定員五名のゴンドラ――告白用のVRワールドを四人に頼まれたら、相手が全員俺だった
俺の名前は宮下陽太。高校二年。趣味は、世界を作ることだ。
大げさに聞こえるのは分かっている。現実の俺は、成績は真ん中より少し下で、運動はそれよりもっと下。体育の持久走では後ろから数えたほうが早いし、英語の小テストはいつも赤点の線の上で綱渡りをしている。どこにでもいる、地味な男子高校生だ。
ただ、ヘッドセットをかぶると、少しだけ話が変わる。
ハコニワ。誰でも自分の世界をひとつ持てるソーシャルVRで、俺はもう二年、そこに入り浸っている。地面を敷いて、空の色を決めて、建物を置く。風の強さも匂いも決められるし、そこで暮らす人間まで作れる。剣も魔法もレベルもない。あるのは、なんでも作っていいという約束だけだ。
その世界で、俺は宮大工と呼ばれている。宮下だから宮大工。誰が言い出したのかは知らない。手すりの高さが1センチずれていると夜中でも直しに戻る性分なので、名前負けはしていないと思う。
取り柄と呼べるものは、たぶんひとつしかない。落ち込んでいるやつがいたら、黙って世界をひとつ作る。
六月、後輩の柚葉が授業で当てられて一言も出なかった日には、図書館の屋上に、誰もいない星空を作った。先月、生徒会長の久我先輩が文化祭の予算でもめて三日寝ていないと聞いた夜には、ハンモックしかない島を作った。作ったところで、現実の何かが片づくわけじゃない。それでも、ここにいるあいだくらいは笑っていてほしかった。
毎週土曜の夜9時、俺は新しいワールドをひとつ公開している。来る顔ぶれは、だいたい決まっている。
幼なじみの夏芽は、ログインするなり一番遠い端まで走っていく。名前は本名をカタカナにしただけのナツメで、見た目も現実とほとんど変わらない。柚葉はユズという名前で、現実より頭ひとつ背の高い銀髪のお姉さんのアバターになって、俺をからかい倒す。久我先輩はサエという名前で、パーカーのフードを目深にかぶって、遊具があれば子どもみたいに列に並ぶ。それから、一度も会ったことのないイオ。麦わら帽子をかぶった小さなアバターで、いつも誰より先にログインして、入口の石段に座っている。
先週の土曜は、雨の降る夜の駅を作った。夏芽は線路に降りて枕木の上を走り、ユズは自販機の上に座って雨粒の落ち方に文句をつけ、サエは待合室のベンチで寝落ちし、イオは来ない電車の時刻表をいつまでも眺めていた。四人とも好き勝手にしていて、俺はそれを見ているのが好きだった。
俺を入れて五人。それが、土曜の夜9時の定員だった。
あの依頼が来たときも、最初は、いつもの頼まれごとだと思った。
告白に使うワールドを作ってほしい。
そういう依頼が、一週間で四件来た。
一件目の依頼は、日曜の夜に来た。差出人は夏芽で、文面は一行しかなかった。
『告白に使うワールド作って。誰にも言うな』
月曜は柚葉から。火曜は久我先輩から。水曜の明け方には、イオから。言い回しはばらばらなのに、四件とも告白に使うと書いてあって、四件とも誰にも言わないでと念を押してあって、四件とも締め切りが土曜の夜9時だった。
四人とも、好きなやつがいるのか。
ヘッドセットを外すと、窓の外が白みはじめていた。青春だな、と思った。四人とも、俺がこれまで世界を作ってきた相手だ。その四人が、人生で一番大事な場面に、俺の作る世界を選んでくれた。胸の奥が少しだけ重くなったのは、ゆうべの唐揚げを食べすぎたせいだろう。断る理由は、ひとつも見つからなかった。
グループには、今週の公開は休む、とだけ送った。理由を聞かれる前に、寝たふりをした。
夏芽のワールドは、夜の陸上競技場だった。
現実の夏芽は、いま走れない。県大会の二週間前に右の足首をひねって、全治六週間と言われた。毎朝、駅の階段の下で俺を待っていて、松葉杖をつきながら一段ずつ上がる。鞄を貸せと言うと、いいと言う。貸せともう一度言うと、舌打ちをして、それから小さく、どうも、と言う。追い越していく制服の背中を見るたびに、夏芽の口元に力が入るのを、俺は横で見ている。
幼稚園の頃から、こいつに駆けっこで勝ったことは一度もない。俺はずっと、この背中を見てきた。その背中がいまは俺の隣で、手すりにしがみついている。
放課後の夏芽は、グラウンドの隅のベンチにいる。練習には出られないのにジャージに着替えて、スパイクの紐を結んで、ほどいて、また結ぶ。一度、隣に座ったことがある。何も言わないうちに、帰れ、と言われた。帰らなかった。照明がつくまで、二人で黙ってトラックを見ていた。あのグラウンドの照明は、ちょうど夕焼けみたいな色をしている。
ハコニワの中の夏芽は、装具も松葉杖もつけていない。試作のトラックに降り立つと、何も言わずに走り出して、400メートルを一周して戻ってきた。息ひとつ乱れていない。VRなのだから当たり前なのに、俺は少しほっとした。
「路面、もうちょい硬くして。あと、ゴールの先に桜。一本だけ」
「夜でも見えるようにするか」
「うん」
「照明は。相手の好きな色とか、分かるか」
夏芽はトラックの白線を、爪先でなぞった。
「……オレンジ。夕方みたいなの」
「お、いいな。俺もオレンジ好きなんだよ」
「知ってる」
「なんで知ってんだ」
「うるさい。背は、あんたくらい。ゴールで待っててもらう」
「待つ係か。責任重大だな、そいつ」
夏芽は何か言いかけて、やめた。それからもう一周、走りに行った。さっきより、だいぶ速かった。
オレンジが好きで、背が俺くらい。陸上部の部長が、たしかそれくらいだ。夏芽が全力で走ってたどり着きたい相手なら、悪いやつではないだろう。俺はゴールラインの幅を規定どおりに測り直して、桜の枝ぶりを三回作り直した。照明の色は、あのグラウンドに合わせた。なぜそうしたのかは、自分でもよく分からなかった。
柚葉のワールドは、花火の上がる海辺のステージだった。
現実の柚葉は、声が小さい。図書委員の当番が同じ曜日なので、週に一度はカウンターに並んで座る。けれど柚葉が自分から話しかけてくるときは、ほとんど息だけの声になる。授業で当てられると、答えが分かっていても喉が閉まるのだという。そう教えてくれたのは、ハコニワの中でだった。
火曜の昼、柚葉はカウンターの下で、俺の袖を二回引いた。
「せんぱい。……きのうの、ほんとに、作ってくれますか」
俺はうなずいて、ポケットのレモン飴をひとつ置いた。柚葉はそれを両手で包んで、二回うなずいた。
その夜のユズも、いつもどおり背が高かった。銀色の長い髪をかき上げて、作りかけの砂浜をヒールで踏んで歩く。カウンターの下で袖を引く柚葉と同じ人間だとは、たぶん誰も思わない。
「せーんぱい。花火、何発にします? 千発? 一万発?」
「そんなに上げたら、声が聞こえないだろ」
「聞こえなくていいところもあるんですよ」
「どっちだよ」
「観客席はいりません。誰もいないところで、一番大きい声で言いたいんです」
ユズは笑ったままだった。ただ、波打ち際を見ている目だけが、昼間の柚葉と同じだった。
「……教室だと、出ないから。声」
「相手はちゃんと聞いてるんだろうな」
「聞いてくれなきゃ困ります。だから当日は、せんぱいもちゃんと来てくださいね。最終チェックで」
「おう。音響も見とく」
作業の途中で、ユズが急に俺の前に立った。
「せーんぱい。練習台になってください」
「何の」
「告白の。本番で噛んだら困るので」
「いいけど」
ユズは俺の正面で背筋を伸ばして、銀色の髪を耳にかけた。それから、いつもの調子をどこかに置いてきたみたいな声で言った。
「好きです」
「声、小さい」
「……は?」
「本番は花火が上がるんだろ。それじゃ負ける。もっと腹から出せ」
ユズは3秒くらい俺を見ていた。それから砂浜にしゃがみ込んで、両手で顔を覆った。
「……せんぱいの、そういうとこ。ほんと、ほんとに」
続きは聞き取れなかった。声が小さかったので。
柚葉が一番大きい声を出せる場所を作る。それさえ分かっていれば十分だった。俺はステージの床下に、声がよく返るように、見えない反響板を十二枚仕込んだ。練習では花火に負けそうだった声が、本番では勝てるように。
問題は、次の日の水曜にあった英語の小テストだった。
12点だった。百点満点で。日曜から毎晩、明け方まで世界を組み立てていたのだから、当然といえば当然だ。夕飯の席で答案を見た母は、箸を置いて言った。
「金曜の再テストで60点取れなかったら、ヘッドセットは没収」
「土曜の夜だけは勘弁してくれ」
「60点取ればいいだけでしょう」
それができる人間は、そもそも12点を取らない。
木曜は、なぜか四人が四人とも、俺に勉強をさせた。12点の答案をグループに貼って嘆いたのが、まずかったのかもしれない。
朝、駅の階段で、夏芽が一段ごとに英単語を出した。答えられないと、松葉杖の先で俺の脛をつついた。赤点で土曜に来られなかったらどうすんのよ、と言いながら、四十二段で四十二語。昼の図書室では、カウンターの上に手書きの単語カードが一束置いてあった。字が小さくて、カードの端ごとにレモンの絵が描いてあった。放課後には、久我先輩が去年の自分のノートを貸してくれた。イオの番は、夜中の1時だった。
みんな優しいな、と思った。
当日に職人がいないと、困るもんな。
久我先輩のワールドは、観覧車のある遊園地だった。
現実の先輩は、失敗したところを誰にも見せない人だ。受験生で、生徒会長で、先生にも後輩にも頼られている。木曜の夕方、ノートのお礼を言いに生徒会室へ行くと、明かりがひとつだけ点いていた。先輩は書類の山の向こうで、ペンを持ったまま目を閉じていた。
「会長」
「……起きてる」
「起きてないです。帰りますよ」
書類をまとめて鞄を持たせ、廊下まで押し出した。先輩は少し笑った。
「宮下くんは、強引ね」
「強引じゃないと、会長は帰らないんで」
昇降口で靴を履き替えるとき、先輩の手が一度だけ止まった。止まって、何もなかったみたいにまた動いた。俺は見なかったことにした。
ハコニワのサエは、ジェットコースターに二十回乗った。乗るたびに悲鳴を上げて、降りるたびにフードの下で頬を真っ赤にして、もう一回、と言う。
「先輩、二十一回目です」
「数えなくていいの」
結局、二十一回目にも乗った。降りたあと、綿あめの屋台の前で、サエがふいに聞いた。
「宮下くんは、誰かに告白したことある?」
「ないです。作るほうが専門なんで」
「そう」
サエは綿あめを一口かじって、少しだけ笑った。
「わたしも、ないの。言われたことは何回かあるけど、全部、生徒会長に向けて言われた気がする」
フードの下の横顔は、昇降口で手を止めたときと同じだった。
依頼の中身は、ひとつだけだった。観覧車の一番上で、ゴンドラが止まること。
「何分止めます」
「3分」
「3分で足ります?」
「長いと、逃げたくなるでしょう。わたし、逃げ方だけは上手なの」
「相手は誰なんですか。演出、合わせますけど」
サエはフードの紐を指に巻きつけて、しばらく黙っていた。
「……宮下くんは、知らないほうがいいと思う」
知らないほうがいい、ということは、俺の知っている人なのだろう。
最初に浮かんだのは、副会長だった。三年で、背が高くて、成績は学年で二番。生徒会室へ行くと、たいてい会長の向かいの席で電卓を叩いている。先月、文化祭の予算で会長が三日寝られなくなるほどもめた相手も、たしかこの人だ。さんざんもめた相手が気になって仕方なくなるのは、ドラマではよくある話だ。
いや、と思い直した。夏の合同会議で一緒になった他校の生徒会長の話を、先輩から一度だけ聞いたことがある。全国模試の名簿に毎回名前が載っていて、英語の弁論大会で優勝した人だそうだ。英語で12点を取るような俺には、言いづらい相手だろう。
どちらにしても、あの完璧な生徒会長が、3分で言い切らなければ逃げ出してしまう相手だ。それくらいの人でなければ釣り合わない。俺の出る幕はない。俺にできるのは、その3分を1秒も狂わせないことだけだった。
俺はゴンドラが頂上でぴたりと止まる仕掛けを、百回試した。七回、止まらずに一周した。全部直した。
イオのワールドは、俺の町の、夕方の商店街だった。
イオには会ったことがない。南のほうの島に住んでいて、島の高校の同じ学年は四人しかいない。女子はイオだけだ。夜になると話す相手はハコニワの中にしかいないのだと、いつだったか笑って言っていた。
最初に会ったのは、一年前の夜中の3時だった。まだテスト用のリンクしか出していない作りかけの俺のワールドに、知らないアバターが一人で座っていた。リンクを踏み間違えたらしい。床が半分しかない世界で、イオは、ここ静かでいいね、と言った。次の夜から、誰より先に来るようになった。
「陽太が毎日通ってる道を、歩いてみたいの。踏切とか、たい焼き屋さんとか」
「そんなのでいいのか。告白に使うんだろ」
「うん。そこを、一緒に歩けたらなって」
「相手は、俺の町のやつなのか」
イオは麦わら帽子のつばを下げて、くすくす笑った。
「そうかもね」
木曜の朝5時、俺はメジャーとスマホを持って、駅前の商店街に立っていた。たい焼き屋のシャッターの幅、八百屋の軒先の傾き、踏切の遮断機が下りきるまでの秒数。写真から起こすより、自分で歩いて測ったほうが確かだ。イオはこの道を、一生歩かないかもしれない。だったら、せめて限りなく本物にしてやりたかった。
たい焼き屋のおばちゃんには、不審者と間違われた。仕方なく事情を話した。遠くに住んでいる友達が告白に使うから、俺が毎日通るこの道を作ってほしいと言っている。
おばちゃんは途中から、ニヤニヤしはじめた。
「その子、あんたの通る道が見たいって言ったの」
「はい。踏切とか、ここのたい焼き屋とか」
「へえ。じゃあ相手は、この町の子なんだ」
「そうかもね、って言ってました」
「そうかもねえ」
おばちゃんは同じ言葉を、やけにゆっくり繰り返した。それから試作品だという焦げたたい焼きをひとつ、紙に包んで俺に持たせた。
「その子によろしくね。お兄ちゃんも、がんばんなさいよ」
がんばるのは告白するイオのほうで、俺は告白のお膳立てをするだけなのに。そう思いながら、焦げたたい焼きをかじった。
家に帰ると、学校へ行くまでの2時間で、測ってきた寸法を商店街に入れた。踏切の遮断機は、本物と同じ秒数で下りるようにした。
その夜、先輩の観覧車の止まる仕掛けを直し終えたところで、四つとも、できあがった。
四人には一人ずつ、別々に知らせた。誰にも言わないでと頼まれているので、グループには書けない。文面はほとんど同じにした。完成したこと。それから、明日の再テストでしくじってヘッドセットを取り上げられても大丈夫なように、仕掛けを全部自動にしてあること。
返事は、5分もしないうちに四つとも来た。
『は? あんたがいてくれないと困るんだけど。60点取りなさいよ』
『だめです。せんぱいがいないと…その……とにかくだめなんです』
『自動では困ります。何かあったらどうするんですか。必ず60点を取ってください』
『陽太がいない商店街は、ただの商店街だよ』
四通とも、来いと言っていた。照明も花火も観覧車も踏切も、時間が来れば勝手に動くようにしたのに。そんなに信用がないのか、俺の仕事は。少しだけ落ち込んだ。
それでも、四人の本番を見届けられないのは、俺だって嫌だった。
夜中の1時、入口の石段でイオが待っていた。英語の相手をしてくれる約束だった。
できあがったばかりの商店街を、二人で歩いた。看板をひとつ通り過ぎるたびに、イオが英単語をひとつ出す。答えられないと、麦わら帽子を揺らして笑った。たい焼き屋の前で立ち止まって、イオは匂いを確かめるみたいに鼻を動かした。
「陽太は、毎日ここ通ってるんだね」
「通ってるだけだけどな」
「通ってるだけがいいんだよ。わたしの島、毎日通る道が一本しかないから」
踏切の前で、遮断機が下りた。電車の影が通り過ぎるのを、イオは最後まで見ていた。
遮断機が上がると、イオはこちらに向き直った。麦わら帽子を脱いで、胸の前で両手に持つ。
「陽太、ありがとう。この道、たぶん一生忘れない」
「大げさだな。測って並べただけだぞ」
「それが、うれしいんだよ」
イオは帽子をかぶり直して、つばの下から俺を見上げた。
「だから明日の再テスト、絶対に60点取ってね。それで土曜は、絶対に来て。陽太が来ないと、始まらないから」
「さっきも言われたよ」
「何回でも言うよ。絶対だからね」
作った本人がいないと始まらない、とまで言われるのは、職人として悪い気はしなかった。商店街を引き返すあいだに、単語をあと二十個覚えた。
金曜の再テストは、64点だった。人生で一番、真剣に英語を解いた。母は答案を二度見して、ヘッドセットの没収を取り下げた。
答案を写真に撮って、グループに貼った。12点の答案を貼ったのと同じ場所だ。返事は1分もしないうちに四つ来た。
『やればできるんじゃない。四十二段ぶん、感謝しなさいよ』
『せんぱい、おめでとうございます。レモンのカード、効きましたね』
『去年のノート、役に立ったみたいね。返すのは来週でいいわ』
『夜中の1時のぶんも、ちゃんと入ってるよね』
四人とも、明日は自分の告白の本番だ。それなのに、俺の点数ひとつでこんなに喜んでくれる。いいやつらだな、と思った。
土曜の夜8時50分、四つの世界の最後の点検が終わった。
競技場の照明は夕方の色で、ゴールの先で桜が一本だけ光っている。海辺のステージの床下には反響板が十二枚。遊園地の観覧車は、頂上で3分きっかり止まる。商店街のたい焼き屋からは、焦げた甘い匂いまで再現した。四つの世界の裏口は、点検用の小部屋に全部つないである。
8時58分、通知が四つ、ほとんど同時に鳴った。
『9時、ゴールに来て。絶対』
『せんぱい、9時にステージの前で待ってますね。来なかったら泣きます』
『9時、観覧車の前で。会長命令です』
『9時に、踏切のところで待ってる』
俺は四つの文面を、二回ずつ読んだ。
やっぱり全員、9時に最終チェックをしたいらしい。木曜の夜、あれだけ念を押されたのだ。相手が来る前に、照明と音と仕掛けを確かめておきたいのだろう。分かる。俺でもそうする。
問題は、体がひとつしかないことだった。
残り2分。俺は作成画面を開いた。ハコニワでは、なんでも作れる。世界も、そこにいる人間も。自分のアバターを三つ複製して、それぞれに台詞を入れた。時間がないので、三つしか入れられなかった。
お疲れ。出来はどうだ。
照明、もう少し落とすか。
よかったな。
最終チェックなら、これで足りるはずだ。分身を競技場と、海辺と、商店街に一体ずつ送った。本物の俺は遊園地へ行く。一番壊れやすいのは観覧車の止まる仕掛けで、そこだけは自分で乗って確かめたかった。ほかの三つの世界は、視界の端に小窓を開いて映しておく。四人ぶんの声が混ざるとわけが分からなくなるので、音は切った。
9時ちょうど、観覧車の前に、フードをかぶったサエが立っていた。
「……来てくれたのね」
「そりゃ来ますよ。乗りましょう」
ゴンドラは二人乗りにしてある。向かい合わせに座ると、サエは膝の上で手を組んで、一度ほどいて、また組んだ。ゴンドラがゆっくり上がりはじめる。
視界の端の小窓では、夏芽がスタートラインに立っていた。ゴールには、俺の分身が立っている。夏芽は一度だけ空を見上げて、走り出した。夕方の色の照明の下を、400メートル。現実ではまだ松葉杖をついている足で、ここでは誰よりも速く走って、分身の前で止まった。
夏芽の口が動いた。頬が、照明よりも赤い。
分身の頭の上に、吹き出しが出た。
お疲れ。出来はどうだ。
夏芽が固まった。もう一度、口が動いた。
照明、もう少し落とすか。
夏芽は分身の頭上の名札を見た。宮大工のコピー、と書いてある。夏芽は三歩下がって、助走をつけて、分身を蹴った。分身はきれいな放物線を描いて、桜の向こうに消えた。
照明がまずかったのだろうか。
二つ目の小窓では、海辺に花火が上がりはじめていた。ステージの上で、ユズがマイクを握っている。銀色の髪が、花火の色を順番に映す。ユズが大きく息を吸った。口が、見たこともないくらい大きく開いた。音を切っていても、叫んでいるのが分かった。柚葉が、大きな声を出している。
ステージの前の分身に、吹き出しが出た。
よかったな。
ユズが止まった。分身は、もう一度言った。
よかったな。
ユズはマイクを置いて、ステージから飛び降り、分身の胸ぐらをつかんで揺さぶりはじめた。花火は律儀に上がり続けている。
音響の問題だろうか。
三つ目の小窓は、夕方の踏切だった。イオが分身と並んで立っている。遮断機が下りて、電車の影が二人の上を流れていく。電車が通り過ぎたところで、イオが何か言った。
照明、もう少し落とすか。
イオは、笑った。肩を震わせてしばらく笑ってから、縁石に座って膝を抱えた。麦わら帽子のつばの下から、まっすぐ空を見上げる。小窓越しに、目が合った気がした。イオは口だけで何か言って、メニューを開いた。
電車のダイヤがまずかったのだろうか。
「宮下くん」
向かいの席で、サエが言った。ゴンドラが頂上に着いて、がたん、と止まる。3分のタイマーが動きはじめた。
「よし、止まった」
「宮下くん、あのね」
「はい」
「……ちょっと待って」
サエはフードの紐を握りしめて、窓の外を見た。遠くに、俺の作った夜景が広がっている。
「あのね、わたし、宮下くんのことが」
そこで、視界の端に通知が三つ並んだ。ナツメがあなたの場所に移動しています。ユズがあなたの場所に移動しています。イオがあなたの場所に移動しています。
「……宮下くん。いま、どこを見てるの」
「あ、いや、点検の窓を」
「わたしの話の途中で?」
ゴンドラが、どすんと大きく揺れた。
屋根の上に、夏芽が着地した音だった。満員の場所に飛んでくると、空いている一番近い場所に出る。この観覧車の一番近い空きは、ゴンドラの屋根と、隣のゴンドラと、支柱の鉄骨だった。隣のゴンドラの窓に、ユズが顔をべったり押しつけている。鉄骨には、イオが麦わら帽子を押さえてしがみついていた。
「あんた! なんで会長と観覧車乗ってんの!」
「わたしのとこ、分身でしたよね! よかったなって、二回言われたんですけど!」
「わたしは、照明もう少し落とすか、って言われた」
イオだけが、楽しそうだった。
夏芽が屋根を踏み鳴らすたびに、ゴンドラが揺れた。隣のゴンドラでは、ユズがステージに残っていた花火を、窓の内側でばちばち鳴らしている。イオは片手で麦わら帽子を押さえたまま、鉄骨の上で器用に足を組んだ。
サエが、ゆっくり三人を見回した。夏芽の頬は赤くて、ユズの目は濡れていて、イオの肩はまだ笑いで震えている。サエの顔から、すっと色が引いた。
「……あなたたち、まさか」
四人が顔を見合わせた。誰も何も言わなかった。言わなくても分かったらしい。俺以外の全員が。
「なんだよ。全員、相手は誰なんだ」
四人の声が揃った。
「あんた」「せんぱい」「宮下くん」「陽太」
呼び方だけが、四通りだった。
オレンジが好きで、背は俺くらい。知ってる、と夏芽は言った。
最終チェックでせんぱいも来てくださいね、と柚葉は言った。
練習台になってくださいと言われて、俺はその好きですを、声が小さいと突き返した。
知らないほうがいいと思う、と先輩は言った。そうかもね、とイオは笑った。
全部、俺だった。
締め切りが四件とも土曜の9時だった理由も、いまなら分かる。いつも五人で集まるあの時間を、四人とも、独り占めしたかったのだ。俺はこの一週間、四人がそれぞれ俺に告白するための舞台を、本人たちに頼まれて、全力で作っていたことになる。夜中まで。12点を取りながら。桜の枝ぶりを三回作り直して。
「……なんで、俺に作らせたんだよ」
最初に答えたのは、屋根の上の夏芽だった。
「あんたの作った場所なら、走れるから。現実じゃ、まだ一歩も走れないけど」
隣のゴンドラで、ユズが窓に額をつけたまま言った。
「せんぱいの作ったところなら、声が出ると思ったんです。出ました。分身相手でしたけど」
向かいの席で、サエがフードを外した。
「宮下くんは、いつも頼まれる前に作ってしまうでしょう。一度くらい、わたしから頼んでみたかったの」
鉄骨の上で、イオが足をぶらぶらさせた。
「陽太の町を、陽太に案内してほしかったんだよ。気づいてくれたら、もっとよかったけど」
「で」
夏芽が、屋根をかかとで二回鳴らした。
「誰を選ぶの」
四人が、俺を見た。
考えた。こんなに考えたのは、12点の答案を前にしたとき以来だ。いや、あのときよりずっと考えた。
夏芽を選んだら、柚葉はたぶん、週明けから図書室でまた息だけの声に戻る。
柚葉を選んだら、先輩はまた生徒会室で一人で目を閉じる。
先輩を選んだら、イオは島の夜に、石段で一人になる。
イオを選んだら、夏芽は駅の階段で、もう俺に鞄を貸さない。
誰を選んでも、三人が笑わなくなる。
俺が世界を作ってきたのは、ここにいるあいだくらいは笑っていてほしかったからだ。その俺が三人を笑えなくするのは、どう考えても順番がおかしい。
「選べない」
正直に言った。
「選んだら、残りの三人が笑わなくなるだろ。それは、俺が困るし嫌だ」
言いながら、この一週間のことを思い出していた。桜の枝ぶりを三回作り直したこと。照明の色を、あのグラウンドに合わせたこと。反響板を十二枚仕込んだこと。観覧車を百回止めたこと。朝の5時に、商店街でメジャーを伸ばしていたこと。依頼主が誰でもいいなら、あそこまではやらない。
「それに、たぶん俺、四人とも好きなんだと思う。一人ずつ、ちゃんと」
今ごろ気づくのか、と自分でも思った。依頼が四件揃った明け方に胸の奥が重くなったのは、唐揚げのせいではなかったらしい。
最低、と夏芽が言った。耳まで赤かった。
ずるいです、とユズが言った。
優柔不断ね、とサエが言った。
陽太らしいね、とイオが笑った。
タイマーは、残り10秒を指していた。
「でもさ」
俺は作成画面を開いた。
「ここは、ハコニワだろ」
ハコニワでは、なんでも作れる。世界も、そこにいる人間も。だったら、選ばなくていい世界だって作れるはずだ。
まず、観覧車のタイマーを止めた。残り3秒だった。止まっている観覧車を、さらに止めた。
それから作成画面を四枚に増やして、目の前に並べた。競技場、海辺、遊園地、商店街。点検用の小部屋を通して、四つの世界の裏口を一斉に開ける。この一週間、毎晩明け方まで触っていた世界だ。どこに何があるかは、目をつぶっていても分かる。
最初に動いたのは、地面だった。窓の下で、遊園地のまわりに競技場のトラックがぐるりと巻きついていく。夕方の色の照明が順に灯り、白線が一本ずつ引かれて、ゴールの先で桜が一本だけ光った。屋根の上で、夏芽が息をのむのが聞こえた。
次は海だ。トラックの外側の半分に砂浜を敷き、その先に夜の海を広げる。ステージを浜に据えて、床下の反響板を十二枚、一枚も外さずに運んだ。花火の打ち上げ地点を沖へずらすと、隣のゴンドラで、ユズが窓に両手をついた。
最後に、商店街を引っぱってくる。木曜の朝5時に測った寸法のまま、八百屋の軒先も、たい焼き屋のシャッターも、何ひとつ縮めない。商店街は遊園地の正門へまっすぐ続く道にして、踏切を越えた先にゲートを立てた。鉄骨の上で、イオが麦わら帽子を胸に抱えた。
継ぎ目を、ひとつずつ確かめる。遊園地とトラック。トラックと砂浜。商店街と正門。どこも、1センチもずれていなかった。
サエが、窓の外と俺の手元を何度も見比べている。
「……これ、いま作ってるの?」
「つないでるだけです。中身は全部、この一週間で作ってあったんで」
それから、ゴンドラを作り直した。向かい合わせの座席を外して、五人が輪になって座れる丸いベンチに替える。窓は、四つの世界が全部見渡せるところまで広げた。屋根の上の夏芽と、隣のゴンドラのユズと、鉄骨のイオを、新しいゴンドラの中へ移した。
止まる時間の欄には、15分と打ち込んだ。
「なんで15分なの」
「一人3分で、五人ぶん」
「なんであんたの分まで入ってんのよ」
「俺にだって、言いたいことくらいある」
世界の名前の欄には、少し迷ってから、定員五名、と打ち込んだ。
最初に吹き出したのは、イオだった。つられてユズが笑い、サエが両手で顔を覆って肩を震わせ、夏芽が、ばっかじゃないの、と言いながら、一番大きな声で笑った。
右隣に座った夏芽が、何も言わずに肩をぶつけてきた。左隣では、ユズが俺の腕に自分の腕を絡めた。向かいのサエはフードを外したまま、俺の袖の端をつまんでいる。イオは自分の麦わら帽子を、俺の頭にかぶせた。
花火が上がった。広くなった窓いっぱいに、四つの世界が見える。止まった観覧車の下で、メリーゴーラウンドだけが回り続けている。
空は、半分だけ夕焼けのままだった。商店街は夕方の世界だから、その上にだけ茜色が残っている。踏切のあたりで茜が群青に溶けて、海の上はもう夜だった。つなぐときに、空の時刻を揃えるのを忘れていた。花火がひとつ、その境目をまたいで開いた。夕焼けの側では金色に、夜の側では白く見えた。
揃えようか、と言いかけたところで、イオが窓に額をつけた。
「このままがいい」
誰も反対しなかった。
「今回だけだからね」
夏芽が言うと、ユズがすぐに首を振った。
「今回だけじゃないです。毎週です」
「毎週土曜の9時ね。生徒会の予定、空けておかないと」
「わたし、いつも一番に来て待ってるから」
最初の3分は、夏芽だった。窓の外のトラックを指さして、月曜からリハビリに行く、と言った。治ったら現実のグラウンドで400メートル走るから、ゴールで待ってて。今度は本物のあんたが。それだけ言って、そっぽを向いた。
次の3分で、ユズはアバターの背を、現実の柚葉の高さまで縮めた。銀色の髪だけはそのままにして、俺の耳元で、練習のときと同じ言葉を言った。今度は、声が小さいとは思わなかった。
サエの3分は、ほとんど沈黙だった。2分50秒たったところで、宮下くんのことが好き、と早口で言い、残りの10秒でフードをかぶり直した。逃げ方は、やっぱり上手だった。
イオは3分かけて、島の話をした。毎日通る一本道のこと。坂の途中の自販機が、夏でも温かいお茶しか出さないこと。いつかその道を、陽太と歩きたいこと。
最後の3分は、俺の番だった。何を言ったのか、半分くらいは緊張で覚えていない。四人とも笑っていたから、たぶん間違ってはいなかったのだと思う。
15分は、思っていたより短かった。
月曜の朝、駅の階段の下で夏芽が待っていた。
鞄を貸せと言うと、夏芽は黙って鞄を差し出した。舌打ちはなかった。そのかわり、四十二段のあいだ、一段ごとに英単語を出された。今週の小テストの範囲を、なぜか俺より先に知っていた。放課後はリハビリだから先に帰れ、とも言われた。
図書室の前の廊下で、柚葉とすれ違った。
「……おはようございます、せんぱい」
息だけの声ではなかった。廊下の端まで届くほどではないけれど、俺の耳には、はっきり届いた。
昼休みに、先輩からメッセージが来た。
『今週も土曜の9時。遅刻したら、生徒会長の権限で分身禁止です』
夜には、イオから写真が一枚届いた。島の夕焼けだった。海に沈みかけた太陽が、あの商店街のたい焼き屋の明かりと同じ色をしている。
『次は、こっちの夕方も作って』
現実は、今日もいろいろある。夏芽の足首はまだ治らないし、柚葉の教室は静かなままだし、先輩の受験は近づいてくるし、イオの島は遠い。俺の英語も相変わらずだ。
それでも土曜の夜9時になれば、定員五名のゴンドラが、てっぺんで15分止まって待っている。
俺は今夜も、ヘッドセットをかぶる。




