けしからん胸
「ああああ、あの、どうぞと申されましても、これは……」
「何か?」
俺が差し出しているドラウプニールに注目しながらも、白面金毛九尾は一向に手を出して来ようとはしなかった。
「こここ、これって、どう拝見しても普通の品物ではありませんよね!?」
「あの、少し落ち着いて……」
妙齢の女性の外見らしからぬ取り乱し方で、白面金毛九尾は受け取らない姿勢を示している。
「あー……一応は神器になります。複製ですけど」
「じ、神器っ!?」
使い方を説見する必要があるので、隠しても仕方が無いからドラウプニールの正体を話したのだが、一声大きく叫んでから、白面金毛九尾は動きを停めてしまった。
「えーっと……軽々しく差し上げる物では無いんですけど、これは貴方の事を信頼しているから、その証だと思って下さい」
「わ、わたくしへの信頼の証、で、ございますか?」
「ええ」
当初は日本三大妖怪の一角として警戒していたが、見た目通りでは無いのだろうけど、眷属である子供達を大切に思っているというのは伝わってきた。
京の結界を破壊するのは、もしかしたら不味いのではと考えもしたが、自分なりに考察した限りでは確かに問題のある構造であり、現状では破壊しても不都合は無さそうだと判断した。
そして夢のお告げを信じるのなら、結界の破壊後に問題が発生するので、出来れば白面金毛九尾の身内は自分達でなんとかして欲しい、というのが本音である。
「良いからさっさと受け取らんか! 兄上が身内以外に与えるのは、貴様が最初なのだぞ! 名誉に思うが良い!」
「ひっ!? わ、わたくしが……初めてで、ございますか?」
頼華ちゃんの剣幕に縮み上がった白面金毛九尾が、確認する様に俺の方を見てきたので笑顔で頷いた。
「出し惜しみをしていたというのもあるんですけど……みんなこの腕輪の能力を知っても、着替えと収納くらいしか使わないので、大丈夫なのかなって」
実は黒ちゃん辺りは、怒りに任せて使ってしまうかと思っていたのだが、考えてみると元々の身体や気を使う能力が高いので、自分と同等以上の敵でも出てこない限りは、ドラウプニールを使う必要が無いのだ。
(こう考えると、何人かの知り合いには渡しておいてもいいかもしれないな……)
身の危険が無いように、最強レベルの蜘蛛の糸の衣類を何人かに渡してあるが、万全を期すならばドラウプニールを渡すのもありだろう。
特に、何れは義理の両親になる鎌倉の頼永様と雫様は武人でもあるので、ドラウプニールは大いに役に立つだろう。
尤も、あまり特定の陣営に肩入れするのは……源家に関しては、身内と考えて良しとしよう。
「……兄上」
「ん? どうかした?」
妙に落ち着いた声で、頼華ちゃんが話し掛けてきた。
「この腕輪を渡すという事は、この者が次の側室ですか?」
「そ!? なんでそうなるの!?」
頼華ちゃんがとんでもない事を言い出したので、危うく手の平からドラウプニールを落としそうになった。
「まあぁ……そういう事でしたら♪」
「なんで今の話を聞いた途端に、受け取るんですか!?」
側室という単語がどういう効果を及ぼしたのか、色っぽい流し目を送って来ながら白面金毛九尾がドラウプニールをひょいと取り上げた。
「ではでは。決して悪用しないというのは、貴方様に誓わせて頂きますので、これの使い方を教えて頂けますか?」
「は、はぁ……」
慌てていたような様子から一転して、白面金毛九尾は妙にウキウキしているように見える。
(一応、誓いは立ててくれたから、いいのかな?)
えらく軽い感じで誓ってくれたのが、引っ掛かると言えば引っ掛かるのだが、まあ問題は無いだろう。
「あの……側室云々は、気にしないで下さいね?」
「ええ、ええ。わかっておりますとも♪」
言葉とは裏腹に、白面金毛九尾は何かを期待するように瞳を輝かせる。
「はぁ……その腕輪にはですね……」
「はい♪」
小さく溜め息をついた俺は、笑顔で見てくる白面金毛九尾を意識しないようにして、ドラウプニールの機能の説明を始めた。
「成る程……便利な物ですねぇ」
衣類の登録、物品の収納、そして気を無限に供給してくれる能力を説明すると、手首に嵌めたドラウプニールを眺めながら、感心したように白面金毛九尾が呟いた。
「消耗している気の補充には最適ですから、使ってみて下さい」
通常ならば一般人が傍にいる場所で、ドラウプニールの使用を勧めたりはしないのだが、認識阻害の呪いとやらの効果があるので大丈夫だろう。
「で、では……」
説明した通りに弾かれたドラウプニールは、白面金毛九尾の細い手首から少し浮き上がった状態で回転し始め、高周波の音を発しながら周囲の気を集めだした。
「はあぁ……み、満たされていきます!」
周囲の温度などのエネルギーから変換された気が、ドラウプニールを通して白面金毛九尾に供給され、やがて満たされた分が身体から漏れ出し、輝いたような状態になった。
「これで、全盛期の状態を取り戻されたと思いますけど」
「はい! こんなに清々しい気分になったのは、本当に久しぶりでございます!」
「そ、そうですか……」
声と一緒に胸を大きく弾ませながら、白面金毛九尾が俺に向かって身を乗り出してきたので、そのド迫力に圧倒される。
(なんか胸も、一回りくらい大きくなったように見えるんだけど……)
元から大きいというか巨大な白面金毛九尾の胸が、補充された気によって内圧でも掛かったかのように、張りと大きさが増したように見える。
これまででも十分に大きく見えていた胸なのだが、もしかしたらあれでも気が消耗していて、盛りが控えめだったのかもしれない。
「むぅ……兄上、この者には例の胸当ても作ってやった方が良いのでは?」
「そうだなぁ……」
黒ちゃんや白ちゃんと同じく、気で身体を構成されてるであろう白面金毛九尾の胸が、大きいからと言って重力や慣性の法則に支配されているのかは謎なのだが、必要以上に揺れているっぽいのを抑制するのは、自他共に悪い事では無いだろう。
「なら頼華ちゃんが……」
「余にはまだ、兄上程に糸を操る腕前は無いですよ」
「そうなんだ……」
申し訳なさそうな表情で、頼華ちゃんに言われてしまった。
(まあ、大きさと動きは良く見えるから、採寸の必要は無さそうだけど)
現在の初夏という季節的な要因によるのか、白面金毛九尾の着物は生地が薄手で身体、特に胸の周辺や帯で締め付けられているウェストのラインがはっきりと出ているので、素肌を見ながら採寸しなくても大丈夫だろう。
(下着以外にも作っておいた方が良さそうだな)
今夜の事を考えるなら防御面も考慮して、下着だけではなく衣類を一揃え作って進呈するのが、良いだろう。
「それじゃあ……」
「あの、それは一体何を?」
ドラウプニールの回転を止めた白面金毛九尾と入れ替わるように、ドラウプニールを弾いて回転させた俺は糸を操り始めた。
「な、なんと神々しいお姿……」
「うむ! 兄上の御姿をそのように評すとは、そなたは中々に見所があるな!」
「「……」」
俺を褒めたので頼華ちゃんの白面金毛九尾への評価は上がっているみたいだが、黒ちゃんと白ちゃんは面白く無さそうにジト目で見ている。
「……」
(上下の下着を三セットくらいに、いま着ている着物と同じデザインの物を作ればいいかな……着物は戦闘には向いて無さそうだから、作務衣か?)
初対面の時に感じた、勘違い花魁という印象の着崩した着物は、ちょっと動いたら胸元以外の部分もはだけてしまいそうなので、戦闘どころかその辺を歩くのにも向いていなさそうに見える。
白面金毛九尾の好みかどうかはこの際置いておいて、役には立つだろうという事で作務衣も一揃え作り上げた。
(後は、ついでに……)
里に戻ってから作ろうかと思っていた沖田様に依頼された下着を、ドラウプニールを発動させたついでに作ってしまう事にした。
ついでというと聞こえは悪いが、白面金毛九尾の分と合わせて、作るのに気は抜いていない。
「これでよし、と」
出来上がった衣類を折り畳むところまで作業してから、ドラウプニールの回転を停めた。
その際にさり気なく、沖田様の分の下着をドラウプニールに仕舞う。
「えっと……これは?」
下着以外の、畳んで重なっている衣類を見て、白面金毛九尾が不思議そうな表情で問い掛けて来た。
「今現在の俺の最大量の気を込めて作った衣類です。そのままでは防御に不安があるんじゃないかと思ったので、良ければ着て下さい」
重ねた衣類を、白面金毛九尾の方へ押し出した。
「らい……白ちゃん、付け方を教えてあげて」
(朔夜様の時みたいに、大騒ぎになっても困るからな……)
頼華ちゃんにお願いしようかと思ったが、伊勢の朔夜様に降り掛かった惨劇を思い出し、尚且かなり嫉妬してくれているっぽい黒ちゃんも避けて、一番冷静レクチャーしてくれそうな白ちゃんにお願いした。
「うむ。では立て」
「は、はい……」
表情の読めない白ちゃんに少し不安そうにしながらも、言われた通りに白面金毛九尾が立ち上がった。
「終わったら言ってね」
本当なら女性が着替えている場所に居座りたくは無いのだが、認識阻害が施されているのはこの席だけみたいなので、俺は二人に背を向けて座り直した。
「兄上! 今日の夕餉はどのように?」
座り直した俺の膝の上に、頼華ちゃんは当然のように腰を下ろしてきた。
「そうだなぁ。頼華ちゃんと黒ちゃんは、何か食べたい物はある?」
「肉が食べたいです!」
「あたいも肉!」
「そんなに!?」
(里で肉禁止令でも出てるのか!?)
俺が不在の里では、おりょうさんとお糸ちゃんがメインで食事の支度をしていると思えるので、二人共嫌いでは無いはずだが調理となると忌避感があって、肉類がおかずとして出ないのかもしれない。
「そういう事なら、今夜は肉にしようかな」
別に勝負事に臨む訳では無いが、なんとなくだが縁起を担いで敵に勝つでカツでも、とか考えていたので、頼華ちゃんと黒ちゃんの希望には旨い具合に応えてあげられそうだ。
(こうなるとテキも、とか思うんだけど……牛肉は週末まで温存しておきたいんだよな)
数日前に味見にハラミは食べたが、ステーキとかに使うような部位は、里で熟成と同時に柔らかくなる加工中なので、どちらにしてもまだ牛肉は食べられないのだが……。
「やったー!」
「おうっ!」
まるで勝鬨のように、頼華ちゃんと黒ちゃんが拳を突き上げて喜んでいる。
「貴様……なんなのだこの、けしからん胸は?」
「け、けしからんと申されましても……これでも殿方への受けは宜しいんですよ?」
和やかに夕食のメニューの話をしている俺達の背後では、何やら不穏な会話に混じって衣擦れの音が聞こえてくる。
(けしからん……まあ確かに、けしからん胸だよなぁ)
着物の上からでもわかる爆乳を白ちゃんは直接見て、恐らくは触ってもいるのだろうから、どれだけけしからんのかを実感しているのだろう。
「男への受けはいいのかもしれんが、こんなに邪魔な大きさでは、禄に動けんだろう」
「そ、それはそうなのですけど……んっ! そ、そんなに掴まれては!」
「掴まんと、この無駄な肉が押し込めんのだ」
「む、無駄なんかじゃありません! ちょっとだけです……」
「「「……」」」
気がつくと、俺だけでは無く頼華ちゃんと黒ちゃんも、白ちゃんと白面金毛九尾のやり取りに聞き耳を立てていた。
「主殿、ちょっと見てくれ」
「終わった……って! まだ下着じゃないか!」
白ちゃんから声を掛けられたので着替え終わったのかと思って振り返ると、彫刻というよりはフィギュアのような体型をした、下着姿の白面金毛九尾が立ち尽くしていた。
「その下着を着け終わったのを、見て確認して貰わんとな」
「きゃっ♪」
全く悪びれる事も無く、俺が確認するのが当然だという表情の白ちゃんの隣では、申し訳程度に手で胸を隠そうというポーズを取りながら、白面金毛九尾が何故か嬉しそうに微笑んでいる。
「確認は白ちゃんがしてくれれば……」
「主殿。作り手の責任として、製品の具合を確認してはどうなのだ?」
(白ちゃんの言っている事は、正論ではあるんだけど……)
風呂などので無ければ、身内ですら肌を見るのに抵抗がある俺にとって、まだ知り合ったばかりの妙齢の女性の下着姿を見ろと言われるのは、かなりハードルが高い。
「はぁ……その、いいですか?」
「はい♪」
(なんで凄くいい笑顔なんだろう……)
やれやれと肩を竦めながら言う白ちゃんの意見も尤もなので、白面金毛九尾に確認するように視線を向けると、なんでか俺を迎えるように両手を差し出してきた。
「それじゃあ、ちょっと確認を……」
俺が頼華ちゃんを膝から下ろして立ち上がり、白面金毛九尾に近づくと、何故か頼華ちゃんと黒ちゃんも後に続いた。
「軽く動かしてみて、背中や脇、脚の付け根の辺りに、擦れたり違和感があったりはしませんか?」
「えっと……」
多少不躾ではあるが、少し顔を近づけた俺は、白面金毛九尾の下着に包まれた身体を観察した。
(締め付けが強そうとか、ホールド感が悪いとかは無さそうだな……)
俺に言われた通りに、腕を回したり軽く膝を上げたりしながら、白面金毛九尾がフィット感を試しているが、動きを阻害したり、体表が引き攣れたりという事は無さそうに見える。
「す……」
「す?」
一頻りフィット感を確認した白面金毛九尾は、何故か俯いてしまい、唸るように言葉を絞り出している。
「すっごいですこれ! 特に胸っ! 首や肩が束縛から開放されたかのように軽くって、それはもう、貴方様に下から持ち上げられているみたいな……」
「……またこれか」
実際に持ち上げた事なんか無いのだが、何故か胸やお尻に重力の束縛を感じていた女性は俺が作った下着を着けると、口を揃えて俺が持ち上げてるとか支えてるとか言い出すのだった。
「……まあそれはいいとして、その下着も上に着る衣類も強度がかなりありますから、貴方の身を護ってくれると思いますよ」
白ちゃんがフィッティングをしてくれたお陰で、着心地に関しては問題無さそうなので、早めに話題を切り替えた。
「うむ! 衝撃までは消せんと思うが、兄上の手製だけあって飛び道具や刃物の攻撃で貫くのは、かなり難しいぞ!」
「まあ……せっかくですので、こちらの方を着させて頂きますね」
頼華ちゃんの説明に目を丸くしながら、白面金毛九尾は着物では無く、作務衣の方を手に取って袖を通した。
(……生地の色が、白い肌と金色の髪の毛に映えてるな。カラーのセレクトは正解だったみたいだな)
作業などをする時の衣類としてのカラーリングとしては相応しく無いかもしれないが、生地の色を淡桃にした作務衣は、白面金毛九尾の透き通るような肌の色と輝く金髪に良く調和していた。
「……自分で作っておいてなんですけど、良くお似合いですね」
「まあ……」
俺が褒めたので、白面金毛九尾が軽く目を伏せながら頬を赤らめた。
今までの着崩したような着物とはガラッと印象が変わって、薄桃色の作務衣を着た白面金毛九尾はキリッと引き締まっているように見える。
(OLが着てるようなビジネススーツとかドレスとか、似合いそうだよな)
金髪碧眼なので、和装よりは洋装が似合いそうであり、外見的にも成熟しているしプロポーションもいいので、白面金毛九尾には大人の女性の洋服を着せてみたいと思ってしまう。
「この服は動き易くていいですねぇ。凄く気に入りましたわ!」
「それは何よりです」
元々着ていた着物の複製品もあるのだが、作務衣のデザインが気に入らなくて着たくないとか言われないで良かった。
「それでは、やっと本題に入れますね」
「はい♪」
ここまで来て白面金毛九尾がゴネるとは思えないが、念の為に言葉にして確認してから、俺達は座り直して話を再開した。
「……成る程。ではわたくしは、京の壁の外で貴方様の作業に妨害が入らないように、見張りをすれば宜しいのですね?」
「ええ。出来ればその見張りは、少し広い範囲でお願い出来ればと」
無論、俺にも気配を察する事は出来るのだが、結界の破壊をする時には準備段階から意識を集中するので、周囲には気が回らなくなる事が考えられる。
何らかの妨害が入る可能性は限り無く低いのだが、たまたま通った一般人に見咎められるなんて事も考えられなくは無いので、念には念を入れておきたいのだ。
「では、わたくしが式神を放って周囲を見張りますので、貴方様は御存分にお動き下さいませ」
眷属を動員するのかと思ったが、白面金毛九尾が意外な事を言い出した。
「ああ、その手があったんですね。では宜しくお願いします」
恐らくだが白面金毛九尾は眷属の万が一を考えて、戦闘力などは皆無だと思えるが偵察などには役に立つ式神を使うのだろう。
「それと中の方の見張りには、貴方様を関所まで案内した者も手をお貸し致します」
「それは助かります。ですが、くれぐれも自分の身を護るように伝えておいて下さい」
人手が増えるのは助かるのだが、姿通りの存在では無いにしても、あの糸目の女の子も戦闘力が高いとは思えないので、見張りの協力だけに留めておいて欲しい。
今後、あの糸目の女の子との間に関わりが出来るのかは不明だが、見知った相手に危害が及ぶのは心苦しい。
「本当に、お優しいのですね……畏まりました。貴方様の仰せのままに」
(……やっぱり、白面金毛九尾が妖狐ってのはガセだよなぁ)
心底そう思うくらいに、目の前で微笑む白面金毛九尾の眷属への気遣いの心と笑顔は、優しさに溢れている。
「思ったよりも、長く掛かっちゃったな」
昼食を終えて、十三時を少し過ぎたくらいに伏見稲荷の門前に着いたはずだが、体感では既に十六時くらいになっている。
話以外に、衣類を作ってフィッティングなんかもしたので、思いの外時間が掛かってしまった。
「兄上! 買い物をしてから帰りますか?」
「そうしたいんだけど……実は日替わりで子供達の内の誰かと、買い物と料理をする事になっててね」
食材を買って帰ったりすると、約束が違うと泣かれてしまいそうなので、出来れば危ない橋は渡りたくない。
「ほう? では、急いで帰るとしましょうか」
「そうだね」
まだ高いながらも、大分傾いてきた太陽の光を受けながら、俺達は京の南の関所を目指した。




