ヒグラシの唄
それからと言うもの彼女は良く私に話をしてくれた。
彼女が病気に成る前の話、彼女の今ではもう叶いようのない夢の話、やりたいことの話、その他沢山。
実際私は殆ど聞くだけであまり気の利いたことは言ってやれなかったが彼女は迚嬉しそうだった。
今まで親や医者以外の話し相手もいなかったのだから至極当然のことである。
他愛もない話、普通の人なら当たり前に過ごせる日常が彼女にとっては非日常のものだったのだ。
当然、今の所彼女以外私を見る事は出来ない。彼女の様子を見に来た彼女の親や看護師、医者にも。
彼らは彼女が最近目に見えて元気を取り戻してきたという。以前どおり、彼女が病気に成る前の様に。
私はそれがうれしくて仕方がなかった。自分が生き返る為という目的も忘れてしまっていた程に。恐らくもうすぐ、早くて数週間後には私は生き返るだろう。彼女は明るいながらも徐々に衰弱していっている。毎日を楽しんでくれているのがせめてもの救いだった。
彼女の薬は日に日に増えて行った。治療とは名ばかり、ただ痛みをとるなどするだけだった。
増えていく薬のラベルに書かれたモルヒネという文字はいよいよ彼女が助からないということを表していた。
「何もしてやれなくてすまない。」
私は素早く瞬きしこらえながら彼女と過ごした数か月(正確に言えばその前半はただ見守るだけだったが。)、私は彼女の為にしてやったことは精々話を聞いてやったり、外からの贈り物を届けるぐらいだった。
彼女は奥歯を噛み締める私に「そんなことはない。」とほほ笑む。
暫くの間、沈黙があたりを包む。
彼女は徐にベッドから身を起こし言った。
「私、最初は自分の運命を嘆いていました。そして、早く死にたいとも思っていました。 薬を飲んで窓の外を見つめ眠るの繰り返し。こんな命なら消えてなくなってしまえばいいとさえ思っていました。」
彼女は俯きそう口にする。その後私の方を振り向いたかと思うと満面の笑みで付け加えた。
「でも、今は幸せです。あなたと居るだけで毎日が楽しかったです。あなたは話を聞くだけと卑下しますが私にとってそれだけで幸せでした。」
そう言い更に「だから。」と言いかけ、彼女の目から涙が溢れる。
「生きたい。」
そう何度も繰り返していた。
自身の死を知った時の私の様な絶望した様子ではなく、すがりたいという様子で。
私は子供の様に泣きじゃくる彼女をただ抱きしめるばかり。
幽霊は強く思って初めて物に触れられる。しかしいままでどんな強く思っても彼女に触れる事は出来なかった。けれど私は彼女にいとも簡単に触れる事が出来た。
其れは彼女が私に近い場所まで来てしまっているからなのか、それとも私が自分でも分からないほどに彼女を強く思っているからなのか、其れすらもわからず、ただ抱きしめた。
彼女は驚くほどに華奢でその細さが彼女の状態を表しているのを示している。ついもらい泣きしそうになるがすんでのところで堪えた。
「生きたい。」
もうすぐ私は生き返るだろう。でもこのまま生き返らずに彼女と一緒に居たいとさえ思った。
けれども彼女のように望んでも手に入らない生、捨ててしまっても良いのかそんな葛藤にさいなまれる。私はどうしたいのか。急に生きるという意味が漠然とし、私の中を漂っていた。
ふと気づくと泣いていた彼女はいつの間にか腕の中で微笑んでいた。
「最後に、外を見たいです。駄目でしょうか。」
そう言う彼女に「ああ。外を見に行こう。」と返事する。
其れは命令違反かもしれない。もしかしたら生き返ることもできなくなるかもしれない。
だが私の中で選択肢は一つしかなかった。自分の命、ましてや自殺で失った命よりも彼女の為に、否、最早自分自身の為に一緒に外の風景を見たかった。
彼女を抱きしめるように支えながら病院の中庭を歩く。
「ありがとうございます。」
彼女は消え入るような声で言った。
最初にあったころは冬、彼女の事を気に成りだしたのが梅の花の咲く春。そして間もなく夏が終わろうとしている。
「私は今、幸せです。」
その弱き声は晩夏の声、ヒグラシの唄に紛れ