俺は死んだのか、と思ったら?
そこは、何も無い空間だった。
「えっと……」
「あ、意識はハッキリしてますか? ご気分とか悪かったりしませんか、リョータ・スズシロ様?」
何も無かった部屋の中に、可愛らしい女の子? であろう、良く通る涼やかな声で俺は自分の名前を呼ばれた。
「あ、はい。気分は悪くないんですけど……ここは?」
「ここはですねー、現し世と死後の世界の中間の場所と言いましょうか。そんな感じの場所です!」
俺の問いに答えて、誰もいなかったはずなのに、いつの間にか目の前に声の主らしい、身長三十センチくらいの女の子が浮かんでいた。服装はゆったりとしたドレスみたいな感じだ。
小さくてもわかる美しい顔立ちは明らかに欧米系で、寒い地方の出身と思われる抜けるような白い肌をしている。
髪は一見すると白や銀に見間違えそうな色をしていて、所謂プラチナブロンドというやつだろう。瞳の色は明るいグリーンで、見ていると吸い込まれそうな印象を受ける。
小さい上に、見た目からでは外国人の年齢は判断が難しいのだが、俺と同い年くらいなんだろうか? もっとも物腰は落ち着いて見えるので、もしかしたら凄く歳上なのかもしれない。
「あー……これはもしかして、俺って死んじゃったんですか?」
今居るこの場所は良くラノベなどで出てくる、あの世とか異世界などへの転生の際に立ち寄る、そういう部屋とか空間に思えるのだ。
「はい。スズシロ様が今まで生きてきた世界においては、死んでしまったという事になります」
「はぁ……」
死んでしまったと聞かされてショックを受けはしたのだが、自分でも意外な程に心が乱されず、気の抜けたような返事を女性にした。
「あの、もしかしてなんですけど、俺が今まで生きていた世界でって事は、厳密には死んでないんですか?」
「そういう認識で間違いありません。その証拠に、お身体の方はそのままです。それとも、どこかに違和感でもありますか?」
彼女にそう言われて、軽く身体の各部を手で触ってみたりして確かめるが、触った手にも触られた部分にも実感があるし、特に問題がありそうには思えない。
「じゃあ、俺はこれからどうなるんですか?」
目の前の彼女に、当たり前といえば当たり前過ぎる質問をする。
「えっとですね、非常に申し上げにくいんですが、今回はこちらの手違いでこういう状況になってしまいまして……」
「は? 手違い?」
「そ、そうなんですよ……あ、申し遅れました。私の事は、ヴァナとお呼び下さい」
気まずそうに、目の前のヴァナさんと名乗った人? は、視線を彷徨わせる。
「あ、じゃあ俺の事も、名字じゃなくて名前の方の良太って呼んで下さい」
「わかりました、リョータ様。それでですね、実はまだリョータ様は、寿命で亡くなられる予定では無かったんです……あと八十年くらいは」
「そうですか……それで?」
「あ、あれ? 結構、落ち着いてらっしゃいますね?」
俺の反応に、彼女、ヴァナさんは怪訝な表情をする。まあ当然か。
「ああ、十分混乱はしてますよ。ただ、現状を正しく認識していない内に取り乱しても、仕方ないですから」
「そ、そうですか」
俺の返答はヴァナさんのお気に召さなかったようで、怪訝そうな表情を変えないまま、ジト目でこっちを見てくる。引け目があるから下手に出てるように振る舞ってたのは、もしかしたら猫を被ってたのかなと思ってしまう、そんな態度だ。
「えっと、説明の続きをお願いできますか?」
「あっ! そ、そうですね! 実は、リョータ様と同姓同名で、魂の色まで良く似ている方がいらっしゃいまして」
魂に色があるのかと思ったが、今はそこは重要じゃないのでスルーした。
「その人が先に亡くなるはずだったのに、俺が、と?」
「そ、そういう事になります。ご理解が早くて助かります。本当に、申し訳ありませんッ!」
謝罪の言葉を口にしながら、ヴァナさんは宙に浮いたまま頭を下げる。
(でも、そっか……高校入学一週間目で、童貞喪失もしないで死んだのは、ちょっと残念だな)
中学生の時に一応、男女交際はした事があった。しかし一年もしない内に別れた。理由としては趣味の不一致というやつだった。
付き合っていた相手は今風な思考をする子だったので、軽い気分で付き合い始めて、軽い気分で別れ話を切り出してきたのだ。
自分で言うのもなんだが見た目はそれほど悪くないと思うし、勉強の方は上の下くらいの成績で、運動もそこそこで空気を読むのも下手では無い。
ただ、俺の趣味が少しオタク寄りだったのが原因と言えば原因かと思うので、ギャルっぽかった彼女には、その辺がお気に召さなかったんだろう。
「……まあ、死んじゃったものは仕方ないですよね。それで、死ぬとみんなこういう説明受けるんですか?」
閻魔大王に生前の行いを問い質されるよりは、ヴァナさんみたいな綺麗な人に面談される方が、嬉しいし気も楽だけど。
「えっ!? ほ、本当に落ち着いてらっしゃいますね。お若いのに」
「そう、ですかね? まあ騒いでも、生き還れる訳じゃ無いでしょうから」
達観と言うか諦めの境地の俺は、ヴァナさんから見ると落ち着いているらしい。
「あ、生き還れますよ」
「……へ?」
さらっと、思いもよらぬ言葉がヴァナさんから返ってきた。
「えっとですね、正確にはこの場からすぐに、生き還るという事は出来ないのです」
「ん? それはどういう」
「手続き上の問題と言いましょうか……こちらの手違いとは言え、死んでしまった方を、即時生還というのは出来ないのです。ですので、一度死んだ方が行く世界へ行って頂きまして、その後に生き還って頂くという風に、形式を整えさせて頂く事になります」
これが本来のヴァナさんの業務のようで、非常に流暢に説明をしてくれる。どうやらそういう手順が必要らしいという事はわかった。
「でも、死後の世界? って、生身の身体のままで行けるんですか?」
標準的な日本人の死生観だと、魂が身体から抜け出して、三途の川を渡るのかと思っていたんだが、どうやら違うらしい。
「おそらくそれが、リョータ様の世界にお住まいの方の一般的な認識だと思うんですけど、実は逆なんですよ」
「逆?」
「ええ。リョータ様が今まで暮らしていた物質文明の世界、そちらの方が死後の世界なんです」
「ええっ!?」
ヴァナさんが言うには、どちらの世界でも肉体を持って生活するのは変わらないのだが、本来の世界では
ある程度以上には文明が発達せず、その代わりに身体と精神を使いこなす技術が発達しているらしい。
そして世界の理を司る多神教の神々への信仰によって信者へ、間接的にではあるが現世利益を与えてくれる世界だというのだ。
神への貢献度や祈りの強さ、神自体の能力や信者の数によっても得られる利益や恩恵は様々で、例えば軍神の信者同士が戦いになった場合、信者数が多い神の方が、より強い恩恵を授けられる。
しかし何事にも限度があり、特に神仏が目をかけている信者に強い恩恵を与える場合もあるので、その分だけ他の信者への恩恵が少なくなるという事もあるのだという。
与えられる恩恵の総量が仮に百だとして、ある信者へ五十を与えてしまえば、残り五十しか他の信者へは分配出来なくなってしまうらしい。
これから行く世界の俺が最初に訪れる場所は、これまで俺が生活をしてきた日本とは似て非なる日本であり、殆ど全ての住人が神道系と仏教系の神々の平信者という扱いになっているらしい。勿論、他の系統の神々の信者もいるし、特定の神だけを奉じている人間もいるとの事。
「ところでリョータ様は、ルネッサンス三大発明はご存知ですか?」
唐突に、ヴァナさんが話を変えてきた。
「えーっと……活版印刷と羅針盤と火薬でしたっけ?」
「博識でいらっしゃいますね。はい、その通りです。これから行って頂く世界の文明レベルは、大体それくらいだと認識して下さい」
「日本で言うと……江戸時代初期くらいですか?」
「文化的には江戸期から明治初期くらいです。ただし、火薬はあるのですが銃や大砲はありません。花火や鉱山の開発みたいな用途以外に使おうとすると不発か、最悪は暴発します」
「それは……」
どうもそういう、なんらかの力が働いているようだ。世界の意思というやつだろうか?
「風車や水車なんかもありますけど、蒸気機関や内燃機関を開発しようとすると……」
「あ、そこまでで」
多分想像通りだろうと思うので、言葉を切ってもらった。
「その代わりと言ってはなんですが、物質文明では有り得ない魔術や妖術、剣術や体術などがあります」
「それってもしかして……」
「リョータ様に分かり易い例えですと……異世界物、みたいな?」
「あー……遂に自分の番が来ちゃったかぁ」
どう考えても非常識な状況だが、意外と落ち着いて説明を聞けているのは、今時だと異世界物の小説やアニメなんかの作品が巷に溢れているからだろうか?
「ところで、死んだ時の状況を覚えていないんですけど、俺の死因ってもしかして、トラックに轢かれたとかですか?」
異世界物のテンプレ、というと聞こえが悪いが、トラックに轢かれて転生、転移というパターンは非常に多い。
「いえいえ、そんな事はありませんよ。リョータ様御自身の部屋で、うたた寝してるみたいな感じです」
「じゃあ急性心不全みたいな?」
「そうですね。実際は原因不明ですけど、心停止していますので」
そういう事か。まあトラックに轢かれて遺体がグチャグチャ、とかになってないだけマシだと思おう。
「それで、具体的にはこれからどうすれば?」
「はい。これから準備を整えて、先ほど説明した世界へお送りします」
「それは、赤ん坊に生まれ変わったりするんじゃないんですね?」
「ええ。通常ですと、そういう風に二つの世界で転生を繰り返して魂を鍛え、昇華したり解脱したりというのを目指すんですけど、今回は今のままのお姿でもう一つの世界に行くことになります」
赤ん坊に生まれ変わって人生やり直しパターンでは無かったようだ。まあそれも良し悪しだからなぁ。なんて、他人事のように考えた。
「元の世界でうたた寝しているような状態と説明したので、既におわかりかもしれませんが、今この場にいらっしゃるリョータ様のお身体の方は、先程元のままと言いましたが、実際にはこれから行く世界に適した身体に、新たに再構成された物になっております」
「あ、そうなんですね。どおりで……」
普段は近視で眼鏡が必要なのに、道理で裸眼でハッキリと物が見える訳だ。再構成される際に、最適化までされているのだろう。
「それで、これから行く世界で死ぬまで過ごすと、元の世界へ還れるって事ですか?」
「お望みならば、そうして頂いても構わないのですが」
ん? どういうことなんだろう。俺はヴァナさんの言葉の続きを待った。
「これから行く世界で、あなた自身が『ここでやりたい事はやった』と思った時点で、一度この場所に立ち寄って頂いてから、元の世界へ送還させて頂きます」
「それは、着いた途端にそう考えても、戻れるって事ですか?」
「はい。それで間違いありません」
さっきの説明で聞いた魂を鍛えるというのは、今回に関しては免除されるみたいだ。
「そう、ですか……ちなみに、時間の経過はどちらの世界でも同じですか?」
「通常はそうなんですが……今回の場合は、お亡くなりになった時間の一秒後に戻れるように調整する事になります。あまり間を空けると、脳へ悪影響が出てしまいますから」
「そんな事が可能なんですか?」
予想外の答えが返ってきた。そういう事なら少しくらい無茶をしても許されそうだな。
「ええ。その代わり、この場と、この後の世界での記憶は無くなりますが」
「じゃあ、ちょっと観光気分で過ごすのも悪くないですね」
魂を鍛えると言うからには、そんなにのんびりした世界とは限らないけど、仮に何かあっても元の世界へ戻るだけなんだし、なんとかなるだろう。それに、死んだというのに不謹慎なようだが、なんとなくワクワクしている。
「そうですか。それでは伺いますが、顕現する場所は、現在のお住いの場所と同じ辺りで宜しいでしょうか?」
ん? なんかヴァナさんが妙な事を言ってきた。
「同じ辺りって、異世界なんですよね?」
「そうなんですが、干拓などで現在では変わってしまった一部の地形以外は、両方の世界の地図は殆ど変わらないと思って下さって結構です」
「なん、だと……」
でも言われてみれば、二つの世界を行き来して魂を鍛えるって事を考えると、人間が住むための環境が大きく違うのは、むしろおかしいのかとも思える。
「その代わり、先程もお話したように文明は発達していませんけど文化レベルは低くなく、地域毎の統治形態や統治者は、リョータ様の知識での歴史年表とは違うと思って下さい」
ああ、銃や大砲が無いんだったら、それらを利用して征服した側の人間が統治してる訳無いか。ヴァナさんの説明を聞いて納得した。
「そうなると、戦争の様式なんかはかなり変わってますよね?」
織田信長の三段撃ちなんて、前提から覆されるから、有り得ない事になるんだろう。馬防柵は有効だろうけど。
「そうなります。これ以上は説明の量が膨大になりますので、実際に現地で見聞きして頂いた上で御確認頂ければと。後ほど、追加での質問もお受けしますので、どうぞ御安心下さい」
「あれ、もしかしてヴァナさんも、一緒に来るんですか?」
「もしお邪魔でしたら、お一人で行かれても構いませんが。どうされます?」
む。四六時中誰かが一緒というのは落ち着かない気もするが、ガイドがいると安心感はあるな……。
「普段は行動を共にせず、呼ばれるまで姿を現さないように、というのも出来ますけど」
それは便利だけど、そうなると困った時に、まずは説明からというのも面倒だな……とりあえずはガイドを頼むか。
「じゃあ慣れない内は一緒に来てもらえますか? 出来れば目立たないように」
「了解しました。目立たないように……人間サイズにもなれますし、透明化してお供する事も出来ますけど?」
透明化! それは便利だな。
「とりあえずは透明化してついて来て下さい。サイズの方は姿を現して欲しい時に指定します」
「それでは私は姿を消した状態で、おはようからお休みまで、リョータ様の暮らしを見つめさせて頂きますので」
どっかの企業のキャッチフレーズみたいな事を、ヴァナさんが言い出した。
「それとですね、これは重要な事なのですが、私は助言は出来るのですが、リョータ様の行動へ直接介入は出来ない事になっているのです」
「それは、仮に俺が、これから行く世界で死ぬような目に遭ったとしても、ヴァナさんは不介入という事ですか?」
「そういう事になります」
行動に関して起こる結果は、自己責任という事か……まあ、それはそういう物だよな。
「わかりました。なるべく慎重に行動しようと思います。ヴァナさんのアドバイスも、聞き逃さないようにしますので、宜しくお願いします」
「畏まりました。それでは一般的な衣服とお金、それとちょっとした道具をお渡ししますので」
ヴァナさんがそう告げると、何も無かったはずの空間が、ロッカールームみたいな場所になった。着替え易い雰囲気作りだろうかと思うが、些かやり過ぎな気がしないでもない。
適当なロッカーの扉を開けると、これから行く世界のスタート地点では一般的らしい、濃紺の衣服がハンガーで吊るされていた。手に取って見てみると、上下セパレートで作務衣に似ている。というより、まんま作務衣だ。当然ながらボタンやファスナーは無い。
ちょっと不安だった下着に関しては、ゴム無しのトランクスのような形の物で、作務衣の下半身用の裾をカットしたような感じだ。なんにせよ、褌じゃないのにホッとした。
前合わせや裾を紐で結んで留めると、不思議な事にちょっとダブついていた肩周りや袖の長さなどが丁度良くなった。見た目には木綿辺りで作られている普通の衣服なんだが、謎の調整機能が搭載されているのかもしれない。
靴の方は、仕方ないのだが足袋と草鞋だ。この類は履き慣れないので靴擦れが心配だが、なんとかなるだろう。
「お着替え終わりましたか? あら、良くお似合いです!」
間違い無くお世辞だろうけど、褒められれば悪い気はしない。
「現代の服と比べて、思ったよりも違和感が無いですね」
「衣類には地域差もあるのですけど、お気に召したのなら何よりです。んしょっと……」
笑顔で何もない空間から、小人サイズのヴァナさんにとっては大きな布袋を引っ張り出した。
「失礼します……ちょっと説明するのに不都合ですので、サイズを変更しますね」
「えっ!?」
呟くと同時に、ポンっと、何かが破裂するような効果音と共に、目の前のヴァナさんが人間サイズになった。身長百七十センチの自分の目の位置からすると、百六十センチというところか?
小さい状態の時には気にも留めなかったが、身体にピッタリした衣装の中には、かなりメリハリの効いたプロポーションが詰め込まれていたのがわかる。
多分だが北欧系と思われるヴァナさんは、ウェストはグッとくびれているが、寒冷地に住む女性らしく腰や胸の辺りは、かなり豊かな丸みを帯びている。
「それではですね……どうかされましたか?」
「い、いえ! 何でも無いです!!」
「そ、そうですか?」
思わずガン見してしまっていたが、すぐに視線を外したので、どうやら気が付かれなかったらしい。
「こんな身体で宜しければ、説明を聞きながら存分に御覧下さい。それでは説明させて頂きますね」
「あ、はい……」
しっかりと、ガン見していた事には気が付かれていたか……かと言って堂々と見るのも気が引けるので、俺は真面目に彼女の説明を聞く事にした。
「では先ずは、こちらが一般的な通貨です」
大きな布袋の中から小さな布の包み、財布を取り出し、中身を手の平の上に出した。和風の世界に行くというから、時代劇で良く見る楕円形の小判を想像していたが、出て来たのは現代の五百円玉くらいの大きさと薄さの金色の硬貨だ。表面には文字や絵が刻印されている。
「これから行く世界でも、物々交換以外は基本的には金本位で取引されています。ですが、金貨は高額通貨なので、かなり大きな取り引きに使う時専用で、日常ではあまり出番はありません」
「成る程」
「その金貨をとりあえずは百枚、用意しました」
「ちょっ!? たった今、高額って言いましたよね!?」
「ええ。ちょっと重いですけど、そこは対策されていますので、ご安心を」
驚いたのは重さに関してでは無いんだが……気を取り直して、説明の続きを聞こう。
「それと、銀貨と銅貨もそれぞれ百枚ずつです。標準的な物価は、お店での食事が銅貨五枚、宿の料金が食事付きで銅貨三十枚という感じです。ちなみに銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚換算です」
江戸時代の、小判一枚が一両で四千文とかいう換算ではないのは、わかり易くて助かる。
それにしても、お詫びの意味もあるんだろうけど凄い額だ……無くさない限りは数年は宿に泊まれるし、食事には困らない訳か。勿論、食事をする場所や宿がある場所なら、だが。
「それと、これから行く世界の最初の国以外は通貨が違う事がありますので、お困りにならないように砂金を用意しました。先にお渡しした金貨の百枚分に相当する量です」
確かに幾らあっても困るものじゃないけど、随分と大盤振る舞いだな。それくらい、俺に関しての手違いっていうのが重大事なんだろうか?
「あとは簡単な野営用品です。火おこし道具に手斧にナタ、細かな作業に使うナイフ代わりの小刀、防水の帆布製の小型の天幕に毛布。後は包丁に鍋などの調理器具です」
ん!? どう考えてもヴァナさんが手に持っている布袋の容量をオーバーしている物品が、取り出されて並べられていく。
「こんなところです。他に必要な物がございましたら、お渡ししたお金で買い足して頂く形で宜しいでしょうか?」
俺が気にしているのとは別の問題で、ヴァナさんが申し訳なさそうに訊いてくる。
「あ、ああ。そうですね。買い足すには十分っぽい額を頂けるみたいですし……あ、図々しいようですけど、衣類は今着ている物だけですか?」
肌着は身に着けているものだけみたいだし、暑かったり寒かったりする場合の衣類は見当たらない。
「ごもっともな疑問です。ですが、実は今お召しになっている衣類は少し特別な物でして……」
「特別、と言いますと?」
ヴァナさんが特別と言うからには、相当に特別な物な気がする。
「その衣類には、防寒、防熱、防汚、撥水、破損自動修復、温度やサイズの調整などの機能が付与がされています」
「それは……魔法の服、みたいな?」
「そんな感じです」
成る程。紐を留めたら身体に馴染んだ感じがしたのはそういう理由か。かなり謎だが、実際そうなんだから納得するしか無いのだろう。
「あと、今後、成長したり成長させたりして頂けると、形態変化もします」
「成長したりさせたり、とは?」
服がという意味かもしれないが、念の為にヴァナさんに訊いておく。
「えっとですね、これから行く世界では、意志力と想像力を直接働かせて、実現出来る事があります」
「はぁ……」
なんか雲を掴むような話だが、既に今の時点で不思議が満ち溢れているから、そこを突っ込むのはナンセンスというものだろう。
「そしてそのお召し物は、意志と想像力を反映して形を変えたり機能を増やしたり出来るんです。勿論、出来ないかもしれませんけど」
「それは……生きてる服という事ですか?」
「服が生命体だったりする訳ではないのですが……あの、優れた職人や芸術家が作った物に、魂が宿るみたいな事を言われるのはわかりますか?」
「なんとなく、ですが……」
有名なのは妖刀とかだよな。お目に掛かった事は無いけど。
「そういう作り手による作品などに、機能が付与されるのです。更に極稀にですが、自然に宿ったりする事もあるのですけど」
要するに、職人がマジックアイテムを作れたり、自然発生したりするのか。そしてこの服はマジックアイテムだと。
「製法は様々ですが、一番わかり易いのは、一流の職人が気合を込めて、方向性を持って作るという形ですね。すると『気』とか、オカルト用語で言う『プラーナ』とか、我々が用いる用語では『エーテル』と呼ばれる物が、物品に乗り移るというか封じられるというか、そんな形で付与されます」
「成る程……あれ、もしかすると、その袋も?」
「これから説明するつもりだったのですが、先回りされちゃいましたね。ええ。これもそうです。機能としましては……」
袋の口から入れられる大きさの物なら、二百キロ程度まで中の空間に収納できるが、実際に感じる重量は五キロ程度にしか感じないという、これまた謎機能である。現在は中身からの推測で二十キロ程度を使用していると思える。
袋には生きている動物などは収納出来ないらしく、どうやら袋の内部の空間内は時間が止まっているようなのだ。
時間が止まっているので、採れたての野菜や水揚げされた魚などを鮮度を落とさずに保管出来て、氷も溶かさないし水も劣化しない。それどころか出来たての料理をそのままの状態で保存し、運搬する事が可能なのだ。
しかし、かなり高機能に感じたこの袋は、これから行く世界では製作可能と説明された。勿論、安価な物では無いみたいだが。
「この衣類と袋が特別な品物だというのはわかりました。そして特別では無い衣類なんかは、頂いたお金で買い足せと」
とりあえずは、貰ったお金をもう少し小分けに出来る財布と、もしもあるなら靴を手に入れたいところだ。足袋と草鞋で歩くのには、少し不安がある。
「お手数ですが、そういう事でお願い致します。それと、これは今回の不祥事のお詫びに……是非、お納め下さい」
そう言いながらヴァナさんが頭を下げながら、両手で捧げるように俺に差し出したのは、鈍い金色の細身の腕輪だった。
「これは?」
「色々と呼び名はあるのですが、ドラウ……ここでは『周天の腕輪』という事で」
「はぁ……」
なんか良くわからないが、言われるままに受け取って手首に通してみる。すると、機能を付与された衣服と同様に、締め付けないくらいの丁度良いサイズにフィットした。
「きっと旅のお役に立つと思います。それではこの腕輪の機能の説明をさせて頂きますね」
この腕輪の機能を使って、さっきの謎袋を更に空間に収納出来るらしい。しかも腕輪の方は、建物なんかの移動不能の物や生きた動物以外は、かなりの大きさの物を百個まで入れる事が可能という凄まじい性能だ。
「家は無理ですが、例えば馬無しの馬車なんかは入れられますよ」
「それはまた……ん? さっきの袋は、中身は関係無く一つという数え方なんですか?」
「その辺りは私の方でも全ては検証出来ていません……例えば本は一冊ですが、本を大量に収納した本棚が一つの可能性は高いです」
かなり御都合主義的な性能だが、この辺は要検証だな。
「ここまでで、この腕輪が非常に便利な物だというのは、おわかり頂けましたか?」
「はい。身軽に旅を出来そうなのは有り難いですね」
「それでは、この腕輪の本来の機能を説明をさせて頂きますね」
「えっ!? この上、まだ何かあるんですか?」
「はい。それはですね……」
この後、これから先の旅で何度も助けて貰う事になる腕輪の機能を、ヴァナさんから聞いて度肝を抜かれるのだった。
「腕輪の機能に関しては、ご理解頂けましたか?」
「なんとか……でも、使うタイミングは難しそうですね」
「そう仰らずに。必要だと思った時には、躊躇い無くお使い下さい」
「……わかりました」
話を聞いた限りでは、どうにも使うのを躊躇われる腕輪に触れてみた。それほど重くないし傷とかも見えないので、材質は金では無さそうだ。
「ちなみにこれって、何で出来てるんですか?」
「製法が失われてしまっているので、その辺も詳しくは不明なんです。オリハルコンとかヒヒイロカネとか、色々と説はあるんですけど……」
「そ、そうですか」
既に不思議の博覧会状態だけど、今度は架空金属か……。
「それと……先程お考えでした、その……き、清いお身体のままで転生されるのがお嫌でしたら、こんな、私程度で宜しければ……」
「なんかとんでもない事を言い出した!?」
ポッと頬を赤らめたヴァナさんが上目遣いに俺の方を見ながら、衣服の前をはだけさせようとしている。
「い、いや、その……あ、ヴァナさんの事はまだ良く知らないし、そんなに切羽詰まってる訳では……」
突然の申し出に焦ってしまい、俺は自分でも良くわからない言い訳をした。そもそも切羽詰まっているどころか、既に死んでいるんだが。
「そ、そうですか? もしも気が変わられましたら、遠慮無くお申し付け下さい」
ヴァナさんはホッとしたような顔をした直後に、少し残念そうな顔で俺をチラッと見た。なんなんだ……。
「じゃあ、これで準備は完了という事ですね?」
俺の方も、実はちょっと惜しい事をしたかな、という思いはあった。そもそも、この場でとか、これから行く世界での経験というのはカウントされるんだろうか? という疑問はあるが……。
「はい。では、直ぐに出発なさいますか?」
「お願いします」
俺は彼女の言葉で、あらぬ方向に行っていた気を取り直した。
「わかりました。それでは私は、姿を消してお側に控えてますので、御用の際はお呼び下さい。言葉に出さず、心の中で思うだけでも大丈夫ですので」
「了解です。頼りにしてますので」
こうして俺は、魂を鍛える場所、死後の世界じゃなくて本来の世界らしい異世界へと旅立った。