序章 第二幕:作戦会議 第8話 後編
5人が香りを選び終わったのを確認すると、イザークは5人を撮影室に案内する。撮影は一人ずつ。 香りが混ざらないようにとの理由で、五人はそれぞれ別の部屋に案内された。扉が閉まると、外の気配はすっと遠ざかり、空間は自分と香草だけになった。
カミーユの部屋は、淡い灰色の壁に、光を柔らかく反射する布が掛けられていた。 床には薄い絨毯、天井には見たことのない金属の輪が吊るされている。その輪の中心には、ゆっくりと回転する水晶の球体。光が差し込むたび、部屋の空気がわずかに揺れる。
クララの部屋には、静かな音を発する装置が置かれていた。「風の記憶」を選んだ彼女のために、微かな風音が流れている。その音は、まるで遠くの草原を吹き抜ける風のようだった。
マリーは、銀糸の帯を整えながら部屋を見回す。 壁際に並ぶ機材は、どれも見たことのない形をしていた。レンズのようでいて、どこか楽器にも似ている。スタッフに尋ねると、彼は小声で答えた。
「皇国から持ってきたものです。写影専用の道具でして……」
そして、ぽつりと呟いた。
「全部合わせたら金貨いくつなんでしょうかね……」
アンリは、深緑の香草をポケットに忍ばせたまま、椅子に座っていた。部屋の隅には、光を吸収する黒い布が張られている。その前に立つと、まるで自分の輪郭が空気に溶けていくような感覚があった。
リュカの部屋は、静かだった。「水底」を選んだ彼の空間には、青い光が差し込んでいた。壁には、皇国の文字が刻まれた金属板が並び、どれも微かに温かい。彼はそれを指先でなぞりながら、何かを思い出していた。
そして、部屋の扉が再び開く。イザークが現れ、キャンディを口にくわえたまま、無表情で言った。
「香りが十分効いたら、撮影開始ね」
それだけ言って、すっと去っていく。五人は顔を見合わせることもできず、それぞれの部屋で同じように思った。
「……それって、いつ?」
「効いたかどうか、どうやってわかるの?」
「え、もう始まってるの?」
静かな部屋に、香草の香りだけが漂っていた。光はゆっくりと揺れ、空気は少しずつ写影の準備を整えていく。
マリーの部屋には、柔らかな光が差し込んでいた。他の部屋よりも、少しだけ温度が高い気がする。
壁際に置かれた皇国の道具は、どれも静かに呼吸しているようだった。香りは、すぐには立たなかった。 「陽だまり」は、急がない。 空気に溶けて、壁に染みて、マリーの髪に触れて、ようやく部屋全体がその香りに包まれていく。
イザークは何も言わず、ただ一度だけ部屋を覗いて、「……もう少し」と呟いて去っていった。
マリーは椅子に座り、目を閉じる。香りが満ちていくのを、肌で感じながら。それは、遠い記憶の中の午後のようだった。誰かが笑っていた。風がカーテンを揺らしていた。そのすべてが、今、彼女の輪郭をなぞっている。
そして、イザークが戻ってくる。
「始めようか」
その声は、まるで陽だまりの中に差し込む影のようだった。撮影室の空気が、ぴたりと止まった。
香りが満ちきった合図だった。イザークは、無言で機材の前に立つ。
皇国製の撮影装置——“光律写影機”と呼ばれるそれは、三脚に固定された重厚な黒鉄の筐体に、複数のレンズと香気感知盤が組み込まれていた。レンズは三層構造で、香りの粒子と光の屈折を同時に捉える。 背面には、記録盤を挿入するための細いスロット。その盤は、金属と琥珀を混ぜた特殊な素材でできており、香りの“記憶”を定着させる。
マリーは椅子に座ったまま、目を閉じている。彼女の周囲には、香りの濃度を測るための細い管が数本、空中に浮いていた。それらが微かに震え、緑色の光を灯す。 ——香気、臨界点。
イザークが、記録盤を装置に挿入する。盤がカチリと音を立てて収まり、装置が低く唸る。レンズが自動で焦点を合わせ、マリーの輪郭をなぞるように回転する。
「撮るよ」
イザークの声は、機械の起動音に溶けるように響いた。シャッターは存在しない。代わりに、香気と光の同期によって“写影”が始まる。 部屋の天井に設置された光律盤が、マリーの頭上に柔らかな金色の光を落とす。 その光が、彼女の髪、頬、指先に触れた瞬間、装置が一度だけ、深く脈打つ。記録盤が回転し、香りの波と光の屈折を同時に刻み込む。マリーの「陽だまり」が、盤の中に定着する。
その間、ほんの数秒。だが、空気はその時間だけ、永遠のように静かだった。光が収まり、装置が停止する。記録盤がゆっくりと排出され、イザークがそれを手に取る。盤の表面には、まだ微かに香りが残っていた。
「……写ったよ」
彼はそう言って、盤を布で包む。マリーは目を閉じる。 その瞳に映るのは、撮影を終えた機材の静けさと、まだ残る陽だまりの余韻。




