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聖女巡礼録 追放された聖女は敵国を旅することにした  作者: 深雪
序章 祈りの果て、旅の始まり
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序章 第3幕:旅立ち 4話 後編

岩の上に、巨大な白い獅子の姿が現れる。ーーゼフィロスだった。


その姿は威厳に満ち、毛並みは風に揺れ、瞳は深い蒼を湛えていた。精霊はリュカの手からふわりと抜け、ゼフィロスの気配に引き寄せられていった。


ゼフィロスの声は風の中から響くように、低く、しかしはっきりと届いた。

「精霊にヒトの言葉が通じるわけなかろう。モン・ルミエールの人間はそんな常識も知らないのかね」

その言葉に、誰もすぐには返せなかった。ただ、風が吹き抜ける音だけが登山道に響いていた。ゼフィロスは岩の上に腰を下ろし、前足を優雅に揃えると、ふと空を見上げるように言葉を継いだ。

「……まあ、それでも面白い反応をするなぁ、モン・ルミエールのヒトは」

「そういえば、シャトー・ド・ノワール村のヒトたちが言っていたよ。『ヒトの言葉を話す魔獣なんて、物語の中だけだ』ってね」

その言葉が落ちた瞬間、一行は揃って固まった。クララは目を丸くし、カミーユはメモ帳を閉じる手を止めた。アンリは剣の柄に添えた手を動かせず、リュカは地図を持ったまま、まばたきすら忘れていた。マリーは、切られた髪の感触を指先に残したまま、ゼフィロスの姿を見つめていた。


風が静かに吹き抜ける。ゼフィロスはそんな彼らの反応を見て、口元をわずかに緩めた。

「……ああ、そんな顔をするな。別に食べたりはしない。今のところは、ね」

アンリが小さく咳払いをして、ようやく言葉を絞り出す。

「……あんた、魔獣なのか?」

ゼフィロスは、蒼い瞳をアンリに向ける。

「魔獣と呼ぶか、聖獣と呼ぶか、風そのものと呼ぶか──好きにすればいい。ヒトの言葉は風には重すぎる」

カミーユが静かに呟く。

「記録に残っている“風の獅子”……本当に、伝承通りの姿だ」

ゼフィロスはその言葉にふっと鼻を鳴らした。

「伝承か。あれはヒトが風を理解しようとして編んだ夢だ。だが、夢も悪くない。時に、風よりも遠くへ届く」

その言葉にマリーの瞳が揺れた。風が彼女の髪の残りをそっと撫でていく。


ゼフィロスは静かに風の精霊に視線を向ける。精霊は空気の粒子のように揺れながら、ゼフィロスの前に浮かんでいた。そして──風が、言葉にならない音を奏で始める。それは、ヒトには解読不可能な“風の言語”だった。音でもなく、声でもなく、空気の振動と気配だけで交わされる対話。一行はただ、風の流れが変わるのを感じながら、沈黙のまま見守っていた。


やがて、ゼフィロスはふっと鼻を鳴らし、精霊の怯えた気配が静かに消えていく。風が収まり、空気が落ち着いたその瞬間、ゼフィロスは一行に向き直った。

「……この髪を使って、一華祭(いちげさい)で我らへの献上物を包む紙を編もうとしていたらしい」

その言葉に、五人は揃って固まった。

クララが「いちげさい……?」と小さく呟き、カミーユが眉を寄せる。アンリは「何の話だ?」と半分警戒しながら剣の柄に手を添え、リュカはただただゼフィロスを見つめる。マリーは切られた髪の感触を指先に残したまま、ゼフィロスの言葉を静かに受け止めていた。


ゼフィロスは、そんな彼らの反応を見て、口元をわずかに緩める。

「モン・ルミエールのヒトはやはり知らぬか。まあ、風の祭礼はフリューゲルの文化だからな。境を越えねば届かぬ」

カミーユが静かに問いかける。

「その……一華祭というのは、どういった祭りなのですか?」

ゼフィロスは風をまとったまま、ゆっくりと語り始める。

「一華祭はフリューゲルの民が年に一度、我ら四風聖獣へ捧げ物を贈る祭礼だ。風が柔らかくなる頃、ブリーゼ教会に集い、()()()()を捧げる」

クララが首を傾げる。

「伊吹の花って……どんな花なの?」

ゼフィロスは、ふっと鼻を鳴らす。

「決まった花ではない。アネモネでも、ヒヤシンスでも、タンポポでもよい。伊吹の花とは捧げる者が“これだ”と感じた花のこと。意味も形も、すべてはその者の解釈に委ねられる」

カミーユが静かに頷く。

「つまり、花そのものではなく、そこに込めた想いが()()になるのですね」

「そうだ。風は形を持たぬ。だからこそ、ヒトが選んだ花に宿る意味を受け取る。だが、花は風に乗りにくい。だから、精霊たちは包み紙を編む。草を束ね、葉を折り、時に……美しいものを選ぶ」


ゼフィロスの瞳が、マリーの髪に一瞬だけ向けられる。

「この髪もただ綺麗だったから目に留まった。それだけのことだ。意味はない。風の精霊は意味よりも感覚を選ぶ」

アンリが腕を組みながら、少しだけ眉をひそめる。

「勝手に切るなんて、礼儀知らずだな」

ゼフィロスは、わずかに口元を緩める。

「それについては我から謝ろう。先ほど、精霊には『ヒトの乙女の髪は命と同等のものなのだから勝手に切ってはならぬ』ちゃんと説教もしといた」

マリーは切られた髪を指先でそっと撫でながら、風に向かって微笑むように言った。

「気にしないでください。風の精霊が綺麗だと思ってくれたなら、それだけで十分です。お祭り、楽しみにしてますね」

その言葉に、風がふわりと彼女の頬を撫でた。ゼフィロスは岩の上で一瞬だけ口元を緩めると低く、しかしどこか柔らかい声で言った。

「……ヒトの乙女は、強いな」

クララがマリーの隣に並び、そっと笑みを浮かべる。アンリは肩の力を抜き、リュカは地図を折りたたみながら言った。

「俺たち、フリューゲルに向かうよ。一華祭がどんなものか、自分の目で見てみたい」

その言葉を聞いたゼフィロスは驚いたように目を丸くする。

「ほうほう、そなた達はフリューゲルに行く旅人か。ここらで見かけない者たちが現れたのはそういうことだったかい」


風がふわりと吹き抜け、ゼフィロスの毛並みを揺らす。その瞳にはただの好奇心ではない、何かを見定めるような光が宿っていた。そして、風の中から低く、しかしどこか柔らかな声を響かせた。

「ならば、我はお前たちを見守ろう。善き者に風を与え、道を照らすこと──それが、数千年にわたり果たしてきた我が務めだ」

その声は、風のざわめきとともに五人の胸に届いた。ゼフィロスは風のようにふわりと精霊と共に去ってしまった。


ゼフィロスは、フリューゲルの民だけでなく、セレリス山脈全域に暮らす人々の営みに目を配っている。

西風の聖獣としての威厳を保ちつつも、どこか親しみやすく、時に旅人に声をかけるような社交的な好々爺でもある。その穏やかな風の気配は、山脈を越えて多くの者に知られている。


後日、彼と他の四風聖獣──ノトス、エウロス、ボレアス──そして風神の化身・クールベアトとの関係や、風の神話にまつわる物語を綴る予定です。



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