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あたたかな傷

作者: onaishigeo

(プロローグ)


都会のその廃墟ビルの片隅で、

汚れた毛布に身をくるみ、

寒さに耐える二人がいた。


(1)


少女は毎週末、片道90分かけてここに来て、

そして翌日の始発で帰る。

誰にも気づかれない、

誰も、気づかない。

それは自分を傷つけるため、

そして傷を癒すため。

傷は、見た目は同じでも痛みが違う。

それは、自分でつけた傷と、人からつけられた傷の違いほどに。


少年とは、この夏この街の公園通りで出会った。

酔っぱらいに絡まれている少女を助けのが切っ掛けで。

中年の酔っぱらいにいきなり体当たりして、

そしてあっさり負けて転がった少年を、

少女は奇跡を目の当たりにしたように、目を見開いて見守った。


「オレ、以前バイクで転んで、それで右脚ちょっと悪くして。

それがなければ負けなかった。

あんなおっさんに、あんな酔っぱらいに」


素敵な言い訳だと少女は思った。


生きるのに言い訳は絶対必要だ。

ただ、大人の言い訳は巧すぎる。

巧すぎて嘘っぽい。

反対に下手な言い訳は心地よい。

だから少女は少年について行った。


(2)


少年に家はなかった。

元はゲームセンターだったのか、

派手な看板を更に彩る不可思議な落書き、

体を横にして、さらに服を汚さないと通れない路地を行くと、

そのビルの壊れた非常口があった。


都会の真ん中の廃墟ビル。

少女は隠れ家みたいと言ったが、

少年はシェルターだよと訂正した。


「シェルター?」

「世界中の憎しみや悪意からオレを守るために」


少年が本当に世界中から憎まれているとは思わなかったが、

考えてみれば少女もたまに「滅びろ人類!」などと布団の中で叫んでいるので、

そういう気持ちは分からないでもなかった。

ただ、ふつうそういう事は、誰にも話さず心の奥底に隠しておくもの。

それをあっさり他人に開示できてしまう少年の度胸と無邪気さに、

少女は軽い衝撃を受けた。


少年は、汚れたバッグから期限切れのコンビニおにぎりを取り出すと、

匂いを確認してから少女に差し出した。

「いらないよ、あたし」

「遠慮するなよ食えよ」

少年は手を引っ込めない。

「じゃあ、…半分こしない?」

「あ、そうかあ。おまえ、頭いいなー」


少女はとても久しぶりに声を上げた笑った。


(3)


それから少女は、週末にこの街を、あてどなく彷徨う必要がなくなった。

少年は廃墟ビルをシェルターと呼んだが、少女にとってはホームだった。


少女がホームを訪れると、時折少年は激しい腹痛でのたうち回っていた。

それ以来少女は、少ない小遣いをやりくりして、保存の利く食料を持参するようにした。


「腹をこわして、たった一人で呻いていると、オレこのまま死ぬんかなっていつも思う」

「死ぬって苦しそうだね」

「生きるのも苦しいけどな」

「でも死ぬほどじゃない」

「『生きるほどじゃない』って言い方ないのかな」

「だけど努力しないと死ねないみたいな感じ」

「生きる努力なんかしてるつもりないんだけどな」

「でも意外と死ねないんだよ。これ、あたしが16年生きてきて悟ったこと」

「頭いいなー。オレたぶん18年くらい生きてるけど、悟ったことなんか一度もないし」


二人は会う度に生と死について不器用に語り合った。

答えは見つからなかったが、語り合うことが心地よかった。

ただ、それで少女の日常が変わったわけではない。

相変わらずどこにも自分の居場所はなかった。

自分を傷つける回数は確実に減った。

嬉しかったが同時に怖かった。

この痛みや疼きが生きている証し。

傷が完全に癒えたら命が果てるような気がして、

初めて死が恐ろしいと感じた。


新たな、そして温かな傷が必要だった。


(4)


季節は巡り冬が訪れた。

毎週末、電車でこの街に来るにはお金が必要で、

経済的に自立していない少女にはいろいろと苦労があった。

もちろん少年には言わなかったが。


ただ、こっそり外泊していることを、

もしかしたら母は気づいているのかもしれない。

そんな兆候があった。

(もうこられないかも)

少女は、今すぐ大人になって、誰からも支配されない一個の人間になりたかった。

しかし同時に、大人になることがたまらなく怖かった。

こうしていつも思考は停止する。

うすうす感じていたことは、新しい傷が必要だということだけだった。


(5)


「ああー! いったい何やってるの!」

今にも雪が降り出しそうな、空気が凍っているようなその日、

少年が少し離れた隙に、少女が自分の脚にカッターを突き刺した。

「あなたの痛みを理解したかったから、あなたと同じ痛みを体験してるんだよ」

事も無げに少女が言う。

少年は慌ててカッターを取り上げると、

近くにあったタオルで、あふれ出る鮮血を思い切り抑えつけた。

血は温かく湯気が立ち上った。

青いタオルに赤茶けた染みが広がっていく。

少年は歯を食いしばって傷口を押さえ続けた。

その様子を少女はうっとりと眺めていた。


やがて、血が凝結し出した頃になって、少年は突然泣き出した。

「ゴメン… バイクで事故ったって、あれ嘘なんだ。

てかオレ…免許とか持ってないし」

「いいの、その嘘が、ずっとずっと痛かったんでしょ」

少女は少年のあふれ出る涙を、血で染まったタオルで拭った。

「ようやく楽になったね」

少年は、濁った瞳で少女を見た。

「うん、楽になった」

「よかった。あなたに傷は似合わないんだよ」

ほほえむ少女を少年は不思議そうに見つめた。

「なんかいっぱい泣いたら腹減った」

そして少年も照れ隠しに笑ってみた。


少女は持参したおにぎりを少年に差し出す。

「半分こにする?」

「ううんいいの、あたしおなかいっぱい」

少しためらってから少年はおにぎりを受け取った。

「痛みも半分こ、できるといいのにね」

「そしたら半分もらってくれる?」

少年は大きく頷く。

「こっちおいで。寒いだろ」

少女は少年にもたれ掛かった。

「明日、一緒に医者に行こうよ。オレ一緒に行くから」

少女は少年の胸に顔を埋めながら、その明日について考えた。


さっき切った傷がドクンドクンと疼く。

生きている証し。

毛布の隙間から、少女はカッターを目で探した。


(エピローグ)


都会のその廃墟ビルの片隅で、

汚れた毛布に身をくるみ、

身を寄せ合う二人がいた。



onaishigeo「あたたかな傷」2011/10/25 初出:ブクログのパブー http://p.booklog.jp/book/37361

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