序章 第二幕:作戦会議 第10話 後編
「皇国ってどんなところなんですか?」
クララは興味深そうにイザークに尋ねた。声には好奇心が滲んでいて、待合室の空気がふわりと動く。
イザークは欠伸を噛み殺しながら、ゆっくりと顔を上げる。赤い瞳が、どこか遠くを見ているようだった。
「綺麗なところだよ」
彼は淡々と答える。
「人も神さまも、機械も自然も——みんな共存して、持ちつ持たれつの関係を保ってる」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ静まった。誰もが、想像の中で“ヴェルナーラ”という場所を探している。
「機械と共存ってどういうことだよ? 機械って工場とかにあるんじゃないの?」
アンリがいぶかしげに眉を寄せる。イザークは彼に若干睨まれているが、あまり気にしていないようだった。
「工場にある大型の機械だけじゃなくて、掃除や洗濯をする機械もある。最近だと、機械人形がお店の店番をしてるところもあるよ。人と話すし、商品も勧めてくる。……まあ、ちょっと口うるさいけどね」
クララが「機械人形って、見てみたい!」と目を輝かせる。ルカは「神さまと機械が一緒にいるって、どういうことなんだ……」と呟く。
イザークは、少しだけ口元を緩めた。
「皇国では、神さまも機械も“役割”を持ってる。誰かの役に立つってことが、存在の証になる。だから、共存できるんだよ。……案外、合理的だ」
マリーは不思議そうに呟いた。
「神さまの“役割”って……?」
モン・ルミエールでは神は絶対的な存在であり、役割などという概念は存在しない。聖女として育ったからこそ、異国の宗教観に対する興味は尽きなかった。
イザークはまるでそれが常識であるかのように淡々と答える。
「まず、領土を持たない四季の神々は、この国に季節をもたらす。春夏秋冬、それぞれが豊穣と安寧を届けるのが役割。朝夜の神は、朝と夜を運び、人々を優しく見守るのが役割」
マリーの隣で、クララが小さく息を呑む。アンリも眉をひそめながら、真剣に耳を傾けている。
「そして、領土を持つ神々は、まずその土地で暮らす人々を守ることが共通の役割。それ以外にも、土地柄によって役割が変わる」
イザークの声は静かで、どこか遠くを見ているようだった。その語りに、誰もが自然と耳を傾けていた。
「神話によれば——
フリューゲルの風神さまは、自由と旅路を拓く神さま。
シュプリューレーゲンの水神さまは、秩序と律法を定める神さま。
アイスツォプフェンの氷神さまは、試練と永遠を司る神さま。
エーデルシュタインの土神さまは、富と基盤を築く神さま。
ヒッツシュライアーの火神さまは、権威と温もりを授ける神さま。
フェアギストマインニヒトの花神さまは、知恵と記憶を授ける神さま。
そして、ブリッツシュラーク群島の雷神さまは、変革と勇気を与える神さまとされている」
その言葉が静かに落ちると部屋の空気が少しだけ澄んだように感じられた。マリーは、神々が役割を持つという考え方に、まだ戸惑いながらも、その秩序と優しさに、どこか惹かれている自分を感じていた。
「皇国には、神さまの化身っていう人がいるんでしょ?」
リュカが、興味深そうにイザークに尋ねた。
「その化身って、どんな役割なの?」
イザークは、欠伸を噛み殺しながら視線を上げる。
赤い瞳が、どこか遠くを見ているようだった。
「……神さまは実際にこの国で過ごすのは人間だからって理由でこの世に関わることから身を引いた。でも、突然姿を消されたことで人々は不安になった。そこで、神さまの代理人として“神さまの化身”という存在が作られた」
「作られたって……人間が勝手に名乗ってるわけじゃないの?」
とアンリが眉をひそめる。
イザークは首を横に振る。
「違う。化身は神さまが自ら選ぶ。 だから、人間は反対しない。誰が選ばれたかは、神託によって明らかになる。 その瞬間から、その人は“神さまの声”として扱われる」
クララが小さく息を呑む。マリーは、静かにその言葉を噛みしめていた。
「でも、“化身さま”って呼ばないのはどうして?」とリュカがさらに尋ねる。
イザークは少しだけ口元を緩めた。
「単純に、長くて言いづらいから。例えば、会話で『土神の化身さま』とか『エーデルシュタインの夏神の化身さま』って言ったら会話がスムーズじゃなくなるし。それに神さまの化身の代替わりなんて、人生に一度あるかないか。だから、いちいち区別する習慣がなくなっただけ。 “土神さま”とか”エーデルシュタインの夏神さま”って言えば、誰のことかは自然と伝わる」
その言葉に待合室の空気が少しだけ静まった。神さまが遠くにいるのではなく、誰かを通して近くにいるという感覚。それは、マリーにとっても、少し不思議で、少し温かいものだった。
再び、こんこんっと扉を叩く音が響く。先ほどのスタッフが戻ってきたようだ。
「イザーク様、私たちに仕事しろっとおっしゃるのなら貴方も仕事してください」
スタッフは口を尖らせながらイザークに文句を言う。手には封筒を持っている。スタッフは彼に封筒を手渡し、「説明は貴方からしてください」と言ってその場を去っていった。
イザークは封筒の口を丁寧に裂き、中から数枚の写真を取り出し、光の下で一枚ずつ確認するように目を通す。その手つきは、まるで古い書簡を読むように静かだった。
「……これが、君たちのビザ用の写真だ」
マリーがそっと近づくと、イザークは彼女に写真を手渡した。
「ビザの写真を貼る欄に、剥がれないように貼るんだよ」
彼の声は穏やかで、どこか遠くを見ているようだった。
「角をしっかり押さえて。剥がれている、検問で引っかかることがある」
クララが「そんなことで?」と驚いたように言うと、イザークは少しだけ口元を緩めた。
「そんなことで、だ。写真が剝がれてたらさらにめんどくさい手続きをしなきゃいけないからな」
マリーは写真を見つめる。そこに写っていたのは、少し緊張した自分の顔。でも、その目はまっすぐに前を向いていた。彼女は書類の枠に写真を重ね、指先でそっと角を押さえた。紙と紙が静かに馴染んでいく。その瞬間、旅がひとつ形になったような気がした。
イザークは窓の外に目を向けながら、ぽつりと呟いた。
「ヴェルナーラへ向かうなら、準備は早い方がいい。あそこは季節の移り変わりが早いから」
その言葉に、カミーユがふと何かを思い出したようにイザークへ顔を向けた。
「突然すみません。ヴェルナーラにいる知人が、フリューゲルから向かった方がいいって言ってたんですけど……イザークさんはどう思われますか?」
イザークは少し考え、静かに頷いた。
「モン・ルミエールからヴェルナーラに行く方法は、三つある。」
「三つも?」
アンリが目を丸くする。リュカは肩をすくめながら、「ヴェルナーラって広いからね」と呟いた。
イザークは指を一本立てる。
「一つ目は、モン・ルミエール南部に位置するポール・ダルエットから、フェアギストマインニヒトのローゼンフルト港へ向かう航路」
「その行き方、なんだか楽しそう!」
クララが目を輝かせる。
だがイザークは首を横に振った。
「冬場ならいいけど、今は雨季。町が水浸しでまともに歩けない。」
「それは……確かに危険ですわね」
カミーユが小さく呟いた。
イザークは二本目の指を立てる。
「二つ目は、ドーブ山を越えてネーベルメーア湖へ。湖を渡ってシュプリューレーゲンに入る方法。」
「ネーベルメーア湖って、どこだっけ?」
リュカが首を傾げる。
イザークは思い出したように言った。
「こっちではラック・ド・ブリュム湖って呼ばれてるな。」
「ああ、なるほど」
リュカは納得したように頷いた。
アンリがぽつりと言う。
「ドーブ山は地磁気が狂って方角が読めないし、ラック・ド・ブリュム湖は水位が生き物みたいに動くから……難しいってことか。」
「そ」
イザークは短く肯定する。そして三本目の指を立てた。
「最後は、セレリス山脈を越えて、エルヴァ丘陵を抜けてフリューゲルへ。気候も道も穏やかで、探検というより散策に近いルートだな。……他の二つが、探検しづらすぎるってだけかもしれないが。」
アンリが眉をひそめて言う。
「それ、逆に退屈なんじゃないか?」
クララは椅子の背にもたれながら、目を細めて微笑んだ。
「でも、セレリス山脈って、朝になると霧が金色に染まるんでしょ?丘陵の風も、草を撫でながら吹くって聞いたことある。」
「風が草を撫でる……」
カミーユがその言葉を繰り返し、窓の外に目を向ける。遠くに見える丘陵の稜線が、午後の光に淡く揺れていた。
イザークは頭の中で地図をなぞりながら言った。
「道が穏やかでも、距離はある。途中に宿も少ないし、食料の確保は計画的にしないと。」
リュカが地図の端を押さえながら呟く。
「つまり、三つのルートのうち、どれを選んでも一筋縄じゃいかないってことか。」
「そういうこと」
イザークが短く答える。
その声には、旅の先にある風景を見据えるような静けさがあった。
窓の外では、丘陵を渡る風が木々を揺らし、遠くの空に白い雲を運んでいた。その風が、彼らの選択を静かに促しているようだった。
個人的にヴェルナーラ皇国とモン・ルミエール王国の地図を作ったんですが、皆さんその地図があった方がいいですかね。必要だったら後日、投稿しようかなって思ってます。皆さんのご意見をお聞かせください。




