序章 第3幕:旅立ち 第6話 前編
翌朝、霧は少し晴れ、石畳の道がくっきりと姿を現していた。五人は宿を出て、シャトー・ド・ノワール村の散策に出かけた。
クララは窓辺に吊るされた風鈴の形に目を留める。
「これ、王国式の祈りの布と一緒に飾られてるけど……風の紋様が混ざってる。やっぱり、文化が溶け合ってるんだね」
マリーは古い詩が刻まれた石碑の前で足を止める。
「 “風は歌い、雪を裂き、人に色を与える”……風神の言葉かな。詩の形で残ってるなんて素敵だね」
カミーユは村の広場に並ぶ露店を見渡しながら、静かに言った。
「皇国の装飾品も混じってますね。行商人が持ち込んだものか……色使いが繊細で王国のものとは本当に違いますね」
リュカは地図を見ながら、村の地形を確認していたが、ふと遠くの森の方から異音が響いた。
「……今の、何の音だ?」
次の瞬間、森の縁から魔物が姿を現した。灰色の毛並みに鋭い爪、霧の中からぬるりと現れるその姿に、クララが思わず後ずさる。
「な、なにあれ……!」
リュカはすぐに剣に手をかけたが村の鐘が鳴ると同時に別の音が響いた。金属が軋むような重厚な足音。正体は鉄製の機械人形だった。
機械人形は霧の中をゆっくりと進みながら、魔物の前に立ちはだかった。その体は鉄と銀の混合装甲で覆われ、肩には雫と天秤を模した紋章、胸元には王国式の祈りの布が巻かれていた。まるで、この村そのものの象徴のような姿だった。
魔物が低く唸り声を上げる。灰色の毛が逆立ち、爪が石畳を引っ掻く音が響く。だが、機械人形は微動だにせず、右腕の内側から展開された刃が霧を裂くように光を放った。
「あれ……戦闘型だ」
アンリは自動人形に目をやりながら呟く。
「村にそんな物があるんだ……」
クララは驚きながら、機械人形をじっと見つめる。
魔物が跳びかかる。だが、自動人形は一歩も引かず、刃を振るう。金属音と獣の悲鳴が交錯し、霧の中で一瞬、光が弾けた。魔物はやがて霧の中に崩れ落ち、自動人形は静かに腕を収めた。村の鐘が再び鳴り、広場の空気が少しずつ穏やかさを取り戻していく。
村の住人が家から顔を出し、五人に向かって笑った。
「びっくりしたかい?あれ、シュプリューレーゲンから来た行商人から買ったんだけどね。昔はああいうの、外国じゃ手に入らなかったんだよ。でも、今代の水神の化身さまが、二年前に“技術の流通制限”を緩めてくれてね。それで、うちの村にも機械人形が来るようになったってわけさ」
リュカはその言葉に眉をひそめた。
「……つまり、水神さまが技術の輸出を許可したってこと?」
村人は頷きながら、軒先で揺れる風鈴を指さす。
「そう。『技術は閉じ込めるものじゃない』って言ってたそうだよ。『必要な場所に届けば、それだけで誰かの命が守られる』ってね。あの人、そういう考え方なんだって行商人が言ってた」
アンリとリュカは顔を見合わせ、驚いたように声を揃える。
「あの人、そんなこと言うんだ……」
「おお、双子って声が本当にハモるんだね」
クララは感心したように二人を見つめるが、マリーとカミーユは同時に呆れたように言った。
「それ今言うことなの?」
カミーユは笑いながら首をすくめる。
「でも、お二人がそんなに驚くなんて意外ですね。水神さまと会ったって、侯爵からの手紙によく書いてありましたよ。彼の語る水神さまは穏やかでユーモアのある方だと……」
カミーユはそう言いながらカレンベルク侯爵との文通を思い出す。お茶会の話、贈り物を丁寧に飾る習慣、チェスやカードゲームを嗜む姿──どれも、柔らかな印象ばかりだった。
だが、アンリはその空気を断ち切るように呟いた。
「それ、多分身内だからだよ」
リュカも静かに頷き、言葉を継ぐ。
「三か月前、うちの軍人が合同訓練中にシュプリューレーゲンの立ち入り禁止区域の水路に誤って踏み込んだだけで逮捕された。判決は3年の拘禁刑。俺たち軍部は釈放を求めたけど、水神さまは『判決はもう変えることはできない』って言い切った。その後、何度も面会を申し込んだけど、全部却下されたよ」
クララ、マリー、カミーユは静かに頷いた。その事件は、神殿の中でも噂になっていた。彼女たちが頷いたのを確認するとリュカは言葉を続ける。
「シュプリューレーゲンでは不法侵入罪は3年以下の拘禁刑または金貨10枚以下の罰金。水神さまはこの罪で与えられる最大の罰を与えた」
アンリは腕を組みながら、低く呟いた。
「最大刑って……つまり、情状酌量の余地すらなかったってことか」
リュカは頷いた。
「そう。あれは裁量の中で最も厳しい選択だった。俺たちにはどうしても納得できなかったから事情を説明を求めたが、水神さまはしばらく黙ってた」
リュカはその時の空気を思い出すように、言葉を選びながら続けた。
「10回目の面会申し込みを断られた後、水神さまはぽつりとこう言ったんだ──『裁きは、時に語らないことで意味を持つ』って」
クララが眉を寄せる。
「……それって、どういうこと?」
「分からなかった。いや、今でもはっきりとは分からない。でも、あの言い方……何かを知ってるようだった。俺たちが知らない何かを」
アンリは腕を組みながら、低く呟いた。
「……あの人、何か隠してるんじゃないか?」
マリーは静かに言った。
「隠してるというより……言わないことで、守ってるのかもしれない。誰かを、あるいは何かを」
カミーユは目を伏せながら、静かに言葉を継ぐ。
「もし、軍人たちの罪が本当はもっと重かったとしたら──水神さまはあえて軽い罪で裁いたのかもしれません。表向きは厳しく、でも裏では……余計な混乱を避けるために」
リュカは苦笑した。
「それなら、俺たちが“最大刑”だと思っていたものは、実は“最小限の処理”だったってことになる。……皮肉だな」
カミーユは思い出したように言葉を紡いだ。
「侯爵は、水神さまが過度に畏れられていることを案じていたようですが、水神さまはこう返されたそうです。 『誤解されるのは不便でもあるけれど時には有効だ。僕が怖いと思われていれば、誰も余計なことはしない。民が静かに暮らせるなら、それで構わない』──と」
リュカはその言葉に、しばらく黙っていた。やがて、低く呟くように言った。
「領主であり、神として崇められる存在……その判断の重さは、俺たちには到底わからない。いや、わかるべきじゃないのかもしれないな」




