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いざ鎌倉?

 その夜、不思議な夢を見た


 柔らかな後光を身に纏った姿は、出会った時と同様に顔はハッキリしないがおそらくは観世音菩薩様だ。


「あの、何か俺にご依頼でも?」


 依頼がある時には夢のお告げの形をとると言っていたので、何かあるのかと思った俺の問いかけに、観世音菩薩様は無言で「やれやれ……」とでも言うかのように、所謂お手上げのポーズを取った。


「えっ!?」


 ハッキリ見えないながらも、その顔が「まあ、いいよ」と、苦笑と言うか達観と言う感じの表情に見えたところで目が覚めた。


「なんだったんだろう……」

「おはよう良太。変な顔しちゃって、どうかしたのかい?」

「いえ、何でも無いです」


 起きても記憶が曖昧になってたりはしないので、観世音菩薩様の依頼では無いにしても、何かの啓示だったと見るべきだろう。しかし現状では何か答えが出そうもないので、あまり気にしても仕方無さそうだ。


「顔洗ってきます」

「むー……りょうた兄上、余も御一緒するぞ」

「頼華ちゃん? うん。行こうか」


 低血圧なのか、ボーっと焦点の定まらない目をした頼華ちゃんが、ノロノロと寝床から起き上がる。


 元々、泊まる用意なんかしてなかっただろうから、藤沢で買った房楊枝の予備を頼華ちゃんに渡して、一緒に家の外で歯を磨いて顔を洗う。


「うむっ! 目が覚めた」

「はい。これで顔を拭いて」


 洗顔していつものテンションに戻った頼華ちゃんに、手拭いを渡す。


「かたじけない、兄上」


 洗顔して、目がパッチリと開いた頼華ちゃんの笑顔は、朝日の中で輝くようだった。当然、化粧っ気なんか無いが、彫りが深く目鼻立ちが整った顔は、まだ幼さが残るが美しいと言える。


「そういえば聞き忘れてたけど、頼華ちゃんは何歳なの?」

「余の歳か? 数えで十一になる」


 となると、誕生日にもよるけど十歳か? この歳にして、この容姿に剣の腕か。色んな意味で将来有望過ぎるし、末恐ろしいな。将来この娘を巡って戦争が起きそうだ。


「そういう、りょうた兄上はお幾つなのだ?」

「俺? 俺は満で十五歳だけど」

「そうか。それくらいの歳の差なら問題は無いな」

「……そ、その問題というのは何かな?」


 爽やかな朝の空気が、急に物騒な物に変化した気がする。


「夫になる相手と、あまり歳が離れているのは嫌だったのだ。それに兄上は若々しいから、余と並んでも、それ程歳の差があるようには見えまい」


 老けてると言われるよりはマシだが、十五歳の身で若々しい言われるのも微妙だな……いや、今はそれどころじゃ無い。


「お、俺が夫って、頼華ちゃんの!?」

「うむ。まさか名も知らぬ、余よりも強い武人がおるとは思わなんだが、りょうた兄上なら、父上も母上も文句は言うまい」

「なんか決定事項になってる!?」

「兄上は料理の腕前も大した物だし、豊かな家庭が築けそうだな! あ、勿論、余も妻として料理はしようと思うので、済まんが手ほどきをしてくれ。その……厳しくしてくれてもいいから」


 頼華ちゃんが頬を赤らめて、上目遣いに俺を見てくる。なんか新婚さんごっこみたいな感じになってないか!?


「いや、その、頼華ちゃんは、ほら、高貴な家のお姫様だし……」

「姫言うな。源家は基本的には実力主義だ。余より強い者が、余を娶る。兄上には婿に入ってもらうことになるが、それも気に食わなければ、文句を言う者達を、我ら夫婦(めおと)で尽く殲滅してしまえばよいのだ!」

「甘かった空気が急に剣呑に!?」

「りょうた兄上の姓は、確かすずしろだったな? すずしろ頼華……悪くない。いや、良いではないか!」

「俺が源を滅ぼすの!?」


 元の世界だったら、間違い無く歴史に名を残す事になりそうだ。残したくないけど……。


「おー。良さんが領主様になるんだったら、俺が専属の刀鍛冶になってもいいぜ」

「言質は取ったぞ正恒! これで戦う準備は万全だな!」

「戦わないよ!?」


 何故か、房楊枝を持って出て来た正恒さんまで、俺達の会話に乗っかってきた。頼華ちゃんに背中を預けて戦っているシーンを思い浮かべて、ちょっと格好いいかもとか思ったのは内緒だ!



 妙な方向に進んでいった会話を、なんとか中断させて朝食を終えてから、以前に読んだ本にうまいという記述があったので、解体した熊の皮と肉から脂肪を取って、猪の時と同様に煮溶かしてから冷やし固めた。冬眠前には遠く及ばないが、起きて採餌を始めて暫く経っているので、思っていたよりも多く確保できた。


「じゃあ、頼華ちゃんを鎌倉に送ってから、俺達は品川に戻りますね。正恒さん、燻製の方はお願いします」

「ああ。任しといてくれ」


 猪と鹿の腿肉と、少しだけ手元に残した分以外のソーセージは、正恒さんに燻製にしてもらう。温度管理をして、最低でも二週間程度は燻煙期間が必要なのだ。


 結局、調理して食べてしまった以外の猪の肉が約五十キロと脂が約十キロ。鹿の肉が約三十キロと毛皮と角。熊の肉が約百キロと毛皮。鹿の腸にミンチ肉を詰めただけで加熱していない物が約十キロ手に入った。かなりの重量と体積だが、腕輪と福袋のお陰で鮮度にも悩まされないのが本当に助かる。


 鰻裂きと柳刃と刀の「巴」は、それぞれ藤沢で買ったサラシの布を巻いて福袋に仕舞ってある。忘れがちだが、結局、下着を作る時間が無かったな……。


「ああ。それと、燻製以外の良さんからの頼まれ物も、完成したら姐さんの蕎麦屋に送るからよ」

「頼みます」


 支度を終えて、正恒さんに最後の挨拶をと思ったところで、道の方から馬の蹄の音が聞こえて来た。


「良かった。まだいらっしゃいましたね」

「頼親ではないか。余ならこれから戻ろうとしていたところだが、どうかしたか?」

「お迎えに上がりました。それと、御二方を是非にお招きしたいと、頭領と奥方から申し遣って参りました」

「父上と母上が?」

「ええ」


 昨日、ここから帰る時と同様に、頼親さんは自分の乗騎以外にもう一頭の馬を引き連れている。


「特に御予定とかに問題が無ければ、どうか鎌倉まで……」


 頭を下げながらの物言いは丁寧だが、なんとなく必死さが伝わってくる。


「俺は構わないですけど。おりょうさん、どうします?」

「なんか断れない雰囲気だねぇ……あたしも構わないが、江戸に用事を残してあるから、無理な引き止めは無しだよ?」

「それは勿論です。ありがとうございます……」


 物凄い安堵感が頼親さんから伝わってくる。俺達へ鎌倉に来るようにというのは単なる伝言でも、頼親さんに与えられたのは勅命だったのかもしれないな。


「兄上と姉上が来られるのなら歓待せねばならんな! でも、りょうた兄上の料理ほどうまい物は出せないと思うがな!」


 相変わらずの頼華ちゃんのマイペースな発言が、この場合は空気を軽くしてくれたので救われた感じがする。


「では行くか」


 ひらりと、頼華ちゃんが慣れた動作で身軽に騎乗した。


「では、御二方はこちらの馬をお使い下さい」

「あれ、頼親さんは?」

「私はこの馬を引いていきます」

「いや、でもそれは……」

「今は姫は御一人で騎乗できますし、失礼ですが、御二方は馬には不慣れでは?」

「俺は初めてです」

「あたしは乗れるけど、この格好じゃねぇ」


 頼華ちゃんと頼親さんの二人乗りには、身分的な問題があるのかもしれない。そして素人の俺と、馬に跨るのに適した服装じゃないおりょうさんには、確かに選択肢が無かった。


「頼親さん一人だけ徒歩というのが気になりますけど、ここは従います」

「そうして頂けると、私も助かります。さ、どうぞ」


 頼親さんが地面に膝をつき、俺が馬に乗るのを補助してくれるみたいだ。ここを踏んで乗れという意味はわかるのだが……好意を無にするのも申し訳ないし、いつまでもこの格好をさせておくのも気がひけるので、出来るだけ踏む時間を少なくするように気をつけながら、馬に飛び乗った。


「次はお嬢さん、どうぞ」

「すまないねぇ」


 馬に背を向けるようにして頼親さんの膝を踏んだおりょうさんを、両脇に手を入れて抱え上げ、俺の前に横座りさせた。


「あ、ありがと……」

「いえ……」


 座って礼を言うおりょうさんと目が合ったが、お互いにすぐに逸らした。


「それじゃ今度こそさよならだな。良さん、姐さん、またいつでも来いよ」

「正恒さん、お世話になりました」

「世話になったね。うちの店の蕎麦も、一度食べに来とくれ」

「正恒、また来るぞ!」

「……お姫さんは、少しおとなしくしてろや」

「お姫さん言うな」


 反論しながらも、頼華ちゃんが名残惜しそうに正恒さんに手を振る。鰻裂きを頼むだけの予定が、実に濃密な時間を過ごした家が遠ざかる。


 やがて山道を下った俺達は、馬首を西に向けて鎌倉を目指した。



 元の世界では何度か鎌倉や江ノ島には遊びに来た事があったが、当たり前だが風景は全然違う。しかし、お参りをした鶴岡八幡宮の参道付近は、なんとなく面影が残っていた。


「頼華様ー!」

「こりゃ頼華様、お元気そうで」


 当然のように顔パスで関所を通り過ぎ、鎌倉の直接統治地域に入ると、頼華ちゃんの姿を認めた人々が盛んに声を掛けてくる。馬と並んで走る子供もいる。


「頼華ちゃんは人気があるんですね」

「そりゃあ、おとなしくしてれば可愛らしいからねぇ」


 感心している俺に、おりょうさんから手厳しい言葉が返ってくる。まあ、まったく同意だけど。


「……ところで良太」

「なんですか?」


 ここまで黙って馬に乗っていたおりょうさんが、俺の服の胸元辺りの布をギュッと掴みながら話し掛けてきた。


「あ、あたしの方が、頼華ちゃんよりも先に、あんたに会ったんだからね!」


 頼親さんと頼華ちゃんに聞こえないようにか、俺の耳に口を寄せて、おりょうさんが囁く。


(う……おりょうさん、いい匂いがするな)


 ただでさえ密着気味な姿勢だったのに、更に顔が近づいたから、おりょうさんの体温や匂いを意識してしまう。


「いや、その、どっちが先とかそういうのは……」

「や、やっぱりあたしより、若い子の方が……」

「頼華ちゃんじゃ、若いにも程があるでしょ!?」


 思わず大声で反論しそうになったが、抑え目の声でおりょうさんに弁解……じゃなくて反論する。


「兄上、姉上、仲良しだな! 余も混ぜろ!」

「うわっ!?」

「ちょ、ちょっと頼華ちゃん!?」


 ひらりと、俺達の馬に頼華ちゃんが飛び乗って来た。おりょうさんとの間に、無理矢理身体を割り込ませようとする。


「ありゃあ見ない顔だが、姫様の許嫁かな?」

「でも、もう一人いるじゃねえか」

「姫様の婿になるくらいなら、側室の一人や二人いたっておかしくねえだろ」

「それもそうか」


 無責任な事を言う町の人達に見送られながら、笑いを噛み殺している頼親さんに引かれた馬は、この世界の鶴岡八幡宮、鶴岡若宮の参道を進んでいく。



「ここが源氏の本拠地なのか……」


 堀と石垣に囲まれている城を想像していたが、見える景色を一言で言えば「庭園」だ。樹木や植え込みの手入れは行き届いていて、参道の石畳の両脇には、綺麗に均された玉石が敷き詰められている。


「中に入った事は無いけど、江戸の徳川様のお屋敷も、外からの見た目はこんな感じだよ」

「そうなんですか?」


 おりょうさんの説明によると、堀や高い石垣、頑丈な門などを構えても、戦闘能力の高い武人だと飛び越えられたり、あっさりと破壊されてしまうので、ほぼ意味が無いのだという。


 江戸の徳川家に関しては、俺の世界にあった江戸城は無いが、同じくらいの広さの堀に囲まれた敷地に、屋敷と田畑、広大な乗馬や武術の訓練場があり、堀は防御用では無く水路と、敷地内の田んぼの灌漑などに利用されているらしい。



「湯浴みの支度と、お着替えが用意してあります」

「いきなり風呂かい?」

「俺もですか?」


 鶴岡若宮の敷地内にある、頼華ちゃんの住まいである源本家の屋敷に到着した俺達は、数人の使用人らしい若い女性達に、半ば無理矢理浴場へ案内された。


「おりょうさん……」

「まあ、お偉い人に目通りするんだから、それなりの格好をさせられるのは仕方ないねぇ」


 以前にもこういう経験がるのか、おりょうさんは苦笑しつつも女性達の後をついていく。


「では兄上、姉上、また後でな!」


 途中までは一緒の歩いていた頼華ちゃんは、頭を下げる頼親さんと一緒に、屋敷の奥の方へ歩いていった。


「こちらでございます」


 江戸の湯屋とは違い、男女別々の入り口があり、入ってすぐが脱衣所になっていた。和風旅館の大浴場って感じの造りだ。手拭いや糠袋などの入浴用品が何組か用意してあったので、服を脱いだ後に一揃え持って浴室に入った。


「へぇ……」


 風呂は石組みで出来ており、周囲を竹垣で囲ってある。屋根はあるが完全に室内ではない、庭園の一角に設えられたような造りになっていた。洗い場の小さな石組みに溜まった湯が、そこから広い浴槽へ流れ込んでいる構造は湯屋と同じだ。


「正恒さんの家の温泉露天風呂も良かったけど、この風呂は現代風の造りに似てて、落ち着くなぁ……」


 そんな独り言を呟く。落ち着くのは、こっちの世界に来てから初めての、混浴じゃない風呂だからだろう。


「失礼致します。お背中を流しに参りました」

「っ!?」


 まったく気配を感じさせずに、いつの間にか女性が湯船の脇に跪いている。さっき、ここまで案内してくれた女性とは別の、おそらくはおりょうさんよりも年上の、凛とした雰囲気を持った美女だった。


「いや、あの……ひ、一人で出来ますから」

「そんな、ちゃんとお世話をしなかったと、私が叱られてしまいます……」

「あー……」


 浴衣だろうか? 白い着物の袂で口元を抑え、多分だが泣き真似をしている。なんだかな……。


「わかりました。お願いします」


 物腰は丁寧だし弱気に見えるが、おそらくは一歩も引かないと確信したので、諦めて手拭いで前を隠しながら湯船から出て、女性に背を向けて座った。


「それでは失礼致します。まあ、聞いていたのとは違って、しなやかだけど、あまり太くない腕をなさって。それに、滑らかで綺麗な肌……」

「ん? 何か言いましたか?」


 失礼しますと言った後で、何かボソボソと呟いていたが、湯の流れる音とかで良く聞こえなかった。


「いえいえ。こちらの話です。では次は、腕をお預け下さい」

「いや、背中以外は自分で……」

「そんなに、私が叱られるのが御覧になりたいですか?」

「そういう訳では……お願いします」


 なんだろう、この逆らえない感じは……母親に諭されている時と同じ物を感じるな。


「終わりました。前の方は、又の機会に……」

「あの、今、絶対に何か言いましたよね?」

「それでは、失礼致します」


 丁寧に跪いて一礼すると、女性は立ち上がって歩き去っていく。湯気と湯で白い着物が身体に張り付き、薄っすらと透けているのに気が付いて、俺は慌てて目を逸らしながら湯船に飛び込んだ。



 気分が切り替わるまで湯に浸かってから出て、身体を拭いながら脱衣所を見回すと、盗まれたんじゃ無いだろうけど、置いていた服と荷物が消えていて、代わりに身に着けろという事なんだろう、着物が一揃え用意してあった。予想していたが、下着はふんどしだ。


「まあ仕方ないか……すいません、どなたかいますか?」


 浴場の外へ声を掛けると、控えていたのか即座に返事が合った。来たのはさっき背中を流してくれた女性ではなく、ここへ案内してくれた女性だ。


「はい。御用でしょうか?」

「着付けがわからないので、手伝ってもらえますか」

「畏まりました」


 下着と、その上に着る襦袢だったか? くらいまでは何とかなるが、そこから先は未知の領域だ。帯の締め方も知らないし着方が正しいのかもわからないので、早々にギブアップして助けを求めた。


「まあ。良くお似合いになって」

「そうですか?」


 俺に用意されていたのは薄い灰色の着物と濃紺の袴で、羽織が無いから剣道とか合気道とかの道着のような感じになる。


「それでは、こちらへ……」


 着替えを手伝ってくれた女性の先導で、浴場から屋敷の奥へ歩き、長い廊下から別棟へと通された。


「こちらになります」


 畳敷きのかなり広い部屋の前に案内され、案内してくれた女性は入り口脇に控えて、俺だけ中に入るように促される。


 部屋の中には座布団に座ったおりょうさんの後ろ姿が見え、その奥に、こちら向きに座った頼華ちゃんと頼親さん、それと頼華ちゃんの御両親と思われる男女の姿があった。


「遅くなりました」


 おりょうさんの隣に座布団が敷かれているが、腰を下ろす前に一礼した。


「いえいえ。こちらの都合でお呼びしたのですから。そう畏まらずに、どうぞお座り下さい」


 顔を上げると、今の渋い声の主だろう男性が、笑顔で話しかけてきた。御両親もおりょうさんも、俺に用意された物と同じような服装をしている。


「他の者への示しがあるので、勿体ぶった事をしておりますが、我が家だと思ってお寛ぎ下さい」

「そうだな! 今後は本当に我が家になるのだからな!」


 頼華ちゃんの爆弾発言と、その後のおりょうさんからの絶対零度の視線で、この世界に来てから鍛冶仕事以外で出なかった汗が吹き出すのを自覚する。


 そして、御両親だろう方々と、頼親さんまでニコニコ笑っているのが、更に発汗に追い打ちをかける。


「これ、いけませんよ頼華。あなたが輿入れするまでは、まだ少し間があるのですから」

「そうだなぁ。それまでに愛想を尽かされないように、頼華は女らしさを磨かないとね」


 口ぶりから、間違い無く頼華ちゃんの御両親みたいだが、輿入れとか凄い事を言い出してる。


 ギリィィッ……。


そして何か軋むような音がしたので、音源である隣を見ると、少し俯いたおりょうさんがこめかみに血管を浮かび上がらせて、少し開いた唇から覗かせている歯を食いしばっている。


「あらあら。勝手なお喋りで、お客様を退屈させてしまったみたいですね」

「そうだね。それでは本題に入るが、鈴白良太殿、ここへお呼びしたのは、我らが報じる八幡神様のお告げによるものです」

「それは……何か失礼をしてしまったからでしょうか?」

「理由は私にもわからないので、直接、八幡神様に伺って下さい」

「わかりました。詳しい作法を知らないのですが、どのようにすれば?」

「では、こちらへ」


 立ち上がった頼華ちゃんのお父さんに手招きされて、俺は部屋の奥の方に歩く。突き当りには祭壇があり、中央に丸い鏡が安置され、鏡の周囲には様々な供物が置かれている。


「ここへ座って、祈りを捧げてくれれば、八幡神様が応えて下さるでしょう」

「わかりました」


 もしかしたら、入浴と着替えはこのためだったのかな、とか考えながら、神社のお参りの時のように、二礼してから柏手は打たずに、手を合わせた。



「よくぞ参った」


 覚えのある感覚。観世音菩薩に会った時と同じく、周囲の音が消え失せた。また時間が停止したみたいだ。


「顔を上げてくれ。まずは謝ろう。我が愛子(いとしご)が迷惑をかけた」


 目の前に、八幡神さまというくらいだから神道系の神様のはずだが、仏教の僧侶のような姿をした男性が立っていた。観世音菩薩様と同様に、柔らかい後光を身に纏っているので、顔はハッキリとは見えない。


 愛子というのは頼華ちゃんの事で、迷惑というのはおりょうさんに斬り付けた一件だろう。


「いえ。こちらもやり過ぎましたので……」


 あの時は本当に頭に血が昇っていて、危うく頼華ちゃんに大怪我じゃ済まなかったかもしれない攻撃をしてしまった。最悪の場合、命を奪ったかもと思うとぞっとする。


「可愛いので加護を多く与えていたのもあるが、なまじ才能があるので、あの子も少し天狗になっておってな」

「今は本当に、何とも思っていませんので。それどころか、妹が出来たみたいで嬉しいですよ」

「そうか。本心から言ってくれているようだな」


 八幡神様から、ホッとしたような気配が伝わってくる。


「だが、頼華があのような行動に出たのは、実はお主等の方にも少し原因があってな」

「こちらに原因、ですか?」


 頼華ちゃんとはあれが初対面なので、正直、何も心当たりが無い。


「お主と、連れの娘の履いている靴があるだろう?」

「靴というと、鵺の革の靴ですか?」

「そうだ。あれは源の家とは因縁があってな。その上、あの子が佩いていたのが鵺退治の頼光殿の『薄緑』。何かを感じ取ってしまったのかもしれん」

「あー……」


 鵺は退治され、太刀の持ち主は変わったが、あり得ない確率の奇縁で、あの場所で再会のが引き金だった、というのか……。


「あとはあの、りょうという娘が強かったというのも原因だな。ここ鎌倉では、両親以外に頼華の相手が出来る者はおらず、若手で最も強い頼親でも遠く及ばない」


 江戸の徳川は平均的に強くて数が多く、鎌倉の源は数は少ないが個人の能力が高いと聞いているが、どうやら頼華ちゃんとその御両親は、その中でも飛び抜けているみたいだな。


「本気で戦える相手に出会ってしまって、嬉しくなってしまったんですね」

「そうだ」


 怪我をしたおりょうさんには気の毒だが、頼華ちゃんにとっては喜ばしい出会いだったのだろう。


「だから、りょうという娘を退けた頼華の伸び切った鼻を、傷つけずにへし折ってくれたお主には感謝しか無い」

「いえ。それも、おりょうさんが止めてくれなければ、危ないところでした」

「ふむ。鵺の靴といい、お主には奇縁が付きまとうようだな」


 実に愉快そうに、八幡神様が笑う。


「結果的でも、お主には世話になった。礼をさせてもらう」

「いや、そんな……それに、既に観世音菩薩様の加護を受けちゃってますので」

「別にお主は観世音菩薩に帰依した訳ではないから、特に問題は無いぞ」

「……そういうものなんですか?」

「そういうものだ」


 なんか、宗教や宗派って敵対までは行かなくても仲は良くないイメージだったが、そうでも無さそうだ。


「とは言ったが、実は八幡神というのは明確な利益のある信仰形態では無くてな」

「えっ!? 軍神だと思っていたのですが、違うのですか?」


 確か源氏が武家の軍神として八幡神様を崇めていたはずだが。


「それは逆でな。八幡神を崇めたら戦に勝てたので、勝利や開運、そして軍神になってしまったんじゃよ。元々は海の民に崇められた海神だったしな。それがいつの間にかこのような僧形になり、軍神にもなった。その方がわかり易かったのであろう」

「は、はぁ……」

「それどころか、一緒に祀られている比売神への信仰で、子宝を授ける利益まで備わってしまっておるよ」


 この辺はヒンズー教の神様が仏教の様々な神仏へ変化し、日本へ渡来する際に更に変化を遂げたのと同じような状況と思えばいいんだろうか。


「お主は戦う力などは求めていないようだから、少し別の形で助力するとしよう」

「あの、具体的にはどのような?」

「その辺は頼華の父親、頼永(よりなが)に聞くが良い。そして最後に、頼華を選んでくれとは言わぬが、気には掛けてやってくれ」

「約束は出来ませんが……」


 頼華ちゃんの事は嫌いではないが、伴侶とかいう事になると話は別だ。


「それで構わん。僅かに先でも未来の事など、神仏にでもわかるものではないのでな」

「お言葉、心に留めておきます」

「それで良い。では、名残惜しいが今日のところはこれにて」


 そしてまた、唐突に消え失せた音と、周囲の時間の流れが戻ってきた。


「お疲れ様でした」


 頼永さんというらしい、頼華ちゃんのお父さんが声を掛けてきた。


「それでは、ささやかながら昼餉を御用意しましたので、どうぞこちらへ」


 いつの間にか俺の隣に来ていた頼華ちゃんのお母さんが、手を取って立つのを助けてくれた。


「……」


 ぞくりとする悪寒が背筋を走った。気配に振り返ると、敵意も顕なおりょうさんが鋭い視線で俺達を見つめ、隣には、にこにこ笑顔の頼華ちゃんが立っていた。


「では、参りましょうか」


 おりょうさんの視線を全く意に介した様子も無く、頼華ちゃんのお母さんは、俺の手を取ったまま歩き始めた。


「父上、お腹が空きました!」

「はっはっは。頼華、お客様がいらっしゃるのだから、もう少しだけ我慢しなさい」

「わかりました!」

「……」


 和やかに話す親子に続いて付いて歩くおりょうさんの視線が、物理的に背中に突き刺さってくるような錯覚を覚えながら、俺には早く食事のある部屋に到着する事を祈るしか出来なかった。

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