そうだ、脱走しよう
「脱走しようと思うんだ」
「やめとけって」
男子寮内、とある一年生の個室。
一人の一年生が真剣な顔でそう言った。この寮での『脱走』とは無断外出のことを指し、重大な違反行為の一つとされている。周囲の一年生たちは夜食のパンを食べながら、話半分に聞く。
「どーせ脱走しようとしたって、玄関の探知魔法に引っかかって終わりだべ」
「だな」
「え、寮の玄関って探知魔法とかかかってたん?」
「それすら知らずにやろうとしてたんかい」
「なんか外に出ようとしたら警報が鳴るらしい。それで役員の先輩たちが追いかけてくる」
「まじかよやべーな」
「寮長は空から飛んでくる」
「あの人、屋根のない所じゃ最強だから」
「でも一年の時高く飛びすぎて自分のライトニングに当たったとか聞いたぞ?」
「よく生きてたな。あ、障壁か」
「馬鹿だわ~」
「はい、寮長にチクりまぁーす」
「まじでやめて。あの人と総務委員長は怒らしたらあかん」
「「「確かに」」」
一年生たちは二歳年上の先輩のことを想像し、小さく震える。
男子寮は縦社会。めったなことは言ってはいけない。言葉に対して返ってくるのが同じ言葉とは限らないから。
「そう言えば何の話だっけ?」
「「「……なんだっけ?」」」
*
「そう、脱走の話っすよ」
「あー、そうだったな」
一年生の一人が、夜食用の菓子パンのホイップクリームを大事そうに頬張る。寮の夜食は菓子パンと総菜パンの二つから選択できる。彼は甘党なので迷うこともなく、菓子パンを選択していた。
「いいなー、俺も菓子パンにすればよかった」
「疲れた時は甘いもんが一番だぜ」
「でも毎日はきつかったりするんだよなー。一ヶ月まとめて注文する制度どうにかならんかなー」
「総務委員長に日ごとに菓子パンと総菜パン、交互に配達してもらえないか相談してみる?」
「いいかも。じゃあ任せた」
「やだよ、おっかねえんだもんあの人。お前が提案して来いよ」
「話聞いてくれる?」
涙目であった。
他の一年生たちはしょうがない、とばかりにため息を吐いてから向き直る。
「で、さ。お前はなんでそうまでして脱走したいわけよ」
「よくぞ聞いてくれた! いやほら、俺の実家ってど田舎じゃん?」
「知らんけど」
「ど田舎なんだよ。それで王都の寮がある学校ってことでここに入ったわけ。憧れの都会ですよ都会。わくわくどきどき都会デビュー」
「うん」
「でもこの学校って、寮に入ったら実習以外でほとんど街に出られないじゃん? まだ未熟な学生たちが校外で問題行動を起こさないように、とかで」
「そだな」
「訓練訓練、また訓練。いや冒険者になりたくて来たし、それはそれでいいんだけど、でもやっぱりさ、街にも興味があるわけよ。特に夜の街!」
「怖いお兄さんに有り金全部巻き上げられるに1ゴールド」(※1ゴールド=約15円)
「やっす」
「お前どうする?」
「じゃあ俺もそっちに1ゴールド」(※1ゴールド=約15円)
「賭けにならんな」
「聞けって! まあそういうわけで、俺は無断外出、いわゆる脱走をしようと決意したわけですよ! 学外実習の報酬200ゴールドを握りしめ!」(200ゴールド=約3000円)
「ビミョーだな、おい」
拳を固く握り、天井めがけて突き出す一年生。
他の一年生からはやはり、ため息が出るだけだった。
「こんなんがいるから一年坊主は馬鹿ばっかとか言われんだな」
「だな」
「事実こうして馬鹿が一人いるわけだしな」
「な、なんだよ! お前らは興味ないわけ!?」
「なくはねーよ。でも……」
「先輩と寮監の先生たちに逆らってってほどじゃない」
「だな」
男子寮は縦社会である。
ぶっちゃけ怖いのだ。実は学校の裏のボスだと噂されている総務委員長。彼は一年の時、校外実習で一人でオーガを倒したとか、火魔法に限り上級まで扱えるだとか、超大手の有名クランから勧誘が来ているだとか。
また、表のボスである寮長も、当然だがやばい。普段こそのんびりした口調で後輩にも優しいが、ひとたび怒れば山一つが消し飛ぶとも言われている。雷魔法と風魔法のエキスパート。
その二人と比べれば、美化委員長はそれほど目立つ特徴はない。剣の腕も魔法の腕もそこそこ。しかし学校一の人格者であるため彼を慕う後輩は多く、二年生の実力者たちが声をそろえて「美化委員長のためならデーモンでも倒す、死んでも倒す」と言うほど。もはや宗教に近い何かを感じさせられる。
体育委員長? ただのエロ猿。
「で、お前はそれでもいくわけ?」
「おうよ! 俺のこの都会欲は誰にも止められねえ!」
「……まあ勝手にすれば。俺達は何も聞いてないってことにしとくから」
「連帯責任とかならんかな」
「うーん、まあそん時は止めたのに勝手に行きましたってことにしようぜ」
「事実止めようとしてたしな」
「よし、じゃあ行ってくる」
「「「いってらー」」」
そう言って脱走を計画する一年生は、部屋の扉を開けた。
扉のすぐ外には、ぼんやりとした表情の総務委員長がいた。
「ひゃああああああああああああああああああああああ!?」
その他の一年生たちは凍り付いている。総務委員長がにっこりと笑った。
「なんか面白そうな話してたね」
「にゃ、にゃんのことでしゅかぁ! ぼ、ぼきゅはなにも……」
「脱走、とか、無断外出、とか……ちょっと詳しく話、聞かせてくれるかなあ? あ、それで他の一年生たちは……」
「「「は、はいィッ!」」」
「……寮長と副寮長、呼んできてくれる?」
「「「喜んでぇッ!」」」
「ダッシュ」
「「「うおおおおおあああああああああああ!」」」
勢いよく駆けていく元気な一年生たち。総務委員長はまぶしそうな顔でそれを見送る。
脱走しようとしていた一年生は、肩にのせられた総務委員長の手から逃げ出すことが出来ず、ただ震えるばかりであった。
*
脱走未遂兵と後にあだ名されるその一年生は、両脇を寮長と副寮長にかためられ、しずしずと会議室へと連行されていった。
総務委員長はそれを見て満足げに頷き、その他の一年生たちは自分たちにまで飛び火しなかったことに胸をなでおろす。そうだ、別に俺達は悪くないのだ。そこまで強くではないが、一応脱走を止めようとはしたのだから。
「そういえば君たち」
「「「はい?」」」
「……俺ってそんなにおっかない?」
「「「いえ! そんなことはありません! 総務委員長はやさしくて穏やかなとても尊敬できる先輩です!」」」
「いや、無理に言わなくてもいいんだよ?」
「「「無理ではありません! 心の底から思っております!」」」
「そう? 照れるなあ。あ、そういえば菓子パンと総菜パン、交互に注文できるような制度も新しく考えてみるよ」
この人は一体いつから話を聞いていたのか。
一年生たちがごくりと唾をのむ。
「あ、それと」
総務委員長が一年生の中の一人を指さす。
「寮長を馬鹿って言ってたこと、伝えとくから」
その日、男子寮のすぐ近くでは不自然に連続した小規模の落雷があったとか。
それがはたして自然現象だったのか、それとも魔法によるものだったのか。
真実を知る者はおれど、語る者はいない。