復活の取引
「彼方は死にました。」
知らない女、否、性別不詳、そもそも人間なのかすらわからない者にそう言われる。其れはにわかにも信じがたい事だった。
「何を言っている。俺は今現にこうして生きている。」
口をついてでた反論の言葉は稚拙で、直接的な言葉。
だが私はこうして居るのだ。黄泉の国とやらを信じぬ私にとってこれ以上の生きていることへの証明は無かった。
「いいえ、彼方は死にました。彼方の人生は終わったのです。」
その者はそう繰り返すだけで、二度繰り返されたその言葉には槌で思い切り殴りつけるかの様な衝撃を感じさせられる。
その衝撃によろめき、足場を失うかのように私は戸惑いを覚え、そして漸く気づいたのだ。そもそも失う足場がない、ということに。
あるはずの足元は言葉で表せない色の靄に包まれ、固く触れる地がどこにもなかったのだ。
狼狽える私をそれは見つめながら「如何か。」と言う。
如何もなにもない。
その時漸く、私が死んだと実感。
勿論決め手は足元だけでない。一切の唇を湿らせるもの、そして自然と抜けてゆく生暖かい物がない。それどころか私の指先、鼻先、ありとあらゆる部分に普段感じる感覚すらもない。そして決め手は、熱くながれる血潮さえ感じられないのだ。そして何より、記憶がない。女のようなそれの言うことは紛れもなく真実だったのだ。
それから一頻死にたくないと叫んだ。無い喉すら枯れるほどに必死に。
するとそれは私を温かく見つめ、そして言った。
「彼方の願い、叶えて差し上げましょうか。」と。
つまり其れは私の復活を意味するものである。
とびかからんとする勢いで私は起き上がると「其れは真か。」と聞く。
人の様な女の様なそれの言うには、私という人間は生前どうやら人を救うという善行をしたそうな。だから望めば生き返ることもできるらしいがただそれには条件が在った。
霊として、ある病気に苦しむ女の子を病室に閉じ込める事、ただそれだけだった。
その女の子を閉じ込めろと言われても自分が生き返る為と思うと心は少し程度しか痛まなかった。
「わかった。じゃあ俺を其処に連れてけ。」
私がそう告げるとそれは頷き、さて移動させようとする。
しかしある疑問のもとに私は「待て。」と言った。
疑問符を浮かべるそいつ。
私は「御前、否、貴方は神なのか。」と単刀直入に切り出した。「否。」と短く言い、「私は神ではありません。奴とでもなんとでもよんでください。」と付け足した。
それの正体は分からずじまいで、疑問はいまひとつ晴れなかったが、こうしていてもらちが明かないので早いところ連れて行ってもらうことにした。
そして私の幽霊としての日々は始まった。
そこはほとんどの物がなくすっからかんとしたところだった。窓辺にベッドが一つのみ、その枕元にいくらか私物があるのみで他には何もなかった。そして其処に少女が居た。
「ああ、此奴か。」と私は呟く。
向こうから私は見えて居ない。好都合極まりなかった。
彼女は既に大分弱りきってるようで一人立つことすらままならなく生まれ間もない小鹿の如く震えながら立ちそして病室の入り口へと向かう。しかし其処に丁度看護婦が現れ彼女をベッドへと引き戻し「安静にしていないと良くなりませんよ。」とお決まりの台詞を吐く。
看護婦が去ると彼女は小声で「どうせ良くなるわけないのに。」とつぶやいた。
成る程合点がいった。長くはない彼女の命を少しでも伸ばすために私は彼女を此処に閉じ込めるのだと。そう思うともともと軽くは在ったがのしかかっていた罪悪感が吹き飛んだ。
髪は長く窓辺の光に照らされて栗の様に光っている。病人にしては手入れが行き届いており綺麗な髪だった。
肌は雪の様に白く、今に崩れてなくなってしまいそう。
良く見るとかわいらしい顔をしている。私はそんな彼女に一瞬惹かれてしまった。
何処か物悲しそうに窓の外を見つめる彼女。
私の口からは「かわいそうに。もう長くないなんてな。」と漏れた。
今だって生き返りたい。何としてでも彼女を此処にとどめておかねばならない。其れに違いは無い。しかし彼女に死ぬ前に何か楽しいことを見つけて欲しかった。少しでも長く生きて居たいと思えるように。
早くも情が移ってしまったようだ。生前私は心優しい者だったのだろうと皮肉的に、かつ自己愛的に思考する。
自分が生きていれば、せめても彼女に見えればと悔しくあったのだった。