序章 第三幕:旅立ち 第2話 後編
一行は畑の端に腰を下ろし、それぞれ持参したパンやチーズ、地元の人から分けてもらったぶどうを広げていた。風が穏やかに吹き抜け、ぶどうの香りが空気に溶けていく。葉の隙間から差し込む陽光が、彼らの肩を優しく照らしていた。
クララは淡い緑のチュニックに膝丈のスカートを合わせ、草の上に膝を抱えて座っていた。袖口には小さな花の刺繍が施されていて、彼女の柔らかな雰囲気にぴったりだった。パンをちぎりながら、ふとマリーに目を向ける。
「そういえば、聖女様ってバレなかったね。村の人、誰も気づいてなかった」
マリーは少し驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「うん……ちょっと意外だったかも」
カミーユは白いブラウスの袖をまくり、ベージュのロングスカートを整えながらチーズを口に運ぶ。
「国のお偉方はともかく、国民の皆様方には慕われてましたよね。神殿の行事でも、マリーさんの祈りは評判でした」
その言葉にクララが頷く。
「うん。街の祈りの場でも、マリーの名前はよく聞いたよ。優しい聖女様って」
アンリはくたびれた革のジャケットの裾を払って、黒のパンツ姿で地面にあぐらをかいていた。ポーチの重みで肩が少し傾いている。パンをかじりながら、少し首を傾げる。
「でも、見た目は普通の旅人だしな。服も地味だし、髪型も変えてるし。言われなきゃ、聖女様ってわかんないよ」
その言葉にマリーはハッとして、自分の恰好を見下ろす。
聖女だった頃は白を基調とした聖服に、髪は長く垂らしていた。今は髪をお下げにし、地味な茶色のワンピースを着ている。旅人としての姿は確かに目立たない。
リュカは灰色のシャツに濃紺のマントを羽織り、地図をしまいやすいようにポケットの多いズボンを履いていた。静かにぶどうの房を手に取りながら言った。
「それに、聖女って“神殿の中の存在”って印象が強い。外を歩いてるだけで、まさか本人だとは思わないだろう」
マリーは少しだけ目を伏せて、指先でパンの欠片をつまむ。
「……そうかも。神殿にいた頃は、祈ることが仕事だった。でも今は、祈るより、歩いてる時間の方が長いから」
クララがそっと笑う。
「でも、マリーは変わってないよ。話し方も、雰囲気も。優しいところも」
アンリが肩をすくめる。
「優しいだけじゃ、聖女様にはなれないだろ。何か、特別な力とかあるんじゃないの?」
マリーは少しだけ考えてから、静かに答えた。
「力っていうより…… “選ばれた”って感じかな。神殿に行ったら、急に周りが勝手に聖女って呼び始めて。私はただ、祈ってただけなのに」
クララがパンを手の中で転がしながら、ぽつりと呟いた。
「選ばれるって……どういうことなんだろうね。誰かが決めたわけじゃないのに、周りがそう見ちゃうって、不思議」
マリーはぶどうの房に視線を落としながら、静かに言葉を継いだ。
「最初は神殿の掃除とか、祈りの補助とか、地味な仕事ばかりだった。でもある日、祈っていたら周りの人が泣き出して……それから、少しずつ“聖女様”って呼ばれるようになったの」
リュカが目を細める。
「つまり、マリーの祈りが人の心に届いたってことか。力じゃなくて、響き方の問題だな」
カミーユが頷く。
「信仰ってそういうものかもしれませんね。誰かが特別だと思った瞬間にその人はもう特別な存在になる」
アンリがぶどうの皮を指先で丸めながら、ぽつりと呟いた。
「でもさ……異教の加護がついた瞬間に聖女様から人間以下の扱いになるって勝手すぎるよな」
リュカも静かに頷く。
「信仰の違いで立場が変わるのはわかるけど、裏切り者みたいに扱われるのはあまりにも極端だ。マリーは何もしてないのに」
アンリは吐き捨てるように言った。
「元はと言えば、あいつらがマリーを雑に扱ってたせいなのにな。祈りを捧げてただけの人に、あんな仕打ちするなんて」
マリーはふっと笑った。
「でも、今は旅人でいたいの。聖女様じゃなくて、ただのマリーとして、誰かの隣にいられる方がずっといい」
風がぶどうの葉を揺らし、陽光がその隙間から差し込んだ。その光は、まるで彼女の言葉に寄り添うように、静かに彼らの肩を照らしていた。昼食の時間は、穏やかに、しかし確かに、彼らの絆を深めていた。




