「……それに、なんかもう一人おいでのようだけど?」

「私は頼華様のお目付け役です」


 話を振られた胡蝶さんは、涼しい顔でおりょうさんの指摘を受け流した。


「お話では、新しく開く鰻の店でも働き手は必要でしょう? どうぞこの二人を、気兼ねなくお使い下さい」

「気兼ねなくって……源のお姫様に、給仕をさせろってんですか?」


 頼永さんの意外な申し出に、おりょうさんが呆れている。


「武家としての礼儀作法は教え込んだつもりですが、この娘は世の中の事を知らな過ぎます。りょう殿の件のように、それが原因でいつまた間違いが起こるか……ですので、少し世間を知って欲しいのです」

「言わんとする事はわかりますけど、だったら鎌倉でもいいんじゃないんですか?」


 獅子は自らの子を千尋の谷へと言うけど、数え十一歳の少女に労働をさせるのは如何なもんなんだろうか?

労働基準法なんて無いのかもしれないけど、お姫様という点を別にしても気が引ける。


「いえ、おわかりかと思いますが、良い事ではあるのですが、頼華は領民に愛されております」

「それは、そうですね」


 昨日、鎌倉の関所を抜けてからの領民の人達の反応を見ると、かなり好意的だった。


「そんな頼華を、私共の依頼とは言え、使おうなどと思う者が鎌倉にいると思われますか?」

「あー……」


 仮に雇ってくれたとしても、腫れ物に触るような扱いになるのは目に見えるか。


「それと、私と雫は政務がありますので、この娘のために時間を取ってやるのが難しいのですが、既に剣の稽古で相手が出来る者もおらず……」


 八幡神様が頼華ちゃんの腕前は、御両親以外では相手にできないレベルだって言ってたな。となると、稽古は他の人にとっては一方的に生贄にされるだけか……他人事とは言え気の毒だ。


「御無理を承知で、何卒……」


 源の一番偉い人が頭を下げ過ぎなんじゃないのかなぁ。涼しい顔をしていた胡蝶さんが、驚愕の表情で俺と頼永さん達を見てるし。


「どうしても駄目な場合は、江戸に住まわすのは諦めて、頼華にはここから通わせますので。勿論、徒歩で」

「かっ、通うって、父上!? ここから江戸までは五十キロ近くあるのですよ!?」

「何事も修練ですよ、頼華」

「母上っ!? せ、せめて馬を……」


 江戸で社会勉強する事自体は、既に決定事項みたいだ。それにしても、藤沢まで走るのを実行した俺が言う事じゃないが、毎日徒歩で鎌倉と江戸の往復は、いくらなんでも無茶過ぎだろう。毎日朝晩フルマラソンって……馬を使うにしても、今度は酷使される馬が気の毒だ。


 頼華ちゃんに限っては、追い剥ぎとかに遭っても撃退できるだろうから、そういう点での心配はいらなそうだけど。


「おりょうさん……」


 さすがにちょっと可哀相になったので、俺はおりょうさんを見た。


「はぁ……寝起きするところは、あたしが世話しますよ。働き口もね」

「恩に着ます」


 言葉に偽りは無いのだろうけど、この無茶振りは頼永様も、頼華ちゃんの事は言えないような気がするなぁ。


「それにしても、夕餉の席とかじゃなく、これから出立って時に言い出すってのがズルいねぇ」

「いちいち、ごもっともです」


 さっきは頭を下げ過ぎじゃないかと思ったが、頭を下げるだけで済むなら安いものだって考え方なのかもしれない。これは俺の思い過ごしだろうか?


「頼華はあまりお役に立たないかもしれませんが、胡蝶の方は礼儀作法も接客も出来ますので」

「それはまあ、そうでしょうけど」


 昨日からお世話になっているので、胡蝶さんの技能に関しては疑う余地は無い。仕事はできる人だ。


「なんかだんだん面倒になってきたねぇ……他の事は、道々考えるとしようか。まったく、早出しようと思ってたのに、すっかり遅くなっちまったよ」

「ははは。面目ない」


 おりょうさんの愚痴を、笑いながら頼永さんが受け流す。こういう風じゃないと、人の上には立てないのかもしれないなとか思わされる。


「じゃあ今度こそ、お世話になりました」

「それでは父上、母上、行ってきます!」

「良太殿とりょう殿に、あまり御迷惑をお掛けするのではないですよ?」

「わかってます!」


 こうして、出発する時の倍の人数になった俺達一行は、既に懐かしさを感じ始めた江戸の品川宿を目指して出発した。


 結局、早く出る計画は失敗したので、関所を通過するまで鎌倉の人達の注目を浴びながらになってしまった。

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