鍛冶作業
「良さんよ」
「はい?」
朝食の席で、正恒さんが俺に話しかけてきた。今朝の献立はご飯に、正恒さんが採って乾燥させてあったゼンマイの味噌汁に大根の漬物、それとおりょうさんにお願いして、昨日作ったソーセージを茹でてもらった。
「今日は俺の作業を手伝ってもらえるかい?」
「それは構いませんけど、俺に出来ますかね」
多分手伝いというのは鍛冶の作業だろうけど、力仕事や単純な作業じゃなければあまり自信が無い。
「材料の上拵えは済んでるから、良さんには手本を見せてから……あとはその場で指示するよ」
「素材を台無しにしちゃわないか心配なんですが……」
「まあ今回は、腕を鈍らせないように用意しといたのを、嘉兵衛の依頼に使うだけだから、失敗しても気にする事は無いさ。やり直しになると、ちょっと時間が掛かるがな」
「結構、責任重大じゃないですか……」
材料の下拵えというのは、焼きを入れた鋼を砕いて選別し、刃物の各部の用途別に集めて熱し、数回の折り重ね鍛造までを終えた段階。
下拵えした鋼を再び砕いて鉄片にし、これを鋼の成分が適切になるように配合し、再び熱して折り重ね鍛造を行う。ここまでの工程が上拵え。という説明を正恒さんがしてくれた。
「もう少し正確に言うと、棟、心、刃、側っていう、刃物の各部に用いる鋼を鍛接した段階まで作業してあるんで、手伝って欲しいのは、これを打ち延ばして形を作り、長さと形を整えるのに切る工程だ。焼入れは夜になってからやる」
「焼入れを夜やるというのは?」
詳しい知識が無く、打ち延ばしたら一気に焼入れまでしてしまうのかと思っていたのと、電気に頼るのではない照明はあるが、夜に作業を行うメリットがわからなかったので、正恒さんに訊いてみた。
「焼入れをする時に、火床に入れてある刀身全体の色で熱の回りを確認するんだ。だから些細な変化を見逃さないように、焼入れは新月の晩にやるんだよ」
「成る程……」
俺が目で見て色の変化がわかるのかどうか……でも、その辺は正恒さんが指示してくれるんだろう。
「俺は正恒さんの言う通りに動きますから、こき使って下さい」
「おう、じゃあ今回は楽させて貰うぜ。それと姐さん、すまねえんだが……」
「なんだい?」
正恒さんが、おりょうさんを見ながら難しい顔をしている。何かあるのかな?
「鍛冶の神様の金屋子様ってのは女神様でな、仕事場に女がいるのを嫌うんだよ。俺自身は気にしなくても、金屋子様の機嫌を損なうと、何が起こるかわかんねえんで、作業中は外にいてほしいんだ」
「そういうことかい。だったら、あたしは畑の面倒でも見させてもらうよ」
相手が神様だからという事で、おりょうさんも素直に聞き入れてくれたみたいだ。
「昼には一段落するんだろう?」
「ああ。昼飯くらいはゆっくり食いてえしな」
もしかしたらぶっ通し作業かとも思っていたが、あんまり疲れなくなった俺と違って、正恒さんには当然、休憩も必要だろう。
「そいじゃ、あたしはそれまでのんびり過ごさせてもらうよ」
「そうですね。なんか慌ただしい状況が続いてたし」
「あはは。それじゃあ、食後に優雅に風呂と洒落込もうかね」
笑いながら、おりょうさんは食器を片付けて運んでいった。
「じゃあ良さん、やろうか?」
「あ。その前に、昨日の熊をなんとかしちゃいませんか?」
「言われてみれば、川に沈めたまんまだったな」
結局、熊の皮剥ぎと肉の選別をしたので、作業開始は朝食後、一時間ほど経ってからになった。
「まずは、作業の前に……」
正恒さんは作業場の隅に作られた小さな祭壇に手を合わせ、置いてあった盃に酒を注いだ。正しい様式は知らないが、俺も祭壇に向かって手を合わせて目を瞑る。
「次は火床の準備だが、良さん、お前さんも少し協力してくれ」
「どうすれば?」
「俺が火を入れて炭を熾すから、炭火が安定するように想念しながら『気』を送り込んでくれ」
「わかりました」
正恒さんが、手のひらに灯らせた炎を細かい木切れに移すと、直ぐに燃え上がった。炎の勢いが強まったところで、木炭を少しずつくべていく。
「……」
正恒さんが、無言でゆっくりとふいごを動かし始めると、空気を送り込まれた炭が、鮮やかな赤い炎に染まる。
「そろそろいいだろう。それじゃ良さん、頼むわ」
「わかりました」
空気を送り込まれた時の燃える色を思い浮かべながら、正恒さんの指示通りに炭へ「気」を送り込む。加減がわからないので、出来る限り強く。
「よし。良さん、そんなもんでいい。それ以上やると、火床が壊れちまいそうだ」
正恒さんが苦笑しながら、俺の肩をポンと叩いた。気を送り込むことに集中していたので変化がわからなかったが、火床の中の炭は白というか金というか、見たことが無いような色になっている。
かなりの量の気を送り込んだと思うが、特に疲労感や喪失感みたいなものは感じられない。
「それじゃあ、形が単純な鰻裂きからやるか」
ヤットコという工具で鋼材を掴み、炉にくべて暫く待って、十分に鋼が熱せられたのを確認した正恒さんは、鋼材を火床から取り出した。
「すげぇ速さで鋼の色が変わりやがったな……まずは叩き延ばす。やってみな」
「はい」
ヤットコで掴まれている根元の方から、赤熱している鋼を金槌で叩くと、火の粉が飛び散った。特に注意されないので、徐々に根元の方から先に向けて叩く場所を変えていく。
「初めてとは思えねえな。その調子で叩いてくれ。厚みが丁度良くなったら止める!」
「はい!」
槌音に負けない大声で正恒さんに返事をした。火床と鋼材の熱さで、少しの間忘れていた、汗が吹き出すのを自覚する。
「よし、そこまで」
正恒さんの指示で、槌で打つのを止める。
「特に幅と厚みを直す必要は無さそうだから、ここで切っちまおう」
幅の広いたがねで、鰻裂きに適した角度で先端を叩き切る。何故だか、切る箇所に白い線のようなものがくっきりと見えていたので、俺はその線に従って幅の広いタガネを打ち込み、鋼材を切り離した。
「こっからは、小さい槌で刃に角度をつけるように打っていく。少しやって見せよう」
刃になる部分の鋼を、正恒さんが慎重に叩いていく。素人のお俺が打ったにしては厚みが均一に近かった鋼材が、角度をつけられて刃物らしくなっていく。
「ほい。刃の部分半分と、先端の部分を叩いてみな」
「はい」
槌を渡された俺は、正恒さんが作った角度に合わせて、残りの刃になる部分を叩いていく。
「これでいいですか?」
自分の分かる範囲では、角度をつけて叩いて刃にする部分の加工は終わった思うので、正恒さんに確認した。
「……うん。いいんじゃねえか。しかし良さん、あんた初めてでこれだけ出来りゃ、鍛冶屋でも食っていけるぜ」
「そんな……」
お世辞だろうが、正恒さんが褒めてくれたのは嬉しい。
「こっから先は俺がやろう」
形が出来上がった鰻裂きを火床に入れ、色が変わるまで熱してから除冷し、目の粗い砥石を掛けてから槌で少し叩き、鉄を削る専用のかんなで表面の凹凸を無くしていく。
表面を少し研いで傷を無くし、残っている汚れを取り除くと、焼入れに至る以前の工程が完了するという事だ。一応、手順は覚えたつもりだが、研ぎなんかやった事が無いから、上手く出来るか心配だ。
「次の柳刃は少し形を作るのが面倒だから、一休みしようか」
「はい」
俺と正恒さんは汗を拭きながら、小上がりの板の間の端に移動して腰を降ろした。そこには、予め淹れて冷ました熊笹茶が湯呑みに注がれていた。
「こいつは気が利いてるな。良さん、さっさとあの姐さんを嫁にしちまえよ」
「そんな、正恒さん……」
「先に誰かの嫁になっちまったら、後悔するんじゃねえのか?」
「あー……」
自分の気持ちがイマイチはっきりとはしないが、おりょうさんが他の男性と結ばれる可能性を指摘されると、少し気持ちが乱れるのを自覚する。
「まあ、明日とか明後日にって事は無いだろうけど、気持ちを確認しておいた方がいいのは間違いないと思うがね」
「そうですね……」
「さあ良さん、次の作業するから、気分を切り替えてくれ。って、そう言われても困るよな?」
「……少しだけ、待って下さい」
俺は座ったまま目を閉じると、無心になろうとすると雑念が交じるので、さっきの火床の中の炎を思い浮かべ、少しずつ赤から白、そして金色に変化する様を想念しながら集中する。
「……もう、大丈夫です」
「うん。その顔つきを見ればわかるよ」
微笑んだ政経さんと共に立ち上がり、作業場へ歩く。
「あー……良さんの『気』で、温度は安定してふいごを何度も使わないで良くなったが、炭が燃え尽きるのが早まるのか……」
正恒さんの視線の先では、変わらず金色になって熾っている炭が見えるが、その大きさは元の半分以下になり、今にも崩れそうだ。
正恒さんが新たに炭をくべて、ふいごを使って真っ赤に熾していく。
「良さん、もう一度頼まぁ」
「わかりました」
俺は火床に気を送り込む。少し集中してからだからなのか、さっきよりも短時間で炭の色が金色に変化していった。
「大したもんだな……よし、それじゃあ、本当は柳刃は刀よりは単純な形なんだが、この後の刀の練習も兼ねて、切っ先と厚み以外は、刀と同じ形の加工をしてみようか」
「わかりました」
硬さや性質の違う鋼材を組み合わせて形作る和包丁は、基本構造は刀と同じだが、当たり前だが形は異なっている。
「特に包丁は、峰の部分は角度をつける加工は要らないんだが、こいつは刀と同じにする」
さっきまでと同じく熱した鋼材を、今度は柳刃なので鰻裂きよりも長く延ばす。タガネで切り取る先端の角度も違う。また見えた白い線をガイドに、今回は切っ先を三角形に切り取る。
「ここまではいいな。次に峰、刀で言えば棟の方を、三角形になるように形作りながら叩く」
正恒さんがお手本で、裏返したりしながら峰になる部分を叩いていく。刃の側とは違い、三角形の角度は鈍角だ。
「そいじゃ、残りはやってみな」
「はい」
正恒さんから返された槌で、半分くらい形作られた峰を、出来るだけ同じ角度になるように叩く。なんとなく、叩く時の力加減がわかった気がして、俺はその感覚に従って槌を振り下ろす。
鋼材に出来上がりの形状が浮かび上がっているように見えるので、その形になるように鋼材の置き方や槌の打つ面の角度を変えて、浮かび上がる形状になるように整形していく。
「よーし、上出来だ。刃が付く方は、さっきやったからわかるな? 切っ先辺りは難しいから、そこは俺がやろう」
「わかりました」
包丁の身幅の中ほどくらいから、刃になる方へ角度をつけて叩いていく。峰側とは違い、鋭角になるようにする。ほぼイメージ通りの形にする事が出来た。
「うん、いいな。じゃあこっからは俺が。刃の反りが先端の方にあるから、そこを緩やかな弧を描くように……」
切っ先に向かう弧を描く刃の部分を、正恒さんが丁寧に叩いて仕上げていく。叩き終わると、鰻裂きと同様に熱を入れてから研ぐ作業を、今度は俺がやった。
「よし。研ぎの方も問題無さそうだな」
慎重に作業したので、なんとか正恒さんからは合格点を貰えたようだ。
「とりあえずはここまでだな。さて、飯にしようか」
「はい」
柳刃の焼入れ前までの加工が終わったので、一度作業を中断した。すると、家の木戸がドンドンと叩かれた。
「槌音が途絶えたけど、作業は終ったかい?」
外から、おりょうさんが中に呼びかけてきた。
「おっと、姐さんを外に追い出したまんまだったな」
正恒さんが駆け出して、閉めてあった木戸を開けると、おりょうさんが手に釣り竿と藁で編んだ魚籠を持って入ってきた。
「進藤の旦那、釣り道具を借りたよ」
「そりゃ構わねぇけど、なんか釣れたかい?」
「ああ。アマゴが何匹かね」
竿を立てかけたおりょうさんが、魚籠の中を見せてくれると、アマゴが十匹くらい入っている。大漁だな。
「昼はこれを焼いて、あとはどうしようかね……」
「じゃあ俺も少し手伝いますよ」
「あんた、疲れているんじゃないのかい?」
「大丈夫です」
おりょうさんが心配そうに俺を見るが、汗はかいたが疲れは感じていない。
「良さん、何を作るんだい?」
汗を拭きながら、正恒さんが訊いてきた。
「チャー……えっと、焼き飯でも作ろうかなって」
「飯を焼くのか?」
「焼くというか、油で炒めるんですけどね」
肉はあるし、猪のラードも醤油もあるので作ってみたくなったのだ。卵と葱が無いのが残念だが。後はスープも作れるか。
「おりょうさん、魚以外は任せて下さい」
「わかったけど、あんまり無理して、凝った物作るんじゃないよ?」
「はい」
チャーハンの前に、肉から外した猪の骨を鍋に入れて、水を張って火に掛ける。アクを取りながら煮立てて、塩、醤油、酒で味付け。具はラードの副産物の油かすと、刻んだ芹を少し浮かべればいいだろう。
チャーハンの方は、ラードで細かく刻んだ猪の肉を鍋で炒めて、色が変わったらご飯を投入。塩と、軽く酒を振って、仕上げに醤油を入れて色が均等になるまで炒めて完成。中華鍋やフライパンじゃなかったので扱いづらかったけど、なんとか出来た。
「魚、焼けたよ」
「こっちも出来ました」
こんがりと色良く、おりょうさんが魚を焼き上げたタイミングで、俺の調理も完了した。
「こりゃ変わってんな……」
「良太ぁ、なんかこれ、獣臭い……」
正恒さんの方は、見た目が変わっている事を気にしているだけのようだが、おりょうさんは猪の骨を煮込んで出汁を取ったスープの、嗅ぎ慣れない匂いに抵抗があるようだ。
「アクは取って、匂いを和らげるのに芹を入れたんですけど……口に合わないようでしたら、残して下さい」
現代日本でも、骨が崩れるほど煮込んだ豚骨スープとかは苦手な人もいるから、肉料理のバリエーションが少なそうなこの地域の住人のおりょうさんが、匂いや味を受け付けなくても仕方のないことだろう。
「でもまあ、せっかく良太が作ってくれたんだから、一口くらいは……あれ? 口に入れると、そんなに匂いが気にならないね」
「おお、良さん、こいつは少しクセはあるが、なんか元気が出そうな味だな! この浮かんでる具、油かすって言ったか? こいつも汁を吸い込んで面白い食感になっててうまいぜ。俺は気に入った。この焼き飯ってのもうまい!」
おっかなびっくり口に運んだおりょうさんだったが、味自体は悪く感じなかったようだ。正恒さんの方は、旺盛な食欲でチャーハンの方も平らげていく。
「へえ。アマゴって今まで食べた事無かったけど、上品な白身でおいしいですね」
俺も皮がパリパリに焼き上げられた、塩だけの味付けなのに凄くうまいアマゴを食べながら、合間にチャーハンとスープを口に運ぶ。家でチャーハンを作る時は植物油だったが、料理によってはラードは風味とコクが出ていいな。
「気に入ったんなら、アマゴはまだあるから、晩御飯の時に焼くかい?」
「夕食は、ダメになっちゃう前に、鹿の肉以外のところを食べちゃおうかと思うんですけど」
「良さん、肉以外っつーと?」
「えーっと、心臓、肝臓、それに舌ですね」
「えー……」
「あとは脳みそだな」
あからさまに、おりょうさんが嫌そうな顔をする。
「姐さん、無理にとは言わないが、鹿の心臓とかは、うまいんだぜ」
「それに、切って塩でも振れば食べられるので、支度も片付けも楽なんですよ」
「うー……はぁ。じゃあ、米だけ研いで用意しといたら、あたしはまた外に出てるから」
口をへの字にして唸った後、観念したようにおりょうさんが溜め息を吐きながら言った。
「すいません。でも出来れば、野菜が少なめだから、なんか汁物でもお願いできますか?」
「もう。しょうがないねぇ……」
言葉とは裏腹に、おりょうさんは嬉しそうに、昼食の食器類を片付け始めた。
「それじゃ、あたしはまた、適当に外で過ごしてるよ」
「姐さん、すまねえな」
「おりょうさん、また後で」
笑顔で手を振りながら、おりょうさんが外に出て木戸を閉めた。
「さて良さん、次を始めるか」
「そうですね」
正恒さんに続いて立ち上がり、作業場へ向かおうかとしたところで、家の外からの異様な気配に体の動きが停まった。
「良さん、どうした?」
正恒さんは気が付かないようだが、俺が感じた気配は殺気とでも呼ぶような剣呑な物に切り替わり、膨れ上がった。外にはおりょうさんが……。
「おりょうさん!」
「良さん!?」
俺が木戸の方へ駆け出したのに驚いた正恒さんが声を掛けてくるが、今は気にしていられない。
「っ!?」
俺が木戸を開けようとした瞬間、轟音と共に木戸が家の中に向かって飛び込んできた。反射的に躱した俺の目に写ったのは、木戸ごと家の中に転がったおりょうさんの姿だった。
「う……」
「おりょうさん!!」
見ればおりょうさんは、腕にかなり深い、切り傷とみられる怪我を負っている。
「くっ!」
駆け寄った俺は、おりょうさんの切り傷を塞ぐように手を当てると、思いっきり気を送り込んだ。苦痛に歪んでいたおりょうさんの表情が少しずつ落ち着き、流血が弱まる。
「どうした娘よ。そこまでか?」
家の外から、おそらくは少女と思われる、高く澄んだ声が聞こえてくる。おそらく、この声の主が……。
「良さん、姐さんは俺に任せな」
「……頼みます」
俺はおりょうさんの出血が止まり、意識は無いようだが落ち着いたのを確認すると、立ち上がって外へ向かう。
「おや、さっきの娘とは違うのが出てきおったか?」
家の外に立っていたのは、長く艶やかな髪を首の後で束ね、幼いが整った容貌を持つ、おそらくは俺よりも年下の、血の滴る長い刀を持った少女だった。




