第9話 話終わり?ごめん聞いてなかった。もっかい言って?(後編)
「ハァッ…ハァッ…」
海は川越に呼ばれた場所へ走っていた。
(クソッ…!俺のせいで…)
20分前――。
「……川越?なんで奴が…」
海には川越が綾の友達を殴る理由がわからなかった。接点が無い。
耕一は難しい顔をしながら口を開く。
「…狙いは、海。おまえだ。」
海の瞳孔が開いた。
綾が不安そうな顔を浮かべる。
「志穂ちゃん……志穂ちゃんは!?」
志穂とは綾の友達の名前だ。
綾は耕一に掴み掛からんばかりに問う。
「………海。」
耕一は海の方へ歩き、一枚の紙を差し出した。
海は黙って受け取り、紙に書かれている事を読んだ。
「おまえのダチは拉致った。港の第三倉庫に一人で来い。一人じゃない時は女を刺す……。チッ……丁寧に地図まで書きやがって…」
綾はショックを隠しきれずに、手で口をおさえていた。
「行くしかねぇか…」
「俺もついていく。」
「一人で来いって書いてあんだろ?あいつなら本当に刺しそうだ。それに、あいつなんて一人で十分だ。」
海はそう言いながら余裕の笑みを見せた。
「そうか…そうだな。……気を付けろよ。」
「ああ。」
海が歩きだそうとした時、綾が海を引き止めた。
「海君……」
「……なんだ?続きなら後でって言ったろ?」
「ちがうよ!!…………気を付けてね…。」
「ああ……綾とキスするまでは死ねねぇよ。」
「もうっ!」
海が再び歩きだす。
その顔に余裕の表情は無かった。
港の倉庫。
志穂を中心に川越達が円を作っていた。
志穂は口をガムテープで塞がれ、手に手錠をかけられて柱に繋がれている。
一人の男が川越に話し掛ける。
「あいつ、本当に一人で来ますかね?」
川越は表情を変えないまま答える。
「来るよ。あの野郎は自分が強いと思ってんからな。多分武器も持ってこないだろ。」
川越の口が釣り上がる。
「…それに、あいつを苦しめるのが目的だからな。一人じゃなかったらマジで刺すぜ?」
川越はそう言いながら、志穂を見る。
志穂は俯きながら、肩を震わせている。
「海君を信じようぜ?」
その時、倉庫のドアが開く重たい音がした。
倉庫にいた全員がドアに注目する。
「…ほら、想像通り…。」
ドアに立つ銀髪でツイストパーマの青年が口を開く。
「最初にやられてぇのは、どいつだ?」
30分後――。
「ハァッハァッ…」
海は手を膝について、肩で息をしている。
「マジかよ……」
川越は絶句している。
倉庫で立っているのは、海と川越だけだ。
残りの連中は地面に突っ伏し、意識さえ無いようだ。
「ハァハァ……てめぇで最後だ……」
海がゆっくり川越に向かっていく。
「クッ……」
川越は後ずさりする。
ガラガラ…
ドアの開く音に、二人が振り向く。
「ヘッ…俺が最後じゃないみたいだな?」
ドアからは川越の仲間が10人ほど入ってきた。
「全く、ワラワラとたかって来やがって…」
海は苦笑しながら、ドアの前にいる連中に向き直った。
「……来いよ。」
海がそう言った瞬間、連中が一斉に海に向かってくる。
「……泣けるぜ…」
バキッ!
―――――。
「ククク……ハハッ!」
川越の笑い声が倉庫に響く。
地面には海が倒れている。
「…………。」
「おいおい、死んだんじゃねぇの?」
川越の仲間が川越に話し掛ける。
「かもな。ハハッ」
川越が海に近付き、海の髪を掴む。
その髪の色は、海の血で赤く染まっていた。
「ヘッ、やっぱり頭に警棒はまずかったか?」
川越は海の髪を離し、海は顔から地面に落ちた。
「…つまんねぇな。オイ、行こうぜ。」
川越と川越の仲間が、地面に倒れていている連中を担いで倉庫のドアに向かう。
「んだよ、つまんねぇな。」
「海も意外と弱かったな。」
「それは俺等が道具使ったからじゃね?」
「ハハッ!まぁな。」
「……オイ。」
背後に聞こえる声に川越の仲間達が振り返る。
みんな絶句して、声も出ないようだ。
川越はゆっくり振り返る。
(海の声…?いや、ありえねぇ…あいつは完全にトんでた…。頭にモロに入ったんだぞ…?)
川越はその光景に鳥肌が立つ。
「…ありえねぇ…」
そこには海が立っていた。
「…まだだ……まだ死んじゃいねぇよ……。」
海は意識がおぼろなのか、足がふらついている。
「…なんだよ…フラフラじゃねぇかよ…」
しかしその言葉とは裏腹に、川越の顔には恐怖が浮かんでいた。
「なんだよ…?恐ぇのか……?」
海は嘲笑う様に鼻で笑う。
「…やっちまえ!殺っちまえ!!」
川越は正気を失った様だ。海を指差しながら狂ったように叫ぶ。
川越の仲間がそれぞれの武器を強く握り締め、海に走っていく。
その瞬間、ドアが開く音が倉庫に響いた。
「待たせたね!海君っ!ボクに任せなさい!」
その声に海に向かっていた連中の動きが止まる。
「グガッ」
誰かが奇声を発したかと思うと、川越の隣にいた奴が3メートルほど吹っ飛び、ピクリとも動かなくなった。
「オラァ!耕一様をなめんなよ!」
(…兄貴……)
耕一の暴れ回る姿を見ながら、地面に崩れていった。
耕一が次々と川越の仲間を薙ぎ倒していく。
やがて、残りは川越だけとなった。
「さあ、おまえの番だぜ?」
耕一は全く疲労を感じていない。
「…………っ」
川越は肩を震わせながら黙っている。
「…ハァ、急にチーム抜けるなんて言うからおかしいと思ったら…やっぱりこんな事考えてたか……」
「…うるせぇ……」
川越が耕一を睨み付ける。
「てめぇらの仲良しこよしごっこにはもう飽き飽きなんだよ!俺はそんな事するためにギャングになったんじゃねぇ!…俺は俺でチーム作る。最初の相手は、耕一さん。あんただ!」
川越が地面に落ちてる警棒を拾う。
「ごっこじゃねぇよ。」
「!」
「俺達は本当に仲良しこよしなんだよ。おまえだってそうだ。仲間だって思ってる。」
「…この期に及んでまだ綺麗事言ってんのか?てめぇのそう言う所が」
川越が警棒を振り上げながら耕一に向かっていく。
「嫌いなんだよ!!」
ゴッ!
「!」
倉庫に鈍い音が響く。
耕一は避ける様子もなく警棒を頭で受けた。
頭から血が滲んできている。
「…なんでよけねぇ?」
「仲間を傷付ける奴のなんて効かねぇんだよ。」
耕一が拳を握る。
「おまえにとっちゃ綺麗事かもしんねぇ、けどな。」
耕一が拳を思いっきり振り上げる。
「俺等にはその綺麗事がすげぇ大事なんだよ。」
バキッ
「…ちくしょう…」
川越は人形の様に脱力しながら、地面に崩れていった。
「……綺麗事か…」
耕一は釈然としない顔をしていた。
(取り敢えずこいつら起こさなきゃな。)
海はうつ伏せに倒れたまま動かない。
志保はいつの間にか気を失っていた。
耕一は志保の拘束を外し、口のテープを外した。
「おーい、志保ちゃーん。起きないとお兄さんが食べちゃうぞー」
「……ん…」
「……ハァハァ…グヘッ」
耕一が志保に顔を近付ける。
「…ん…?きゃあっ!」
バチーン!
(あ…ダメ…意識が…)
「あ、氷室君のお兄さん!?」
志保は耕一を殴ったあとに、やっと状況を理解した。
耕一は志保にこの状況を説明した。すると志保は、
「氷室君もお兄さんも強いんですね!あ、私は一人で帰れますから!」
と言って、さっさと倉庫を出ていった。
「あっ…いちゃいちゃしながら帰ろうと思ったのに…」
耕一は肩を落としながら、海の方に向かった。
「おーい、海くーん。起きないとお兄さんが食べちゃうぞー…。…てか俺は変態か?」
その瞬間、耕一は腹に熱い物を感じた。途端にそれは激痛に変わる。
耕一は腹を見ると、ナイフが突き刺さっていた。
背後から川越の声が聞こえる。
「俺は…綺麗事なんて信じねぇ…」
川越はそれだけ言うと、再び地面に倒れた。
「クッ…ぐあっ」
耕一がナイフを抜く。
腹からは血があふれ出てくる。
(おいおい…マジ…かよ…)
耕一は地面に倒れながら、意識が遠くなっていった。
「……う…。」
海が頭を押さえながら、まだはっきりしない意識で立ち上がり、辺りを見回す。
(そうだ…兄貴は…)
耕一は倉庫の壁に寄り掛かっていた。
「兄貴!おい!」
「…やっと起きたか。」
耕一はため息をつきながら口を開く。
海は安堵の表情を浮かべる。
「…死んだのかと思ったぜ……」
「んなわけねぇだろ。あーでも疲れちったなー。もう一歩も歩けねーなー。あっそういえば、倉庫の外に台車があったなー。」
「…何が言いてぇ?」
「運んで?」
海岸線。
そこに耕一が乗っている台車を、重たそうに引く海の姿があった。
「海君もっとはやくー」
「うるせぇ!」
兄弟はいつもの様に茶化し合っている。
いや、いつも通りじゃない。
耕一は視界が歪み始めている。台車には血だまりができていた。
「そういえば、さっきおまえ綾ちゃんとキスしようとしてたの?」
「…ああ。」
「マァ、おませさん!今日はお赤飯ね!(てめーこの野郎!俺だってまだなのによー!)」
「茶化すなよ!兄貴だってあんだろ?」
「ああ、まぁな。(ねーよ!あるわけねぇだろ!バカ!ちくしょう!)」
「…なあ、兄貴。」
「なんでちゅかー?」
「真面目に聞け!…俺…兄貴がいて本当に良かったって思ってる。」
「……。」
「さっき、ガキの頃の夢みたんだ。」
「ああ、おまえはいっつも俺にくっついてきてたな。ノミかっつぅの!」
「うるせぇ!でも、そん頃から兄貴は俺の憧れだった。」
「………。」
「まだまだ兄貴には負けるけど、いつか勝ってやるからな。」
「かてんのかよ?この俺様に!」
「言ったな!?」
耕一は仰向けに寝て、空を見上げた。
血はあまり出なくなってきていた。
「…もう勝ってるよ」
「え…?」
「おまえの年の頃にはそんなに強くなかったもん。力も心もな。」
「…本当か?」
「ああ。だから、もう俺は必要ないな。」
耕一は自嘲気味に笑う。
視界が光に包まれていく。
「は?何言ってんだよ?兄貴がいるから…」
「………。」
「兄貴がいるから…強くなれんだぜ?」
ああ…俺もそうだよ。
おまえがいるから……守るもんがあるから強くなれたんだ。
「兄貴がいなかったらまだまだ甘ちゃんだよ。」
俺もそうさ。
おまえがいなかったらただの喧嘩好きの不良だよ。
でも…俺はもうダメみたいだ…。
まだ…おまえと茶化し合いたかった…。
まだ…おまえの強くなってく姿を見たかった…。
海…おまえが弟で…ほんとうによかった…
…俺の人生も…中々悪くなかったな…………
「…おい、聞いてんのかよ?人がくせぇ事言ってんのに……」
海は振り向くと、思わずてすりを落としてしまった。台車には血だまりができていた。
「あに…き……?」
海が耕一へと歩み寄る。
耕一は幸せそうに笑っていた。
幸せそうに
目を閉じて……
「おい…冗談だろ…?」
空からは、夏のなまぬるい雨が降ってきていた。
その雨が血を洗い流していく。
「おい、兄貴。寝てないで早く帰ろうぜ?雨が降ってきちまった。」
海が耕一に問い掛ける。
耕一は答える様子はなかった。
「風邪引くよ。台車なんかいいからさ。帰ろうよ。早く…かえ…ろう…よ…」
耕一は笑ったまま表情を変えない。
「何笑ってんだよ…何が楽しいんだよ…!ちくしょう……ちくしょォォォ!!」
雨の音が泣き声をかき消していく。
雨は、止みそうになかった。