序章 第3幕:旅立ち 第6話 後編
広場に戻ると、午後の陽がゆるやかに差し込んでいた。霧はすっかり晴れ、石畳はほんのりとした温もりを帯びている。風鈴の音が涼やかに響き、風に乗って子供たちの笑い声が広がっていた。
五人は広場の端に立ち、輪になって遊ぶ子供たちの様子を眺めていた。その中のひとりがクララの存在に気づいて駆け寄ってくる。
「ねえねえ、明日、皇国から行商人が来るんだって!」
そう言うと、他の子たちも次々に集まってきて、口々に話し始めた。
「おいしいお菓子、またあるかな?雪玉ドーナツとか、焼きアーモンドとか!」
「アイスツォプフェンの雪玉ドーナツ、ふわふわしてて、すっごくおいしかったよね」
「ヒッツシュライアーの焼きアーモンドは袋を開けた瞬間に甘い匂いが広がるの。お母さんが半分食べちゃったけど……」
クララは目を細めて微笑みながら子供たちの話に耳を傾ける。マリーはしゃがんで、子供たちが地面に描いた地図を覗き込んだ。
「ここにお菓子屋さんが来て、こっちにカードゲームのお店が来て……」
「お洋服屋さんも来るかな?この前のワンピース、すっごく可愛かったんだよ」
「僕は帽子が欲しい!皇国の人がかぶってる、ボンボンのついた麦わら帽子!」
アンリは少し驚いたように眉を上げる。
「ずいぶん詳しいな。行商人のこと、よく知ってるんだな」
「うん!あとこれ、この前、行商人さんからもらったの!」
そう言って、ひとりの子が小さな布袋を取り出す。中には羽根と渦を模した風神の紋様が描かれた小さな石の飾りが入っていた。
「お守りなんだって。 “風神さまが旅を見守ってくれる”って言ってたよ」
リュカはその言葉に目を細め、静かに頷いた。
「なるほど……皇国の文化が、こんなふうに馴染んでるんだな」
そのとき、別の子がふと思い出したように声を上げた。
「『水神さまのために』だっけ?何でできてるかわからないけど、可愛くておいしかったよね!」
クララが興味を引かれたように身を乗り出す。
「それって、どんなお菓子なの?」
すると、子供たちの目がぱっと輝いた。
「ピンクと緑色の目をした梟だよ!」
「そうそう、ふわふわしてて中にレモンのジャムが入ってて、口の中でとろけるの!」
「甘くて、ちょっとナッツの味がして、でも見た目はぬいぐるみみたいなの。食べるのもったいなかったよね」
マリーは思わず笑みをこぼす。
「それ、見てみたいな……」
少し離れた場所ではひとりの少女が紙を折っていた。カミーユがそっと近づくと少女は顔を上げて言った。
「水神さまにお手紙書いたの。行商人さんに渡してもらうんだ」
「何て書いたの?」とカミーユが優しく尋ねると、少女は照れくさそうに笑った。
「 “お菓子ありがとう”って。あと、 “シャトー・ド・ノワール村に来てね”って」
「水神さまって、怖いって言われてるけど……お菓子を持ってきてもいいって言ってくれたらしいから、いい神さまだと思う!」
「この前、行商人さんは『今の水神さまは優しい人だ』って言ってたよ」
「じゃあ、手紙読んでくれるかな?」
「うん、きっと読んでくれるよ。行商人さん、ちゃんと渡してくれるって言ってたもん」
風が広場を通り抜け、風鈴がまたひとつ鳴る。その音に合わせるように子供たちの笑い声が広場に満ちていく。彼らの目に映る明日は甘い香りと色とりどりの布、そして見知らぬ言葉と笑顔でできている。その期待はまだ見ぬ露店の風景を心の中に鮮やかに描いていた。広場の片隅には小さな旗が立てられた地図が広がっている。
「ここにお菓子屋さん、こっちにおもちゃ屋さん、あっちはお洋服屋さん……」
その指先はまるで未来をなぞるように石畳の上を滑っていた。陽が傾き始めても子供たちは帰ろうとしない。
「明日が待ちきれないね」
「うん、早く来ないかな。行商人さん、ちゃんと道に迷わず来てくれるかな?」
「ねえ、明日になったら、またここに集まろうよ」
「うん!朝から来て、いちばんに並ぶんだ!」
五人はその様子を見守りながら静かに微笑んだ。クララはそっと呟く。
「……この村の明日ってこんなふうに始まるんだね」
マリーは風鈴の音に耳を澄ませながら子供たちの描いた地図を見つめる。
「この小さな旗のひとつひとつが、あの子たちの希望なんだね。お菓子も、服も、ゲームも──全部、明日への入り口」
アンリは腕を組みながら、少しだけ目を細めた。
「……行商人たちが何を持ってくるかなんて、もう関係ないのかもな。あの子たちは誰かが来るってこと自体を楽しみにしてる」
リュカは静かに頷いた。
「そうだな。誰かが来る。何かが届く。それだけで、世界が広がるって思えるのは、子供の特権かもしれない」
カミーユは風鈴の音に目を向けながら、静かに言った。
「でも、その特権を守るのは大人の役目ですね。誰かが来ることを安心して待てるように」
風がまたひとつ、広場を通り抜ける。風鈴が鳴り、子供たちの声にそっと寄り添うように響いた。そしてその音は広場の空気に溶け込みながら、子供たちの“明日”をそっと祝福していた。




