コピー機?
「黒には、俺の方から教えておこう。練習もさせておく」
「そう? 助かるよ」
黒ちゃんへの言伝と、慣熟に関してを白ちゃんが請け負ってくれた。
俺が里に戻ってから、改めて黒ちゃんに能力に関して教えないでも済むのは非常に助かる。
「さて、と。とりあえずはこれくらいあればいいな。じゃあみんな、字を書く練習をするよ」
白ちゃんの手伝いもあって、書道用の半紙サイズの布を短時間で大量に作れた。
習字や計算をするには、子供達五人の分として十分な量だ。
「「「はーい!」」」
黒板などは無いので、粘着力のある糸で壁に布を貼り付けて代用品にする。
糸は切り離していないので、後で剥がす際に面倒な事にはならない。
「先ずは、そうだな……自分の名前を書いてみようか」
俺は平仮名で、座っている子供達それぞれの名前を、墨をつけた筆で書き込んでいく。
「これが劫くん、それから大地くん、お朝ちゃん、お結ちゃん、陽華ちゃんの名前だよ。じゃあ、書いて御覧」
「「「はーい!」」」
子供達は元気良く返事をすると、筆を手に取った。
「白ちゃん。俺と一緒に見てあげてね」
「承知した」
(それにしても……)
我ながら悪筆やクセ字では無いと思うが、決して達筆とは言えない。
そういう人間が習字を教えるというのが、なんとも子供達に申し訳ない気分にさせられる。
「主人ー! これでいいですかー?」
自分で書いたお手本を見ながらそんな事を考えていると、陽華ちゃんから呼び掛けられた。
「どれどれ……うん、上手だよ」
お世辞では無く陽華ちゃんの書いた字は、筆致もしっかりしていて、とても幼児が、おそらくは初めて書いたとは思えないレベルだった。
「ほんとですか!?」
「うん。とっても。そうだな……他の子の名前も書いて御覧」
「はい!」
嬉しそうに微笑んだ陽華ちゃんは、新しい布を置いて練習を再開した。
「主人ー! 書けましたー!」
「俺もー!」
「おっと。ちょっと待っててね」
陽華ちゃんだけでは無く、どの子も変に歪んだような字にならずに、ちゃんと自分の名前を書けていた。
「なあ、主殿……」
子供達が字を書いた布を持って見ながら、白ちゃんが呟いた。
「ん? どうかした?」
「こいつらには、もっと高度な事を教えても良いのでは無いか?」
「あー……俺も、そんな気はしてるんだけど」
俺と白ちゃんが教えているので、子供達も真面目に取り組んでくれているというのはあると思うが、それにしても普通ならば、もっと躊躇いやバランスの悪さが字に出るはずなのに、そういう傾向が一切無いのだ。
「うーん……みんな、ちょっと勉強の仕方を変えるから、少し待ってね」
「「「?」」」
突然の俺の中断宣言に、子供達はみんな不思議そうな顔をしている。
そんな子供達の前で、俺は新たに出した大判の布に、次々に文字を書き込んでいく。
「これでいいかな……じゃあみんな、俺が字を読むのに続いて、声に出して読んでね。あ」
俺はドラウプニールから適当な木の枝を一本取り出して指示棒代わりにし、布に書いた文字、五十音の『あ』の位置を指し示した。
「「「あ!」」」
「い」
「「「い!」」」
子供達の澄んだ声を、部屋の中に響き渡らせながら、最後の『ん』まで終わらせた。
「ここまでは大丈夫そうだね。じゃあ……お結ちゃん」
「は、はいっ!」
何か失敗でも咎められると思ったのか、お結ちゃんが返事をしながら、飛び上がるようにして立ち上がった。
「そんなに慌てないでいいから。俺が棒の先で示す文字を、声に出して言ってくれるかな?」
「はいっ!」
ホッとした表情をしたお結ちゃんは、次の瞬間には表情を引き締めた。
「それじゃあ……」
「『し』……『ろ』……あっ!?」
「凄いな。ちゃんと読めるんだね……」
自分達の名前以外の文字は一度しか読み聞かせていないのに、既に子供達は覚えているのだ。
「も、申し訳ありません!」
「って、なんで土下座してるの!?」
立っていたお結ちゃんは、その場で白ちゃんに向けて平伏した。
「し、白姐様を呼び捨てにしてしまいました!」
「あ、いや。そういうつもりで読ませた訳じゃ……」
なんの意味も無い言葉を読ませるよりはと、白ちゃんの名前を読ませたのだが、お結ちゃんにとっては目上の存在を呼び捨てにするという、不敬な行為だと感じてしまったらしい。
(そもそも、呼び捨てっていうのと、それが目上の相手には失礼に当たるっていうのをなんで知ってるんだろう……)
俺達の会話からそういう事を知ったのか、それとも本能に刻み込まれた何かがあるのか……何れにしても子供達は、やはり見た目通りそのままという事は無いのだろう。
だからと言って、里の子供達は俺や白ちゃんにとって護るべき対象であり、家族と呼べる存在である事に変わりは無い。
「お結、気にするな。主殿にも、別に悪意があった訳では無いぞ」
「は、はい……」
(これ程か……)
白ちゃんが語り掛けるのにお結ちゃんは返事をするが、それでも顔は上げずにガタガタ震えている。
どうやら俺が考えている以上に、里の中のヒエラルキーは絶対のようだ。
(……その割には俺に対してはみんな、ストレートに甘えてくるよな?)
怖がられるよりは何倍もマシだし、特に現状で不満も無いのだが、子供達に尊敬をされているという感覚はかなり薄い。
「俺もちょっと軽率だったな。お結ちゃん、ごめんね」
「い、いえ! 主人は何も悪くないです!」
(……言行不一致過ぎる)
結局、お結ちゃんはここまで、一度も顔を上げていないのだ。
「とにかく、そのままじゃ続けられないから、顔を上げようね?」
「は、はいっ!」
そこまで言って、自分が進行の妨げになっていると気がついたお結ちゃんは、ぴょんと跳ねるように身体を起こして座り直した。
「うーん……ちょっと予定を変えようかな」
「あ、あたしの所為ですか!?」
「ああ、いやいや。勿論、違うよ」
お結ちゃんがこの世の終わりみたいな顔をしているので、すかさずフォローした。
「字を読むのに関しては、俺が教本を作っておくから、それを読んで不明なところを質問に来るようにって方式にしよう」
「教本? そんな物が……」
「それは後で人数分作っておくから。今は算術の方を勉強しよう」
白ちゃんからの質問を流して、俺は五十音を書いた布を剥がして、新たな布を貼り直した。
「それにしても、驚きましたよ」
「そんなにですか?」
午前中の勉強を終え、昼食の席で俺が漏らした言葉に、ブルムさんが尋ねてきた。
「四則演算……って、説明でおわかりになりますか?」
「ええ。足す、引く、掛ける、割る、計算の基本ですな。それが?」
「この子達は、四則演算に関しては午前中で出来る事を確認しました」
「な、なんですって!?」
ブルムさんが驚くのも無理はなく、元の世界でだって里の子供達くらいの年齢の子供が四則演算を理解して使いこなしたら、間違い無く天才児と呼ばれるレベルだろう。
(四則演算だけでは無くて、既に平仮名も卒業しそうなんだけど……)
そこまでは説明しなかったが、ブルムさんもいずれ気がつくだろう。
「多分ですけど、専門的な知識を教えても、それなりにはやれるんじゃないかと」
「それは……凄いですね」
「ええ……」
俺が作った、豆腐入りのミニハンバーグと御飯を頬張っている子供達の無邪気な姿を見ていると、とてもでは無いが信じられない事だ。
(そういう傾向は見えていたんだけど、これ程とは思わなかったな……)
里でお糸ちゃんが、危なっかしいところはありながらも巧みに包丁を使って料理をしたり、白ちゃんが名付けた劫くんを始めとする子達が、教えたら獲物の解体をしたりするのは、良く考えたらかなり有り得ない状況だ。
子供が作る料理なんて、用意して貰った生地を捏ねてドーナツを作ったり、完全な監督下で目玉焼きを作る程度が、本来ならば最初のステップだろうし、俺が指示をしながらだとしても、牛の解体なんて簡単な物では無いのだ。
(紬から別れた子達だから、少しは経験や技能が継承されたりしてるのかな?)
里の子供達は玄を別にすると、紬が分体として生み出した存在なので、出会った当時は自我が乏しかったが、それでも生きるだけの知恵は備わっていた。
それが名付けをされて個性が出て、人として生きる術を習得していっているのだが、人間の赤ちゃんとはスタートラインの違いがある事の差が、この辺で出始めているのかもしれない。
(だとすると、ボードゲームで遊ばせたのは正解だったな)
識字や計算などは、教えれば教えるだけ習得しそうなので、ルールの中で様々な対応が要求されるゲームの類は、子供達の知性を伸ばすにはもってこいだろう。
(もっと高度なゲームがあってもいいのかもしれないけど……社会の仕組みの違いとかで、プレイ出来ない物もあるからなぁ)
人生ゲームやモノポリーのような作品は、面白いし遊びの中で様々な事を学べるのだが、元の世界とこっちの世界では社会の仕組みなども違うので、根本的な部分から作り上げる必要が出てしまう。
「という訳で、午後からのブルムさんの個人指導は、少し高度な教え方で大丈夫だと思います」
「そうですか……では、帳簿の付け方から教えてみましょうか」
「ええ。来週入れ替わる子供達も、同じでいいと思います」
読み書きにしても計算にしても少しの基本を教えたら、その後は一気に応用に入って大丈夫そうなので、後は子供達に必要なのは経験を積ませる事だけになりそうだ。
「白ちゃん。後で文字を読む為の教本を作っておくから、明日、里に帰る時に持って行ってくれるかな」
「承知した。今後はそれに沿って、教える内容を考えれば良いのだな?」
「うん。多分だけど、里でも同じように、おりょうさん達が戸惑ってるはずだから」
字の読み書きに関しては、里でも俺とそれ程違う教え方をしているとは思えないので、授業を始めてすぐに、おりょうさん達も子供達の異常さに気がつくはずだ。
そこから応用編に進むにしても教科書とかが無いので、多分だがある程度のところで授業は中断しているだろう。
(だけど、教科書の内容をどうしようかな……)
漢字を含むテキストでわかり易い物として思い浮かんだのは、読み仮名付きの小説や漫画の類だった。
俺が読んだ事のある作品ならば、ほぼ完全な状態で蜘蛛の糸で織った布に再現出来るし、フルカラーでも無ければ作るのにそれ程時間も掛からない。
しかし元の世界の作品だと、解説でも入れながらじゃなければ子供達どころかおりょうさん達にも、内容が理解不能だろうから、題材のセレクトに頭を悩まされる。
(……日本神話とかがいいのかな?)
古事記や日本書紀を漫画や、読み易い文体で読み仮名付きにすれば、子供達にも理解出来るだろう。
(考えてみたら、里に祠を設置してある神仏に由来する神話とかを漫画と小説にすれば、どういう神様を祀ってあるのか……フレイヤ様の神話は、子供には刺激が強いな)
日本の神話でも、岩戸開きの天宇受売命の踊りのシーンなんかは文章だけにしたり、北欧神話のフレイヤ様の描写も、少しソフトにしようと心に決めた。
(首飾りのブリジンガメンを手に入れる為に、ドヴェルグに身を任せるシーンなんかは、子供達にはまだ早いよなぁ……)
同じ様な理由でギリシャ神話なんかも、神様達のライフスタイルが大らか過ぎるので、当面の間はテキストにするのを見送った方が良さそうだ。
(さすがは、北欧の浮気妻といったところですね……)
(う、浮気妻じゃありませんっ!)
何やら神託があったようだが、絵の方も文章の方も、子供向けのソフトな物をを意識しよう。
「まずはこんな感じかな」
「むぅ……俺がどれだけ訓練しても、主殿のように自在に糸を操る事は出来そうに思えんな」
「そんな事は無いと思うけど……」
印刷物のように両面に絵があり、中綴じ形式で出来上がった子供達用のテキストを見て白ちゃんが唸っている。
紙程は張りが無いので、元の世界の既存の書物に慣れた人間にとっては少し違和感があるかもしれないが、現状の技術ではこれが精一杯だ。
ちなみに絵心が無い俺が、どうやって作画をしているかと言うと、記憶にある様々な作品の中からセレクトした絵を拡大したり縮小したりして、コマの中に切り貼りの要領で嵌め込んだのだった。
極力違和感が無いように、タッチの似た作家さんの絵を切り貼りしたのだが、元の世界で見る人間によっては、確実に首を捻ってしまうだろう。
「ふむ。この国の創世神話は、このようになっているのか……」
白ちゃんがテキストを眺めながら、興味深そうに呟いた。
最初のテキストの題材は、日本神話の国造りから天孫降臨のところまでにしたので、天照坐皇大御神様の出番も勿論ある。
(良太さんが、美しく描いて下さるのを期待しておりますよ!)
どこからか見ているのだろう、天照坐皇大御神様の声が、頭の中に響いた。
(わ、私も! 芸術の為なら脱ぎますので!)
芸術の為では無くても脱いでしまう女神様からのお告げは、スルーするのが礼儀だろう。
「人物が話しているのを、この囲みのような物で表現するというのは面白いな」
「俺が考えた訳じゃ無いんだけど、凄い技法だよね」
白ちゃんが言っている囲みというのは、漫画の中の『吹き出し』の事だ。
「それにこの、読み仮名と言うのか? 漢字の脇に平仮名で読み方が書いてあるのは、非常にわかり易い」
「うん、だから子供達に、漢字を覚えさせると同時に、文章を理解させるのにいいと思ったんだ」
読み仮名の振ってある漫画や小説を読むだけでは、書く事は出来ないと思いがちだが、少なくとも自分の経験では大部分を書く事も出来る。
そして文章を読む事によって、漢字の読みを知るだけでは無く同音異義語の使い方の違いや、送り仮名のなども理解出来るのだ。
「でも、俺が教本を作ってる時に他の事が出来ないっていうのは、ちょっと困るな……」
一度作ったテキストを、同じように複数冊作るのは、実は気の消費以外には殆ど労力が割かれない。
しかし、身体の一部から発している糸で作るので、実質的に他の事が出来なくなってしまうのだった。
「そうは言っても、製作速度も物凄い事になっているではないか?」
「まあ、そうなんだけどね……」
白ちゃんの言う通り一度完成してしまえば、複製品一冊の完成にはそれ程時間は掛からない。
だが、全部のページを複写して綴じるところまでフルオートで出来るのに、完成までコピー機の前に立っていなかればならないというのと同じ状況が、どうにももどかしく感じるのだ。
「うーん……あ、もしかして」
「何か不都合か?」
少し俯いて考え込んでいた俺が顔を上げたので、何事かと白ちゃんが声を掛けてきた。
「材料は……木の枝でいいかな?」
「主殿?」
ドラウプニールから樫の木の枝を取り出して、妙な形状に畳の上に並べ始めた俺に、白ちゃんは声を掛けながら見守っている。
「……よし、行け」
「それは……分体の子蜘蛛か?」
「うん。まあちょっと見てて」
「……」
俺が分体の子蜘蛛を出して、妙な形状に組まれた枝の頂点に当たる場所へ導いたのを、白ちゃんが声を殺して見ている。
「何箇所か連結して……後は糸を巻けばいいかな?」
「な、なんだこれは!?」
配置された枝同士を糸で連結して、場所によって太さを変えて糸を巻き付けて覆っていくと、驚く白ちゃんの眼の前で、人間のようなフォルムが出来上がっていく。
(この見た目だと、ミイラっぽいな……)
糸と包帯の違いはあるのだが、全身をぐるぐる巻きにされている人型のフォルムを見ると、何やら猟奇的な雰囲気がある。
「どうだ? 動けるか?」
「っ!?」
俺が寝っ転がった状態の人型に声を掛けると、予備動作無しに上半身が起き上がり、白ちゃんが息を呑んだ。
「あ、主殿、これは!?」
(珍しく白ちゃんが焦ってるな……)
普段はクールビューティな白ちゃんが動揺している姿を見て、説明する前にそんな事を考えてしまった。
「もう一人の俺、みたいな物かな?」
「も、もう一人の主殿だと!? む……しかし言われてみれば、確かに主殿と同じ気配が」
「頭の部分に俺の分体が入ってて、糸で動かしてるんだよ」
白ちゃんに説明した通り、眼の前の人型は骨格を木の枝で構成されていて、頭部の位置に収まっている分体の蜘蛛が、内部から気を通した糸を使って身体を動かしている。
「それで、こいつに何をさせようというのだ?」
「さっき話してた、糸での複製をやらせようと思ってね」
「……そんな事が可能なのか?」
「多分ね」
作り上げた人型は俺が一度作った物や、新しい物でも作りたい柄やサイズを指定すれば、自動で折ったり編んだりしてくれる……はずである。
分体は喋れないが、意思の疎通は可能だし、気は魂が繋がっている俺から供給される。
ただ、惜しみなく気を注ぎ込んだ最高品質の物や、あまりにもパターンが複雑な物の場合には、俺自身のリソースの割合の関係で、この人型では作れなくなっている。
「試しに……おお! 作ってくれてるな」
さっき俺自身で作っていた、日本の創世神話のテキストの複製を頭の中で命じると、了解の意思が伝わってきたと同時に、人間の手に似せてある部分に出てきた糸で、テキストが構成され始めた。
「ふむ……これは里の隠れ蓑にするのにも、役立つかもしれないな」
「ん? それはどういう事?」
「なに、簡単な話だ。我等や里の者達が、蜘蛛の糸で色々と作れるのは秘密になっているだろう?」
「そうだけど……それが?」
蜘蛛の糸の製品の質の良さと、子供達が無害であるというのが世の中に浸透してからで無ければ、里が土蜘蛛や山蜘蛛と呼ばれていた者達の末裔の住処だとは、知られる訳にはいかない。
「蜘蛛の糸の製品に関しては、こういった魔法の道具で作っているという事にしてしまえばいいのではないか?」
「あっ! そ、そうか!」
何の気無しに作った人型だったが、思わぬ活用法を白ちゃんが示してくれた。
「実はブルムさんが、商品の入荷に関して秘密にしても、限界があるとは思ってたんだけど……」
「こいつがあれば、客にも納得して貰えるだろう」
一風変わった形状ではあるが、こっちの世界では魔法の道具と言われれば、確かに白ちゃんの言う通り、納得してしまう者は多いだろう。




