第58章:ビラを配る者
【第58章:ビラを配る者】
薄曇りの朝、四谷駅前のロータリー。通勤客の流れの中に、ひとり立ち尽くす若い女性の姿があった。手には束ねたビラ、胸には「民正党」と書かれたバッジ。東條たちがXデーに向けて奔走していた同じ頃、彼女もまた、別の戦場に立っていた。
「おはようございます! 次の世代に、自由な未来を残しましょう!」
綾乃は、明るい声で通行人に呼びかける。だがほとんどの人はビラを受け取らない。無表情で歩き去る人々の列。
その中にひとり、ビラを受け取って足を止めた年配の男性がいた。
「君、この政策…本気で信じてるのか?」
「はい。政府と企業の癒着を正し、市民の目線で政治をやり直すために、必要な一歩だと信じています。」
「でもな、現実は甘くないぞ。」
「知ってます。けど、甘くないからこそ、動かないといけないんです。」
そう答える綾乃の目には、一瞬も揺らぎがなかった。
彼女は、Xデー前から水面下で情報を集めていた。旧体制と企業の癒着、遺伝子情報の不正運用、特区における少年たちの監禁。それを「匿名報告者A」として、複数の独立メディアに流していたのも、彼女だった。
Xデー後の混乱の中で、その報道は爆発的に広がる。「真実は語られた」「もう目を逸らせない」人々の意識が変わり始める。
そして――
選挙の日。旧政府与党である自衛党は、歴史的な大敗を喫する。代わって、民正党が第一党となり、与野党再編が起こる。
静かな革命の始まりだった。
綾乃はその日も駅前に立ち、ふと空を見上げる。ビルの上をゆっくりと雲が流れていた。
「彼らの戦いが、意味を持ったんだよね――ありがとう。」
その言葉は、誰に届くでもなかった。だが、確かに、何かが変わり始めていた。




