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聖女巡礼録 追放された聖女は敵国を旅することにした  作者: 深雪
序章 祈りの果て、旅の始まり
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序章 第3幕:旅立ち 第4話 前編

焚き火の火は夜の静けさの中でゆっくりと燃え続けていた。星々はきらきらと瞬き、風は穏やかに吹き抜けていく。誰も口を開くことなく、ただ星空を見上げていた時間は、いつの間にか眠気に変わっていた。

誰が最初に眠ったのかは誰も覚えていない。焚き火のそばで丸くなっていたクララも、岩陰に背を預けていたアンリも、メモ帳を抱えたままのカミーユも、星図を開いたままのリュカも。そして、マリーもまた、膝を抱えて座ったまま、静かに目を閉じていた。夜は静かに過ぎていった。


──そして、朝。

鳥の囀りが遠くから聞こえ、風が少しだけ温度を変えていた。陽光が木々の隙間から差し込み、焚き火の残り火を照らす。クララが目を覚まし、ぱちりと瞬きをする。

「……あれ? 寝ちゃってた……?」

アンリが頭を掻きながら起き上がる。

「うそだろ……見張り、誰もしてなかったのか?」

リュカが慌てて立ち上がり、周囲を見渡す。

「魔物の痕跡は……」

カミーユもすぐにメモ帳をしまい、足元の地面を確認する。

「足跡も、爪痕も……何もありませんね。焚き火の周囲も荒らされていない」

マリーは少し遅れて目を覚まし、皆の様子を見て、静かに言った。

「……風が、守ってくれたのかも」

アンリが肩をすくめる。

「それか、ホルンヤギが魔物を追い払ってくれたとか?」

クララが笑いながら言う。

「それなら、あの親子に感謝しないとね」

リュカは焚き火の灰をかき混ぜながら、少しだけ安堵の息を吐いた。

「何もなかったのは幸運だ。けど、次はちゃんと交代で見張りを立てよう」

カミーユが頷く。

「ええ。油断は、次の夜には許されませんね」


朝の光が、少しずつ山の稜線を照らし始めていた。静かな夜を越えた一行は、少しだけ気を引き締めながら、次の準備を始めていた。

陽が高くなるにつれ、焚き火の残り火を囲んで、簡単な朝食が始まった。パンをちぎり、果物を分け合い、湯を沸かして温かい飲み物を口にする。夜の静けさと、何事もなかった安堵が、まだ空気の中に残っていた。

アンリがパンをかじりながら、地面に広げた地図を覗き込む。

「さて……昨日の道は、思った以上に足にきたな。今日の登りは、もっと厳しいかもしれない」

リュカが地図の端を押さえながら、静かに言葉を継ぐ。

「この先は岩場が続く。傾斜も急になるし、道幅が狭くなる箇所もある。滑落の危険もあるから、慎重に進む必要がある」

カミーユが湯をすすりながら、メモ帳を開く。

「地元の人の話では、苔の石段が多いそうです。雨が降った後は特に滑りやすいとか。昨日の天気なら、乾いてるはずですが……」

クララが果物の皮を剥きながら、少し不安げに言う。

「魔物も、昨日より出やすい場所なんだよね? 岩陰とか、木の根元とか……」

マリーは湯気の立つカップを両手で包みながら、静かに頷いた。

「でも、風は穏やか。今のうちに進めば、霧に巻かれることもないと思う」

アンリがカップを置き、立ち上がる。

「よし、じゃあ準備しよう。荷物は軽く、足元はしっかり。今日の道は、昨日よりも気を張らないと」

リュカが地図を畳みながら、皆を見渡す。

「登山道の入り口はあの岩の向こう。そこから先はゼフィロスの領域に入る」

風が草を揺らし、木々の間から差し込む光が、道の先を照らしていた。一行はそれぞれ荷物を整え、互いに装備を確認し合いながら、登山の準備を進めていった。険しい道を選んだ分、気持ちは引き締まっていた。けれど、その先に何が待っているのかは、誰にもわからなかった。


登山道は想像以上に厳しかった。岩場は不安定で、苔の石段は滑りやすく、傾斜は容赦なく足に負担をかけてくる。それでも一行は、互いに声をかけ合いながら、無理にでも明るい空気を保とうとしていた。

「はー……これ、修行って言われても信じるわ」アンリが息を吐きながら笑う。

「でも、空気は美味しいよね。ほら、深呼吸!」クララが両腕を広げてみせる。

「この道を選んだのは誰でしたっけ?」カミーユが静かに言うと、マリーが「私だよ!」と胸を張ってみせる。リュカは前を歩きながら、地図を確認していた。

「あと少しで尾根に出る。そこまで行けば、少しは楽になるはずだ」

そんなやり取りの最中だった。


──シュッ。

風が一瞬、鋭く走った。マリーの髪がふわりと舞い、次の瞬間、腰まであった髪が肩くらいの高さまで切られた。

「……っ!」

マリーが立ち止まり、手で髪を押さえる。クララが息を呑み、アンリがすぐに剣に手をかける。リュカは反射的に振り返り、風の流れを読むように目を細めた。

「今の……風か?」

リュカが低く呟く。空気が変わっていた。風がざわめき、木々が揺れ、何かが通り過ぎた気配だけが残っていた。

「誰かが切ったの?」

クララがマリーに駆け寄る。マリーは静かに首を振る。

「わからない……でも、痛みはなかった。風が、髪を撫でたと思ったら……」

リュカが周囲を見渡し、手を伸ばす。風の流れに逆らうように、何かを掴むような動作をした。

その手の中に、淡く光る存在が現れた。風の粒子が集まってできたような、透明な姿。人の形をしているようで、していない。

「風の精霊……」

リュカが目を細める。

「なぜ髪を切った?」リュカが問いかける。

「何の目的で、こんなことを?」


精霊は、ただじっとリュカを見つめていた。不思議そうに、まるで言葉というものを初めて見たかのように、静かに見つめていた。その粒子が、ふわりと揺れた。風の流れが変わるように、形が変わる。一瞬だけ、小さな女の子のような姿に収束した精霊は、次第に輪郭を整え始める。髪は肩までの長さで、風に揺れる薄衣をまとっている。足元には靴のような形があり、手には切り落とされたマリーの髪が握られていた。 その姿は、まるで風の中に生まれたひとつの命のようだった。クララが息を呑む。

「……ちゃんとした姿になってる……」

アンリが眉をひそめる。

「何かの儀式か? それとも、ゼフィロスに報告でもするつもりか……」

リュカは問いを重ねようとしたが──その瞬間、空気が変わった。

風が一気に張り詰め、木々がざわめき始める。 精霊の身体がぶるりと震え、粒子がばらけそうになるほど揺れた。きちんと整っていた姿が怯えに揺らぎ始める。手に握られていた髪が風に溶けるようにほどけていく。精霊は小さく身をすくめ、逃げ場を探すようにリュカの手の中で震えていた。


そして、風が吹き抜けた。


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