序章 第一幕:見捨てられた聖女 第4話 前編
神殿の門が見えた瞬間、マリーの足はさらにゆっくりになった。石造りの塔が空を裂くようにそびえ、門の前には衛兵が二人、無言で立っている。
そのうちの一人が、マリーの姿を確認すると、眉ひとつ動かさず、彼女に冷たい目を向けた。まるで、風に吹かれた落ち葉でも見るような視線だった。
門をくぐると、神官たちが廊下の奥からちらりとこちらを見た。誰も声をかけない。ただ、「また帰ってきたのか」とでも言いたげな、無関心と軽蔑が混ざった表情が並ぶ。
また、侍女たちはマリーの泥だらけの聖女の衣を見て、わざとらしく鼻を鳴らした。
「泥だらけの聖女なんて嫌ね」
「庶民のくせに、聖女ぶって……」
「まるで品がないわね」
小声のつもりなのかもしれないが、マリーの耳にははっきり届いた。それでも彼女は、何も言わずに歩き続ける。そのとき、柔らかな足音が近づいてきて、彼女の前に二人の侍女が立ち止まった。
「マリー様、お帰りなさいませ」
カミーユ・ドゥ・ボンパドゥールは、静かな微笑みを浮かべて一礼した。栗色の髪をきちんと編み上げ、淡い水色のリボンを結んだ姿は、まるで絵画の中の貴婦人のようだった。肌は陶器のように滑らかで、薔薇色の瞳には深い知性と慈しみが宿っていた。その立ち居振る舞いには、貴族の娘としての品格と、誰にでも分け隔てなく接する優しさが滲んでいた。
「泥だらけでも、マリー様はマリー様よ。さ、湯あみに行きましょ!」
クララ・ベルナールは、明るい声でマリーの手を取った。
彼女はカミーユとは対照的に、少し陽に焼けた小麦色の肌と、肩までの伽羅色の髪を無造作に結んだ姿で立っていた。頬には笑いじわがあり、瞳は澄んだ翡翠色。その笑顔は、まるで夏の麦畑のように温かく、見る者の心をほぐす力があった。かつて、婚約破棄で泣いていた頃の影は、もうどこにもなかった。今のクララは、神殿の中でもっとも快活で、誰よりも人の痛みに寄り添える侍女だった。
マリーは驚いたように二人を見つめた。冷たい視線に晒され続けた心が、ふと緩む。
「……ありがとう。少し、温まりたいかも」
クララは満面の笑みでうなずき、マリーの手を引いた。カミーユは黙ってマリーの荷物を受け取り、三人は並んで廊下を歩き出す。
「湯殿、空いてるといいな。今日は巡礼者が多かったから」
クララが先を歩きながら言うと、カミーユが静かに応じる。
「でも、マリー様のためなら、少しぐらい順番を変えてもらえるかもしれません」
マリーは二人の背中を見つめながら、胸の奥に小さな灯がともるのを感じた。神殿の石壁に囲まれた空間の中で、彼女の歩みは少しだけ軽くなった。




