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お糸ちゃんクッキング

「お、恐ろしい女だった……」

「お疲れ様」


 ゲッソリした様子で、黒ちゃんが呟いた。


「かなり黒ちゃんを気に入ってたみたいだね」


 女性は俺達が関所を通り抜けた後もかなり長い間、笑顔で手を振り続けていた。無論、黒ちゃんにだ。


「ううう……あんまり嬉しくない」


 少し沈んだ表情の黒ちゃんの左の頬が少し膨らんで、時折動いている。


 一瞬なんなのかわからなかったが、どうやら女性が口に入れてくれた飴のようだ。


(あんまりって事は、絶対的に嫌っているって訳じゃ無いんだな)


 元は京の街で夜な夜な跳梁跋扈していた鵺の黒ちゃんは、人々からは恐怖の、同じ妖怪からは畏怖の対象だったので、真っ直ぐに好意を向けられるのが苦手というか、戸惑っているみたいだ。


 江戸の鰻屋の大前で一緒に働いていた、胡蝶さんを始めとする女性達は親しげに接してくれたが、後に鎌倉の頼永様に雇われた、頼華ちゃんの護衛兼密偵という事実が判明したので、あの時の態度は表面的な物だったのだろう。


(いや、しかし……)


 菓子類の事になると目の色が変わる胡蝶さんや、再会した夕霧さんの態度を見ると……もしかすると俺や黒ちゃん達への接し方は、素のままだったのかもしれない。


「何にせよあの女性は、悪い人では無さそうだよね」


 一切の邪気を感じさせない満面の笑顔で、子供達や黒ちゃんに接する女性の態度に、裏があるようには思えなかった。


(子供達や黒ちゃんを欺いたって、なんにもならないしな)


 もしも女性のこれまでの態度が全て演技で、俺達に対して何かを画策しているんだとしたら、プロを通り越して悪魔である。


「ところで御主人、あの女と知り合いだったの?」


 黒ちゃんが、黒目がちのクリっとした瞳を俺に向けて訊いてきた。


 身内の贔屓目無しでも凄く可愛らしいので、あの女性が魅了されてしまうのもわからなくはない。


「知り合いは知り合いだけど……会ったのは二度目だよ」


 こっちの世界に来る時に身体を再構築されて、記憶力も高まっているように感じるのだが、それでも余程印象が強くなければ、一度会っただけの人物の顔を覚えていたりはしない。


 あの女性は俺にとって、一度見て忘れられないくらいに印象的だったという事だ。


「なら、なんで服なんか?」

「えーっと……なんか危険そうなお役目の人みたいだから、ね」


 名前も知らない女性の衣類を作ったのは、俺自身もなんでそんな事をと思っているので、黒ちゃんに対してうまく説明が出来そうにない。


「あの女性の分だけじゃなくて、おりょうさんと頼華ちゃんと、あと何人かには渡してあるけど、黒ちゃんの分の服も作ってあるよ」

「ほんと!? ねえねえ御主人、見せてっ!」


 俺の言葉を聞いて、即座に黒ちゃんが飛びついてきた。


「そりゃ構わないけど……」


(あの女の人の話から矛先が逸れたのは良かったけど……早まったか?)


 自分の分の服という事で、目を輝かせる黒ちゃんの食いつきが半端じゃ無い。里へ戻るまでは言わないままの方が良かったのかもしれないが、既に後の祭りである。


「見せて見せてぇ!」

「仕方ないなぁ……」


 京の北側は大きな道も無く、少し歩くと険しくは無いが山地になるので、前後に関所を出た人達も同じ方向には歩いてこなかったから、今は視界の範囲に人の姿は見えない。


 念の為に目を凝らして周囲を見回して見ても、田んぼと畑の中に小さな家が点在している程度で、動いている家畜の姿は見えるが、家の中にいるのか人の姿は見当たらなかった。


「大丈夫そうだな……はい、これだよ」


 俺は渋々ながらドラウプニールから、黒ちゃん用の衣類の入った布の包みを取り出した。


「なっ、なにこれっ!?」


 俺から受け取った包みを開けもしない内に、黒ちゃんがつぶらな瞳を大きく見開いた。


「何って、黒ちゃんのだよ?」

「あ、あたいの服なんかに、こんなに膨大な(エーテル)を使っちゃったの!?」


 どうやら風呂敷代わりに使っている包んである布までが、過剰な(エーテル)を用いて作られているというのが、ひと目見て黒ちゃんにはわかったようだ。


(まあわかる人が視れば、どういう物なのかは一目瞭然なんだけど……)


 一見すると何の変哲も無い服と下着なのだが、ある程度以上に(エーテル)を操れる人間ならば、衣類の糸の一本一本から、眩い光を放っているように視える事だろう。


「黒ちゃんのだけじゃ無いんだけどね……」


(まあ、普通に考えたら馬鹿げてるよな)


 細さや強度を少し強めた蜘蛛の糸の布ですら、並の包丁や鋏程度では切る事も出来ないのに、ドラウプニールで(エーテル)が無限に供給されるのを利用して、最大パワーを維持しながら作り上げたのが、黒ちゃんの手の中にある衣類と、包んである布なのだ。


「俺のいない場所で大切な人達が危ない目に遭っても、大丈夫なようにって思ってね」


 未だに、里の霧による防御機構でみんなと分断された事に悔いが残っているので、仮に再び各自が孤立してしまうような事態に陥っても、生存性を高めておきたいというのが今回の主眼である。


「た、大切な人って……もしかして、あたいも!?」

「どうして、もしかするのかな……黒ちゃんは勿論、俺にとって大切な人だよ」

「っ!」


 自分では疑問形に思われないように接してきたつもりでいたが、まだ黒ちゃんへの愛情が足りなかったのかもしれない。


(やっぱり、数日間放置したのが良くなかったのかな……)


 などと思わなくも無いが、おりょうさんと頼華ちゃんの前に、黒ちゃんと白ちゃんとは一緒に過ごしたので、放置と言う程では無い、と思いたい。 


「いっ、今すぐ着るっ!」


 そんな事を考えていたら、いきなり黒ちゃんが着物を脱ぎだした。


 普通に街中で年頃の女の子が着ているような着物は、(エーテル)で構成されている物では無く、俺が那古野で買ってあげた物だ。


「ちょっ!? 黒ちゃん、周りに人がいないからって、駄目だってば!」


 全方位をカバーは出来ないが、俺は羽織っていた外套を左右の手で持ち上げて、黒ちゃんを包み込むようにした。


「でもぉ……」


 帯を解いて半脱ぎ状態になっているが、なんとか言い聞かせて黒ちゃんを踏み留まらせた。


「確かに、黒ちゃんに着て貰う為に作った服だけど……今は俺が一緒なんだから、護ってあげられるでしょ?」

「っ! そ、そうだった……じゃなくって! 御主人を護るのがあたいの役目だよ!」

「黒ちゃんが護ってくれるなら、心強いとは思うけど……」


 何せ源頼光の四天王が出張らなければ、撃退出来なかったのが鵺である。そんな大妖怪を突破して来れるような存在は、数える程しかいないと思う。


「でもなあ、俺はあんまり女の子に戦わせたりしたく無いから」


 そもそも黒ちゃんを突破する以前に、その相手をなんとかするというのが肝要だ。


「お、女の子って……」

 

 黒ちゃんは、ほんのりと朱に染まった両頬を押さえて、身体を左右にくねらせ始めた。


(……女の子ってワードに反応するなら、乱れた着物を直して欲しいなぁ)


 帯が解かれて着物は羽織っているだけの状態なので、襦袢は着ているが束縛から解き放たれた黒ちゃんの豊かな胸が、身体をくねらせる度に派手に左右に揺れる。


 黒ちゃんの身体は(エーテル)で構成されていて、それらしく見えるようになっているだけのはずなのに、慣性に従って大きく揺れる胸の動きは、実に自然な感じに目に映る。


「これからも、手伝って貰ったりはする事はあると思うけどね」


 伊勢で椿屋のおせんさんを助けた時などは、俺一人でも犯人を捕まえるところまでは問題無かったと思うが、切断された指を繋ぐのは時間との勝負だったので、黒ちゃんが一緒にいなければ危なかっただろう。


「おう! 言ってくれれば、なんでもお手伝いするよ!」

「その前に、今は着物を直そうね?」


 所詮は個人用の外套なので、小柄ではあるが黒ちゃんの着付けが乱れた姿を隠すには、ほぼ密着という状態になっているので、早く直して欲しいというのが本音だ。


「えー……このまま着替えちゃ駄目ぇ?」


(う……可愛い)


 上目遣いに甘えた声で黒ちゃんに言われたら、拒絶出来る人間はこの世に何人もいないだろう。


「……まあ、いいよ」


 黒ちゃん用の衣類の存在を教えてしまえば、強い執着を示すのは当たり前といえば当たり前である。


 このまま里に戻るまで黒ちゃんに我慢をさせるのも気の毒なので、仕方無く着替えの許可を出した。


「やったー! だから御主人大好きっ! そいじゃ早速……」

「ああ、俺も好きだよ……って、黒ちゃん駄目だってば! せめてあの木の陰辺りで……」


 密着状態で襦袢の合わせまで解いて、その場で脱ぎ出しそうな勢いの黒ちゃんをなんとか押し留めて、道端に生えている木を示す。


「おう! 早く行こっ!」

「わかったから、引っ張らないで……」


 衣類をはだけさせたまま、自分の胸元に俺の腕を押し付けて黒ちゃんが引っ張っていく。



「はぁぁ……このぱんつって下着も胸当ても服も、すんごく気持ちのいい着心地……御主人、ありがとう!」

「うん……」


 結局、誰か通る人がいるんじゃないかと気が気じゃない俺が外套で隠す中、嬉々として全裸になった黒ちゃんは、下着まで着替えて御機嫌だ。



「ふーん……ドランのとーちゃんの分も作ったんだ」


 黒ちゃんが着替えを済ませてから、ドラウプニールを使う際の注意点や、誰の分の蜘蛛の糸の衣類を作ったのかなどの説明をしながらのんびり歩いた。


 着替える前と同様に、黒ちゃんは俺に腕を絡め、というよりはぶら下がるようにしながら歩いている。


「うん。だからまた近い内に、黒ちゃんと白ちゃんには、江戸と鎌倉へお使いに行って貰おうかと思ってるんだけど」


 外界とを隔てる霧の(とばり)に包まれたので、里まではもう少しだ。


「あたいが行くのは勿論構わないんだけど、御主人も界渡りを使えるんだから、江戸か鎌倉のどっちかには行ってきたら? 頼永や雫にも会った方がいいんでしょ?」

「そうなんだけどね……」


 道中でおりょうさんと頼華ちゃんにプロポーズをした事も打ち明けたので、黒ちゃんに言われてしまった。


 意外な事に、と言っては失礼かもしれないが、プロポーズの件を話しても黒ちゃんは見た目には平静を保っている。


「浦賀から出立する時に、結構派手に見送られちゃったから、ね……」

「あー……」


 あの時点では、まさか俺まで界渡りを使えるようになって、江戸と京を一日で行き来出来るようになるなんて事は想像も出来なかった。


 ここまでの道中で暫く逗留した伊勢にしたって、普通に江戸で暮らしている人間ならば、死ぬまでに一度詣でられればいいというレベルの大旅行であり、道中だって命懸けと言う程大袈裟では無いにしても、決して安全とは言えないのだ。


(頼永様と雫様には、頼華ちゃんは死んだものと思っておくとか言われちゃったしなぁ……)


 出発前にあての無い旅と説明してあったから、頼華ちゃんの御両親が今生の別れみたいに考えてもいたのも良く分かる。


「そいじゃ鎌倉にはあたいが行くよ! ついでに頼華も連れて行こうか?」 

「ああ、それはいいかもね。頼華ちゃんが行きたいって言ったら、そうしてあげて」

「おう!」


 頼華ちゃんが信楽で御両親へのお土産にと買った焼き物なども、本人から渡した方がきっと喜ぶだろう。


 そんな風に黒ちゃんと話をしている内に、霧が薄れて視界が開けてきた。



「兄上ーっ!」

「おっと! ただいま、頼華ちゃん」


 里の管理者の一人である頼華ちゃんは、俺が戻ったのを察知して迎えに来てくれた。勢い良く胸に飛び込んできたのを、そのまま抱きとめる。


「むぅ……」

「黒ちゃん、張り合わないでいいからね?」


 抱きとめた頼華ちゃんが、猫のように俺に頬を擦り付けてくるの見て、黒ちゃんが絡めていた腕に力を込めてくる。


「おかえりなさいませ! 早かったのですね?」

「そうかな? という事は白ちゃん達が戻ってから、そんなに経ってないの?」


 途中で黒ちゃんの着替えもあったし、話をしながらのんびりした歩いたから、早かったと言われるのは妙だ。


「子供達の脚に合わせたようですから、仕方がないでしょう」

「それもそうか」


 里の子供達が普通よりは健脚だとは言っても、まだ成長していないから歩幅が狭いので、考えてみれば時間が掛るのも当たり前だ。


「子供達は?」


 見える範囲には、話題にしている子供達の姿が無い。


「姉上の案内で、各施設を見て回っています」

「そう。さすがはおりょうさんだな」


 様々な施設を設置した人間として、俺自身で案内したい気持ちもあったのだが、気の利くおりょうさんは夕食までの時間を利用してくれたみたいだ。


「夕食の支度は?」


 頼華ちゃんが胸元の布を掴んでいるので、下ろさずに抱き上げたままで歩き始めた。腕を絡めている黒ちゃんも続く。


「余が飯を炊いて、姉上がヤマドリと野菜の汁を作りました!」

「良くやってくれたね。後は俺が買ってきた惣菜や漬物で間に合いそうだな」


 頼華ちゃんの炊飯には少し心配があるが、おりょうさんが監督していただろうから、多分問題は無いだろう。


(ヤマドリは初めて食べるな……どんな味だろう?)


 鴨は食べた事があるが、元の世界では養殖されている雉くらいならともかく、ヤマドリとなると猟師の知り合いでもいなければ口に入る物では無い。


 ヤマドリの味は野鳥の中でも最高と聞いているし、調理担当はおりょうさんなので、夕食は相当に期待をして良さそうだ。


「頼華ちゃん、夕霧さんと白ちゃんは?」

「厨房で、レンノール殿とブルム殿のお相手をしております」

「成る程。じゃあ俺達も厨房へ行こうか」


 俺が行けば子供達が騒ぎ始めるかもしれない。そうなると施設の見学どころじゃ無くなってしまう。


「はい!」

「おう!」


(……厨房が応接室代わりってままなのも、良くないかな?)


 頼華ちゃんと黒ちゃんと共に厨房へ向けて歩きながら、そんな事を考えた。


 今までは少人数でゲルや食堂を使うのは落ち着かないので、適度な広さで料理を出し易い厨房を利用していたのだが、レンノールやブルムさんなどの親しい人を除けば、外来のお客をもてなすのには適さないだろう。


(そうなると……ゲルを何とかするしか無いかな?)


 ゲルの調度を整えて応接に使えるようにするか、さもなくばゲルを撤去して、新たな応接間の入った建物をというのが現実的だろう。


(使い勝手を考えるとゲルを撤去して二階建てにして……一階を応接室と集会所、二階をゲストルームとかにするって感じかな? でもこれは、みんなと相談してからだな)


 里で最初の施設がゲルなので、子供達には愛着が大きいかもしれない。だとしたら、無理にゲルを撤去する方向で考える事も無いだろう。



「ただ今戻りました」

「ただいまー!」

「「「おかえりなさい」」」


 厨房の扉を開けて中に入ると、レンノールとブルムさんと夕霧さんが迎えてくれた。


「おかえり、主殿」

「お、おかえりなさいませ、しゅじん!」

「あれ? お糸ちゃん?」


 厨房の作業台を囲んで座っている面々の向こう側で、踏み台に乗ったお糸ちゃんが俺達の方に振り返って頭を下げ、その隣に白ちゃんが立っている。


「お糸ちゃんは、みんなと一緒に行かなかったの?」

「は、はい! あとでいくらでもみられますし! それよりは料理のお勉強を……だめでしたか?」

「そんな事は無いよ」


 集団行動をしなかった事を俺が咎めるのかと思っていたお糸ちゃんは、少し不安そうな表情をしている。


「そういう訳で、俺が面倒を見るように言われてな」

「し、白姐様には、御迷惑をお掛けします!」

「別に迷惑じゃ無い。気にするな」


 ひたすら恐縮するお糸ちゃんを慈しむように、白ちゃんがそっと頭を撫でる。


(成る程なぁ……さすがはおりょうさん)


 白ちゃんも料理は出来るが、腕前で言えば夕霧さんの方が上である。


 それなのに白ちゃんをお糸ちゃんのサポートに付けたのは料理以外の、例えば鍋をひっくり返したり、包丁で指を切ったりなどのトラブルが発生した場合の対処を考えたのだろう。


「どれ、ちょっと見てあげようか……頼華ちゃん、黒ちゃん、そろそろ開放して欲しいんだけど?」


 御機嫌で抱きついている頼華ちゃんと、腕にぶら下がっている黒ちゃんに注意した。


 甘えられて悪い気はしないが、一応はお糸ちゃんの上位者なので、少しは自覚を持って欲しい。


「仕方無いですねぇ」

「仕方無いなぁ」

「仕方無くなんだ……」


 何故か二人共、不満気では無く自慢気に呟きながら、俺から離れて空いているベンチに着席した。


「ちょっと見せてね」

「は、はいっ!」


 鍋を覗き込むと丁寧にアク取りをしたようで、澄んだ汁の中で根菜類と共にヤマドリの物らしい肉が煮えて、いい匂いが漂っている。


「姐さんが言うにはガラで出汁を取って、少量の塩と酒だけで煮込んであるそうだ」

「味付けはこれから?」

「うむ」


 白ちゃんの言う少量の塩というのは味付けでは無く、ヤマドリの肉と野菜から味を引き出すと同時に、必要以上の味の流出を防ぐ為の物だ。


「お、おりょう姐さんがあたしに、味を付けろって仰ったんですけど……」

「そっか」


(おりょうさん、中々スパルタだな……)


 ヤマドリは旨味は強いが癖が少ないので、前にお糸ちゃんに手伝って貰った猪の汁の時のように味噌で味付けをすると、素材の持ち味を台無しにしてしまうかもしれない。


 それがわかっているのか、お糸ちゃんは怯えるような表情で俺を見つめてくる。


「大丈夫だよ。味付けは塩と醤油でいいかな……それじゃ先ずは塩を入れてみようか。やって御覧」

「は、はいっ!」


 俺が塩の入った小さな瓶を差し出すと、お糸ちゃんは小さな手で持った木の匙で一杯分の塩を鍋に投入した。


「そうそう。よーく掻き混ぜて塩を溶かして、冷ましてから味見をしてね」


 塩が全体に行き渡っていなかったり、熱いままで味見をすると加減を間違えるので、お糸ちゃんへしっかりと注意した。


 お糸ちゃんは俺の指示に従って、お玉でゆっくりと、そして念入りに鍋の中身を掻き混ぜた。


「ん……ま、まだ薄いです!」


 小皿に少し汁を取って、ふーふーと息を吹きかけて冷ましてから味見をしたお糸ちゃんは、少し自信が無さそうだが、それでもはっきりと言い切った。


「うん……そうだね。薄いね」


 お糸ちゃんからお玉と小皿を受け取って、俺も一口味見をしてみたが、まだ微かに塩を感じる程度だ。


「それじゃもう少し入れてみようか」

「はいっ! んしょ……」


 俺が言うと、お糸ちゃんは追加で塩を投入した。


「うわぁ……凄くおいしくなりました! でも、まだ薄いような……」


 微妙な緊張感が漂っていたが、味見の汁を口にした瞬間、お糸ちゃんの意識は完全に料理に移行したようで、しっかりと口の中で分析した結果を言葉にした。


「うん、良くなってきたね」


 まだ薄いが、今度ははっきりと塩味を感じられ、肉と野菜の味とをまとめ上げて、単なる煮込んだだけの物から料理になっている。


「それじゃ仕上げに……」


 旨味調味料でもあり、香りと色も追加してくれる薄口醤油を鍋の中に少量掛け回す。


「わぁぁ……さっきまでもいい香りでしたけど、もっといい香りになりました! 主人! まるで魔法みたいです!」


 鍋を覗き込んでいたお糸ちゃんは香りを一杯に吸い込むと、興奮したように目を見開いて俺を見る。


「魔法は大袈裟だなぁ……さあ、最後の味見だよ」


 澄んでいるが綺麗に色と香りのついたヤマドリの汁を小皿に取り、十分に冷ましてからお糸ちゃんに手渡した。


「はいっ! はぁぁ……おいしぃー……」


(な、なんかお糸ちゃん、可愛いって言うよりは……)


 幼いが整った顔立ちをしているお糸ちゃんが、ヤマドリの汁を味見して破顔すると、可愛らしさの中に微妙に色気のような物を感じる。


「後は葱でも……」


 内心の同様を隠しながら、俺は京で目についた関東との白い葱とは違う、全体が緑色の葱を洗って手早く刻むと、鍋の中に散らした。


「凄いですっ! 更に香りが良くなって、緑色も綺麗ですっ!」

「葱と鳥の肉は、良く合うからね」


(お糸ちゃん、本当に可愛いなぁ……)


 自分のする事の何にでも感心、感激してくれるお糸ちゃんの反応を見ていると、自然と笑顔になってしまう。


「鈴白さん、そうしておられると、まるで糸殿と親子のように見えますなぁ」

「えー……せいぜいが兄妹くらいにしておいて下さいよ」


 ブルムさんに、冷やかすように言われて苦笑する。


「しゅ、主人の子……妹……」

「お糸ちゃん?」


 どうやら俺と親子や兄妹と言われるのは、お糸ちゃんにとっては褒め言葉だったらしく、両手を赤く染まった頬に当てて嬉しそうにしている。


「成る程……傍に立つ白殿も含めて、親子のように見えますなぁ」


 ビキッ!


「「「……」」」」

「あ、あれ? 私なにか、不味い事を言いましたかな?」


 厨房内の空気が固まる音が聞こえたような気がした瞬間から、頼華ちゃん、黒ちゃん、夕霧さんの周囲の空気が、ドラウプニールを使った時のように低下しているように感じる。


「ふ、ふふ……主殿と糸と俺で、親子、か……ふふ……」


 対象的に白ちゃんの周囲は温かな雰囲気に満たされ、平静を保とうと努力しているが、どうやっても緩む口元を抑えきれない様子だ。


「あ、兄上っ! 余もお手伝い致します!」

「あ、あたいも! 肉焼く!?」

「良太さぁん。お茶をお淹れしますねぇ」

「いや、あの……」


 レンノールの空気を読まない発言によって、頼華ちゃんと黒ちゃんと夕霧さんが、猛烈な勢いでアピールを始めてしまった。


「ただいまー……どうしたんだい?」

「「「ただいまー。あー、しゅじんー!」」」


 里の中の施設の案内を終えて帰ってきたおりょうさんと、俺の顔を見た子供達が群がってきてくれたお蔭で、なんとか状況を有耶無耶にする事が出来たのだった。

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