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その日から雨はずっと降り止みませんでした。このジメジメとした空気のせいなのかどうなのか分かりませんが、学校の雰囲気はどんどん不気味なものになっていきました。誰もが何かを警戒していて、ずっとピリピリしているのです。
「ほら、あそこで捜してる」
「やだ怖い」
音楽室に向かう途中、クラスの子が外を見ながら言いました。学校の周りが畑ばかりなので、音楽室のある三階の廊下から周辺の景色がよく見えます。
少し離れた雑木林に、紺色の作業服を着た大人達が出たり入ったりしています。何を捜してるのかは考えたくありません。
音楽の授業では合唱の練習をしています。毎年、夏休み前に父兄を招待して発表会をしているからです。お母さんは忙しくてほとんど来てくれませんでしたが、去年は何とか仕事を休んで来てくれて、とても嬉しかったです。
でも、そのせいでもっと忙しくなってしまったようなので、今年は無理をしてまで来て欲しくないです。
合唱の練習は、女子のソプラノと男子のアルトに分かれて、別々の教室でやっていました。私達女子は音楽準備室で、使い込まれたCDプレーヤーを使って練習をしていました。先生は男子のいる音楽室です。
CDの音楽に合わせて歌を歌います。正直お世辞にも良いとは言えない歌声でした。みんな気もそぞろで音程がフラフラ、そして声がとにかく小さいのです。ちゃんと歌おうとすると自分の声が目立ってしまうので、私もどんどん声が小さくなっていきます。
「きゃあ」
歌声に悲鳴が混じりました。
「今の何?」
「聞こえたよね」
「え、何が」
数人が怯えたように騒ぎます。私を含めた他の数人が訳も分からずに困惑しました。
「声が、変な声が聞こえたよね」
怯えていた女の子が頷きましたが、私は聞こえなかったのでピンときません。他の困惑していた子も聞こえていなかったようです。
「声ってどんな?」
「何か女の人のうめき声みたいなのが」
「私も一瞬だけど、うーっていうか、うがーっていうか……そんな声がサビの直前に」
「気づかなかったけど」
うめき声が聞こえた人と、聞こえなかった人は丁度半々です。
「車の音とかではなかったのかしら?」
聞こえなかったゆりあさんが戸惑いながら訊きます。学校の裏側に通っている道路は、車通りは少ないのですが校舎と近くて、よく車の走る音が聞こえました。
「違うの、そんなよく聞く音じゃなかったの」
それからは授業そっちのけで、うめき声らしき音についてあれこれ話し合いました。耳を澄ましてみてもその音は再び発せられることはなく、色々と出てくる可能性も「これだ!」と言えるものはありませんでした。
結局、私達は原因を突き止めることができませんでした。もう音楽室に集まらないといけない時間です。そこで、ゆりあさんが提案します。
「きっと気のせいよ。もう確かめようがないのだから、そういうことにして忘れましょう」
うめき声を聞いたという子達が、渋々ながら頷きました。これでこの騒動は終わりになりました。
「あのさ、音楽の授業中寝てたんだけど、何かあった?」
そう訊く山田さんは、ちょっと抜けてるように見えました。あんなに騒いでいたのに起きないなんて、少し危機意識に欠けているのではないでしょうか。
「別に。ちょっと勘違いがあっただけだよ。あと、あんまり大声出さないの」
今は昼休みの図書室に居ます。私語厳禁とまでは言いませんが、図書室では静かにするべきです。
「……山田さん本読めるの?」
「私のこと何だと思ってんだよ。本くらい読めるわ。眠くなるだけで」
「じゃあ寝に来たの?」
「眠くなるのは文字だらけの本だけだ。今日の目当てはこれだからな」
山田さんが持っていたのは、この学校の歴代の卒業アルバムでした。卒業アルバムは図書室から持ち出すことはできませんが、閲覧することはできました。
「何でそんなの見てるの?」
山田さんが急に得意気になりました。
「黒姫さんがあのお化け屋敷に住んでいるって設定があるんなら、あそこに住んでた小島万里とかいう奴が黒姫さんの正体かもしれねぇだろ。家があそこなら、この学校の卒業生だろ。だったら卒業アルバムに写真があるじゃん。どうだ、この名推理」
「……うん、そうだね」
気にしないことにします。
「あーそうそう、消えた隣の男……芝原だっけ? どんな奴だったんだ? 変な手紙書いてるし黒姫さんかもな奴と結婚してるし、ヤバい奴なのか?」
「穏やかで、ちゃんとした人だよ。でもあんまり知らないから分からない」
「ずっと隣に住んでんのに知らねぇの?」
「ずっとじゃないよ。私が小学生になる年に引っ越してきたの」
私が初めて芝原さんに会ったのはその年の二月、幼稚園がお休みの日でした。雪が降るかもしれないという天気予報を聞いて、私はベランダで空を見ながら雪を待っていました。
前の道を、大家さんと知らない男の人が歩いてきました。大家さんと親しそうに話していたので、お友達なのかなと思いながら見ていました。その時目が合って、人見知りだった私は驚いて家の中に逃げてしまいました。その人が、芝原さんでした。
芝原さんはゴールデンウィーク頃に引っ越してきました。顔を合わせるたびに芝原さんは挨拶をしてくれましたが、最初の頃はまともに挨拶を返すことができませんでした。ちゃんと挨拶を返せるようになったのはここ一年くらいのことです。
「話もしたことねぇのか? 隣なのに?」
「話はしたことあるよ。天気と気温以外は一回だけ」
あれは去年の十月だったでしょうか、学校から帰ると芝原さんがベランダでバラの花を切り落としていました。芝原さんが引っ越してきた日からあった、小振りで薄ピンク色のバラの花でした。まだ綺麗に咲いてるのにパチンパチンと、切られて床に落ちていきます。
私の視線に気づいたのか、芝原さんがこちらを向きました。
「まだ咲いてるのにどうして切っちゃうの?」
私が訊くと、芝原さんは穏やかな声で答えてくれました。
「花殻は早めに切っておかないとバラの木が疲れてしまうんだよ。今年は気候のせいか弱ってしまっているから」
「でも、もったいないね」
私がそう言うと、芝原さんは形の良いものを選んで小さな花束を作り、渡してくれました。暫くの間、仏壇がファンシーになりました。
「それだけ?」
「それだけ」
そういえば芝原さんが引っ越しの挨拶をしに来た時、お母さんも芝原さんも驚いていたように見えました。元々知り合いだったようにも見えましたが、その時もその後もお母さんから何も教えてもらってないので、実際はどうだったのか分かりません。
休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り、私達は本や卒業アルバムを片付けて教室に戻ります。廊下を歩きながら、そういえば山田さんに芝原さんと小島万里さんが結婚していたかもしれないって話したっけ? と考えていました。もしかしたら、おばさんの話し声が聞こえていたのかもしれません。




