第26章:病院
【第26章:病院】
病室の空気は、淡い光に包まれていた。 カーテン越しに、春の陽が射し込んでいる。
「あなたが、ご主人?」
白衣の医師が書類から顔を上げて問いかけた。
「いいや、付き添いの人でんがな」
平八は両手を軽く広げて、慣れた調子で答える。
「お友達の方ですか」
「まぁ……そんなとこで」
医師は視線を向けると、静かに口を開いた。
「彼女、目に痣があるでしょう。でも、それでも……以前よりは、だいぶ軽くなった方です」
「……?」
平八は眉をひそめた。
医師は、小さくため息をつきながら、カルテを閉じた。
「前に来た時は……もっと酷かったんです」
***
回想が始まる。
ベッドに腰かけ、目を伏せた静香の声が震えていた。
「一時記憶喪失って……なんですか?」
「私の脳に……何が起こっているんですか……?」「私の頭……どこがおかしいんですか……?」
彼女は、両手でこめかみを抱えながら、必死に何かを思い出そうとしていた。
「記憶がないって……どういうことですか……?」「私は……何を……忘れているんですか?」
問いかけに、医師は言葉を詰まらせたまま、何も答えられなかった。
***
回想が終わり、病室の空気が静かに戻る。
「……なるほど」
平八がぽつりとつぶやいた。
「これはドメスティックバイオレンスやな」
医師は無言でうなずいた。
「ご主人と離れないと、お腹の子供にも……危険があるんです」声はどこか慎重で、そして苦しげだった。
「仮に生まれても……その子にとっても地獄やな」平八の声が、ほんのわずかに震えていた。
窓の外から、小鳥のさえずりが聞こえた。
季節は巡る――しかし、静香の人生は、いままさに選択を迫られていた。




