序章 第3幕:旅立ち 第8話 後編
乾杯の余韻が落ち着いた頃、アンリが瓶を卓に戻しながら口を開いた。
「さて、そろそろ情報の整理をしようか。各自、何か掴んだ?」
リュカはソーセージの串をくるくる回しながら言った。
「各地域の中心部に探検家組合の支部があるらしい。活動拠点を変える時は各地域の支部に報告しないといけない。報酬の受け取りも支部で行うってさ」
アンリは頷きながら、卓の端に視線を落とした。
「報告と受け取りが支部単位ってことは移動のたびに手続きが必要になるな。面倒だが、組合の信用を得るには避けられない」
アンリの言葉に、クララはふと何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえば、どんな組織かはカレンベルク侯爵の手紙に書いてあったけど……詳しいことは書いてなかったね」
彼女はメモ帳をめくりながら眉をひそめる。
「探検家たちを様々な方法で支援してるっぽい感じだけど……実際はどうなのかな?」
マリーは笑いながら言った。
「まぁ、それは実際に行ってからのお楽しみってことでいいんじゃない?」
カミーユは手帳を取り出し、ページをめくりながら答えた。
「エーデルシュタインでは紙の書面で契約するのが信用の証だそうです。今日、こちらの道具セットを買ったんですけど契約書を書きましたよ」
そう言ってカミーユは小型ナイフやコンパス、ルーペなどが入った実用的な道具セットと購入時に書いた契約書を卓の上に並べた。紙には丁寧な筆記体で署名と印が記されており、端には店の紋章が押されている。アンリは瓶を傾けながら、ぼそっと言った。
「信用ってのは紙より人を見るものだと思ってたけど……その街では紙が人を証明するらしいな」
マリーはくしゃくしゃになった紙を広げながら言った。紙にはヴェルナーラの通貨体系についての簡易な図と説明が記されている。
「ヴェルナーラでは、金貨・銀貨・銅貨のほかに“紙幣”っていう独自の通貨制度があるんだって。色によって額面が違って、緑紙幣が金貨10枚分、赤紙幣が金貨50枚分、青紙幣が金貨100枚分なんだって」
クララは紙を覗き込みながら目を丸くした。
「色で額面がわかるなんて便利でいいね。見分けやすいし、かわいいかも」
リュカは驚いたように眉を上げた。
「紙で金貨100枚分って……それ、盗まれたら終わりじゃない?でも軽くて持ち運びは楽そうだな」
アンリは腕を組みながら、少し考え込むように言った。
「王国じゃ紙幣なんて見たことないな。信用の裏付けはどうしてるんだろう。魔導印刷か?」
マリーは頷きながら、紙の端を指で押さえた。
「うん、国家機密レベルの魔導印刷技術を使ってるんだって。一般人にはどんな仕組みで印刷されてるかは知らされてないみたい」
リュカは驚いたように眉を上げた。
「国家機密って……それ、偽造対策ってことか。魔導技術で通貨を守るって、すごいな」
カミーユは静かに手帳を開きながら呟いた。
「見た目は紙でも魔力を通すと紋章が浮かぶとか……そういう仕掛けなんでしょうか」
クララは目を輝かせながら言う。
「紙幣って音がしないから静かに買い物できそうだね。金貨だと音が出て目立っちゃうし」
マリーは皆の反応に少し嬉しそうに頷きながら、紙の端を指で押さえて話を続けた。
「あとね、都市部では“アルケマシーネカード”っていうのが使われてるらしいよ」
「……カード?」
クララが首をかしげる。
「そのカードを持ってると店とか宿とかで現金を持ってなくても支払いができるんだって。魔導機械と連動してて、口座から直接引き落とされる仕組みみたい」
リュカは目を見開いた。
「え、財布いらないの?それって……魔法の財布みたいなもんじゃん」
アンリは瓶を傾けながらぼそっと言った。
「王国じゃ考えられないな。信用と魔導技術が揃ってないと成立しない仕組みだ」
カミーユは興味深そうに手帳を開いた。
「そのカード、どんな素材でできてるんでしょう。魔導石が埋め込まれてるのかな……」
クララは目を輝かせながら、モクテルをもう一口飲んだ。
「落としたらどうなるの?誰かに使われちゃったら?でも、かっこいい!未来って感じ!」
マリーは少し笑いながら紙を畳んだ。
「発行には身分証明と信用審査が必要なんだって。誰でも持てるわけじゃないみたい」
リュカは腕を組みながら言った。
「それ、王国に持ち込んだら革命起きるかもな……」
クララは明るい声をあげた。
「次はあたしね!じゃじゃーん!いろんな人にヴェルナーラの気候と地形について聞いてきたんだ!」
そう言ってメモ帳を広げる。ページには各地域ごとに細かく情報がまとめられていて、色分けや簡単な図まで添えられていた。
「意外とちゃんとしてるんだな」
アンリが意外そうに声をあげると、クララはムスッとした表情で睨み返した。
「あたしだって、ちゃんとやるときはやるもん!」
リュカは笑いながらクララのメモ帳を覗き込んだ。
「色分けまでしてあるのか。見やすいじゃん。で、どこから話す?」
「じゃあまずはフリューゲルからね」
クララはページをめくりながら話し始めた。
「フリューゲルの平地部は穏やかな気候で湿度や風が程よい感じ。地形も基本的になだらかで暮らしやすいんだって。北にはシュネートイフェル山があって、昼夜の寒暖差が激しくて雪が多いのが特徴だって」
「雪山か……登るなら装備が要るな」
アンリがぼそっと呟く。
「次はヒッツシュライアー。基本的には温暖で湿度が高い。火山周辺や高地では昼夜の温度差が大きくて、火山活動もある。内陸の高台や盆地だと夏は乾燥しやすくて、冬は温暖。低地や平野部は草原が広がってて、雨季と乾季で植生が変化するんだって」
「火山……結構、旅が大変になりそうですね」
カミーユが静かに呟く。
「フェアギストマインニヒトのジャングルのところは高温多湿。動植物の多様性があって、研究対象なんだって。人が住んでるところは雨季と乾季がはっきりしてる。平野部は草原が広がってて農業をやってる。辺境部は砂漠があるんだって」
「ジャングルと砂漠が同じ地域にあるって、すごいね」
マリーが目を丸くする。
「ブリッツシュラーク群島は年間を通して温暖で湿度が高い。雷雨が結構あるらしくて、季節の変わり目は特にひどい。島ごとに微妙に気候が違って、雷雨が少ない地域もあるんだって」
「雷雨か……装備が濡れるのは嫌だな」
アンリが眉をひそめる。
「エーデルシュタインの山岳地域は雪深くて、夏が短くて爽やか。昼夜の寒暖差が大きくて乾燥してる。一方、谷間や都市部は比較的過ごしやすくて、雨は適度に降るし、冬は雪解け水が川になるんだって」
「雪解け水……水源として使えるかも」
リュカがメモを取る。
「アイスツォプフェンは広大な雪原・氷原が広がってて、ほとんど植物が育たない。冬は極寒で気温は常に氷点下。強風や吹雪が頻発してて、ほとんど人が住んでないみたい。でもシュネートイフェル山のあたりは人が住める程度に温暖で、雪は降るけど除雪や排水、防寒建築がしっかりしてるんだって。あと、夏は短いんだって」
「そこは……行くなら覚悟が要るね」
マリーがそっと呟く。
「最後にシュプリューレーゲン。沿岸部は夏は乾燥して暑く、冬は温暖で雨が多い。観光地とかワイン工房はそっちのほうにあるんだって。一方、内陸部は年間を通して降水量が安定してて湿度は高め。工業地域とか運河、中心地はこっちのほうにあるんだって」
「ワイン工房……行ってみたいな」
リュカがにやりと笑う。クララは得意げに胸を張った。
「どう?ちゃんと聞いてきたでしょ!」
アンリは少しだけ口元を緩めて言った。
「……ああ、見直したよ」
クララがメモ帳を閉じると、アンリが腕を組んだまま口を開いた。
「じゃあ、俺から治安の話をしよう。地形や気候も大事だが、危ない場所を知っておくのはもっと重要だ」
リュカが興味深そうに身を乗り出す。
「お、アンリが語るって珍しいな。聞かせてくれよ」
「別に、みんなが話したから話そうと思っただけだし」
アンリは卓の上に視線を落としながら、淡々と話し始めた。
「まずフリューゲル。ここは比較的治安がいい。騎士団が街を守ってるから盗賊もあまり見かけない。街道も整備されてるし、旅人には優しい土地だ」
マリーは安心したように微笑む。
「騎士団がいるって安心ですね」
「ヒッツシュライアーは都市部や観光地の警備が厳重だ。治安は悪くないが、自然災害のリスクが高い。火山活動や地震、突風……人よりも地形の方が危険だな」
カミーユは手帳に静かに書き込みながら言った。
「災害対策の装備、準備しておいた方がよさそうですね」
「フェアギストマインニヒトは、村落や都市部に秩序がある。だが、ジャングルや砂漠は別だ。特に砂漠地域は注意が必要だ。水神信仰が根付いていて、都市部とは違う掟がある。水が少なくて争いが絶えなかった時代に、水神が争いを鎮めて、ルールを作った。その名残が今も生きてる」
クララは目を輝かせる。
「同じ地域なのに信仰が違うんだね」
アンリは少しだけ口元を緩めた。
「まぁ、そこら辺の事情は現地に行ったときに聞いたらいいと思う」
「ブリッツシュラーク群島は島によって差がある。主要島は比較的安全だが、小さい島は海難事故や犯罪が多い。漁師の話では、密輸や海賊まがいの連中もいるらしい」
リュカは眉をひそめる。
「海賊か……それはちょっとロマンだけど、実際に遭遇したら笑えないな」
「エーデルシュタインはギルドによる統制が効いていて、治安は非常に良好。ただし、詐欺や商業トラブルはある。契約書を読まずに判を押すと、痛い目を見る」
カミーユは頷きながら言った。
「さっきの契約書、ちゃんと読んでおいてよかったです……」
「アイスツォプフェンは、人が住んでるところは大丈夫だ。だが、無人地帯は無法地帯だと思っていい。吹雪の中で何かに遭遇しても、助けは来ない」
マリーは少し不安そうに呟いた。
「……行くなら、誰かと一緒じゃないと怖いですね」
「最後にシュプリューレーゲン。基本的には良好だが、地下街や下水道のあたりは治安が悪い。表通りは華やかでも裏に入ると別の顔がある」
クララはモクテルを飲みながら言った。
「地下街ってちょっと探検してみたいけど……危ないのかぁ」
アンリは静かに言った。
「好奇心は大事だが、命より優先するものじゃない」
リュカは皆の話を聞き終えると、卓に手を置いて静かに言った。
「じゃあ、移動ルートは治安と気候を見ながら決めるべきだな。無理して危ない場所に突っ込むのは、旅の終わりを早めるだけだ」
その言葉に、全員が自然と頷いた。




