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トライ・アングラー

作者: 空人

1、


 僕らが住むこのコンロン湖は、淡水と海水が入り混じる湖だ。その所為か、湖面がマダラな模様に見えることがある。湖の水に魔力が含まれているせいだと言われているらしいけれど、そんな事はここで生きている僕らにはそれほど重要な事じゃない。

 魔力なんて有ったってせいぜいちょっと体が硬くなるくらいだ。もちろん、もっと賢い連中はいろいろなことに使えるらしいけど。出来ない事を追い求めるよりも今を生きる事の方が、弱い僕らには大事な事だったんだ。


 彼女に出会うまでは。


 いつものように、成長すれば何になるかもわからないまま水中漂うプランクトンどもを岩陰から岩陰へ、身を隠すように移動を繰り返しながら捕食していた時の事だった。トプンという不思議な音とともに視界の端にひっかかる湖の中に無い色彩。警戒心の強い僕らはそちらに視線を送らざるを得なかった。臆病な連中は音がしただけで逃げ出し、反応が鈍い奴らもその奇妙ないでたちを見てすぐにそれに従った。

 気がつけば周囲には誰も居なくなっていて、僕もすぐに仲間に続かなければいけなかった。いけなかったんだ。けれど、僕の目に映った彼女の姿はどこか神秘的で、なのに儚げで。

 彼女から目を離すことなんて、できなかったんだ。


 水面から降り注ぐ日の光を受けて、彼女のウロコはキラキラと輝く。誘うようにフラフラとゆれる泳ぎ方に、いつの間にか僕の体も動き出し、まるで飾り羽のようにきらめく彼女の不思議な形の棘には、刺されてみたいとすら思えてしまう。

 自分が何らかの力に狂わされているような感覚はあった。それでも僕はその力に抗おうと思うことは無かった。そのまま狂ってしまえば良いとさえ思っていたのだ。

 気がつけば僕は彼女のそばにまで近付いていて、ほとんど力を込められないまま、彼女の体に触れてしまったのだ。


 ――次の瞬間。


 何が起こったのか理解できなかった。彼女の棘に刺された感覚が有ったから、彼女が何かをしたのだと思う。彼女は僕の隣に居て、だけど視界には湖ではない青い色が広がる。

 空だ。そう気付いたのは、彼女の棘から開放された時で、濃厚すぎる酸素が口からエラへと流れて行くせいで思考も儘ならないまま体は痙攣を始めた。意識は遠のく。ゆっくりと目を閉じて……。


 再び目を開いた僕の眼には、いつもと変わらないコンロン湖の風景が広がっていた。

 あれはなんだったのだろう。その疑問は晴らされないまま、僕は岩陰からそっと湖面を見上げると、トプンという音と共に彼女が落ちてくるのが見えた。原理はわからないが、彼女は湖面の上へとジャンプする事が出来るようだ。二匹分の体重を軽々と持ち上げる力は相当なものだろう。もしかしたら魔法を使っているのかもしれない。

 どちらにせよ、僕は彼女に嫌われてしまっただろう。迷惑に思われたかもしれない。それでも僕は、彼女の揺らめく泳ぎ姿から目を離すことが出来ず、岩陰からそっと見つめ続けるのだった。




2、


 北の荒波を越え、俺はコンロン湖と呼ばれる湖にたどりついた。海水と入り混じるこの湖には魔力があり、ここで暮らしている連中には微量ながら魔力を有しているという噂を聞いたからだ。こいつらを捕食すれば僅かではあるが魔力を得る事が出来る。ここより北の海を越える為にも、この湖で力を貯え、さらなる強い力を得る必要が有ると考えたのだ。より強い存在となる為に。

 この湖で最も繁殖しているのは、針魚と呼ばれる細長く小さな魚たちだ。奴らは体を硬くし、名前どおり針のようになって、防御や攻撃をしてくる。しかし、小さなこいつらが固くなっていられるのはほんの短い間だけだ。口の中に入れてしまえばやがて力尽き、飲み込むことも容易になる。

 俺は奴らの群れに突っ込んで数匹を飲み込むことに成功していた。中には反撃してくる奴も居たが、俺の身体にだって棘がある。奴らほど鋭くはないが複数有るその棘を振り回せば、奴らを追い払う事も簡単に出来た。

 この湖の中で俺に敵うような奴は居ないと思われたのだ。


 針魚たちの魔力は微々たる物であったため、かなりの数を捕食する必要がありそうだ。もっと魔力が強そうな奴は居ないのだろうか。そう思いながら岩陰の多い辺りを捜索していたときのことだった。トプンという音と共に、突然おかしな色をした魚が目の前に現れたのだ。

 湖面からの光を受けて怪しく輝くウロコ。体についた棘は歪に曲がり、フラフラと躍るように泳ぐ。今まで見たこともないその姿に一瞬怯みもした。だが、コイツはきっと強い魔力を持っているに違いない。そう思えたのだ。

 一度岩陰に取って返し、隠れるにはやや肉の付きすぎた体をその陰に押し込む。波間を浮遊しているあいつの様子をうかがうと、日の光を受けてチカチカと煌めきながら岸の方へと近付いているようだ。

 そして一瞬、力を緩めたように沈み込むような動きを見せた。すぐに取り繕って見せたが、奴が疲労している事は明白だ。この機会を逃す手はない。再び沈み込む動きをしたのを見て、俺は一気に岩陰から飛び出した。

 大口を開き、ソイツに襲いかかろうという瞬間。口元に痛みを感じ、瞬間的に口を閉じてしまう。痛みの正体は針魚だった。群れで行動しているはずの針魚がなぜそこに居たのか、なぜ俺の邪魔をしたのかはわからないが、上物の捕食を邪魔された俺は頭に血が上ってしまい、口元の針魚を振り払い、そのまま喰らい付き噛み砕く。

 僅かに感じる苦味と、口の中に広がる旨味。針魚は不味いわけではない。しかし俺が食いたかったのはこの味ではないのだ。あれだけ派手に動いたのだ、逃げてしまったに違いないと思いながら、あの妙な魚の方に目を向ける。しかし、ソイツはまるで気にした様子も無く、いまだにユラユラと漂っている。

 なぜかは解らない、しかし好機なのは間違いない。そう判断した後の俺の行動は素早かった。力の限り体を動かし、得られた推力で奴を口の中へ放り込んだ。そして――――。


 気付いた時、目の前に広がっているのは一面の青い空だった。

 口の中を引っ張られる感覚。奴の棘は口の中にくい込んでいる。襲い掛かる浮遊感。濃度が過剰な酸素は肺に突き刺さり、無防備な腹部に衝撃を感じてようやく俺は、岸に打ち上げられたのだと気がついた。

 早く湖に戻らなければと焦る俺を、何者かの手が阻む。そしてどこか狭いところに閉じ込められてしまうのだった。必死に体を動かし、棘を振るい、大きく口を開けて暴れるが、そこから逃れられる事はなく。次第に意識は薄れていくのだった。




3、


 さわやかな風を頬で感じながら、私は湖のまだら模様を眺める。コンロン湖は海水と淡水が入り混じり、豊富な水量と栄養素を含むため多種多様な水生生物が集まる絶好の捕獲ポイントとなっていた。今日私が訪れたのも、ギルドからの依頼でとある魚を釣ってきて欲しいと頼まれたからである。

 依頼の品は『針魚』という魚らしい。しかし私は釣りなどした事もなく、魚の知識が有るわけでもなかったので、針魚がどういった魚かを知らない。しかしギルドの受付嬢曰く『この湖で最も多く生息している魚で捕獲も難しくない』との事で、高い報酬も相まって一も二もなく飛び付くことになったのだ。何でも貴族の連中にはこの針魚なる魚が珍味としてありがたがられているらしく、最近針魚の数が減ってきている事もあって高額となったという話を聞いている。

 私のランクはそれほど高くない。この依頼で得た報酬でそれなりの装備が整えられれば、次は魔物の討伐にだって出られるかもしれないのだ。

 しかし何だろうこのギルドから貸し与えられたルアーは。毒々しい色合いと禍々しくも歪んだ針。こんなものに引っかかるという針魚とはどれだけグロテスクな魚なのだろうか。針魚というからには針のような棘が生えているのだろう。この湖において、このルアーに引っかかるのは針魚だけらしいので、この依頼はすぐに終わるだろう。早速釣竿にルアーを付け、湖に糸をたらすことにする。


 しかし、手応えがない。釣りというものはこんなにも退屈なものなのか。湖の中の釣り糸からは何の反応も返ってこないまま、もう一時間は経過している。やはりこのルアーが良くないのではないだろうか。そう思いながら竿の先を見ると、僅かながらに不自然な動きをしているのが分かった。これは、何かが食いついているのだろうか?

 とにかく竿を上げてみると、一匹の細長い魚がルアーの針に引っかかっているのが見えた。しかし引っ掛かりが甘かったのだろう。細長い魚は空中で針を外し、水の中へと帰って行ってしまうのだった。

 もしかして、今のが針魚だろうか? それにしては針も棘も付いていなかったし、なにやらグッタリとしていて元気もなかった。何より小さすぎて釣った感じがなかったのだ。

 あれは違うのではないか。そう感じながらも、再び湖へルアーを放る。とにかく何かを釣って帰らなければ、報酬も何もあったものではないのだ。


 再び沈黙の時間は続く。今日はダメかもしれない。そう考えると全身から力が抜けた。その内に意識は薄くなり、コクリコクリと舟をこぎ始める。視界の端で竿が揺れたように感じたけれど、またさっきの魚だろうと思うと、さらに気が抜けるのだった。


 ――次の瞬間。


 強烈な引きに体を持っていかれそうになった。何とか踏ん張り、湖に落ちるのだけは避ける事が出来た。竿は大きくしなり、糸は張り詰めたまま、しかしそれ以上の抵抗が付加される様子はない。コレならばいける。腐っても冒険者をなめるな! 

 足元を正し、腕の筋肉を締め上げ、呼吸を整える。そして体のバネを最大限に利用して、一気に糸を引き上げた。そして――――。


 釣り上げたのは、不恰好な魚だった。しかし複数の棘が付いてるし、このルアーで釣れたのだから、おそらくコレが針魚なのだろう。

 満面の笑みを浮かべ魚を保護箱に入れると、悠々と足をギルドへと向ける。明日からはこんな雑事をこなす事もないだろうと未来を夢見ながら。




 ちなみに、依頼の失敗を言い渡されてルアーを床に投げつけた私がその弁償を迫られるのは、コレより数時間後の出来事である。

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