序章 第三幕:旅立ち 第9話
夜市の灯りが少しずつ遠ざかっていく。香辛料の匂い、異国の布地、楽器の音、笑い声。交わりの市の夜はまだ賑わいの中にあったが、五人はそろそろ宿へ戻ることにした。誰が言い出したわけでもない。ただ、自然と足が宿の方へ向いていた。
「ふぅ……楽しかったね」
クララが手に抱えた布袋を軽く揺らしながら言った。袋の中には市で買った小さな香草の束と、旅人が描いた地図の切れ端が入っている。
「人も物も王国とはまるで違う。あれが隣国の市だって言われても、信じられないよ」
マリーは空を見上げながらぽつりと呟いた。夜空には雲がかかり、星々がちらちらと顔を覗かせている。
「制度も文化も王国とはまるで違うからな。隣っていうより別の時代に来たみたいだ」
リュカは肩をすくめながら笑った。手には、夜市で買った串焼きの残りをぶら下げている。
「でも、だからこそ面白いよね!知らないことばっかりで、冒険って感じ!」
クララは両手を広げて、夜風を受けながら言った。風は山の方から吹き下ろしてきて、少し冷たかった。
「面白さの裏には危険もある。油断しなければ、異世界でも生きていけるさ」
アンリは静かに頷きながら、前を見据えていた。彼の背には市で補充した薬草の包みがくくりつけられている。
「違う世界だからこそ行ってみる価値がある。植物も人も風の流れさえも……全部が新しい」
カミーユは足元の石畳を見つめながら穏やかに言った。彼女の手帳には市で見かけた珍しい果実のスケッチが描かれている。
「じゃあ、フリューゲルに着いたらまず、探検家組合の支部に行けばいいのかな?」
クララがふと口を開いた。宿は山の中腹にある。明日からはこの山を下り、丘陵地帯を越えてフリューゲルへ向かう予定だ。
「そう。まずはそこに行って、この前書いた書類を提出すればいい。後は探検家組合の人間に任せとけばどうにかなるだろ」
アンリは腕を組みながら、歩を進める。
「あと、アルケマシーネカードの申請について聞く必要があるね。都市部なら窓口があるはず」
マリーはメモ帳を見ながら言った。
「支部に行ったら、登録の確認と依頼の一覧を見ておきたいな。どんな仕事があるかで動き方も変わるし」
リュカは手を後ろに組みながら、ゆったりとした足取りで言った。
「地図の更新もしておきましょう。支部では最新の危険地情報が手に入るはずです」
カミーユは静かに頷きながら手帳を開いた。
「掲示板も見てみたいな!旅人同士の交換メモとか、面白い話がいっぱいありそう!」
クララはメモ帳を抱え直しながら少しはしゃいだ声で言った。
「情報は拾えるうちに拾っておけ。くだらない噂でも命を救うことがある」
アンリは少しだけ口元を緩めて言った。
「じゃあ、フリューゲルに着いたらやるべきことを整理しておこう。支部への報告、依頼の確認、地図の更新、カード申請……それぞれ役割分担して動いた方が効率がいい」
リュカはふと立ち止まり、振り返るように言った。
「じゃあ、あたしは掲示板と人の話を聞く係ね!市で鍛えた聞き込み力、見せてあげる!」
クララは胸を張って言った。
「私は地図と植物の記録を担当します。支部で資料が手に入るなら、照合しておきたいです」
カミーユは手帳にさらさらと書き込みながら言った。
「私は制度と申請関係を調べるね。カードのことも支部の手続きも、ちゃんと確認しておきたい」
マリーはメモ帳を閉じながら言った。
「俺は依頼の精査と支部の人間との交渉だな。報酬の条件や危険度は、見極めておかないと」
アンリは静かに言った。
「じゃあ俺は、全体の調整役ってことで。動きやすいように、みんなの情報をまとめておくよ」
リュカは笑いながら言った。
五人の足音が石畳に響き、宿の灯りが見えてきた。山の中腹にあるこの街は交わりの市の賑わいと旅人の静けさが同居している。明日からは山を下り、丘陵地帯を越えてフリューゲルへ向かう。道は緩やかだが、油断はできない。
宿の扉をくぐると、ほのかに灯るランプの光が彼らを迎えた。受付の女性が微笑みながら鍵を差し出す。部屋は二つ。男女に分かれて、今夜は休息を取ることになっていた。
クララはベッドに飛び込むようにして言った。
「ふぅ〜。今日はいろんな人と話して疲れたけど、楽しかったなぁ」
マリーは窓辺に腰掛けて、メモ帳を開いた。
「でも、情報が揃ってきた分、やることも増えたね。支部での手続き、カード申請、依頼の選定……」
クララは枕を抱えながら言った。
「うん。でも、みんなで分担してるから安心だよ。あたし一人だったら、絶対パンクしてた」
カミーユは荷物を整えながら、静かに微笑んだ。
「それぞれの得意分野があるからこそ、旅が成り立ちますね。明日も、記録と観察を忘れずに」
一方、隣の部屋では、アンリが窓を開けて夜風を取り込んでいた。
リュカはベッドに腰掛け、地図を広げている。
「フリューゲルまでの道、明日は峠を越えるんだったな」
リュカが地図を見ながら言う。
「そうだね。昼は穏やかだけど、夕方から霧が出るらしい。注意して進もう」
アンリは静かに答える。
「峠の手前に小さな集落がある。補給と情報収集ができるかもしれない」
リュカは地図に印をつけながら言った。
「三日後にはフリューゲルか……本格的な旅の始まりだな」
アンリは窓の外を見ながら、ぼそっと呟いた。
その言葉に、二人は静かに頷いた。
夜は更けていく。だが、心は少しずつ次の地へと向かっていた。




