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 しかしその前に、少しやっておきたい事がある。


「正恒さん、作業の前に少し食事の支度をしたいんですが」

「ん? そりゃ構わねえが、晩飯は猪や鹿の内臓で済ますんじゃなかったのか?」

「それだけだと、頼華ちゃんの口に合わなかった時の事を考えると……」

「ああ。言われてみりゃそうだな。でもまあ、あのお姫さんはなんでも食いそうだどな」


 正恒さんの言う通り、頼華ちゃんには上品さと、反対に生肉でも食べそうな野性味が同居している。って、さすがにこの考えは失礼だな。


「少し献立の種類を増やそうかと思うんですが、にんにくと生姜、小麦粉なんかがあればなぁ……」

「良さん、生姜は無いが、にんにくならあるぜ。それと小麦粉は無いが、蕎麦粉じゃダメかい?」

「えっ!? 昨日、食材を物色した時には見当たりませんでしたけど?」

「にんにくは、軒先に吊るしてあったんだよ。ほら」


 木戸を出て、すぐに戻ってきた正恒さんに、実を包んでいる白い皮が萎れて、少し芽が伸びたにんにくを放られたのを空中で受け止めた。


「蕎麦粉の方は、俺が蕎麦掻きが好きなんで、実のまま買って持ってたのを、少し挽いたのが残ってるよ」


 小上がりの板の間の隅に、藁のムシロに包まれていた石臼があり、その上に置かれた布袋に挽かれた蕎麦粉が入っていた。これで一気に料理のバリエーションが増える。


「助かります。後は、卵でもあれば……これ以上、贅沢言っても仕方ないか」

「卵もあるぜ。ほれ」


 冷蔵庫の中から、正恒さんが竹を編んだ籠に入った卵を取り出した。


「ええっ!? 昨日は気が付かなかったのに……」

「昨日は、そいつの中は姐さんが物色してたんで、良さんは気が付かなかったんじゃねえか?」


 そういえば、冷蔵庫の中の内臓なんかをおりょうさんが発見して、俺自身は肉の事で頭がいっぱいになってて気が付かなかったのかもしれない。


 正恒さんによると、数日毎に行商人がここまで食材その他を売りに来るのだという。卵なんかはその際に買うのだそうだ。


 そういえば、山で生活する人の窓口みたいな場所だったら、消費するのは正恒さんだけじゃないし、山で取れたり作ったりした物も、正恒さんが持って下りるだけじゃ量が少な過ぎる。需給があるなら、専門の商人がいてもおかしくはないか。


「ついでにですけど、砂糖とかありますか? あと、大豆なんかも」

「黒砂糖で良けりゃな。豆もあるよ。煎れば食えるんで便利だからな」


 正恒さんが言うには、連続で作業をしなければならない時に、おにぎりなんかの手早く食べられる食事以外に、黒砂糖の塊や塩なんかも用意しておいて適時摂取するんだそうだ。鍛冶仕事は肉体疲労も凄いだろうけど、水分や塩分、エネルギー補給も大事そうなのは、経験したので良くわかる。


 大豆の方も、煎っても煮ても食べられる、こっちの世界でもポピュラーな素材なんだろう。いつも猪や鹿が獲れるとは限らないから、魚と合わせて重要なタンパク源だ。


「おりょうさんから砂糖は高いって聞いてますけど、少し使っていいですか? 出来れば豆の方も」

「遠慮すんな。さっき頼親が置いてった分だけで、食費も刀の材料費もお釣りがくらぁ」


 気前のいい返事を正恒さんから貰った。


「なら、遠慮無く使わせてもらいます。その代わりですが、夕食の献立は、味はともかく種類と、食べた事が無いだろう物をお出ししますので」

「良さんの料理の腕を疑っちゃいないから、楽しみにしてるよ」


 早速、冷蔵庫その他から必要な材料を取り出し、時間の掛かりそうなメニューは仕込んで火に掛け、食べる直前に調理する物の下拵えを手早く終えて、今度こそ鍛冶の作業へ戻った。



「おいおい。良さん、一体何を作ろうってんだい?」

「……」


 正恒さんの問に、明確な答えを俺は返せずに、無言で槌を振り下ろす。物凄い反発力を鋼材から感じ、(エーテル)で護られているはずの腕に、重い衝撃と激痛を感じる。


「それにしても、随分と厚めの作りだな。それにかなり長いが、もしかして、刀ってよりは野太刀か?」


 正恒さんの指摘通り、打ち延ばしているが、全体に均等に厚みを残すようにしている。切っ先も形を整える以外には切らない予定なので、想定する刃渡りは一メートルくらいになるだろう。確か大太刀という一・五メートルくらいの物もあったが、取り回しのために柄を長くしていたらしい。


「柄の長さは普通の刀と同じにします」

「それじゃ構えて保持するのに……良さんなら問題ねえか」


 既に色々と見られているので、あっさりと常識外れの刀でも納得されてしまった。良いのか悪いのか……。


「長さはともかく、頼華ちゃんと戦って、護りを突破出来るような武器をと思いながら打ってたら、物凄い反発が来まして」

「ああ、お武家さんの身に纏う闘気ってやつか。良さんも凄え事を考えやがるな。本当になんとか出来たら革命的な発明だぜ」

「でも正直、打ち始めた事を後悔してます……」

「……そんなにか?」


 火床で熱する段階から出来上がりを想定して(エーテル)を送り込んだが、その時点で、先に打った鰻裂きや柳刃の時には無かった消耗を感じていた。


 (エーテル)を送り込みながら鋼材を打ち始めると、槌に物凄い反発を感じると共に、熱していた時以上に消耗を感じるのだ。どうしてなのかはわからないが、逆に思っている通りの物が出来上がるのを確信する。


「手こずったようだが、打ち延ばしと成形は終わったか。それにしても、この槌とタガネはもうダメだな……」


 俺が作業に使っていた槌は打っていた面が変形し、柄の木材の部分も真っ直ぐではなくなっている。タガネは鋼材を切るのに使った部分は鈍くなってしまい、叩かれていた部分はかなり潰れてしまっていた。


「すいません……」

「そんな、済まなそうな顔すんなって。作業が終わるまで保ってくれて、良かったじゃねえか」


 自覚は無かったが、そんなに済まなそうな顔をしていたのか、正恒さんが慰めてくれた。考えてみれば、初対面からそんなに時間が経っていないのに、この人の家で随分と好き勝手をさせてもらっている。


「さあ、あとは『土置き』までやったら、焼入れの前の作業は終わりだ。晩飯前に終わらしちまおう」

「はい」


 正恒さんが、お手本で鰻裂きと柳刃に土を塗っていく。


「こう、な、平らな部分に薄く均一に土を塗って、次に筆で刃文を描く。鰻裂きの方は真っ直ぐでいいだろう」


 正恒さんの描く柳刃の刃文はなんというか、一見したところではかなり複雑で、法則性みたいな物はわからない。刀剣の鑑定家なんかは、この刃文で製作者や真贋を見極めるらしいが、俺には無理っぽい。


「そしたら最後に、この刃文のとこから棟まで土を厚く盛る。これが基本のやり方だ。これで土を盛った場所や盛った厚さで熱の入り方が変わるのはわかるだろ?」

「成る程。その熱の入り方で、反り具合なんかが変わる訳ですね」

「そうだ。この辺は個人や派閥で流儀があるし、どれが正解ってのも言えない」

「わかりました」


 刃文は、正直どうでも良かったので、芯金との境目がはっきりするようにだけ土を盛った。他は正恒さんのお手本通りだ。製法は刀の物だが、刀身の出来上がりの見た目は、反りを別にすればファクトリーメイドのナイフと変わらない。


「好きにとは言ったが、なんというか、面白味のない刃文になるな」

「実はこれも、考えた必要な要素でして……」

「まあ、良さんがそれでいいなら構わないさ」


 正恒さんが苦笑する。


「あ、そういえば忘れるところでしたが、鰻裂きは焼きを入れればいいとして、目打ちがいるんですよ」

「目打ちって、鰻の頭を固定する物だったか?」

「そうです」

「刃物みたいな面倒な焼入れなんかは必要無いだろうから、俺が適当に作るよ。あ、このダメになった槌と、タガネを潰して使うか」

「お願いします。形状はこんな感じで……あ、ついでにと言うか、こんな物もお願いできますか?」


 完全に実用では無く、今打った刀のような思いっきり趣味的な物を正恒さんに説明した。


「作るのは比較的容易だが……良さんも酔狂だなぁ」

「ははは……」


 こんなところで作刀している正恒さんも相当に酔狂だと思ったが、黙っていよう。


 一先ず作業と、正恒さんへの目打ちの説明を終えて、汗を拭った俺は夕飯の支度を始めた。



「作業は終ったかい? あれ、夕飯は焼き物だけで済ませるみたいな事を言ってなかったかい?」


 槌音が止んだのに気が付いたのか、頼華ちゃんと手を繋いだおりょうさんが、木戸を開けて入ってきた。


「そうなんですが、頼華ちゃんの口に合うかどうかわからないので、品数を増やしてみようかと」

「余は特に好き嫌いはないが、りょうた兄様の心遣いを嬉しく思うぞ! あ、でも、海の魚は食べ飽きたな……」


 海沿いの鎌倉で生活していれば、食卓に魚が並ぶ頻度が高いのは当然か。それ程多様な料理法も無さそうだし、まだ幼い頼華ちゃんが、少し食傷気味なのは仕方ないかな。


「あの、良太……」

「どうかしましたか?」


 なんかおりょうさんが、もじもじしながら俺を見てくる。


「あの、昼に焼き飯と一緒に作ってくれたあの汁……た、食べたいなって」

「いいですけど、苦手だったんじゃ?」

「そ、それがね、なんかあの味と匂いが、いつまでたっても忘れられなくて……」


 これはラーメンの濃厚スープを気に入った人が、時たま猛烈に食べたくなるのと同じ現象だろう。おりょうさんの気持ちがわかった気がする。


「そんなに手間じゃないから、構いませんよ」

「そ、その代わりに、あたしも手伝うから」

「いや、別に……それじゃあ、この辺の材料を、一口大に切って下さい」

「任しといて。頼華ちゃんは、手を洗ってお茶でも飲んでな」

「はい! りょう姉上!」


 俺達の見ていない間に何があったのか、すっかり頼華ちゃんの聞き分けが良くなったみたいだ。


「暇な間に、頼華ちゃんと畑を見てたら、芋と葱を見つけたけど、使うかい?」


 おりょうさんが竹籠に載せてある、土の付いた里芋と、緑の葉の部分が萎れた葱を俺に示した。


「葱は汁の具と、白髪葱にしようかな。パン粉があれば里芋はコロッケにでもしたいけど……フライドポテトになるかな?」

「……なんか、聞いた事の無い料理の名前が出てるけど、大丈夫かい?」

「頼華ちゃんに、変な物は食べさせませんから」


 心配そうなおりょうさんにそう言って、俺は料理を再開する。鍛冶の作業前に火に掛けておいた鍋の中身は出来上がってる。


 頭を落として三枚におろし、軽く塩を降ったアマゴに卵と水と蕎麦粉で作った衣を付ける。ソースは、卵と酢と菜種油を混ぜて、潰したゆで卵に大根のみじん切りでいいか。


 すり下ろしにんにくと醤油と酒に漬け込んだ猪肉には、蕎麦粉をまぶす。


 水に浸けた大豆は本当はもう少し長く浸漬したかったが、火に掛けて煮立ててから煮汁ごとすり潰す。


 里芋は拍子木切りにして水にさらし、葱を千切りとみじん切りに……下拵えは出来た。


「ご飯は、普通のにします? それとも、昼に食べた焼き飯にしますか?」


 頼華ちゃんとお茶を飲んでいる正恒さんと、隣で調理を手伝ってくれているおりょうさんに確認する。


「良さんが手間じゃなければ、俺は焼き飯がいいな」

「あたしも、いいかい?」

「りょうた兄上、その焼き飯というのはうまいのか!?」

「頼華ちゃんの口に合うかは、わからないけどね」


 期待に目を輝かせる頼華ちゃんも加えて、満場一致でチャーハンを御所望のようなので、完成したスープの鍋を脇にどけて、揚げ物と同時進行でチャーハンを作り始める。不動明王の権能のおかげで、かまどの炭火の火力調整が出来るのが地味に便利だ。



「用意できました。さ、食べましょうか」


 結局、妙に気合が入った俺が作ったのは、鍛冶作業の前に火に掛けておいて白髪葱を添えた猪の角煮。蕎麦粉の衣を付けて揚げたアマゴのフリッターの和風タルタルソース添え。蕎麦粉をまぶして揚げた猪の唐揚げと、じゃが芋の代わりに里芋で作ったフライドポテト。ついでにソーセージも油で揚げてみた。


 卵と葱も加わったチャーハンに、猪の骨を煮出したスープ。ここまでが主に頼華ちゃん用で、猪と鹿の内蔵と舌と脳みそは、七輪で網焼きにしながら食べる。


「なんか見たことも無い物がいっぱいあるな!」

「口に合えばいいけどね」

「さあ、いただこうぜ」

「そうだねぇ。さ、頼華ちゃん、いただきますしようか」

「うん!」

「そいじゃ、いただきます」

「「「いただきます」」」


 今か今かと待っている頼華ちゃんをなだめて、おりょうさんの号令で全員が手を合わせてから食事を開始した。


「姉上っ! 兄上っ! なにこれなにこれっ!?」


 右手に箸で突き刺した唐揚げを持ち、左手でソーセージを握った頼華ちゃんは、並んだ料理を一口食べる毎に大興奮している。


「頼華ちゃん、少し落ち着いて……」

「ああもう、こんなにこぼしちゃって……中々のお行儀だねぇ」

「お姫さんの口に合ったみたいで、良かったじゃねえか」

「お姫さん言うな♪」


 頼華ちゃんのはしゃぎっぷりに呆れる俺とおりょうさんを、我関せずと正恒さんは、内臓の網焼きを口に運びながら、酒盃を傾けている。


「この角煮っていうの、御飯に合うねぇ」

「煮る時間が短かったけど、柔らかく仕上がりました」


 豚と肉質が違うからどうかと思っていたが、運動量の多い猪の肉は煮込んだら豚肉以上に口の中でほぐれ、とろりと甘い脂身の味がたまらない。


「これは魚の料理か? 何か上に白いのが掛かってるが」

「醤油味の料理ばっかりになっちゃったから、魚は唐揚げじゃないのにしてみたんだ。白いのは少し酸味があるから、味覚が変わっていいと思うよ」

「どれどれ……おお! こ、これは、あっさりした白身の魚がサクサクに揚がって、それを酸味でさっぱりしつつも、コクのあるこの白いのが、なんとも贅沢な味わいにしてくれている!」


 なんか頼華ちゃんが、どっかの食通みたいな評価をしてくれている。


「気に入ってくれた? その白いのは卵と酢をかき混ぜながら、少しずつ油を加えて作った物に、刻んだゆで卵と漬物を入れて作ったんだ。油や漬物の種類を変えたり、少し辛子を入れたりしてもおいしいよ」

「りょうた兄上は天才かっ!?」

「たまたま知ってただけだよ」

「そうか! それにしても、この塩を振った芋とか魚の揚げ物とか汁とかを合間に挟むと、味覚が変わっていくらでも食べられるな!」

「程々にね?」


 人数辺りの料理の量が多過ぎるかと思っていたけど、俺も含めて全員が食欲旺盛で、綺麗に無くなりそうで良かった。カロリーが凄いことになっていそうだが、そこは目を瞑ろう。



「食後のお茶請けがあるけど、まだ食べられそうですか? お腹いっぱいなら、冷やしておいて明日食べるのでもいいけど」

「りょうた兄上、お腹いっぱいだけど、まだ何かあるのか!?」


 満足そうにしている頼華ちゃんだが、かなりの量を食べてもまだ入るみたいだ。


「あたしゃ、今はいい」

「俺もいらねえよ。良さんの料理は、飯にも合うが、実に酒に合う」


 頼華ちゃんにペースを合わせて食べていたおりょうさんはかなり苦しそうにしている。正恒さんの方は、まだ作業があるので軽くではあるが、網焼きを食べながら酒を飲んでいる。


「じゃあ、頼華ちゃんと俺の分だけで」


 オーブンなんかある訳がないし、蒸し器も無かったので、湯を沸かした大鍋に笊を敷いて、その上に置いた湯呑みで作っておいたデザートを、木の匙と一緒に運ぶ……と、その前に。


「仕上げしないと……」


 俺は不動明王の権能である熱い炎を指先に灯し、卵と黒砂糖と、牛乳の代わりに豆乳で作ったプリンの表面を炙る。こういう使い方は怒られるだろうか? でも、ガスバーナーとか無いからな。


「はい、頼華ちゃん」

「りょうた兄上、これは茶碗蒸しか?」

「似てるけど、料理じゃなくてお菓子だよ。口直しにどうそ」

「お菓子か……ーっっ!!」


 一口食べて、匙を持った手をバタバタ振りながら、頼華ちゃんが何かをアピールしてくる。これは、喜んでくれているんだよな?


「な、なんじゃこれっ!? 甘くて口の中で溶けて、うまっ!! んんっ!? 底の方は、違う味がするっ!?」


 味が変わったという事は、黒糖で作ったカラメルの層に到達したのだろうか? 湯呑みに口を付けて、必死の勢いで匙を動かして、頼華ちゃんがプリンを掻き込む。


「バニラエッセンスが欲しかったけど……代用品を使ったにしては良く出来た方か。頼華ちゃん、俺の分も食べる?」


 一口味見をして、バニラの香りと、やはり牛乳の動物性脂肪がプリンには必要だなと、頭の中で無い物ねだりをしながら、頼華ちゃんに訊いてみた。


「よ、良いのですか!? このようにうまい物を……」

「あ、ああ。一口匙を入れちゃったけど、それで良ければ」


 必死の勢いで確認してくる頼華ちゃんに、俺は手に持ったプリンの湯呑みを差し出した。


「な、なんと慈悲深い……兄上に刃を向けたのは、この頼華の一生の不覚でした!」

「……それは、そんなにうまいのかい?」


 俺と頼華ちゃんのやり取りを見ていて興味を惹かれたのか、おりょうさんが尋ねてくる。


「好みは人それぞれですから、なんとも言えませんけど。頼華ちゃん、少しだけ」

「ああっ!? そ、そんな御無体な……」


 おりょうさんに味見してもらおうと、匙にひとすくいだけプリンを取ると、頼華ちゃんが絶望的な表情になった。そんな大袈裟な……。


「また作ってあげるから」

「絶対っ! 絶対ですぞっ!? それと、一つじゃなくて二つっ!!」

「はいはい。おりょうさん、味見どうぞ」

「えっ!?」


 頼華ちゃんをなだめながら、匙を持っておりょうさんに向き直ると、変な声を上げたと思ったら固まってしまっている。あ、これって「あーん」ってやつになっちゃってるか……。


「も、もう。良太ったら。こういうのは二人っきりの時に……」

「何やってんだか……おう良さん。俺は一口味見させてくれればいいから、残りはお姫さんにやってくれ」

「な、なんだとっ!? 正恒、今後特別に、余を姫と呼ぶのを許すぞ!」

「普段から言ってるじゃねえか……」

「あむ……ん、本当に、甘くて溶けるね。これ、材料はなんだい?」


 俺が正恒さんの方を向いている間に、おりょうさんが匙を口に入れ、味を見たようだ。


「材料は卵と砂糖と、本当は牛乳を使うんですけど、今回は代用に豆乳を使いました」

「言われてみれば、味で材料はわかるけど……」

「器の底に、黒糖をお湯で煮詰めたものを先に入れてから、他の材料を混ぜて流し込んで、表面の泡を取ってから蒸すんです」

「作り方まで茶碗蒸しと似てるんだね。ちょっと材料が贅沢だけど、おいしいもんだねぇ……」


 おりょうさんの口にも合ったみたいで良かった。そういえば深く考えなかったけど、こっちの世界でも卵とか牛乳とかのアレルギーってあるんだろうか? 少し気をつけないと。


「菓子といえば茶請けの干菓子や、鎌倉では力餅くらいしか知らなかったぞ。卵と砂糖と豆で、このような味が作れるとは……りょうた兄上は凄いお方だ!」

「ははは。ありがとう、頼華ちゃん」


 ファーストコンタクトは最悪と言ってもいいくらいだったけど、要するにこの子は、良くも悪くも素直過ぎるんだろう。


 それに、領主の生活なんて想像出来ないけど、姫と呼ばれる立場なら自由は少ないだろうし、娯楽も多くは無さそうだから、戦いに楽しみを見出しちゃったのかもしれない。考えてみれば可哀想な子なんだな。


 俺はかまどのところまで歩いて、正恒さんの分のプリンの湯呑みを持って戻った。


「正恒さん、どうぞ」


 匙を添えた湯呑みを、正恒さんに渡す。


「おう。ふむ……酒には合わないが、確かにうまいもんだな」

「ははは。酒自体が、結構甘いですからね」


 鰻のタレを作る時に酒の味見をして、砂糖が入っているんじゃないかと思うくらい甘かったから、どう考えてもプリンには合いそうにないなとは思っていた。


「そういうこった。やっぱ酒には、塩気のあるもんが合うな」


 塩を升に少し盛り上げて、舐めながらとかいう飲み方もあるらしいが、ちょっと粋過ぎて俺には将来的にも真似できそうにない。



「さて、お嬢さん方には、また少し外に出てて貰わなきゃならんな」

「おりょうさん、頼華ちゃん、不便掛けるけど……」

「食事と、その前の畑で少し汚れちまったし、また風呂に入ろうかと思ってたから、丁度いいよ」

「また姉上と風呂か!?」


 おりょうさんは最初から食後に入浴を考えていたみたいなのでホッとした。頼華ちゃんも嬉しそうだ。


「二人とも気をつけて。さすがに二晩連続で、熊は出ないと思うけど……」

「良太、言うと出そうだから、その話題はやめようよ」


 いかん。余計なフラグを立てたか? おりょうさんに言われて気がついた。


「熊ぐらい、出たら余が倒すぞ!」

「そうだな。良さん、この二人が一緒なら、心配は無用だと思うぜ」

「ははは……」


 言われてみれば、熊を投げ飛ばすおりょうさんに、源家の次期頭領が相手じゃ、熊の方が気の毒かもしれない。



「さあ良さん。いよいよ最後の仕上げだぜ。俺が手本を示すから、良く見てな」

「はい」


 火床に火を入れて炭を熾し、温度が安定したところで土置きした鰻裂き、柳刃、刀を入れ、大きな箱型の水槽に井戸水を溜めると、作業場の灯りを消す。


「短い物の方が、早く熱が回るから……いいか、この色の時に出して、一気に水に!」


 火床から水槽に入れられた、全体に熱が入って色が変わった鰻裂きは、物凄い音と蒸気を上げながら急冷される。直後に柳刃も水に入れられた。


「……よし!」


 正恒さんのやり方を見習って、俺なりに十分に熱が回った色味だと思うタイミングで、火床から刀を引き出して水に入れる。


「これで、後は少し熱して焼戻しをするんだが……良さん、どうした?」

「正恒さん、これ……」

「……なんだこりゃ?」


 急冷して水槽から出した、軽く反りが入った刀は、平地の部分が艶の無い黒に、鎬地から刃までは艶の無い白に染まっている。刃文は、近くで見ると鎬地に、ほぼ真っすぐな物があるのがわかる。


「うーん……良さん、こいつは焼戻しの必要は無さそうだ」

「それは、失敗作って事ですか?」


 失敗も有り得るとは思っていたが、これは落ち込むな。


「いや、そうじゃなくて、こいつはこれで完成みたいだぜ」

「えっ!?」

「つまりな、こいつはもう、この状態で出来上がっちまったみたいだ。その証拠に……」

「正恒さん!?」


 唐突に、近くにあった槌で、白と黒に染まった刀を、かなりの力を込めて正恒さんが叩くと、鋭い音を立てはしたが、傷一つ付いていなかった。


「っつつつ……叩いたこっちの方の手がイカれちまいそうだ。わかったかい、良さん?」

「わかりましたけど、ちょっと乱暴過ぎますよ」

「わりいわりい。でも、論より証拠だろ?」


 言葉とは逆に悪びれる風も無く、正恒さんは槌を置くと、焼戻しが必要な鰻裂きと柳刃を、炭の温度を下げた火床に戻した。今度は低い温度でじっくり加熱する必要があるのだという。


「俺は切れ味や作りの良し悪しは見れるけど、他はわからない。でも多分、良さんがこうしたいって思った使い方が出来る物になってると思うぜ」


 俺に話し掛けながらも、火床の中の鰻裂きと柳刃から目を離さないでいた正恒さんは、やがていい頃合いに焼き戻されたらしい二本を取り出した。今度はゆっくりと温度を下げていくのだという。


「うん。形を直す必要も無さそうだな。これで、後は柄を付けりゃ完成だ。っと、その前に……」


 正恒さんは表面を綺麗にして少し研いだ鰻裂きに、細いタガネと木槌を使って「正恒」と彫り込み、柳刃も同様にする。


「仕上げの研ぎは、嘉兵衛自身がやりゃあいい。良さんも……そいつにタガネで彫れるかな?」

「試しにやってみます」


 俺は正恒さんがやっていたように、タガネを刀の茎に当てて軽く木槌で叩いてみたが、予想通り彫れなかった。


「ダメか。まあ銘無しでも問題は無いだろうが……このままじゃ、目釘孔が空けられねえな」

「……あ、もしかして」

「なんだい?」


 俺は思いついて、刀と、手に持ったタガネを(エーテル)で包み込むイメージをしながら、呼吸を整える。


そして木槌で叩いてみると……彫れた。


「まったく……良さんには敵わねえな」

「俺のやり方が、邪道なだけですよ」

「ちげぇねえ」


 俺の言葉に、正恒さんが苦笑する。


「……正恒さん、ここって、好きに彫っちゃっていいんでしょうか?」

「刀工が刃文以外に自己主張できるのが茎だから、いいんじゃねえか?」

「じゃあ……」


 考えた刀の銘を彫り込んだ下、茎の端の辺りに、俺は思いついたマークを彫り込んだ。最後に、正恒さんに位置を指示してもらって目釘孔を開ける。


「ほう。(ともえ)ってのは、この刀の号かい? それにこれは……陰陽太極図?」

「ええ。いくらなんでも太極刀はあんまりだと思ったので、意味は同じ巴としました」


 太極図は陰陽勾玉巴という、お祭りの太鼓なんかに描かれている事が多い、三つ巴と同じ巴紋の一種でもある。そこから思いついての引用だ。


 さすがに太極刀とか陰陽刀なんてネーミングは、ちょっと中二病をこじらせ過ぎだろう……と、思うので却下した。


「銘は彫らねえのか?」

「それはなんというか、ちょっと恥ずかしくて……」

「まあ、良さんがいいなら、そこはいいんだがよ……お、おいおい。良さん、こいつを見ろよ」


 正恒さんの指の先では、さっき彫り込んだ太極図が、刀身と同じように白と黒に染め分けられていた。


「……随分と聞き分けのいい刀だな、こいつは」

「そうなんでしょうか?」


 なんか意図していなかったが、インテリジェンスソードになってしまったんじゃ……。


「さて、何にせよ俺に出来るのはここまでだ。研ぎはいらないが柄と鞘と、無くてもいいが、鍔もだな」


 本来なら専門家の研ぎ師が、数種類の砥石を使って仕上げをするらしいだが、その工程はこの刀、巴には必要無さそうだ。


 しかし柄は必要だし、福袋や腕輪に収納して持ち歩くにしても鞘はあった方がいい。鍔はどうしようかな。


「柄は殆どが木製で、滑り止めに鮫皮を巻いたのが一般的だ。江戸に戻ってから預けて、鞘と一緒に注文を出すのが無難だろう。お姫さんに聞いて、鎌倉で探すのもいいかもしれないが」

「正恒さんのおオススメとかはありますか?」

「俺か? 俺は装飾とかには拘らないんで、鞘とか柄の作りはどうでもいいから、そういう方面には疎くてな」

「うーん……鞘はともかく、柄に使う滑り止めの皮は、ちょっと考えがあります」

「まあそれほど慌てて探す事も無いんじゃねえか? 良さんがそいつを使わきゃならないような事態は、お姫さんくらいのを相手にする時だろ?」

「ははは……」


 正恒さんの言う事は間違ってはいないのだが、出来ればそういう事態に遭遇しないのが一番だ。


「何にせよ、今回は色々と面白いもんが見られて良かったよ」

「そう言ってもらえれば……」


 俺にしてみれば厄介事を持ち込んだ上に、刃傷沙汰まで起こしたのだから、正恒さんにはなじられても仕方がない立場だ。


「良さんに、たたら吹きから参加してもらって、全行程に携わって刀を打ったら、これ以上の物が出来るのかね?」

「それは……どうでしょう?」


 俺自身、凄く興味はあるが、製鉄の場に部外者が居られるのか自体が相当に怪しい。


「さて、火を落として、風呂に入ってから飲み直すかな」

「正恒さん、お先にどうぞ。俺は少しやる事がありますから」


 わかる範囲で工具類を片付けると、俺はかまどのある方へ向かった。


「そいじゃお言葉に甘えて、姐さん達が返ってきたら、お先にひとっ風呂浴びるとするか」

「甘えるも何も、正恒さんの家ですよ?」

「そういえばそうだったな」


 顔を見合わせて苦笑した後、正恒さんは入浴の支度に、俺はかまどに火を入れた。



「戻ったよ。入っていいかい?」

「良い風呂だった!」

「作業は終わりましたよ」

「おう。そいじゃ今度は俺が行ってくらぁ」


 おりょうさんと頼華ちゃんと入れ替わりに、正恒さんが河原の風呂に向かった。


「頼華ちゃん、湯上がりにどうぞ。おりょうさんも」


 俺は鍛冶の作業後に、新たに作ったプリンを二人に渡した。頼華ちゃんには二つだ。


「おお! 早速に約束を実行とは、りょうた兄上は義理人情に厚いお方だ!」

「ありがとう。冷たさが心地いいね」

「蒸してすぐに、井戸で冷やしておきました」


 冷蔵庫でも良かったんだが、他の食材への影響を考えて、蒸した鍋がある程度冷えた頃合いで、鍋ごとプリンを井戸の中へ入れて冷やした。


「ところでりょうた兄上、正恒と作っていたのはそれか?」


 猛スピードで一つ目のプリンを平らげて落ち着いたのか、頼華ちゃんが作業場に置かれている三本の刃物を指差した。


「うん。鰻を捌くのに便利な包丁と普通の柳刃。それと、俺が思いついて試作させてもらった刀だよ」

「持ってみても良いか?」

「構わないよ」


 湯呑みを置いた頼華ちゃんと一緒に、俺は刃物が置いてある作業場に歩いた。


「これが鰻用の包丁か。鰻とはうまいのか?」

「俺は好きだし、おりょうさんも正恒さんも気に入ってくれたみたいだよ」

「そうか。鰻と勇魚は水揚げされても、下賤な魚という事で、余の元までは届かないのだ」


 この辺は江戸と同じで、鰻は庶民の味という事か。勇魚というのは、確か鯨の別名だったな。こっちの世界というか時代的に、まだ鯨は魚と認識されているみたいだ。


「今度これを使って、江戸で鰻の料理を出す店を手伝うから、機会があったら頼華ちゃんにも食べさせてあげたいね」


 とは言うものの、江戸と鎌倉は元いた世界とは違って、近くないし交通手段も限られるからな。ましてや緊張状態にある領土同士だ。


「馬を飛ばせば江戸まではそれ程時間は掛からんから、必ず行きます!」

「そうだねぇ。馬なら朝に出れば、のんびり走らせても昼前には着くだろうし」


 あれ? 鎌倉の武人が江戸に入るのに、特に問題は無いんだろうか?


「帰りが遅くなるようなら、うちの店に泊まればいいしね。でも、そんなに大したおもてなしは出来ないよ?」

「りょう姉上の店か! ならばおいしい物が食べられそうだな!」


 二人のやり取りを聞いていると、特に心配は無さそうだ。


「それにしても……正恒の手伝いがあったとはいえ、初めての作刀でこれだけの物を……りょうた兄上は多彩な方だ」


 俺が作った「巴」を手に取り、刃を返したりしながら観察し、頼華ちゃんが感心したように言う。


「おう。良さん、上がったぜ」


 木戸が開き、諸肌脱ぎでさっぱりした顔の正恒さんが入ってきた。


「じゃあ、俺も行ってこようかな」

「りょうた兄上、余がお背中を流しましょうか?」


 風呂に向かおうとした俺の袖口を引っ張りながら、頼華ちゃんにそんな事を言われた。


「おや。それならあたしも……」

「変な事で張り合わないで欲しいんですけど!?」


 頼華ちゃんへの対抗意識なのか、板の間でプリンを食べていたおりょうさんが立ち上がろうとした。


「もう時間も遅いし、俺を待たずに寝ちゃっててもいいですから。頼華ちゃんも眠いでしょ?」

「ん……そういえばそうだな」


 夕食後に鍛冶作業があったから、日の出、日没に合わせて生活しているこの世界の常識的な就寝時間を考えれば、今日はかなりの夜更かしだろう。


「それじゃ、行ってきます」

「おう。ごゆっくり」

「兄上、お気をつけて」

「もう。意気地なし……」


 それぞれの見送りの言葉を背に受けて、俺は河原の風呂場へ向かった。



 訊きたいことは山ほどあるが、昨夜の件でヴァナさんを呼ぶのはちょっと躊躇われたので入浴だけで済ませた。何も藪を突く事も無い。


(んもう。い・け・ず)


 何か聞こえたような気がするが、きっと幻聴だ……。



「おう。おかえり。静かにな」


 酒盃を傾けながら、小声で正恒さんが迎えてくれた。既におりょうさんと頼華ちゃんは眠っていた。今日は本当に色々あったし、食事と入浴で眠気が増したんだろう。


「俺も、もう寝ますね……おやすみなさい」

「おやすみ。俺もぼちぼち寝るかな」


 俺が布団を被ると、正恒さんも酒を飲み干してから自分の布団へ入った。

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